カフカの法則そのニ
カフカの法則、そのニであるが、あれほど創作に熱心だったのに、彼は作品を完結させていないのである。一説によると、「判決」「審判」でさえ、完結していないのだという。
【作品を完結させない】
これは勿論、読者への裏切りである。私も「城」を読んだ時に、唖然としたのは、作品の終盤に、今まで登場したのと少し違うような新モブキャラが何人も出てきたことである。
ドラクエなどのRPGでいうところの、【色違いの敵】が出てくるのだ。いや、それフリーダじゃん!とか、そういうのが、急に出てきて、なんだかややこしいことを話してくるのである。
勿論、主人公の望みを叶えようなんて思っている人は一人もいない。いや、心の中では思っているかもしれないが、行動には決して出さないのだ。
そもそも、カフカの長編というのは、かなり友人のマックス・ブロートが頑張って作品っぽく編集したのだという。
カフカ自身、とにかく書き続けたかったのでは?と思われる節がある。作品を完成させることに興味がなかったのだ。どうしてかというと、読者というものを一切、信用していなかったのである。
この世の中に、カフカのモノマネをしたがる奴らがいるが、彼らは、注目されたいだけのパフォーマーでしかない。その理解の浅さは、バケツとスコップを手にして、潮干狩りができてしまうほどである。遠浅の海かよ!と突っ込みたくなるほどだ。
私はカフカのことは全く理解していないが、こういう姿勢がカフカという反重力装置への理解には必要なのである。皆さんもあの人の作品を理解しようとしてはいけない。
カオスの海に引き込まれるからである。いっそ、読まない方が良いかもしれない。カフカの研究者に多いのであるが、カフカは知れば知るほど遠ざかってゆくのだ。
ためしに、雑誌「文学界」のバックナンバーの「カフカ」特集の短編を読んでみよう。私は一読して、「それって世にも奇妙な物語じゃん!」と叫んでしまった。多くの人々がカフカを取り逃しているではないか。そして、それこそがカフカなのである。
あの保坂和志でさえ、「カフカ練習帳」という誰がどう読んでも全くカフカと関係ない本を書いているほどだ。Amazonのレビュー欄が荒れに荒れている。しかも、保坂和志氏は、ネット上で、それとは別個に普通に詳しく正確なカフカ評論を書いてしまっている!つか、そっち出版しろよ!という話である。




