第10話 再会
「ナリサ。レイは無事?」
つい、と静かに向けられた視線。教育係に向ける言葉ではないですね、と崩れることのない冷えた仮面で刺してくる淑女。
レイに見せる顔とは大違いだよ。兄上の思惑で俺の侍女として極北に飛ばされた時も、坊っちゃんよりレイ様に付きたかった、って正面切って言われるくらいだから。そんなの俺だってレイがいいですけど。で、いつも噛み付いては言葉で殴り殺される。
そんな劇物みたいな彼女から指導を受けてるんだよ。出立の日まで近付くなとキツく言われていたから、守っていたけれど。予定時刻の30分前に中央階段下の玄関ホールで待つくらいには、不安だよ。
「やはり、婚約者として表に出すのは早すぎます」
「なんで? 兄上の婚約者時代から振る舞いは合格点だったでしょ。頭だって悪いわけじゃない。むしろ呑み込みはかなり早い方だと思うけど」
「能力の話ではなく。……気付いているでしょう?」
返す言葉はなくとも、沈黙は答えを示しているようなものだ。
「そうは言ってもね。スーベルクの機嫌を損ねるわけにはいかないし。今いかなきゃ属国化は時間の問題だよ。婚約者がいるのとそうでないのは交渉の余地が大違いだって、わかってるでしょ。ちょうど良いよ、経験者連れていくのが」
「それは表面上の理由でしょう」
レイはそれで納得してたけどね。理解は追い付いてないみたいだったけど。
「毒入りポタージュで釣ったこと、まだ根にもってるの?」
「非人道的なことをしておいて、それが許されるとでも? そうまでして彼女を外交の場に引きずり出す理由は、なんですか。……あの子の心はもう限界です、いつ身を投げてもおかしくない」
「だからこそだよ」
今はいつでも捨てられる立場にあるからこそ、それをさせないための檻をつくる。兄上によって作られた悪女の王妃レイは殺した。だから。今度は、本当のレイ自身を表に引きずり出すんだよ。
俺がよく知る、あの頃のレイを。
「それに。スーベルクにとって銀と翡翠は、悪夢のような組み合わせだからね」
「……あれは都市伝説でしょう」
「さあ、どうかな」
それこそレイの母国の神話を象徴するような歴史。教科書にも載ってない言い伝えだけどね。告白映像を帝国側に流すとすぐにレイのことを探ってきたあたり、あながち嘘でもないんじゃないかな。
「グズグズと思考し過ぎて腐らせる癖、一つも変わりませんね」
「レイと国外デートしたかった、だけじゃ怒られるかなと思って」
「私利私欲に塗れた国政は、いつかレイ様に裁かれるのではないですか。判断が遅れて、また取り返しのつかないことになっても知りませんよ」
「ご忠告どうも」
含みをもたせた言い方は、棘のように刺してブレーキをかける。学習してないわけじゃない。どうせ兄上と同じ血が流れているのなら、外道を踏み抜いてヒロインを救ったっていいんじゃないかと思ってるだけで。
「……そろそろ、定刻ですのでレイ様を呼んで参りますが」
「あれ、もう? ちょっと心の準備が」
「くれぐれも。正気を保ってくださいませ」
なにその念の押し方。背後に猛獣が見えるのは幻覚なのかな。俺への信用、あまりにも低いけど。
親切心からの忠告ではないことは明白。どうせ肝が冷えるようなことをしでかすんだろうけど。ここはあえて、乗ってみるべきなのかな。なんてことを考えながら、階段に背を向けて待っていると。
「ヨル様」
たった4文字。
それなのに、口元が簡単にゆるんでしまった。震えを含むことなく、まっすぐに呼ばれた名前。なんでもないように振り向くなかで付けた仮面。
それが、一瞬で意識外へ放られた。
「……あの。このヨル様、人形ですか?」
「本物ですよ、レイ様。試しに左胸の辺りに耳を澄ましてみては」
「なんか、異常に早……大丈夫ですかこの人」
