6 フラれる女になるぞ!
数日後、デート、当日。
放課後、待ち合わせ場所として指定された、都の大通りにある銅像の所へ向かった。すでにロックウェル令息は到着していて、私が現れた事に気が付くと白い歯が見えるほどの笑顔を見せた。
「やあ、待っていたよ、アーヴェ嬢」
「お待たせいたしました」
制服の恰好、学校用鞄を持った状態で、私は礼をする。カーテーシーなんてものをしっかりとする日が来る事になろうとは、思いもしなかった。
ただこれは、帝国式のカーテーシーではない。留学生の一人である令嬢が帝国式カーテーシーをしているのを見た事があるのだが、私でもわかるほどに美しく、洗練されたという言葉がピッタリな所作だった。
(ふっ、到底結婚なんてしたくない出来の所作の、筈……!)
そう思ったところで、ロックウェル令息の視線が私の恰好に走っているのに気が付く。
さあ早速次の主張を、と思い、私はしおらしい顔をしながら説明した。
「大変申し訳ありません。持っている服で、一番綺麗なものが制服でして」
大嘘でもない。ほかはシンプルなワンピース(なお代々つくろいなおして使っているため、本来より色落ちしている布)ばかりなのだ。頭から靴先までで考えた時、まだ着始めて一か月ぐらいしか経っていない制服が、手持ちの中では一番綺麗なのである。
(まともな私服もないような令嬢、絶対に信じられないだろう……!)
聞いたことがある。高位貴族ってのは、同じドレスを二度と着ないってね。チィニーでもそんなだというのだから、帝国貴族なら尚更……の、はず!
さあロックウェル令息の反応は……と見上げると、ロックウェル令息はニコリと、笑みを崩してはいなかった。
「そうだったか。これは失礼した。では、デートの行先はまずはブティックだな」
「……え?」
私の横に並んだロックウェル令息は、腕を差し出してきた。何の腕だと思ったが、少ししてから腕を組むために差し出された腕だと理解する。
正直組みたくなかったが、この場でそんな事は言えない。仕方なく、腕を組んだ。
ロックウェル令息に連れていかれたのは、ド田舎貴族の私でも名前を知っている、高級ブティックであった。明らかに場違いな雰囲気に入るのをためらう私を簡単に連れて、ロックウェル令息は入店する。
どうやら何度か来た事があるらしく、店員たちはロックウェル令息を見ると「いらっしゃいませ!」と色めき立った。
「彼女に似合う服を一式揃えたい。金額は気にしなくてよいが、似合う物にしてくれ。支払いは本日中に持ってこさせる」
その時の店員たちの「え、この小娘誰?」という顔はしばらく忘れられないだろう。
横にいるのが帝国貴族のご令嬢なら理解出来るが、見るからに「田舎から出てきました!」感しかない私だ。制服なので、一応は私とロックウェル令息の関係性――同じ学校に通っている事――は分かるが、そうであれば尚更「ブティックで服を買ってあげる関係性とは?」と疑問を覚えるに違いない。
とはいえ、彼らも仕事は仕事。ロックウェル令息がお金に拘らずに買うと宣言までしているのだから、もうそれは喜んで、私に「これ」「あれ」と服を合わせ始めた。私の希望なんてほぼなしで、「似合う物ならこちらでは」「いやこちらの方が」と真剣な顔つきで選んでいる。
(いやでもこんな服着ても、化粧一つしてないすっぴんの私じゃ似合わないでしょう……)
と心の中で思っていたのだが、それは店員の方々も同じ気持ちだったようで。
「失礼いたしますね」
という言葉と共に、服を選ぶ部隊とは別に、私の顔に化粧をし始める部隊が現れてしまった。
クッ……! 化粧すらしてこないダメ女アピールのつもりだったのに……! あまりに自然に化粧が始まってしまって、拒否も出来なかった……!
心の中で私は悔し涙を流した。
最終的に仕上がった私の恰好は、せめてもの抵抗でつぶやいた「装飾が少ないものが良いです……」の言葉も少しだけ加味されて選ばれた服であった。当然、頭の先から足先まで、全て新しい服になった。鞄も新しいものになった。制服と学校鞄はまとめて大きな袋に入れられて、ロックウェル令息の手元にいった。
「うん、良いね。どうだろう。気に入ったかい?」
「…………はい、素晴らしいです……」
確かに服は素敵だ。こういう状況でさえなければ、「こんな素敵な服貰えるんですか!?」と言って大喜びしただろう。私だって女だ。一着ぐらい、素敵な服を欲しいとは思う。
だがしかし、元の目的――場違いな恰好で来ることで、金銭の価値観が違い過ぎて呆れられる作戦――はこれで果たせなくなってしまった……。
(……これは、もしやロックウェル令息からの無言の主張では……? 金銭的な差なんて小さなものだ、というアピールなのでは……!?)
