正法眼蔵随聞記 第六
正法眼蔵随聞記 第六
侍者 懐奘 編
百二十一
示して云く、
人を愧ずべくんば、明眼の人を愧ずべし。
予、在宋の時、天童の浄 和尚、侍者に請するに、いわく、
元 子は、外国人たりといえども、器量人なり、と云いて請す。
予、堅く、此れを辞す。
其の故は、和国に聞えん為にも、学道の稽古の為にも、大切なれども、衆中に具、眼の人、ありて、外国人として、大叢林の侍者たらんこと、大国に、人、なきに似たり、と難ずることやあらん、最も、はじつべし、と思いて、書状を以て此の旨をのべしかば、浄 和尚、聞いて、国を重んじ、人を愧ずることを感じ、許して、更に請じ玉わざりしなり。
百二十二
示して云く、
或る人の云く、
我は、病者なり。
非器なり。
学道には、たえず。
法門の最要を聞いて、独住、隠居して身をやしない、病をたすけて、一生を終えん、と思う、と。
これは、太だ、非なり。
先聖、必ずしも、金骨にあらず。
古人、豈に、咸く、皆、上器ならんや?!
滅後を思えば、いくばくならず。
在世を考うるに、人々、みな、俊なるに、あらず。
善人もあり、悪人もあり。
比丘衆の中に、不可思議の悪行なるも、あり、最下品の器量もあり。
しかあれども、卑下し、やめりなん、と称して、道心をおこさず、非器なり、と云いて、学道せざるは、なし。
今生に、若し、学道、修行せずんば、何れの生にか、器量の人となり、無病の者と成りて、学道せんや?!
只、身命を顧りみず、発心、修行するこそ、学道の最要なれ。
百二十三
示して云く、
学道の人、衣食を貪ることなかれ。
人々、皆、食分、あり、命分、あり。
非分の食命を求むるとも、得べからず。
況や、学、仏道の人には、おのずから、施主の供養、あり。
常乞食、たゆべからず。
また、常住物も、これ、あり、私の営みに、あらず。
果蓏と乞食と信心施との三種の食は、皆、是れ、清浄食なり。
其の余の、田商士工の四種の食は、皆、不浄の邪命食なり。
出家人の食分に、あらず。
昔、一人の僧、あり、死して冥途に行く。
閻王の云く、
此の人は、命分、いまだ、つきず。
かえすべし、と。
冥官、云く、
命分、つきず、といえども、食分、すでに、尽く。
王の云く、
荷葉を食せしむべし、と。
しかりしより、その僧、よみがえりて後、人中の食物、食することをえず、只、荷葉のみを食して残命を保てり。
しかあれば、出家は、学仏のちからによりて食分も尽くべからず。
白毫の一相、二十年の遺因、歴劫に受用すとも尽くべきにあらず。
ただ、行道を専らにして、衣食を求むべきには、あらざるなり。
身体、血肉だに、よく、もてば、心も随いて、よくなる、と医方、等にも見えたり。
いわんや、学道の人、持戒、梵行して、仏祖の行履に任せて、身を治むれば、心も随いて調うなり。
学道の人、言ばを発せん、とする時は、三度、顧て、自利、利他の為に、利、あるべくんば、是れを云うべし。
利、なからん言語は、止まるべし。
かくのごときの事も、一度には、えがたし。
心にかけて、漸々に、習うべきなり。
百二十四
雑話の次でに示して云く、
学道の人、衣食に、わずらうことなかれ。
此の国は、辺地、小国なりといえども、昔も今も、顕密の二教に名をえ、後代にも、人にも、知られたる人、おおし。
或は、詩歌、管絃の家、文武、学芸の才、其道を嗜む人も、おおし。
かくの如き人々、未だ、一人も、衣食に豊かなり、と云うことを聞かず。
皆、貧を忍び、他事を忘れて、一向に、其の道を好む。
ゆえに、其の名をも得るなり。
いわんや、祖門、学道の人は、渡世を捨てて、一切、名利に走らず。
何としてか、豊かなるべきぞ?!