「大丈夫じゃありませんけど」
「うわ喋った」
レイだ。
俺が、知ってるレイ。
肩で切り揃えられた、流れるような銀髪も。胸元の翡翠より透き通る深緑も。王妃候補という立場ではひどく珍しいそれらが、レイの唯一性を高めている。祈る神がいるなら、こんな姿をしていてほしいと願うほどには。
「チェルシー夫人。やっぱり私、元に戻してきます。ヨル様もなんか怖、……変ですし」
「ただの処理落ちですよ。通常運転なのでお気になさらず」
「目がキマってるんですが」
あれ、ちゃんと笑顔作れてると思ってた。頭にはいくつも表現が浮かぶのに。音に乗せようとすると、どんな言葉も陳腐な羅列に成り下がっていく。何度瞬きしたって全然消えないフィルター。脳どころか五感すらやられてる。
「坊っちゃん」
「……ナリサ。これ正気?」
「本来の姿を、と望んだのはあなたですよ」
呆れたような、勝ち誇ったような顔を向けられたところで、それに返す余裕なんかない。幼い頃、初めて出会った時にレイからもらったのは、世界の色彩だった。美化された思い出。大抵そんなもので処理されることが常識だったはずなのに。
「レイ。やっぱり行くのやめませんか」
「え、良いのですか」
「良いわけがありません。坊っちゃん、事前に忠告を申し上げたはずですが」
「無理だよナリサ。全人類が敵だ」
「だからこそあなたを側に置くのでしょうが」
自分の役目を思い出せ、と目線だけで頭を殴ってくる教育係。本当に仕事ができるね、おまえは。わざわざ再任用した甲斐があったよ。
ようやく取り戻してきた冷静さが、彼女をそのままに捉え始める。その中に、少し疲れが浮かんでいるのも見えて。革命を起こした日からまだ一週間も経っていないのに、さらに細くなった腕。目の下にうっすらと浮かぶ隈。
触れたくなって、彼女へと伸ばした手。
でもそれを、咎めるように無言で圧をかけてくる彼女の背後に立つ乳母。
……わかってるよ、怖いなぁ。
「美しいですよ、レイ。とても、美しいです」
理性的につくった笑顔は、きっとこの言葉さえ表面上のものに変えてしまう。足りないと自覚しながらも、伝えなければ意味がない。手を取って口付けるついでに、左手薬指にリングを嵌める。
「外さないでくださいね。あなたを守るためでもあるので」
「うわぁ、サイズぴったり」
「まるで呪いのリングですね」
側に控える侍女たちが余計なことを言っている。ナリサは咎めることもしないから、圧で黙らせるしかなくなるんだけど。それ見てレイにおっかないと思われることまで見越してるよね、この悪趣味夫人は。
「長い旅になりそうですね」
手を繋いだまま車へエスコートしていると、不思議そうに瞬きを二回されて。
「……同じ車に乗るのですか?」
「どうして離れると思ったんですか?」
くにゃりとへの字に曲がる口元。
多少ナリサから教育を受けたところで、俺とは真反対なくらいわかりやすいよね、レイは。何を想像しているのか、ある程度予想はつくけれど。からかうのがあまりにも楽しい。
「旅は長いので、あなたの腰が痛くなる前に俺の膝に乗れるように、と思って」
「あなたの膝に乗るくらいなら馬に乗った方がマシです」
「レイの場合、機関車よりも飛ばしそうですよね」
よく知ってますよ。淑女よりお転婆娘の方が向いていることは。俺は一度も忘れたことなんかないし。ちょっとは思い出してくれたっていい気もするけど。
「冗談ですよ。あなたが怖がるようなことはしません。ナリサも一緒に行きますし」
「レイ様。残念ながら、ヨルさまの近くにいるのが国内で最も安全なのですよ。不本意ですが」
「……はい」
どう見ても婚約者に向ける顔じゃないんだけど。不本意です、を言い換えただけの返事に、笑ってしまった。