冷静になればそれはそうだ。侯爵家がお金に困っている筈がない。下手したら我が家そのものを何十年も援助し続ける……とかだって出来るぐらいの財力、持っていたっておかしくないのだ。
実際の我が家の金銭事情を知らなくたって、チィニー国の男爵家という条件からどれぐらい財力の差があるかは想像出来るだろう。
つまり――私が裕福でなくて身分が違う事を明らかに示したところで、彼にとっては何も意味がないのだ。
(しくじった……! アピール方法間違った!)
もっとこう、初手から大遅刻して、マナー何も知りませぇんみたいな対応で行けばよかった。そうでなくても、せめてもの貴族令嬢の意地で初手カーテーシーとかしてしまった……! そんな意地いらなかった……!
(次、次のチャンスがあれば……! 駄目マナー方法で攻める……!)
そんな風に思っている間に、私はロックウェル令息に連れられて、ブティックを出た。
ロックウェル令息に連れられて徒歩で移動した先は、ブティックからもそう遠くない、飲食店である。
「デートの頭から、疲れる事をさせてすまなかった。どうかここではくつろいで欲しい」
と言うが、くつろげるハズがない。
だって連れて来られた店は、「一生で一度でいいから食べてみたいよねえ~」とテーアと冗談めいて話し合っていた高級料理店である。
もう何をしちゃいけないのかすら分からず、「あ、はい」と繰り返しながら縮こまるしか出来ない。
(……ハッ、そうだ! 駄目マナー、ここですれば良いのでは……?!)
家の名に傷がつくやもしれないが、そもそもこんな高級店、二度と来るわけがない。都にだって滅多に行くことがない家だ、カレンダ家は。ここで少し恥をかいた所で生活圏内が違い過ぎてダメージになりもしないに決まっている。
(よし。高級料理店のマナーなんて知らないし、気楽にいくぞ!)
そう意気込んでいると、まずという風に前菜がやってきた。マナーなんて知るか! 自由に生きてやる! と思った私だったが、店員は慣れた様子で「カトラリーは外側からお使いください」と補足してきた。
「あ、はい……」
普通に知らなかったマナーだ。そもそもカトラリーなんて一度の食事で同じものをずっと使ってたし。
そして、流石に指摘された事すらその場で守らないのは料理を作ってくれた人たちに失礼に思ってしまい、しぶしぶ、私は指示されたマナーを守りながら食事をとる事になった。
(うまく、いかない……)
「アーヴェ嬢」
「あ、はい。何でしょう……」
「貴女はどんなものが好きで、どんなものが嫌いだろうか?」
「……好きなもの、嫌いなもの、ですか?」
「ああ。まずはそうした初歩的な事から知っていきたいと思ってな」
好きなもの、嫌いなものか……。
「そうですね……好きなものは魔法、嫌いなものは酒におぼれるカスですかね」
「カ…………? すまない、翻訳魔法がうまく反応しないらしい。チィニー特有の言語だろうか」
ああ……そういえば、留学生の皆さんは常時自分で翻訳魔法をかけて生活しているとか聞いたな……。チィニー語なんて、覚えたところで活用先もない言語なので、翻訳魔法で対応されるのも普通だ。
「……失礼いたしました。酒におぼれて周囲に迷惑をかける人間が嫌いです、とお伝えしたかったのです」
「確かに、そのような人物は僕もあまり関わり合いになりたくないな。けれどそれが最初に出てくるという事は……何か、嫌な思い出が由来かな?」
「ええ、まあ……」
家の恥だしな……と思ったが、愛想をつかしてもらいたいなら全然開示していって良い情報だと思いなおし、ロックウェル令息に話す事にした。
「亡くなった祖父と伯父がそれはそれはお酒が大好きな飲んだくれでございました。二人に迷惑をかけられた親族はとても多く、特に祖父の実の息子かつ伯父の実の弟である私の父と、その家族である私たちはそれはそれは迷惑をこうむったのです。なので、お酒におぼれて周囲に迷惑をかける人間は嫌いです」
「なるほど、そういう事が……」
そうそう。残念感があるでしょう?