大宋国の叢林には、末代なりといえども、学道の人、千、万人ある中に、或は、遠方より来り、或は、郷土より出たるも有り。
いずれも、多分は、貧なり。
しかあれども、いまだ、貧をうれえとせず。
只、悟道の未だしきことをのみ愁えて、或は、楼上、或は、閣下に坐して、考妣に喪するが如くにして、一向に、仏道を修するなり。
まのあたり、見しことは、西川の僧、遠方より来れりし故に、所持の物、なし。
纔〈わずか〉に、墨、二、三丁もてり。
そのあたい、両、三百文、此国の両、三十文にあたれるを持ちて、唐土の紙の下品なる極めて弱きを買いとりて、襖〈うわぎ〉、或は、袴〈はかま〉などに作りて、きぬれば、起ち居に、破るる、おとして、あさましきをも顧みず、うれえざるなり。
或る人の云く、
汝、郷里にかえりて、道具、装束、ととのえよ、と。
答えて云く、
郷里、遠方なり。
路次の間に、光陰を空うして、学道の時を失せんことを憂う、と云いて、猶更に、寒をも愁えずして、学道せしなり。
しかある故に、大国には、よき人も出来るなり。
百二十五
示して云く、
伝え聞く、
昔日、雪峰山の開山の時は、寺、貧窮にして、或は、絶煙し、或は、緑豆飯をむして食して、日を送りて、学道せしかども、後には、一千五百人の僧、常に断えざるなり。
昔の人は、かくのごとし。
今も、また、かくのごとくなるべし。
僧の損ずることは、多く、富貴より起るなり。
如来、在世、調達が嫉妬を起せしことも、日に五百車の供養より起れり。
唯、自らを損ずるのみに非ず、亦、他をして悪をなさしむる因縁なり。
実の学道の人、何としてか、富貴なるべき?!
たとい、浄信の供養も、多く、つもらば、恩の思いを作して、報を思うべし。
此の国の人は、また、我が為に利を思いて、施をいたす。
笑いて向える者に、よく与うるは、さだまれる世の道理なり。
只、他の心に、したがわんとして、なさば、これ、学道の障りなるべし。
只、飢を忍び、寒を忍びて、一向に、学道すべきなり。
百二十六
一日、示して云く、
古人の云く、
聞くべし、見るべし、得るべし。
また、云く、得ずんば見るべし、見ずんば聞くべし、と。
云う心は、聞かんよりは見るべし、見んよりは得るべし、未だ得ずんば見るべし、未だ見ずんば聞くべし、と、なり。
百二十七
また、云く、
学道の用心は、只、本執を放下すべし。
まず、身の威儀をさきとして、あらたむれば、心も随いて、改まるなり。
先ず、律儀、戒行を守れば、心も随いて、改まるべし。
宋土には、俗人、等の常の習いに、父母に孝養の為に、宗廟にて、各々、聚会し、泣くまねをするほどに、終には、実に、泣くなり。
初心、学道の人は、只、衆に随いて、行道すべきなり。
はやく、用心、故実、等を学し知らん、と思うことなかれ。
用心、故実、等のことも、只、独り、山にも入り、市にも、かくれて、行ぜん時、あやまりなく能く知りたるは、好〈よ〉きことなり。
衆に随いて行ぜば、道を得べきなり。
たとえば、船にのりて行くには、我は漕ぎゆくようをも知らざれども、よき船師に任せてゆけば、知りたるも、知らざるも、彼の岸に至るが如し。
善知識に随いて、衆と共に、行じて、私、なければ、自然に、道人となるなり。
学道の人、たとい、悟りを得ても、今は至極、と思うて、行道をやむることなかれ。
道は、無窮なり。
悟りても、猶お、行道すべし。
むかし、良遂 座主の麻谷に参ずる因縁を思うべし。
百二十八
示して云く、
学道の人は、後日をまちて行道せん、と思うことなかれ。
ただ、今日、今時をすごさずして、日々、時々を勤むべきなり。
爰〈ここ〉に、ある在家人、長病せしが、去年の春のころ、予に、あい、ちぎりて云く、
当時の病い療治せば、必定、妻子を捨て、寺の辺に庵室をかまえむすんで、一月、両度の布薩にあい、日々、行道、法門談義を見聞して、随分に、戒行を守りて、生涯を送らん、と云いき。
その後、種々に療治せしに依りて、少き減気あり。
しかれども、亦、再発ありて、日月、空しく、すごしき。
今年、正月より、俄に、大事になりて、苦痛、次第に、せむるほどに、日来〈ひごろ〉、支度する庵室の道具をはこびて作るほどの、ひまもなき故に、先ず、人の庵室をかりて住せしが、わずかに、一両日の中に、死し去りぬ。
前夜に、菩薩戒をうけ、三宝に帰して、臨終、よくして終りぬれば、在家にて妻子に恩愛を惜み狂乱して死せんよりは、尋常ならねども、去年、思いよりたりし時に、在家を離れて、寺にちかづき、僧になれて行道して、おわりたらば、すぐれたらまじ、と存ずるにつけても、仏道修行は後日を待つまじき事、と覚るなり。
身の病者なれば、病いを治して後より、修行せん、と思うは、無道心のいたす所なり。
四大和合の身は、誰か、病、無からん?!
