少年とコーヒーのおじさん【2000文字】
お小遣いをもらった日は、自販機に行く。
父さんは、朝インスタントのコーヒーを飲んでいる。
美味しいのか訊いたら、なんとなく美味いだけだ、と言った。
子どもの飲むものでもないしな、とも言った。
だから僕はコーヒーがどんなものなのか気になった。
一口ちょうだいと言えばよかったけど、どうせなら自分だけのコーヒーが飲んでみたかった。
考えた末に、自販機なら誰にも頼まずに飲めると気づいた。
1回目はひよって、微糖ってやつにした。
ドキドキした。
飲んだことあるコーヒー牛乳よりは、なんかコーヒーっぽかった。
次は絶対『無糖』を買うぞと思って、すぐそばのゴミ箱に缶を捨てて帰った。
2回目は、無糖のボタンを押した。
真っ黒の缶がカッコよかった。
一口飲んで、ウゲッとなった。
舌先が強張って、眉間に皺が寄る。
舌の奥の方が、トゲトゲするっていうか、ザラザラするっていうか。
結局近くの公園の手洗い場でごめんなさいしながら流した。
誰かに見られて怒られるんじゃないかとヒヤヒヤしながら、そそくさと帰った。
でも、僕はコーヒーを諦められなかった。
父さんは毎日、母さんも時々飲むのに、僕だけ飲めないのはなんか悔しい。
今日は、3回目のチャレンジだった。
目の前には自販機が立ちはだかっている。
この前は一番安い130円のにした。
もしかして、値段が上がれば美味しくなったりする…?
僕のお小遣いは、9歳だから900円だ。
130円も正直高い。
ここに来て悩んでしまう。
やっぱりコーヒーは諦めて、コンビニでコーラでも買って帰ろうかな。
…いやいや、でも。
コーヒから出ている魅力を無視できない。
むむむ…。
僕はこれで最後にしようと、一番高い190円のコーヒーに決めた。
普通の缶じゃなくて、蓋付きのやつ。
ガコン。
おそるおそる手にして、ゆっくり一口飲む。
…美味しくない。
この前のよりは、まだいい。
でも美味しくない。
「やっぱりダメだったかあ…」
ガクッと肩を落とした。
「僕、コーヒーが好きなのかい?」
振り向くと、白髪混じりでやけに濃い眉毛のおじさんがいた。
「え、いや…」
「私はそこの喫茶店のマスターなんだ。コーヒーが好きなら、飲んでいくかい?」
そう言ったおじさんは、自販機の数メートル先にある一軒家みたいなお店を指差した。
ちょうどこの自販機のそばにあるゴミ捨て場に、ゴミを捨てに来ていたみたい。
「缶コーヒーは、美味しくなかったです」
「ははは、随分舌の肥えたお客さんだ。じゃあとっておきのコーヒーをお出しするよ」
『とっておきのコーヒー』という響きに惹かれた。
「僕でも飲めますか?」
「ああ、小学生にも飲みやすいものを提供するよ」
「飲みます」
今日2回目のコーヒーにチャレンジすることにした。
お店の中はカウンターがあって、その中にはずらりとコーヒー豆が置いてあった。
コーヒー豆を見るのは初めてだ。
インスタントの粉か、もう液体になったやつしか見たことなかった。
「コーヒーってこんなに種類があるんだ…」
「産地と焙煎と挽き方と淹れ方まであるから、無限にあるかもね」
おじさんが何を言っているかはわかんなかったけど、コーヒーとは無限らしい。
「どんなコーヒーが好きなんだい?」
「わかんない、です。まだそんなに飲んだことがないから」
「そうか。じゃあ、あっさり飲みやすいのにしよう」
そんなものがあるのか。
僕が頷くと、おじさんは嬉しそうに笑った。
おじさんは魔法みたいに手際よく、コーヒーの準備をしていった。
豆を計り、それをガリガリしていく。
その時点で、少しだけ今までのコーヒーと違う匂いがした。
これは、好きかも。
それから、お湯を注げる道具にセットして、数回に分けてお湯を入れた。
ポタポタと、茶色の液体が落ちていく。
「はい、どうぞ」
おじさんはカップに淹れたコーヒーを僕の前に差し出した。
ふわっと香ってきた匂いが、優しかった。
緊張しながらカップを手に取ると、果物みたいな香りがした。
これは絶対今までのコーヒーじゃない。
「苦かったら牛乳もあるからね」
おじさんの優しい声が届いて、僕は一口飲んだ。
「…おいしい、かも」
「よかった、君のお眼鏡に適ったね」
「他のと違う…」
「ははは、随分褒めてくれるね」
「ここのコーヒーは全部美味しいんですか?」
「どうかな。人の好みによるからね」
そうなのか。
「全部飲んでみたいです」
「じゃあ大きくなったらおいで。そしたらカフェインも大丈夫だろうからね」
「大きくっていつですか」
「高校生くらいかな」
「そしたら全部飲んでもいいですか?」
「ああ、とっておきを用意しておくよ」
おじさんは、しっかり僕の目を見て頷いた。
「─ってことがあったんですよ」
僕は喫茶店の常連さんに、ここでバイトをすることになった経緯を話していた。
「高校生になった途端、雇ってくださいと言いにきたからびっくりしたけどね」
「ここのコーヒーをいつでも飲みたかったんです」
白髪に相変わらず濃い眉毛のマスターは、可笑しそうに笑った。
了
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