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「生更」

「……はい」

 翌日、美代は目の前の椅子に生更を呼び出して座らせその目の前に仁王立ちしていた。

「そろそろ克服したらどうなの!?」

 思わず大声を出すと、俯いて体を縮めている生更はびくっと肩を震わせた。その様子に、理不尽だとわかっていながらますます苛立ちが募る。

「だいたいあれも生更の同族じゃなくてただの人間なのになんで相手が白髪だってだけで」

「広野さん」

 急に文冶に呼ばれ、美代は振り返った。カウンターに堂々と資料を広げ、ノートパソコンを開いた書司頭が頬杖をついて二人を見ていた。

「ここは図書館だ。図書館ではお静かに」

「……だって利用者いないじゃないですか」

 彼らが今いるのは確かに図書館である。だが文冶が若くして館長を勤めているここは、普通の図書館ではない。

 館内はいつも、衣擦れのような、葉擦れのような控え目な囁きに満ちている。利用者がほとんどいないにも関わらず、だ。

 その音は本たちの声。

 乱丁本に襲われた人間は本になる。

 ここは、そんな被害者たちを所蔵した図書館なのである。

「次に、私は論文を書いている」

「……すみませんでした」

 文冶は書司頭である以上に現役の大学生である。実力を買われ、警備を兼ねてここに常駐しているが課題に追われるのは普通の大学生と同じだ。

「第三に、説教をしたところで登場人物たちの性質は一切変わらない」

「それはわかってますけど……」

 登場人物たちは本の住人である。三次元に呼び出され、本の外の世界を知ってもあらかじめ設定された性格や実力が変化するわけではない。

「最後に……」

 文冶が椅子の背にもたれ掛かり、疲れた様子で溜息をつく。背もたれが軽く軋む。

「八つ当たりはやめろ」

 荒げるでもなく冷静な文冶の言葉に、美代は気まずくなり視線を逸らした。八つ当たりだという自覚はあるのだ。

 そんな美代の様子を知ってか知らずか、文冶は淡々と続ける。

「見てみろ、彼は泣いてない」

 げ、と呻いて美代は生更を振り返った。

 青ざめて強張った顔を俯けて座ったままでいる生更は確かに泣いていなかった。十八、十九の青年であるから当然といえば当然なのだが、彼の場合感情の矛先は自らに向かうのだ。

「……生更?」

 努めて柔らかい声をかけると彼は過剰なまでに反応して美代を見上げた。濃緑のはずの瞳が光を失い黒に見える。

 まずい。美代は内心表情を引き攣らせた。

 生更は柔和で人助けを厭わず、そこそこ腕もたち素直な性格であるため書司初心者向けとされている。

 しかし一つ扱いを間違えるとトラウマに呑まれてしまうという欠点がある。

「……ごめんなさい」

「いや、そうじゃなくて」

「僕やっぱり足手まといですよね」

「違う違うそんなことないから」

「きっと僕以外にももっと美代さんのお役に立てる方がいらっしゃると思うんです、だから」

「ごめん生更八つ当たりした私が悪かった、だからもうしょげないで、ね?」

 必死で生更を宥める美代を尻目に、文冶は僅かに顔を歪めた。ノートパソコンのディスプレイを見つめるが意識は上の空だ。

 諦めて首を振り、Word画面を最小化する。代わって開いたのはExcel。列挙される登録番号、氏名、性別、生年月日、書籍化年月日、容疑者名――

 ここにいる、以前は人間だった人々の個人情報の一覧である。

 膨大なリストを上から下へスクロールする。一人の少女の名の直後に現れ、そこから爆発的に記述が増えた容疑者がいる。

 加賀言冶。

 集中できるわけがない。目の前で悠々と話していたのに、取り逃がした。どれだけ周到に用意しても、逆に直感だけで動いても、彼は逃げおおせる。

 美代が八つ当たりする気持ちも、昨日現場で意識を失い病院に搬送された佐々木が平静を失う気持ちもわかる。けれど彼らと決定的に違うのは、犯人に向ける感情が怒りだとは言い切れないという点だ。

