4 とんでもねえご提案!
「終わった。私の平穏な学校生活……」
「何言ってんのアーヴェ!!! やったじゃん!!! 超玉の輿だよ~!?!」
「受ける訳ないでしょうがッッ」
「えええ!!! なんでよお」
他人事の如く、きゃいきゃいと騒ぐテーアに頭を抱える。
これまで教室で、私は何の目立つ要素もない学生だった。精々、やたら噂話が大好きなテーアがよく一緒にいる学生、ぐらいの印象だった事だろう。
ところがそれは、今朝、崩れてしまった。
学校の入口であるホール。
多くの学生が朝の登校で通っている中、フレドリック・ロックウェル侯爵令息と名乗った留学生の一人に、婚約を申し込まれてしまったのだ。
婚活に来ていたといって憚らなかった留学生たち。けれどこれまで、誰一人として、はっきりと「この人と結婚しよう」なんて意思表示は見せてこなかった。
まだ誰も選ばれていない。そんな中での、今朝の、アレ。
周りからすると、私は留学生のお眼鏡に叶った第一号という事になってしまう。
お陰で学校中に一瞬でフレドリック・ロックウェル侯爵令息と、私の名前が広がってしまったのだ。
今も、ちらちらと、他の学生からの視線が向いている。いや、ちらちら、なんて可愛い単語ではすまない。グサリグサリとこちらを視線で刺すぐらいの勢いで見られている。気まずいったらない! 身分不相応に目立つなんて、嬉しくもない!
「身分差は気にしなくてよいって、あちらから言ってくださったんだよ~!」
テーアの言葉に、私は顔をゆがめる。
「そんなもの嘘か、ロックウェル令息が何かしら勘違いしてるだけに決まってるでしょ……! よしんばその文言で侯爵ご夫妻がロックウェル令息に言ってたとして、普通の親ならせいぜい子爵令嬢でも許そうか、とかそういうラインでの話に決まってるわ! 男爵、しかも家に何の力もない弱小男爵の娘なんて、天下の帝国の侯爵家が許すわけないに決まってるでしょ!」
「うーん、言われてみればそうかも?」
男爵家という肩書ですら、国力が違い過ぎて、帝国の男爵家とチィニー国の男爵家では比べる事すら出来ないほどに違う。
我が家なんて、帝国貴族からしてみれば「平民の中でもちょっと立ち位置が高い村長・町長」ぐらいの立ち位置のはず。そんな家の娘である私を嫁に、なんて、いくらロックウェル令息が三男といえど、常識から考えて、有り得ない。
「絶対何か裏があるに決まってるわ……」
最初っから、この婚活目的の留学には私は懐疑的だった。
天下の帝国の皇子や高位貴族の令息令嬢が、こんな小国で伴侶を探す必要性が、どこにあるというのか。
「裏……裏……すでに愛人にしたい相手がいて、相手が身分が低いから肩書だけの妻が欲しいとかかも」
「えぇ、わざわざチィニーまで探しに来る必要なくない?」
「まあそうか……」
一番有り得そうなのはこれだけれど、別に帝国国内で探す事も出来るだろう。国力差がある国で選ばれたにしても、チィニーに皇子殿下を含む十数人が来た理由が謎過ぎるし。ロックウェル令息のみがそういう目的だった可能性もあるけれど……それだとほかの人々も婚活を目的としている理由が立たない、か……?
