推しの悪役令嬢が解釈違いすぎる!あれ、その姿て私だけに見せてるの!?
嵐がやってきた。窓を叩き割る勢いで雨が降り、風は乱れるように空間を切り裂いている。
その日は、外に出ることは危険とされていて、うっかり畑の様子を見に行けば、二度と家に帰ってこられない。そんな暴風雨であった。
雷も鳴そうなほど真っ黒な空。
照明なんかは蝋燭の小さな光くらいで、昼間にも関わらず必要になってくる珍しい状況だった。
だからだろう。
滅多なことが起こった日だからこそ。
滅多なことが起こる。
私の目の前で、天幕をレースで仕立て、ふかふかの寝心地を実現したベッドの上で、小さくうずくまっている女の子。生まれながらにして金色の髪を持ち、その髪の毛一本でも金貨の価値があると言わしめるくらいの煌びやかな頭髪を、ぐるぐると丹念に巻いて巻いて、左右それぞれが同じ大きさになるようにしたツインテール。
端正な顔立ちは、きめ細かいし色白だ。ムダ毛どころか産毛だって顔のどこにも居場所はない。
蒼玉とさえ称えられる瞳は、いつもだったら確固たる信念を宿し、見る者を圧倒していたはずが今では見る影もなく、悲哀に染まって濁っている。
蝋燭の明かりでも、その薄暗い顔が似合わないことは誰にだってわかる程だ。
そんな彼女の、艶めかしくも可愛らしい声を紡ぐ喉が開かれ、桃色の健康的な唇が動く。若干の震えを伴って。
「私、嫌な子じゃないかしら……」
は?
「だって、私が話し掛けた方々は皆、怯えた目をなさるのよ……? ただ、挨拶をしただけですのに。それに、すぐさまどこかへ行かれますし……」
何を言っているんだ。
言うに事欠いて、そんなことを言うなんざ今じゃないでしょうに。
己が召使いであって、この気分の沈んだ御方に仕えていることを忘却の彼方へ投げ飛ばしてしまいそうなことになったのを慌てて中断する。
ふるふると頭を振って、極めて平穏かつ平静となるように声を取り繕って、申し上げる。
「いいえ。そんなことはありません、ルーシル様。皆様、恥ずかしがり屋なのと恐れ多いのでしょう。堂々となさってくださいませ」
「…………ベアトリス、怒ってますの?」
この方は本当に人の機微に聡い。なんで怒ってると気づいたのか、本当に恐ろしい。
あぁ、こういった日々の気づきがあったから一人で生き抜く覚悟を決めて、最後の話に繋がったのか。
私は一人だけ感慨にふけ、更にはより深まった相手への理解に涎が出そうになったのを抑え込む。あっぶない。ここで変な人間だとバレたらどうなることやら。
メイド長にどやされてしまう。
「怒っていません。決してルーシル様の観察眼に歓喜していたというわけでもございませんので」
「貴女はいつも変なことを言うものですから困ったものですわ。しかも突然ですし」
口元を隠すように白魚の指先を持ってきて、上品に肩を揺らす。
やはり、令嬢たるものそういうお淑やかな笑い方をしてもらった方がいい。眼福だから。ほら、チラッと真っ白な歯が見えたらラッキーだし。うっひょ〜。
「しかし、ルーシル様。メイド達に嫌われているとは思えませんが」
「そうかしら……」
「はい。皆一様にルーシル様への忠義に厚いようにも思います。」
ルーシル様は私の転生前にやっていたゲーム――『エルダリング』に出てくる悪役令嬢だ。
たくさんのメイドを従えてはいるものの、どのメイドにも慕われているカリスマ性溢れる人。その目映いほどの威光を駆使して、主人公『エルダ』と婚約者争いを繰り広げていくストーリーとなっている。
もちろん、物語の主人公はエルダであるため、ルーシル様は敗北することになっている。しかも、最後で主人公『エルダ』と婚約者が駆け落ちするという、とんでも展開で幕を下ろすもんだから、賛否両論の嵐になったのは言うまでもない。