 何故、と。

 問いたいがために――

「加賀さん」

「……なんだ」

 あなたが必要だのあなたに手伝って欲しいだのと先程まで生更を説得していた美代が目の前におり、文冶は軽く混乱した。

「やっぱり加賀さんも病院行ってください」

「平気だ」

「でも昨日倒れたじゃないですか」

「少し体力を使い過ぎただけだ」

「病院嫌いなんですか?」

「……好きなやつなんかいるのか? それより生更は」

 話を変えると、美代は疲れた様子で肩を落とした。

「説得して還しました。……あれが初心者向けって嘘じゃないんですか?」

「経歴が陰惨な分心情もわかりやすいだろう?」

「わかりやすいけど扱いにくいんです! 特に臆病な子供に戻っちゃったときが!」

 文冶は今日の生更の様子を思い返す。

「今日はまだマシじゃなかったか?」

「まだマシでしたけど」

 口を尖らせた美代はふと振り返った。外から叫び声が聞こえたような気がしたのだ。

「加賀さん、今の……」

「あの馬鹿!」

 気のせいかと文冶に目を戻すと、同じ声が聞こえたらしく勢い良く立ち上がっていた。珍しく怒りをあらわにして猛然と図書館を飛び出した文冶の後を美代は慌てて追う。

 入口を出たところで、美代は目を疑い、そしてげんなりした。隣では美代と同様に立ち止まった文冶が眉間にしわを寄せている。

 一塊の黒い霧が滑るように流れていた。きっと野良の乱丁本だろう。こんな人気のない場所にわざわざ乱丁本を放つ犯罪者がいるとは思えない。

「昨日の今日で……」

「待ちやがれ――!」

 心底面倒に思いながらウエストポーチから文庫本を取り出そうとしたが、その前にまた雄叫びが聞こえた。今度は近い。

 見ると右手から全力疾走して来る人物が二人。ともに文冶と同じくらいの歳だろうが、そのうち一人は平安時代の衣服、狩衣を来ている。

 どうやら一人は書司、もう一人は何かの本の登場人物らしい。

 書司の側が三度叫んだ。

清榮しょうえい、頼む!」

「言われなくても、――禁!」

 些か殺気立った声で狩衣の方が答え、次いで声が放たれた。

 霧が止まった。

 見えない壁に惑うように何度かぐるぐるとその場を回り、動きを止める。そして輪郭を得、質量を帯びた。

 ごく普通の学生だった。元は青春ものだったのではないだろうか。

 てっきり討伐するものだと思っていた。

 しかし乱丁本の前に出たのは書司だった。

「危な……」

 思わず飛び出そうとした美代を文冶が無言で止める。その間に青年は乱丁本の目の前に走り寄っていた。それを察知し学生の姿が霧と崩れる。

 狩衣の人物が書かれた本はウエストポーチに入れているのだろう。だが彼は右手に奇妙な本を構えていた。

 ハードカバーの大きさで、カバーが付いていない。表紙にも何も書かれていないようだ。

 それを彼は、

「……これでどうだっ!」

 思い切り振りかぶり、乱丁本に向かって投げつけた。

 ページは総じて白紙だった。空中でページを開いた本は黒い霧、活字の塊の中を通り過ぎた。

 真ん中にぼんやりと浮かんでいた、鈍い金色の球体が掻き消える。すると浮遊していた活字たちは一斉に空白のページに流れ込んだ。

 ばさ、と音を立てて本が地面に落ちる。美代は唖然としたまま動けなかった。

「ゲットだぜ!」

「何がげっとだぜだ」

 本を拾い上げ某決め台詞を言う青年の頭をを相方がすぱっと叩く。そんな二人を目の前に、文冶がすっと息を吸い込んだ。

「滝本――――!」

 鼓膜がびりびりと震えるほどの怒号に美代は飛び上がりかけた。

 ぎょっとしたように滝本と呼ばれた書司が振り返り、狩衣の人物は金色の霧に還る。ウエストポーチに吸い込まれるのを見て青年は呻いた。

「裏切ったな清榮……」

「絶対逃がさないんじゃなかったのか?」

「すみませんでした加賀先輩」

「これ以降研究ができなくなってもいいのか」

「……よくないです……」

「それどころかお前の失敗が元で書司全体の信用を失墜させることも十分有り得るんだぞわかってるんだろうな」

「一応は……」

「あのお固い教授陣を説得するのに俺がどれだけ苦労したことか……っ」

「先輩地が出てます」

「誰が出させたんだ」

「すみません今のって」

 文冶の叱声に割り込むように口を挟んだ美代に、文冶に詰め寄られていた滝本と呼ばれた青年はほっとしたように顔を向けた。

「乱丁本を本に戻したんだ」

「…………は?」

 常識はずれな言葉に二の句が継げない。そんな反応には慣れているのか、彼は微苦笑を浮かべる。

「そんなことできるはずないって思ってる?」

「だって、乱丁本は討伐するしかないって……」

 困惑して文冶を見ると彼は頷く。

「版画や印刷が発明されて以来言霊と呼ばれるエネルギーは活字という大量生産型の枠に嵌められたが所詮そんなもので抑え切ることはできず枠が傷ついた瞬間エネルギーは爆ぜて暴走し不安定な乱丁本という形を取り確固たるものを求めて人を襲い書籍に変えるしたがって一度暴走したものを再び同じ型に封じ込めることは今の人類には困難だ」

