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 警報音が鳴り響いた。

 一斉に級友たちの視線を浴びながら、純は左手首の腕輪に目を落とす。白く滑らかな腕輪全体が赤く点滅していた。

『襲撃だ、総員鎮圧に向かえ』

 いついかなる時も取り乱さない声が場所を告げる。今純がいる高校から二駅先。行くにこしたことはない。

「すみません、召集かかったので行ってきます」

「気をつけてな」

 挙手しながら立ち上がると、既に板書の手を止めていた教師は心配そうに眉をひそめた。

 このところ襲撃が度々起こり、最初は物珍しそうに純を見ていた級友たちももはや慣れた様子で各々ノートを取り、または内職を再開する。

 本当に乱丁本の脅威を身に染みて感じているのは自分達書司だけなのではないかと、彼らの様子を見る度に思う。平和な空気を横目に純は教室を出た。

 廊下を歩きつつ強化プラスチックの板で補強されたウエストポーチから文庫本を取り出す。何度もある一ヶ所を開いたために一部開きやすくなってしまっている。

 本に印刷された活字の中に、金色に光る文章がところどころ混じっている。それらが描き出す登場人物は――

「レファレンス――鷹尾 翔」

 輝く文章たちは本の至る所から剥がれ金の霧と舞い上がった。本来ならば形なきものが寄り集まり、やがて一つの人型を形作る。

 ――背に現れた翼を軽く羽ばたかせ、彼は脂汗を拭った――

 まさしくその記述通りの若い男が純の前に立っていた。蒼白な顔をしてじっと目を閉じていたが、不意に三白眼で純を睨む。

「もっとマシな場面で呼び出せよ」

 どうやら都合の悪い場面を開いてしまったらしい。

「ごめん。よろしく頼む」

 頭を下げると、翼を顕現させるのは大変なんだなどとぼやきながらも、彼、鷹尾 翔は純を抱え上げた。開いている廊下の窓枠に手をかけ、一息に飛び降りると同時に翼を広げて慣れた様子で最寄り駅に向かう。


 紙に印刷された物語は、活字を一つでも損なわれると《乱丁本》になり、紙から剥がれて人を襲うのは周知の事実である。だが、剥がれ落ちた物語を退治する手段は目下一つしかない。

 損なわれていない物語から登場人物を呼び出し、戦わせる方法だ。

 そして人類全員にそれができるわけではなく、故に物語に好かれた者は年齢問わず駆り出されることになる。

 彼らのことをBooker――《書司》と呼ぶ。


 改札で一度鷹尾を本に還し電車に乗ったため、くだんの駅に降りて再び彼を呼んで現場に向かう。どうやらまた大手が襲撃されたらしく、本屋に直通の地下道に人気はない。そこにいた人々は既に避難したのだろう。

 目的地の方面から微かに銃声が聞こえた。撃ったのはきっと彼が呼び出した彼女。

 果たして、ビルの入口付近の柱に隠れるように他校の生徒がいた。純を見つけて陽気に笑い片手を上げる。

「遅ぇぞ佐々木」

「大山の学校の方が近いんだから司方ないだろ」

 同じく近くの柱に身を寄せる。彼、大山 高志の隣にはいつものようにカウボーイの格好をした褐色の肌の女性がいた。こちらを一瞥もしない。彼女が高志の相棒だ。

「入口付近の奴らを一掃させるからその時飛び込め」

「了解」

 高志の言葉に純が答えると、鷹尾はスーツの両脇に仕込んだ小太刀を抜いた。それを見て高志は柱の向こうを窺う。

「…ジル!」

 ややあって彼が言うと同時に、ジルと呼ばれた女性は銃を乱射した。入口にいた何人もの人影が跳ね上がり黒い霧と散る。核である題名を砕かれた乱丁本の末期まつごは消えるのみ。