ライバルであるルーシル様の所業に耐えかねたからか(といっても、ちゃんとした合意の上で、礼儀作法対決だの、生け花対決だの、紅茶の淹れ方対決だの平和的なやり方で争っていた)逃げただの。婚約者が駆け落ちを仄めかしているから従っただの。憶測に推測が呼んでいたのも事実。
しかし、そんな悪役令嬢の地位を与えられたルーシル様にメイドが従順であったのはどうしてか。
催眠でもしたか。洗脳か。はたまた、拷問で無理やり従えているのか。それとも、家族を人質にしているのか。などの不名誉な憶測が飛び交うほど、ルーシル様へのメイド達の敬愛と、その忠誠心は凄まじいものであった。
それを知っているからこそ。私は何度も目にしてきて、きっとそれだけ素敵な人なのだと。言葉の節々から感じる威厳や凛とした意志の強さなどから、好きになった。彼女の振る舞いは確かに恐ろしいものがある。しかし、それは立場上の話であって、筋は通っている。だから、そのゲームで私が一番好きになったのはルーシル様なのだ。
そんなルーシル様が嫌われているなど、ましてや避けられているなど、ありえない話だ。
「じゃあ、ベアトリス。明日私と一緒にいてくださらないかしら?」
「おっふ……」
「おっふ?」
「い、いえ。失礼しました。喜んでお供いたします、我が主よ」
「ふふふ、何その言い方。貴女、やっぱり変よ」
少し安心したのだろうか、トロンとした目尻でゆるふわな笑みを向けてくださるルーシル様。
あぁああああ、いけませんいけません!
女神と言うなら正しく、この眼前にてご降臨されておられる方に違いありません!
ゲームでも見たことない顔をしないで下さいませ!
心臓が爆裂してしまいそうなんですよ!
あぁ、でもこれが推しを前にしたオタクの気持ち!
最高に気持ち悪くて、最強な愛おしさ!
もう、何でもしちゃう! オジサンなんでもしちゃうぞ!
そんな、心情を知ったか知らぬか。ルーシル様は私の百面相を面白おかしく笑ってくださった。
◆
翌日の朝。まだ日も登りきっていない朝早くから、我が主のルーシル様の一日は始まる。
少しだけ寝ておけば、暖かな陽射しに気持ちのいい目覚めがやってくるのに、かのご令嬢はそれよりも早く起きるのを好かれている。なんでも、「起きている時間が長いほど、有意義になりませんこと?」とのこと。
かー、これだから秀才と言われた御方は素晴らしいに尽きる。偉い。本当に偉い。
そんな、御仁。ルーシル様の身支度を整えるために、落ち着いた茶褐色のドアを何度かノックする。
「どうぞ、ベアトリスかしら?」
「はい。おはようございます」
促されるまま、入室。
おかしい。
入って早々、私は目を疑うような光景に唖然とする。
昨日、ルーシル様と会話をした時にはかなり手入れと掃除の行き届いて、物がしっかりと置かれるべき場所に居座っていたはずだ。
しかし、だ。今目の前に広がっているのは、いくつもの脱ぎ捨てられた服にドレス。あー、あのワンピースタイプは凄く可愛いけど、ルーシル様にとっては愛くるしいから避けていたやつだ。そんな、持て余した数多の衣装達がそこら一帯に広がっていて、我が物顔で占拠していた。
「ごめんなさい。できるだけ怖くない服を探していたのですけど、なかなか納得できるものが見つからなくて」
「……もしかして、昨晩からずっとですか?」
「いいえ。早く目が覚めたものですから、せっかくですし、と思って」
私が来たのだって日が昇る前だ。それより前からとなれば、数分とかじゃない。床一面に広がっているのだから、一時間は早くに起きていたのだろう。
今なおベッドに腰掛け、手にしたスレンダータイプの真っ白なドレス。「ん〜」と可愛らしく首を傾げ、悩む彼女へ気づかれないように嘆息。
絵になるから、脳内に保存してから助言しよう。
いや、このままでもいいのでは?