そんな親戚がいる娘だと、本人もそのけがあるという不安がわくでしょ?
これは良い話題選びだったかもしれないと思い少し興奮しながら、私は話を続ける。
「お酒をたしなむ程度でしたら、別に良いのです。たまの記念日に飲むとかも、良いでしょう。けれど悪酔いして周囲に迷惑ばかりかけて反省もせず、同じことを繰り返す人間は人としてどうかと思います」
祖父も伯父も、死んだ時は家族そろって「ホッ……」みたいな空気が流れていた。死んだ時に家族からそんな反応をされるって、むなしくないんだろうか。それとも本人たちは死ぬときまで、家族にそこまで疎まれているとは思っていなかったのか。すでに亡くなってしまった二人の本心を、私が知る事は多分ない。あの世で後悔してたらいい。
流石に、意気揚々と親族の悪口を言い始めた私には少し引いたようで、ロックウェル令息は話題を「好きなもの」の方に移してきた。
「魔法が好き、という事だが、どういう所が好きなのだろうか」
「便利な所です」
「…………これは、また、少し予想外だな」
「そうでしょうか? 魔法があるのとないのとでは、私たちの生活はあまりに違います」
魔法そのものは、とても便利だ。
例えば、火魔法が得意な人間がいれば、暖炉に火を付けるのに必要な手間が減る。
例えば、水魔法が得意な人間がいれば、井戸などから生活に必要な水を汲んでくる手間が減る。
仕事と関係ない範囲ですら、そんな違いがあるのだ。
魔法が嫌いな人間って、殆どいないのでは?
むしろ、平民だって殆どの人は、魔法を使いたいと思っている筈だ。平民の殆どは、魔法を使えるほどの魔力を保持していないから、望んでも仕えないのだけど。
「特に、チィニーは帝国と違い、下々にまで素晴らしい発明品の数々が広がっておりませんから、魔法を使える人間が家にどれくらいいるかで、まるきりその家の生活は変わってしまいますわ」
チィニーにあるような古くからある魔法道具というのは、「魔法を使える人間が使う」という前提で作られているものが多い。
魔法を使えるほどの魔力を保持しない平民は勿論、魔力は持っていても魔法を上手く行使できない人間では操れない事が殆どだ。
どういう事かといえば、『本来畑一つ分しか一度に水をまけない水魔法の使い手が、一度に畑二つ分に水をまけるようにする魔法道具』とか、『畑一つ分に水をまく時に十くらいの魔力を使うのを、七の魔力で畑一つに水をまけるようにする魔法道具』とかの効果を持つ魔法道具が多い、という事だ。
前提として、魔法使いが畑に水をまけなければ意味がない。ついでに、後者の種類の魔法道具なら、使い手の技量によってどれぐらい使用魔力量を少なくできるかも変わってきてしまう。
魔法道具は便利だが、結局の所、誰もが使えるものではないのだ。
維持管理費もかかるし、使用者が使いこなすまでの、鍛錬の時間も必要だ。
ついでに言えば、魔法道具は職人による手作りなので、同じ用途の魔法道具でも製作者で出来が全く違う。高い割に、性能が安定しているかは運もある。
そうなってくると、魔法道具が沢山あるよりも、魔法使いが一人家にいる方が便利だったりする。
自分の属性の魔法以外だって、習得に時間がかかるだけで覚えられるのだから。
――帝国の最新式魔法道具は魔力を注ぐだけで使える物も多いという。
そういう社会で生きてきたロックウェル令息と私とじゃ、育った文化が違い過ぎるだろうな。
「……ロックウェル令息は、何が好きで何が嫌いなのでしょうか」
「僕か。僕はそうだな……好きな事は芸術鑑賞、だろうか。嫌いなものは……少し恥ずかしいのだが、虫、だな」
うわ~、お坊ちゃんって感じの感想だ。
ちなみに私は芸術鑑賞は、精々音楽や踊りぐらい。それも洒落たものではなく、故郷の地方でよく歌われている民謡とかそれに付随する踊りだ。社交界で出来るようなものではない。
そして虫だが、慣れっこだ。外を歩けばどこにだっているし。子供の頃は素手で虫を捕まえる遊びをしたりもしていた。
(つくづく、住んでいる世界が違う……)
会話をしているだけで、つくづく、その事を感じさせられた。
その後もロックウェル令息に質問されて、答えて、同じ問について聞き返すという時間が過ぎていった。
「アーヴェ嬢のご実家はここからどれくらいなのだろうか」