古人、必ずしも、金骨にあらず。
只、志だに至りぬれば、他事を忘れて、行ずるなり。
大事、身の上に来れば、必ず、小事を忘るる習いなり。
仏道は一大事なれば、一生に窮めん、と思いて、日々、時々を空しく、すごさじ、と思うべきなり。
古人の云く、「光陰、虚く度ることなかれ」と云々。
病を治せん、と営むほどに、除かずして、増気し、苦痛、いよいよ、せめば、少しも痛の、かるかりし時に、行道せん、と思うべし。
強き痛みを受けては、尚お、重くならざる、さきに、と思うべし。
重くなりては、死せざる、さきに、と思うべきなり。
病を治するには、減ずるも、あり、増するも、あり。
また、治せざれども、減じ、治するに増するも、あり。
これを、よくよく、思い分くべきなり。
行道の人、居所、等を支度し、衣鉢、等を調えて後に、行道せん、と思うことなかれ。
貧窮の人、衣鉢、資具に、とぼしくして、調うを待つほどに、次第に、臨終、ちかづきよるは、いかん?
ゆえに、居所を待ち、衣鉢を調えて後に、行道せん、と欲せば、一生、空しく過すべきなり。
只、衣鉢、等は、なけれども、在家も、仏道は行ずるぞかし、と思いて、行ずべきなり。
また、衣鉢、等は、只、有るべき僧体のかざりなればなり。
実の仏道、行者は、それにもよらず、より来らば、有るに任すべし。
あながちに、求むることなかれ。
有りぬべきを持たじ、とも思うべからず。
病も治しつべきを、わざと死せん、と思いて、治せざるも、外道の見なり。
仏道の為には、命を惜むことなかれ。
亦、惜まざること、なかれ。
より来らば、灸治、一所、煎薬、一種、なんど、用いん事は、行道の障りとも、ならじ。
行道をさしおきて、病を治するをさきとして、後に、修行せん、と思うは、非なり。
百二十九
示して云く、
海中に龍門と云う所ありて、洪波、しきりに、たつなり。
諸の魚ども、彼の所を過ぎぬれば、必ず、龍となるなり。
故に、龍門と云うなり。
いま思う、彼の所、洪波も他所に、ことならず。
水も、同じくしわはゆき水なり。
然れども、定まれる不思議にて、魚ども、彼の所を渡れば、必ず、龍となる。
魚の鱗も、あらたまらず、身も、同じ身ながら、たちまちに、龍となるなり。
衲子の儀式も、亦、かくのごとし。
所も、他所に、ことならねども、叢林に入りぬれば、必ずしも、仏となり、祖となるなり。
食も、人と同じく喫し、衣も、同じく服し、飢を除き、寒を禦〈ふせ〉ぐことも、斉しけれども、只、髪を剃り、袈裟を着して、食を斎粥にすれば、忽ちに、衲子と成るなり。
成仏作祖、遠く求むべきにあらず。
只、叢林に、入ると、入らざるとは、彼の龍門を、過ぐると、過ぎざるとの、別の如し。
また、俗の云く、「我れ、金を売れども、人の、買う、なし」と。
仏祖の道も、亦、かくのごとし。
道を惜むには、あらず。
常に、与うれども、人の、得ざるなり。
道を得ることは、根の利鈍には、よらず。
人々、皆、法を悟るべきなり。
精進と、懈怠と、によりて、得道の遅速あり。
進怠の不同は、志の、至ると、至らざると、なり。
志の至らざることは、無常を思わざる故なり。
念々に死去す。
畢竟して、且くも、留まらず。
暫く、存せる間、時光を空しく、すごすことなかれ。
古語に云う、「倉にすむ鼠、食に飢え、田を耕す牛、草に飽かず」と。
云う心は、食の中にありながら、食に、うえ、草の中に住しながら、草に乏し。
人も、かくのごとし。
仏道の中に有りながら、道に、かなわざるものなり。
名利、希求の心、止まざれば、一生、安楽ならざるなり。
百三十
示して云く、
道者の行は、善行、悪行につき、皆、おもわく、あり。
凡人の量る所に、あらず。
昔、慧心 僧都、一日、庭前に草を食う鹿を、人をして打ち追わしむ。
時に、或る人、問うて云く、
師、慈悲、なきに似たり。
草を惜みて、畜生を悩ますか?