「先輩煮詰まってるんですね」

 文冶の怒涛の解説に頭がついていかない美代をよそに滝本が端的な相槌を打つと、文冶はそっぽを向いて荒んだ笑みの形に口端を吊り上げた。だいぶ自棄になっているようだ。

「そうだ、僕のラボ見て行かない?」

「ラボ、ですか?」

 爽やかな笑顔を見せる滝本の言葉からまたも聞き慣れない単語を拾い、美代は首を傾げた。

「僕の研究はちょっとリスキーでなかなか実験させてもらえなかったんだけど、加賀先輩が口添えしてくれてさ。この近くのプレハブで実験してんの」

 言いながら既に歩きだしている滝本の後を美代はつられて追った。文冶もついて来る。論文に戻る気はないらしい。

 ふと速度を落とし、滝本は美代と並んだ。

「申し遅れました、僕は滝本義彦と言います。君、高校生? しかも女の子か、珍しいな」

「広野美代です。高二ですけど、やっぱり女子高生って珍しいですかね」

「まあね、女性はあんまりやりたがらないからね、書司って結構危ないボランティアだし」

 報酬がこんなに少ないとかないわーなどと嘯きながら、図書館裏のプレハブにたどり着いた滝本は無造作に扉を開けた。文冶が再び不機嫌を顔に浮かべる。

「滝本、鍵」

「いやあ、慌てて出て来ちゃって」

「危機管理がなってない」

「じゃあここからは危険物管理区域なので――」

 滝本は文冶の叱責に首をすくめ、不意に真顔で本を取り出して美代を振り返る。

「君の相棒を呼んでくれるかな。万が一事故が起きたら困るから」

 そして彼は本を開いた。美代も些か不安に思いながら彼を呼ぶ。文冶もまた文庫を取り出している。

「レファレンス――安倍清榮」

 ――彼は兄の実力の陰に隠れ悠々と暗躍している――

「レファレンス――生更」

 ――半端に愛情を受けた彼は酷く幼く脆いままだった――

「レファレンス――穿せん

 ――人なのか人でないのか、曖昧な境界は定まらない――

 開かれたページから舞い上がった金文字が三つの人影を作り出す。

 いつも通り槍を携えて現れた生更は、先程のこともあり気まずそうにしている。滝本は彼を見て破顔した。

「生更か。昔僕もお世話になったなあ」

「はあ……」

 生更はますます困っている。美代を手助けしているこの生更は、かつて滝本の相棒だった生更とは同じようで違うのだ。出版部数と同じだけ彼は存在する。

「僕がいる必要があるんですか?」

「一応な」

「そうですか」

 文冶が呼び出した、粗末な着物を着た穿という少年は文冶の言うことに素直に頷いている。本当に役に立つのか少々心配になるほど小柄だ。昔の農民にも見える。

「というわけでここが僕のラボなんですけどもー」

 脳天気に言いながら滝本が明かりを点けプレハブの中が見えた瞬間、美代は反射的にその場から逃げ出しそうになった。生更もまた瞬時に体を緊張させ臨戦態勢に入っている。

 壁面にずらりと並んだ棚に並べられた、大小様々なガラス瓶の中で見慣れた禍々しい黒い霧が渦巻いている。

 あの不思議な本を似たような本が並んでいる本棚に差し入れた滝本は、瓶の一つと別の本を無造作に手に取った。

「こうやって実験体をジャムとか蜂蜜の瓶に入れといて、必要なときにこういうまっさらな本と接触させるんだ。乱丁本の規格が本と合致すれば素直に入ってくれるけど大抵何回か取り替える」