「家格もありえない。肩書のみの妻説はなくはないけど、可能性は低い……」
家が関係ないのなら、魔法関係……という事もあるのかもしれない。魔力測定の日には思った事を思い出す。
というか、魔力測定の次の日からして、これまで接点のなかったロックウェル令息が私に婚姻を申し出てきたのは、昨日の魔力測定が理由の可能性が高い。
……が。それも、いくら考えても、有り得なさそうなのだ。
「ありえるとしたら、属性だったけれど……テーア。ロックウェル令息の属性は、土なんだったわよね?」
「うん。私が聞いた限りだと、土属性って聞いたよ。ロックウェル家が、そもそも土属性の家系だって」
留学生の情報に詳しいテーアがこういうのだから、間違いなくあの赤髪の人物は土属性なのだろう。
そして、昨日分かった私の属性は「氷ときどき闇 ※ちょっと風」、である。土はかすりもしない。
属性説はないも同然だろう。
「魔力量だって、召し上げられるほどのものはないし……」
魔力量も、強い魔法を使う上では必要だ。ちょっとの魔法を使ってすぐ魔法使用不可状態になるのでは、話にならない。なので、属性と並んで、魔力量は重要だ。これも、属性と同じく、少なからず親からの遺伝の影響を受けると言われている。
だがそれも、帝国とチィニーでは比べるのも馬鹿らしいと、私たちは知識でも知っている。
具体的には、チィニー国の貴族の所有魔力量の平均値は、帝国の貴族の中でも下の方らしい。
なら魔力量で選ばれたというのはありえないだろう。
――留学生が来て以降、元々あった授業に加えて、チィニー人には『ラガーラ帝国』にまつわる歴史などを学ぶ授業が必修で加わった。
この授業のお陰で、そういう事に気が付けるという点では、ありがたい事だ。必修じゃなかったら捨ててたぐらいに好きではないが。閑話休題。
で。問題の私の魔力量だが、きわめて平均的なものだと思われる。
計った事はないけれど、魔力量が多い子供は幼いころから身に余る魔力が暴発して問題を起こすので、身分の上下に関わらず、噂になるのだ。
無論、私にはそんな過去は一度だってない。
魔法学校に入ってから、授業で魔法を使っていて倒れるような事はなかったので、少ない訳ではないが、あくまでチィニー基準で並みに魔力を持っている、という程度しかありえないだろう。
「お手上げ……なんであんな、意味の分からない提案を私にしてきたのか、さっぱりだわ……」
ロックウェル令息が代々氷属性の家系だった、とかなら、辛うじて納得できた。結婚相手に同属性の人間を探していたと理解出来るからだ。
ゼミの学生がたった二人しかいなかった事からも分かるように、氷属性は、中心の属性として持つ者はそう多くないらしい。
持っているとしても、その多くが、水属性の人間が複合的に持っていたりするらしい。つまり【水ときどき氷】みたいな検査結果で出てくるらしいのだ。
氷を主とした属性の持ち主はそう多くない。
……これが、今私が持つ唯一の希少性だったが、ロックウェル令息が土属性なら、無関係だろう。
ロックウェル令息が代々氷家系の家の息子であったら、「比較的希少な氷メインの娘を探していた」という理由でだ理解が……いや、無理だな。
冷静になれば、チィニーで探すより、帝国内で探す方が遥かに見つかりやすいだろう。実際、留学生には氷属性の帝国の令嬢がいたはず。
なんなら、代々氷属性な貴族家が沢山ありそうだ、帝国なら。
「え~、まだあるじゃん、可能性が!」
「何よ」
「アーヴェに、ひ、と、め、ぼ、れ♡」
「一番有り得ない意見をどうも」
「あり得ないかは分からないじゃない! この世の中、兎が好きな人も狐が好きな人も犬が好きな人も豚が好きな人も馬が好きな人もいるのよ! アーヴェがあの方の好みの可能性も十分あるでしょっ!」
「言うわねあんた!」
テーアの頬を掴めば、テーアは笑いながら「いたい~! ごめんって~!」と声を上げた。
その声を聞いていたらばかばかしくなって、私は手を離した。
「あ~~意味不明過ぎて理解出来ない~!!」
「随分悩ませてしまっているらしいね、申し訳ない」
「ギャアーッ!!」
「キャアーッ!!」
背後から突然声がして、私とテーアは真逆の声を上げた。
振り返れば、私の後ろに、噂のロックウェル令息が立っているではないか!
「な、な、なんの御用で……? ハッ! わ、私は、大変光栄ではありますがっ」
婚約も結婚もお断り、と言いかけた私の唇を、ロックウェル令息が人差し指で抑えてくる。ロックウェル令息は手袋をしていて、素肌同士が触れ合うことはなかったが、それでも彼の体温が伝わってきた。
キャアアッ! とテーアや教室内の女学生たちが悲鳴をあげてくる。見世物じゃない、私は見世物じゃないんだが!!!
ロックウェル令息は、困ったように、甘えるように眉根を垂れ下げていた。
「出来れば、まだそう結論を出さないで欲しい」
いや私はさっさと白黒つけたいのだが。
「まず、謝罪を。……今朝は、貴女に迷惑をかけてしまい、申し訳ない」
本当だよ。
……と思ったが、ロックウェル令息が軽く頭を下げてきたので、そんな事を言えるわけもない。
明らかに格下の家の令嬢に、頭を下げているのだ。その角度が深いものでないとしても、私と彼の立場の違いを考えれば、とんでもなく大きな謝罪になる。
早くその状況を脱したくて、早口に私は言葉を紡ぐ。
「気にしておりません。頭をお上げください」
やっと顔を上げるロックウェル令息に胸をなでおろした所で、彼は更に続けた。
「どうしても、貴女と婚姻したく……気持ちと行動が先走ってしまった。あとから、ジョスリン殿下に叱られてしまったんだ」
前半の言葉は聞かなかったことにして。ジョスリン殿下というのは、留学生の中心的人物である、帝国の皇子殿下の事だ。第……何番目か忘れた。確か五か六あたりの皇子殿下、らしい。
「それで……カレンダ嬢。良ければ、僕と恋人になっていただけないだろうか」
「……はい?」
コイビト
恋人?