僧都の云く、
しか、あらず。
吾れ、若し、是れを打ち追わずんば、此の鹿、ついに、人になれて、悪人に近づかん時は、必ず、殺されん。
この故に、うち、おうなり、と。
これ、鹿を打追うは、慈悲、なきに似たれども、内心は、慈悲の深き道理、かくのごとし。
百三十一
一日、示して云く、
人、ありて、法門を問い、或は、修行の法要を問うこと、あらば、衲子は、かならず、実を以て是れを答うべし。
若〈もしく〉は、他の非器を顧み、或は、初心、末学の人にて心得べからずとして、方便、不実を以て答うべからず。
菩薩戒の心は、縦〈たと〉い、小乗の器、ありて、小乗の道を問うとも、只、大乗を以て答うべきなり。
如来、一期の化儀も、亦、同じ。
方便の権教は、実に、無益なり。
只、最後の実教のみ、実に、益、あり。
しかあれば、他の得、不得を論ぜず、只、実を以て答うべきなり。
若し、箇中の人を見ば、実徳を以て是れを見るべし。
外相、仮徳を以て、これを見るべからず。
昔、孔子に、一人、あり、来りて、帰す。
孔子、問うて云く、
汝、何を以てか、来りて、我に帰するや?
云く、
君子、参内の時、此れを見しに、顒々として、威勢あり。
故に、帰す。
ときに、孔子、弟子に命じて乗物、装束、金銀、財物、等を取出して、此れを与えて、「汝は、我に帰するに、あらず」と云いて、かえせり。
百三十二
また、云く、
宇治の関白 殿、ある時、鼎殿に到りて火を焚く所を見玉えば、鼎殿、是れを見て、云う、「いかなる者ぞ、案内、なく、御所の鼎殿へ入る?」と云いて、追出されて後、関白 殿、先の悪き衣服、等をぬぎ、かえて、顒々として、装束して、出たまう時、さきの鼎殿、はるかに見て、恐れ入りて、にげにき。
時に、殿下、装束を竿の先に、かけ、拝せられけり。
人、これを問う。
答えて云く、
吾れ、他人に貴びらるること、我が徳には、あらず。
只、此の装束ゆえなり、と云えり。
おろかなる者の、人を貴ぶこと、かくのごとし。
経教の文字、等を貴ぶことも、亦、かくのごとくなり。
古人の云く、
言は、天下に満つれども、口、過、なく、
行、天下に遍けれども、怨害、なし。
是れ、即ち、云うべき所を云い、行うべき事を行う故なり。
是れは、至徳、要道の言行なり。
世間の言行も、私曲を以て、はからい、行うは、おそらくは、過、のみ、あらん。
衲子の言行は、先、証、是れ、定まれり。
私曲を存すべからず。
仏祖、行じ来れる道なり。
学道の人、各々、自ら、己身を顧るべし。
身を顧る、と云うは、吾が此の身心、いか様に、持つべきぞ、と顧るべし。
然るに、衲子は、すでに、是れ、釈子なり。
如来の風儀を慣うべきなり。
身口意の威儀は、先仏、行じ来れる作法、あり。
各々、其の儀に随うべし。
俗すら、猶お、「服は法に応じ、言は行に随うべし」と云えり。
況や、衲子は、一切、私を用うべからず。
百三十三
示して云く、
当世、学道する人、多分、法を聞く時、先ず、能く領解する由を知られん、と思い、答の言ばの、よからん様を思うほどに、聞く、ことばが、耳を過すなり。
総じて、詮ずる所、道心、なく、吾我を存するゆえなり。
只、須く、先ず、吾我を忘れて、人の云わんことを能く聞き得て、後に、静に、案じて、難もあり、不審もあらば、追うても、難じ、心得たらば、重ねて、師に呈すべし。
当座に領する由を呈せん、とするは、法を能くも聞き得ざるなり。
百三十四
示して云く、
唐の太宗の時、異国より、千里の馬を献ぜり。
帝、これを得て、喜ばずして、自ら、謂えらく、
縦〈たと〉い、我、独り、千里の馬に乗りて、千里を行くとも、随う臣、なくんば、其の詮、なきなり、と。
故に、魏徴を召して、此れを問い玉えば、徴、云く、
帝の心と同じ、と。
依りて、彼の馬に、金帛をおおせて返さしむ。
世間の帝王だにも、無用のものをば、蓄えたまわずして、かえせり。
況や、衲子は、衣鉢の外は、決定して、無用なり。
無用の物、是れを貯えて、なににか、せん?