いやいや、ダメダメ。メイド長に怒鳴られる。
「ルーシル様、いつも通りで大丈夫だと思いますよ」
「え、そうかしら。でも、見た目て結構大事だと言いませんこと?」
「はい。大事ですから、いつもの服で申し分ないのです」
足の踏み場もないから、丁寧に素早く広い上げながらルーシル様の所へ向かう。これだけのドレスを選抜していたのだとすれば、途方もない。というか、こんなに持っていたことにも驚きだ。
ゲームだと容量の関係から大体同じような服しかないし、スチルやイベントシーンくらいでしか衣装チェンジされない都合上、同じ服装しか知らないから、余計にびっくりする。
それに、こんなシーンなんかゲームにない。
メイドに怖がられないために。嫌われていると勘違いしているから、必死に印象回復に努めようとしている。そんな姿など、サブイベにもなかった。唯一あったとすれば、開発者談義で『ルーシル様は、人一倍誰かを気遣って、空回りしちゃった方向性の違う悪役』と評されていた。
この一面も、彼女の空回りしちゃった方向性なのだろう。
ゆっくり進む中、ルーシル様のイメージ服である真っ赤なドレスを見つける。手にすれば、零れ落ちてしまいそうな綺麗な絹で仕立てられた布地が気持ちのいい感触を伝えてくれる。
なるべく動きやすいように、なるべく肌触りがいいものにしたのも。ただ、胸元が隠れるようにしなければ豊満なものを無粋な奴らが見てくるし、ルーシル様が「品がない」と却下したので、黒色の肩掛けで隠すようにしている。まぁ、それでも見えるものは見えるし、そこが魅力的で魅惑的なわけで、全部を隠すのではなく、隠したり隠さなかったりで優雅を演出している。
フリルもつけず、華やかな色合いで魅せるこのドレスはルーシル様の通常服であるわけだ。
「いつもの服で大丈夫なのかしら。私、怖がられているのでしょう。もっと、可愛いものにした方が」
「ルーシル様。皆怖がってなどいませんよ。その証明のために、私がご一緒させていただくのをお忘れでしょうか」
「忘れてなどいませんこと。ですが、考えてしまうと不安になってしまうというもので」
しょぼくれるように呟くルーシル様。あぁぁ、可愛いわね! その小さなお口がちょこんと突き出しているのもいいし、なんでそんな撫で回したくなるか弱さも持ち合わせているのかしらね! おかしくなりそうよ!
しかし、震える小さな――ペンだこのできた手を見て、理性が優位になる。
違うよね、愛でるのはここじゃない。暗く沈む姿ではなくて、天真爛漫で己の生き様を筋道にしている彼女が好きなのだから。
それをサポートしなくて、何が推しだ。
「ルーシル様。どうか、私のことを信じていただけませんか? 例え、本当にメイド達が嫌っていたとしても――そんなことは絶対にありえませんけど、万が一にも億が一にでも起こりえないことではありますけど。そうなっていたとしたら、私が責任をもってこの邪悪の権化となる舌を切り落としますので、それで許して貰えたらとは思うわけですけども」
「急に早口で……凄いですわね」
あ、まずいまずい。高ぶるとやっぱり舌が勢いよく回ってしまう。こんなに主人を圧倒させてしまっては、何がメイドだろうか。慎ましやかかつ主人の品位を下げぬよう、目立たず主張しないことが望ましいのに。全く、その意向に添えていない行動になってしまった。
「すみません。出過ぎた真似を」
「気にしていませんわ。貴女昔からそうですもの。むしろ安心しましたわ」
そんなに饒舌だったんだろうか。思い返そうにも、前世の記憶までもが介入してきてこんがらがってしまう。悔しいかな、己の反省点が明確に見つけられないというのは。
しかし、頭を下げねば主人への申し訳がたたないのも事実。ここはもう一度謝罪するべき――
「ところで、さっきの発言は他のメイド達を庇うためかしら? それとも、私を慮って?」
「ルーシル様を思っての発言です」
自分でもびっくりするくらい即答できた。
これには私の忠誠心も大歓喜。そりゃそうだ。私の原動力というか、前世で生き様の模範となった方なのだから、その方への忠義が無意識に飛び出すのも仕方がないわけだ。
しかし、真正面から言うべきじゃなかっただろうか。
ルーシル様も困惑なされている。
「そ、そう……なのですね……。はい、ありがとうございます」
どうしよう。大層驚かれている。
顔も伏せられてしまった。どうしよう。本当にどうしよう。慌てふためく心の内側は、選択肢を間違えたの!? いや、ここは幕間というか、小説で言うなら行間にあたるわけで、ここら辺はアドリブなわけで……、てアドリブて演劇であるまいし、現実なわけだから取り返しのつかないことはちゃんと過去に刻まれるんだ。やばいまずい気まずいの三拍子が揃ってしまった私は、とにかく乱心を悟られないよう努めて平静を装う。
「あ、ベアトリス。ごめんなさい、私嬉しくてその……照れてしまっただけでして。その、怒っているとか、返答が気に入らなかったとかじゃないのですよ?」
「ひょ」
「ひょ?」
「いえ、気になさらないでください」
深々と頭を下げて、赤面したのを隠す。くそ、予想外の攻撃には対処できませんて。モジモジ指先を弄んで、綺麗な蒼玉の瞳が上目遣いに見つめてきて、それが童顔の金髪美少女だとすれば心の方がもたない。男女分け隔てなく卒倒させるだけの魅力が、ここにありけりと地に伏せそうだ。
かといって、照れ笑いをしていても、内心は満足気な気持ちを隠しきれない緩みきった笑顔のルーシル様が見られて最高だ! なんて口が裂けても言えないからこその奇声である。素っ頓狂な声である。
い、いや。
よく考えてみれば、これがルーシル様なんだから私がとち狂ってしまうのも仕方の無いことではないか?