「ああ。僕としては、正式に婚約の申し入れをしたい所であるが……カレンダ家とロックウェル家の差を考えると、カレンダ嬢の気持ちに関係なく、断る事は難しくなってしまうだろう」
当然だ。チィニー国内でだって、我が家が婚約や結婚の申し入れを強気で断れる家は、ほぼない。
相手が帝国貴族なら、なおさらだ。
今朝からの私の態度だって、不敬だと彼が咎めれば、私は悪人というレッテルを貼られるに決まっている。
「それでは、あまりに貴女の気持ちを蔑ろにしているだろう。これは政略的婚約の申し入れではあるけれど、僕としては出来る限り貴女と気持ちを通わせたいと思っている。……なので、出来ればまず、お互いの人となりを知る所から始められれば、と思っているのだが……」
「……それは、する必要は、あるのでしょうか?」
普通に、まずは少し交流を取るだけ、というのが目的なのであれば、恋人関係になる必要はない。
彼の最終目的が結婚なのは変わらないのだろう。ならばわざわざそんな曖昧な段階を挟む必要が、感じられない。無理矢理が嫌だなんて言葉を駆使されても、そうそうに頷けるわけもない。
そう思いながら尋ねた私に、ロックウェル令息は「ある」と即答した。
「恋人関係になれば、私は彼氏として、貴女に近づく男性を退ける権利を得る事が出来る。おおいに違う」
……この方は、ド田舎男爵令嬢にそんな熱烈にアタックしてくる男が沢山いると思っているのか?
チィニー国の高位貴族のご令嬢ならいざ知らず、今彼の目の前にいるのは私なのだが。
にわかに、テーアの言っていた一番有り得ない説が強くなりだしてきて、頬が引き攣る。一番怖い。政略的な理由があった方が安心できた。
「えぇと……」
「ダメ、だろうか……」
「グッ……!」
子犬を思い起こさせる雰囲気に、私は唇をかみしめた。
この申し出を断ったら、周囲の女学生からとてつもないブーイングが巻き起こる気がしてならない。
その申し出、人前でしている時点で私への迷惑にしかなっていないのだが。先ほどの謝罪の……意味は……!?
(……いやだが、あちらも、実際にお付き合いとやらをすれば、分かる、か? 私が、侯爵令息と結婚なんて到底無理な底辺貴族の育ちだって事が)
そうすれば、向こうから断ってくれるんじゃなかろうか。
というか、それが現状、一番丸い決着になる。
私から彼を振るのは、どう転んでもブーイングが避けられない事態になるだろうし、ずっと「帝国貴族をふった女」としてあちらこちらで色々言われかねない。
だが向こうから振ってくるのであれば、「まあ侯爵令息と男爵令嬢が結婚なんてそりゃ無理よね」と周囲も簡単に納得して終わってくれる、はず。
「…………分かり、ました」
「ほんとうか?」
パッ、とロックウェル令息の顔が明るくなる。
「はい。ですが、私はただの男爵令嬢です。到底、ロックウェル令息のご期待に添えるような人間ではありませんわ」
「そんな事はない。貴女は僕の運命の人だ」
(は?)
「ああ……本当に嬉しいよ、カレンダ嬢! いや、お付き合いをするのだから、呼び方から親しくした方が良いだろうか。アーヴェ嬢、と呼んでも?」
「え、ええ。もちろん、お好きに、どうぞ……」
「ありがとう。僕の事はフレディと呼んでくれ。家族からはそう呼ばれているんだ」
ロックウェル令息はそう言って、私の片手をすくいあげ、そっと私の手の甲に口づけを落とした。一瞬なのに、その唇の熱さが随分と記憶に残った。
ちゅ、という可愛らしい音が響き、教室の壁、床、天井を女生徒の悲鳴が揺らした。
「それでは、アーヴェ嬢。近日中には、最初のデートに誘わせてもらうよ」
ロックウェル令息はそう言って、去っていった。
ロックウェル令息の姿が完全になくなった瞬間、私の一番近くでずっとキャアキャアキャアキャアと叫んでいたテーアが飛びついてくる。
「やだやだやぁ~~だぁ~~! 劇みたいでとっても素敵だったわ!! 手の甲へキッスなんて!」
「……ロックウェル令息、さっき政略とか何とか言ってたわよね」
「何言ってんのアーヴェ」
「いやだから! さっき政略がなんとかって! 言ってた!」
一瞬流していたが、間違いなく言っていた。政略的婚約の申し入れって!
「謎が深まった……! 私を相手に選ぶ政略性って何ぃ……!?」
「アーヴェ、あんたたまに気にする所おかしいわよね~」