 つかの間開いた入口に走り階段を駆け上がる。途中で出会った乱丁本は鷹尾が間髪入れず切り捨てた。

 幸い今のところ魔術や超能力を操るファンタジー系、ライトノベル系の乱丁本には出会っていないが、この先は文庫や児童書のフロアだ。

 予想通り、目的地には喧騒が溢れていた。

 書司が連れている登場人物たちの相手で手一杯なのか、霧状になり人を襲っている乱丁本はいない。しかしそこここで剣や槍が交わされ、炎に閃光、忍具が舞う。怪しげな呪文と銃声が華を添える。迂闊に踏み込めない。

 立ちすくんだ純をよそに、鷹尾は即座に乗り込んで騎士姿の乱丁本を仕留めている。純は慌ててそれを追った。離ればなれになると乱丁本の格好の獲物になってしまうからだ。

 そこで純は何気なくトイレを見て青ざめた。

 逃げ遅れたのか、二人の少年がじっとフロアを眺めていた。

「君たち!」

 叫んだ純の声が彼らに届くより先に、一塊の黒い霧がそちらへ流れて行った。振り返った鷹尾がようやくそれに気付いたが間に合う距離ではない。

 乱丁本が少年たちを押し包もうとした刹那、

「動くな!」

 澄んだボーイソプラノが空気を貫いた。

 フロアが水を打ったように静まり返る。

 誰もが動きを止め、その少年を注視した。

 まだ小学校低学年であろう、双子の少年たち。その片割れが声を上げたらしい。

 彼はフロアを見回し、満足げに頷いてにこりと笑った。それを受けた片割れが手に持った文庫本を開く。そのページをめくる音がやけに響いた。

「レファレンス――絵里香、わかば、空美、愛海、水遥、鹿乃子、共也、稲荷、青鈍、コタン」

 呼び声に応え、大量の活字が煌めきながら文庫本を離れそれぞれの形を成す。双子を取り囲んだその数、十名。可憐なコスチュームを着た娘が六人と学生服の少年一人、和服を着た青年が三人。

「ええ、またぁ?」

「このところ頻繁だよねー」

「なんであいつは呼び出さないわけ?不公平じゃん」

「足手まといなんだろう」

「よく考えると酷い言い草だ」

「で、やればいいんだろ?」

 呼び出された登場人物たちは一斉に喋り始めたが、一人の言葉を契機に少年に注目した。十人分の視線を受け止めた少年は一つ頷く。 その瞬間彼らが散開した。

 人型をしているが時折その姿にノイズが走る乱丁本に襲いかかり、反応する前に殲滅せんめつする。乱丁本たちが我に返り応戦しようとする度にもう一人の少年が言葉を叩きつける。

「動くな。寄るな。気をつけっ」

 乱丁本が消されていく騒ぎの中で書司の誰かの呟きが妙にはっきりと聞こえた。

「…何者なんだ…?」

 純も同感だった。

 普通の書司が一度に呼び出せる登場人物は一人か二人。彼らがこちらの世界で動くために、自らの体力を提供するからだ。

 暴れられる場を奪われてさぞ苛立っているだろうと思い鷹尾を見上げると、彼は呼び出された者よりも双子を見つめていた。しかしそれは敵意ではなくむしろ好意に近いようだった。

 人の好き嫌いが激しい鷹尾にしては珍しい、と少しばかり驚いたが、見回すとどの登場人物も似たようなものだ。

 登場人物を多数呼び出すことができ、そしてどの本から呼んだどの登場人物にも好かれる性質。片や本来人間を襲うだけの存在であるはずの乱丁本に命令を下せる能力。

「まさか、彼らは――」

 思わず呟きながら、純は彼らの非凡さと幼さに舌を巻いた。


 あらゆる物語に愛される者。

 彼らをThe Librarian――《書司頭しょしのかみ》と呼ぶ。


 当時、佐々木 純、大山 高志ともに十八歳。

 双子の少年たち、加賀 文冶・言冶八歳。

 十七年前の出来事である。

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