うん、そんなわけはない。
私は改めて今日の予定を心の中で確認し、全うするべき責任を果たすために顔を上げる。
「ベアトリス?」
「ごふっ……!」
「だ、大丈夫かしら!? 今日はお休みしなさ――」
「いえ、大丈夫です。ルーシル様が可愛いことを再確認して気を失いかけただけでございます」
「貴女、急に変なことを言わないで……」
ぐぉおおお眼福祝福至福!!!
結局、私の手にした真っ赤な服に決まったのだが、着替えるまでにもう一悶着(私が勝手に発狂して興奮した)あったのは言うまでもなかった。
◆
「「「「「ルーシル様、おはようございます」」」」」
豪勢というべきか。
雨上がりのしょげた空気にも関わらず、目の前に広がる光景は趣味趣向を凝らしたとてなし得ないほどの洗練された美しさがあった。
メイド達は総勢数十名ほどで、ピシッと張り詰めた緊張感を丁寧に覆い隠したロングスカートタイプのメイド服。その人達、というか同僚達が真っ直ぐ伸びた廊下の左右に列を成している。その真ん中は充分なほどのスペースがあって、そこを私と主は進まれる。
壮観だ。
深々とこちら――隣を歩まれるルーシル様へ向けられた忠誠心。そこに一切の悪感情の混じったものなどない。
こうやって見ると、ゲームの世界で主人公が初めて見たルーシル様はよっぽど大きく見えたんだろうし。ライバルの立ち位置まで登り詰められたんだろう。
なにせ、私の隣の御方は先程までのほんにゃりとした感情などは隠して、ビシッと厳かな雰囲気を纏っている。それをカリスマ性と呼ぶのか。
私に限っては物珍しさに右往左往しかけた眼球を主へと固定させることでなんとか品性は保てている。
いや、理性は飛び飛びだけど。
だって、凄いじゃんか。
改めて、この推しは凄いっていうのと――なんで二人っきりの時は解釈違いなんだろうかという疑問。
いやいや。そこに不満があるわけじゃないけど。寧ろ、独占欲が刺激されて推しが身近になるというか、より特別感が増していくというか。
……ぐへ。
「皆様、今日もマーレ家のため、粛々とお勤めくださいませ」
メイドの列を抜け、くるりと反転したルーシル・マーレ様はそうお伝えされる。
会釈もせず、真っ直ぐとメイド一人一人の顔を見ながら言われる姿は令嬢だ。気品溢れ、誰の目に見ても格式高い立ち振る舞い。
しかし、それで終わるはずだった毎朝の恒例行事も、ルーシル様の一声でどうにでもなる。
「あら」
小さくつぶやく。それは人の気心だったり、心の変化や機微に聡い御方の異変に気づいた瞬間であって、決して誰にも聞こえるよう口から発したものではない。
ただ、隣にいて耳を澄ませていたから(だって、可愛いお声はいつだって聞いていたいから)聞こえた。
「ローレル、でしたわね」
「は、はい!?」
突如指名されたローレルと呼ばれた女性。メイドの列でも最後尾にいて、人一倍縮こまった姿だった赤髪の子はおずおずと怯えている。
まぁ、そうよね。私だって、こんな息も詰まるような雰囲気で呼ばれたら心臓が止まる。
「ちょっと、いらっしゃい」
「は、はい……」
そのままつっかえつっかえとルーシル様の前までやって来ては、一瞥のみに留め、とある場所へと歩を進める我が主。
ローレルさん、私を見ても助けられませんって。というか、助ける必要なんかないでしょうに。いや、誤解している可能性もあるのか。
周りのメイド達もそのことを察して、即座に自分の持ち場に戻り始めた。
「あ、あの……。ベアトリス様でしたよね」
「はい。ベアトリス様ですよ」
主が最前線を歩く事態にも関わらず、メイドはその背後で小声でやり取りをするなんて不敬だろうか。
メイド長にだけはバレたくないなー、嫌だな。
「あの、わたし。なにかお嬢様の気に障ることでもしましたか……?」
「心当たりがあるのですか?」