俗すら、猶お、一道を専らに嗜むものは、田苑、荘園、等を持することを要とせず。
只、一切、国土の人を百姓、眷属とも、するなり。
「相法橋、遺嘱、子息」
ただ、すべからく、当道をもっぱら、はげますべし、と云えり。
況や、仏子は、万事を捨て、専ら一事を嗜むべし。
是れ、第一の用心なり。
百三十五
示して云く、
学道の人、参師聞法の時に、よくよく、極めて、聞き重ねて聞きて、決定すべし。
問うべきを問わず、云うべきを云わずして、過しなば、必ず、我が損なるべし。
師は、必ず、弟子の問を待ちて言を発するなり。
心得たることをも、いくたびも問いて、決定すべきなり。
師も、弟子に、「好〈よ〉く心得たるか?」と問いて、云いきかすべきなり。
百三十六
示して云く、
道者の用心は、常の人に異ること、あり。
故 建仁寺の僧正、在世の時に、寺中、絶食すること、ありき。
時に、一人の檀那、僧正を請じて、絹、一疋を施す。
僧正、歓喜して、人にも、もたしめず、自ら取て、懐中して、寺に帰りて、知事に与えて、云く、
明旦の浄粥、等に作すべし、と。
然るに、ある俗人の所より、所望して、云く、
愧かましき事、有りて、絹、二、三疋、入用、あり。
少々にても、あらば、給わるべき由を申す。
僧正、即ち、さきつかたの絹を取返して、すなわち、これを与う。
時に、知事の僧も、衆僧も、思の外に、不審するなり。
後に、僧正、云く、
各は、僻事とこそ、思わるらん。
然れども、吾が思わくは、衆僧は、面々、仏道の志、有りて、集れり。
一日、絶食して餓死するとも、苦しかるべからず。
世に交れる人の、さしあたりて、事、欠る、苦悩を扶けたらんは、各の為にも、利益、すぐれたるべし、と云えり。
まことに、道者の、案じ入りたること、かくの如し。
百三十七
示して云く、
仏々祖々、皆な、本は、凡夫なり。
凡夫の時は、必ずしも、悪業もあり、悪心もあり、鈍もあり、痴もあり。
然あれども、尽く、改めて、知識に随いて、修行せしゆえに、皆、仏祖と成りしなり。
今の人も、然、あるべし。
我が身、愚鈍なれば、とて、卑下することなかれ。
今生に、発心せずんば、何の時を待ちてか、行道すべきや?!
今、強いて、修せば、必ずしも、道を得べきなり。
百三十八
示して云く、
帝道の故実の諺に云く、「虚襟に非ざれば、忠言をいれず」と。
云う心は、己見を存せずして、忠臣の言ばに随いて、道理にまかせて、帝道を行わるるなり。
衲子の学道の用心、故実も、亦、かくのごとくなるべし。
わずかも、己見を存せば、師の言ば、耳に入らざるなり。
師の言ば、耳に入らざれば、師の法を得ざるなり。
只、法門の異見を忘るるのみにあらず、世事、及び、飢寒、等を忘れて、一向に、身心を清めて聞く時、親しく聞き得るなり。
かくのごとく、聞く時は、道理も、不審も、明らめらるるなり。
真実の得道と云うは、従来の身心を放下して、只、直下に他に随いゆけば、即ち、まことの道人となるなり。
是れ、第一の故実なり。