「……接触って?」

「蓋開けて、ページ開いてばっと口に伏せる」

「…………規格ってどうやって確かめるんですか?」

「勘」

「………………これどうやって捕まえたんですか?」

「活字が渦巻いてるとこに特攻して題名を瓶に閉じ込めて、瓶を地面に伏せる。そしたら残りのもやもやも瓶に入る」

「……………………ありえない。無茶苦茶だ……」

「清榮が守ってくれるから大丈夫!」

「そういう問題じゃないから」

 すかさず清榮が切り捨てた。滝本と並ぶと彼の兄にも見える。

「仕方ないだろ、まだ全工程を手作業でやるしかないんだから」

「それだとコストがかかりすぎるからまだ実用化できないんだろう」

 先程滝本が乱丁本に投げつけた本を本棚から抜き出し、ぱらぱらとめくりながら文冶が口を挟む。むきになって滝本は反論した。

「そりゃ最初はコストかかりますよ。でも乱丁本を元の読める本に再生するために絶対必要だから、このやり方が有効だと認められれば絶対ニーズはあるし、というか書司組合の方で大量発注は確実だし、売れると知れたら紙漉きや布織りや手製本をする人口だって増えて単価も下がると思いません?」

「滝本も語るな」

「そりゃ先輩と同じ本ヲタクですもん、わざわざうちの大学入ったくらいですからね」

 わざとらしく胸を張った滝本はこらえ切れずに照れ笑いを浮かべた。

 文冶に本を手渡され一瞬躊躇したものの、美代は本を開いてみた。

 読める。

 最小単位以上に分割された、もはや意味を成さない言葉が恐ろしいほどに整然と並ぶ元は人間だった本とは違う。

「……すごい」

 ページを繰る指が震えそうになる。

 今までの世界が、これから大きく変わるかもしれない。

 人類自らが作り出した言葉という道具に翻弄される時代が終わり、今度は、その暴走するようになった道具をもう一度人間の制御下における時代が来るかもしれない。

 大好きな本を殺さなくて済む時代が。

「早くこれが使えるようになればいいのに」

「そうなんだけど、暴走した言霊を封じ込めるにはオール手作業で作った本じゃないと今のところ駄目なんだよ。紙から綴じまでね」

「え……じゃあここにある本って全部、」

「うん。全国の職人さんなんかに頼みこんで作ってもらった」

「普及しないわけですね……」

「手作業の工程をどこまで省けるかがこれからの課題だよ」

 椅子に座って説明を始める滝本は実に楽しそうだ。文冶も美代も興味があるから良いものの、清榮はあからさまに欠伸などしている。ほのぼのと会話している生更と穿はどうやら仲良くなったらしい。

様々な本から様々な登場人物を呼び出すと、本来出会うはずでなかった人物間に自然に交流が生まれるのもなかなかに興味深い光景だが書司たちは慣れ切っている。

「本一冊が出来上がるまでにかけられた労力と、乱丁本の持つエネルギーがつり合うかもしくは労力が上回れば問題ない。だから全ての工程を手作業でやらなくても、エネルギー量が同等になればいいんだ」

「でも今は省けないんですか?」

「……エネルギー量の計算方法が全然確立できなくてさ……」

「確立できれば百年に一度の大発見だ、そう簡単に見つかるものじゃない」

「まあ、僕の代で見つからなくても仕方ないかなとは思ってますけどね」

 文冶の渋面に苦笑し、ふと滝本は視線を遠くに飛ばす。

「僕じゃなくてもいいんだ。もし誰かが出来るだけ早く、僕の研究を受け継いでいつかこの方法を完成させてくれたら、それでいい」

 彼の眼は未来を見ていた。数年後か数十年後か、もしかするともうそこに彼のいない未来を。

「無名な一介の研究者で終わっても、将来歴史に名を残す誰かの踏み台にはなれる。僕はね、BookerよりもRepairer――書司じゃなくて《修復司》でありたいんだ」

「……滝本さん、すごいこと考えてるんですね」

「大抵の人には馬鹿にされるけどね」

「ただの変人で終わるなよ、天才になってもらわないとゴリ押しした私の立つ瀬がない」

 激励なのかぼやきなのかそう零した文冶の携帯電話が鳴った。通話ボタンを押し耳に当てた文冶の表情が苦くなる。

「……あの自称『切り裂きジャック』たちを収蔵? あんなもん破り捨てて適当に討伐すればいいんですよ」

「さすがにそれはないですよ加賀先輩。ねえ広野さん」

「でも犯人を収蔵するのは私も嫌です」

 滝本の理想はまだ遠い。

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