質問に質問で返す愚行を、とてつもない勢いで頭を振ることで答えるローレルさん。犬みたい。
あー、気づいたら髪型も大型犬みたいだ。モコモコしていて、もふもふしていそうな首元までの赤髪。ウェーブの髪は少しばかり土汚れがついているから、きっと庭園管理のメイドだろうな。
「思い当たる節がないのでしたら、心配することもありませんよ」
「で、ですが……わたし、ここへ来てまだ数日ですから、知らない内にお嬢様を不快にさせたかもしれません」
本当に不安で、失敗を恐れている彼女は廊下が少しずつ暗くなっていくのに合わせて絶望の色が濃くなっていく。
いや、本当に誤解しているっぽい。そんな人じゃないと口で説明するのも余計恐怖を煽りそうだし、言葉選びが下手くそな私に宥める術なんか持ち合わせていない。
でも、このまま放っておくのはルーシル様推しの同志に、自分自身に失礼極まりない。
「大丈夫です。慣れればどうということはありません」
「慣れ……!?」
いかん、これではいけなかった。
しかし、気づいた時には目的の場所に着いてしまった。薄暗い廊下の先。ポツンと一室だけ設けられた部屋の扉は酷く汚れていて、ドアノブも赤錆に塗れている。
そして、メイドになった時一番最初に説明される場所で、メイド長が事ある毎に引き合いに出す部屋でもある。
「『おしおき部屋』……!?」
「入ってください、ローレル」
促されてもなお、状況を飲み込めずカチコチに固まってしまったローレルの背中を押し、おしおき部屋へと入室する私達。
……この子、めちゃくちゃ汗かいてるけど、大丈夫かな。私の一言が悪かったかな?
◆
おしおき部屋。
そこはマーレ邸の一階。廊下の一番奥にあり、余程のことがない限りは近づくことのない場所にある。
そして、どの扉よりも古びており、物々しい雰囲気を醸し出している。お化け屋敷にでもあれば、幽霊が飛び出してくるくらいには異質な空気を放っており、金切り声みたいなドアを開けば、鬱屈とした匂いが漂ってくる。
「…………ひっ」
呼び出され、連れてこられたローレルさんだって初めて見ただろう光景に喉が締められたようだ。
そりゃそうだ。それはもう大変な様子なのだ。
目に入る全てが赤黒く変色しているのだから。
中央にある机だって。部屋の隅に置かれた拷問器具だって、血に染まっている。
てか、あんなのあったんだ。いや、ゲームでもここへ訪れることはあっても扉の前で終わっていた。中に入ることなんてなかったし、今までだってお世話になったことはなかった。
だから、結構新鮮な気持ちで見回してしまう。
「どうぞ、お掛けになってください」
「ひっ……は、はい……」
一気に気分が奈落の底へ落とされたのだろう。ローレルさんはそりゃもう絶望を顔へ描いて、とぼとぼとルーシア様の座った椅子の真向かいに腰掛ける。
二人が挟んだテーブルは奇妙な切り傷だの、凹みだの、荒んだ様相を呈していた。
さて、私はルーシア様の後ろにでも立っておこうかな。
ローレルさんも怯えた子犬みたいだし、この構図はやっぱりルーシア様を悪役令嬢たらしめる要素なんだろうけど、ルーシア様だしなぁ……。
私はとりあえず、壁にでもなっておこうと決め存在を限りなく薄めよう。
「ベアトリス、水を用意してもらえるかしら。そこに蛇口があるのと、扉近くのテーブルには桶もありますから使ってください」
「はい」
言われた通りの動きを迅速にこなす。
気を抜いて頭を真っ白にしていたところでも、主の命をこなせるようになれたのは誇らしい限りだ。
てか、水通ってるんだここ。そこに驚きもある。
後は、なんで水なんだろう。
「ローレル。貴女は隠していた手を出しなさい」
「…………え」
「早くしなさい」
「は、はい!」
水をそこそこに桶へ張って持って行けば、ローレルさんは勢いに任せて両手をルーシア様へ差し出す。
