第6話 銀と翡翠
空気を切り裂く衝撃音が、鼓膜に刺さる。
音のした方へ顔を向けると、扉近くで控えていた侍女が茶器をひっくり返していた。血糊付きの髪を見てぎこちなく笑っていた彼女だ。可哀想なほどに震えた声と、握り直される指。
「も、申し訳ありません!! っすぐに、」
「いえ。怪我はないですか?」
「レイが怖いこと言うからですよ」
「脅すのはあなただけで良かったんですけれど」
怖がらせたのならすみません、と茶器を片付けるのを手伝おうとすると、奥様は座っていてくださいと別の侍女にたしなめられて。
「私は、もう王妃ではないので」
「そのことなんですけど。一つ、レイに協力してもらいたいことがあるんですよね」
「嫌です」
「そういうところが怖いんですよ」
焚き付けている戦犯の呆れた顔。つい暴力に頼りたくなるのは、父の教育の賜物でしょうか。
手元の髪束をねじってロープ状にしていると、目の前の男は身を乗り出して私の顔を覗き込む。数秒。じっと目を合わされて、うん、と満足げに頷かれた。意図のわからないことを唐突にしないでほしい。
座り直して、斜め後ろに控えていた側近の青年へ楽しげに声をかけた彼は、何かを受け取っていた。それをそのままこちらへ見せられて。
「兄上を退けたのはいいですけど、それまでの業務が全部俺にきてるんですよね。革命の先導者っていう手前、やらないわけにもいかないし」
「処刑のリアリティ求めてる場合じゃなかったんじゃないですか」
「民衆のガス抜きも公務なので」
まぁ、アサヒさまは酒と女に溺れるのに忙しそうでしたからね。私のお飾り公務さえ多いなと思っていたくらいだから。ころころと変わっていく、使い捨て宰相たち。彼らが犠牲になっていく姿は、見ていて胸が痛んだ。
「で、さっそく裏読み合戦の招待状が国外からも大量に届いてるんですけど」
「……茶会」
私の一番苦手な部類の公務。
にっこり笑う男が何を言おうとしているか。察して、笑顔で応戦する余裕もなかった。
「レイ。俺の婚約者として、一緒に参加してください」
「こ、……え?」
全然察せていませんでした。
茶会の準備を手伝えとか、そんなところだろうと。侍女がこれまでと同じように王妃として接してくれていたのって、そういうことだったんですか。いや、でも。
「私は、先ほど公的にも世間的にも殺されたばかりですよ。それを表に出すなんて」
「今さら外部の貴族から選ぶより手っ取り早いでしょう?」
そういう合理性以前の問題では。
と、言いかけて、目の前の彼が処刑のハッタリ劇を成し遂げた男だということを思い出す。きっと、勝算があるからこんなことを投げてきていて。
ロクでもないなと視線を向けると、穏やかな表情のまますっと伸ばされた手。反射的に身を引くと、頭の上に置かれた。わしゃわしゃと犬を撫でるように動かされたことで、気がゆるんでしまったのかもしれない。
重いままだった前髪をかき分けられたとき。耳をすべる指の感触に、嫌な跳ね方をした心臓。いつもよりクリアになった、視界の先で。
「銀髪と翡翠の瞳、よく似合うと思いますよ」
詰まった息と、眉間に寄った皺。どうしてそれ、あなたが。
過去を知っている可能性に、体が強ばる。止めていた呼吸を意識的に吐き出しながら、何から問うべきか頭を回していると。
「言いませんでした? よく似ているんですねって」
示された、私の胸元にあるロケットペンダント。
確かに、かつては。弟とよく似ていると言われていた。母国の王族の証である、銀髪と深緑の瞳が。
でも、あれは古い写真だ。セピアにも近いほどに色褪せたあの一枚、しかもあの一瞬で。そこまで、わかるものなのだろうか。
「見つめ合っていたら分かることは多いですし」
指であえて目元を指し示す仕草から、彼が言いたいことを読み取って。
あぁ、そうか。気付かれていたのか。
睫毛の色までは変えられなかったこと。それから、カラーコンタクトで色を変えていたこと。これだけ何度も至近距離で顔をつきあわせていたら、それがズレた瞬間があってもおかしくはない。
でも、それに気付くくらい観察されているって、相当に。
「き、」
「気持ち悪いとか言われたら俺、もっと見ちゃうかも」
気持ち悪い。口から飛び出すのを止められたところで、内心では止められるわけもないですよね。そしてどうして、背筋が凍るような逃げ場の無さを感じるのか。
「なんでこう、毎回粘着質な脅しをするんです?」
「あなたの反応見るの楽しいんですよね」
「それは……随分と突き抜けた趣味ですね」
「レイだけですよ」
一つも嬉しくありません。悪趣味だって言ってるんですよ。
いくら姿を変えたところで、諸刃の剣だと。突っぱねようとして、アサヒ様が出不精だったことを思い出す。いつもうつむいて素性を隠すように行動していた私は、テレビジョンから流れてくる通り、大々的に葬られたばかりだ。候補者を他国から連れてきた、とでも言えばごまかせることは、私が既に一度やっている。
無理、ではないけれど。
「あなたが本来の姿で堂々と振る舞っていれば、誰も気付きはしませんよ」
それは、また私の演技力が試されるということですよね。いっそ従うフリして裏切って差し上げましょうか。
「それに。死にたがりなあなたに報酬もありますし」
抜き取られた手元の髪束ロープ。絞めるには長さが足りないなと思っていたので、半分諦めてはいましたけれど。どうせ報酬なんて、もらったところで。
「毒入りポタージュ、食べられますよ」
「やります」
「じゃあ交渉成立ですね」
彼の背後に控える側近が、わざとらしく小さな咳払いをこぼした。