「馬車で三日ぐらいです」
「そうか。馬車で三日か。……ふむ、申し訳ない、あまり距離感が分からないな。馬車で長距離の移動をした経験があまりないものでね」
そんな話をされて、そういえば、この方々たちは何でここまで来たのだろうか、と疑問を抱く。
チィニー国内の移動手段は馬車などを使うか徒歩しかない。
帝国で長距離移動の際に使用されるという鉄道も勿論走っていないので、チィニーの近隣諸国まで鉄道で来る事は出来ても、そこからチィニー国内までは馬車で来るしかないと思ったが。
「失礼ですが。チィニーへはどう移動されてきたのでしょうか。鉄道も、国外にしか走っていなかったかと思うのですが」
「飛行船だよ」
「ひこうせん。なるほど。……ひっ、飛行船!?」
オウム返しのようにロックウェル令息の言葉を繰り返し、一瞬納得しかけて……自分が呟いた言葉のとんでもなさに声が裏返った。
「ひ、飛行船というと、あの、大きな箱を大きな気球で吊り上げて空を飛ぶという、あの……!?」
「ああ。おおむねその認識で間違っていないよ」
昔、遠目に気球を一度見た事がある。
魔法で、体一つで空を飛ぶことは理論上可能だ。
ただし空を飛ぶ事はとてつもなく難しく、危険な事だ。
風魔法が得意な熟練の魔法使いでも、ほんの少しの操作の失敗で、簡単に落下して死んでしまう。その為、幼いころから大半の子供は「空を飛ぼうなんて思うな」と言われて育つ。
そんな風に育ったからこそ、初めて遠くから気球を見た時、「人が乗っているんだぞ」と教えられた時は、本当に驚いた記憶がある。
「飛行船が気になるのであれば、今度乗せようか。帝国とのやり取りには飛行船を使っていてね、定期的にチィニーに来ているんだ」
「えっ、良いので――――――イエ、結構デス」
「そうか? 気が変わったらいつでも教えてほしい」
ついつい乗ってしまいそうになった。くっ、ロックウェル令息、恐ろしい男。私の好奇心を絶妙についてくる……!
いやいや、こんな簡単に乗せられてはいけない。そんな簡単に篭絡されるつもりは……いや、愛想をつかしてもらうのが目的なんだから、むしろ迷惑をかけた方が良いのでは。いくらロックウェル令息でも、私が乗りたいからと飛行船を使うのは大変そうだけど。
いや待って! ロックウェル令息の方から提案してくるという事は、たいして難しい提案ではない可能性が高い!
飛行船とやらには死ぬ前に一度くらい乗ってみたいけれど、だからといってそんな簡単に誇りを捨てる訳にはいかない。
うん、良かった。断った私の選択は間違っていなかった!
必死に自分に言い聞かせていると、私とロックウェル令息の目の前に最後の品がおかれる。つまり、デザートの時間という事だ。
私の目の前に置かれた磨かれた白い皿の上には、切ったばかりだろう果物が並んでいた。
(り、リンゴ!)
デザートの皿の上には、いくつかの果物が乗っていた訳だが、その内の一つ、リンゴに私の視線はとらわれた。
食べる段階になり、即座にフォークをリンゴに向ける。
(ん~~~!! 流石高級料理店のデザート! 美味しいっ!)
口に入れた瞬間に広がる果汁。しゃりしゃりという触感。
(今まで食べてきた中でもとびきり美味しいっ)
こんなに美味しいリンゴは初めてだ。そんな事を思いながら私はリンゴを咀嚼した。
デザートが終わると、食事は終わった。ついでにデートも終わる事になった。もっとどこかに連れて行かれるのかと思ったが、「ブティックで疲れただろう?」とロックウェル令息は馬車を呼ぼうとした。
慌てて止めて、
「歩いて帰りますから」
と答える。
私は全く苦でない距離だけれど、帝国貴族のロックウェル令息は歩くより馬車で歩きたい距離ではないかと思う。このままここで別れようという私の作戦だったのだが、ロックウェル令息には全く利かなかった。
「そうか。では僕も共に歩いていこう」
ロックウェル令息は躊躇いなくそう言ってきて、それを拒絶はさすがに出来なかった。
結局、私は寮の門前までロックウェル令息と共に徒歩で移動する事になったのだった。
▼
「あらおかえりアーヴェ! デートはどうだった?」
「リンゴ、美味しかった」
「リンゴより先にその可愛い服について説明して欲しいんだけど~?」
「作戦は多分失敗した……」
「あら可哀想~」