これは……あれま。
「貴女の土汚れから察しましたけど、やはり傷だらけのままでしたか」
「い、いや。これはその。治りますから! そんな酷くないというか、昔からこれで平気でしたし!」
彼女の手は傷跡が赤くなっており、周辺にも紅潮した斑点が浮かび上がっていた。見るからに擦り傷切り傷。かぶれもある。
それにローレルさんの言う通り、昔からの傷跡が白く膨れていた。その手を必死に隠そうとした動きを、ローレル様は先んじて制する。
こういうところ、やはり素早い。
「昔からなのは、貴女が家族のために農作業に勤しんでいた功績ですから、私は否定しません。しかし、今マーレ家のメイドですし、私に仕えています。過去は過去、今は今として私に従事していることを未来への誇りとなるため、こういった傷を隠すなら隠し通す意地をみせなさい。貴女が綺麗にした庭をいつも楽しみにしているのですから」
ルーシア様は、ローレルさんの手を優しく握って。それこそ、ガラスを扱うように丁重に水桶へ沈める。
「ルーシア様……」
「ちゃんと処置してもらいなさい。私にされた傷だと言えば傷薬くらい塗ってもらえますから」
「そ、そんなこと……!」
「ローレルさん。そう言っておかねばいけない、てことですよ」
流石に我が主の思惑を、本人が説明するわけにもいかず、思わず口を挟んでしまう。
まぁ、そういう意図だろう。わざわざ、おしおき部屋と呼ばれる場所に来たのか。水で洗うだけならここじゃなくてもいい。
なにより、園芸仕事での擦り傷に傷薬を使ったとあれば他のメイド達に白い目で見られるだろう。ルーシア様からのおしおきで傷ができたと言えば、同情されながら処置してくれるに違いない。
――とか、ルーシア様は思ってるかもしれないけど、メイド達はおしおき部屋が傷への応急処置してくれる場所だと知っているし、こうやって気遣ってくれるのも共有しているんですよね。
知らない人がいるとすれば、新人さんくらいなもんで。それがローレルさんだった話だ。
「わ、わかりました……」
「えぇ、今後はこのようなことがないようにしなさい」
処置も程々に済ませると、こんな部屋に用はないので即座に退室する。
申し訳なさそうな後ろ姿のローレルさんは、少し離れてからくるりと向き直る。
「あ、ありがとうございます。ルーシア様」
「私は何もしていません」
「そ、その。ベアトリス様もありがとうございます!」
「お気をつけて」
踵を返して小走りに進むローレルさん。
さて、そんなおしおき部屋から出てきたにしては安堵と向上心、なにより忠誠心が高まったメイドを見て思うことがあるとすれば。
「……ベアトリス、やっぱり私のこれが原因で嫌われるのかしら」
「…………」
「ベアトリス……? 怒ってますの?」
「怒っていませんし、素晴らしい慧眼の持ち主ですのに、どうして肝心なところは見えていないのですか。鈍感系悪役令嬢というやつですか」
「ど、鈍感……? 悪役? や、やっぱり怒ってますの?」
「怒っていません。私はルーシア様一筋で、一生をかけて愛する御方ですので、私が怒っているとすれば自分自身に対してでございます」
「そ、そう……。分からないけど、分かったから、愛するなんて軽々しく言うものじゃ――そういうのはちゃんとした殿方に向けてくださいまし……」
嬉しいやら、恥ずかしいやらで唇を少しだけ突き出したルーシア様。愛くるしくも、胸を打つその姿は決して私の知っている推し『悪役令嬢 ルーシア・マーレ』ではない。しかも、解釈違いを起こすのに、私と二人きりの時しかそんな姿は見せないのだ。
私の推しは最高だ!!!!!!!!
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