24 男爵領観光! ……どこ見て回る?
「ちょ、ちょっとアーヴェ。ねえ、あ、あの美しい方が本当に婚約者なの!?」
家に入った所で、私は兄の妻で義姉であるジャンナ義姉さんと、実姉であるミーラ姉さんに腕を引っ張られ、廊下の端でそんな事を言われていた。やや鼻息荒い二人に、私は首をすぼめながら肯定した。
「……そうだよ。まだ正式な婚約者じゃないけど……」
「やっだぁ! アタシの妹ってば! 釣りの天才じゃない!」
「ミーラ姉さん。それ絶対フレドリック様の前で言わないでね? 失礼にもほどがあるから!」
「んもう、言わないわよ」
ミーラ姉さんはカラカラ笑う。一方で、眉根を寄せて険しい表情なのはジャンナ義姉さんだった。
「ミーラ。そんな事言ってる場合じゃないわよ。……あんな方に嫁ぐなんて、持参金、いくら必要な訳? アンタの結婚、後回しにされたらまだマシでしょ。家が傾くわよ! カレンダ家のどこに、持参金がある訳!?」
「ありゃ。本当ね」
ミーラ姉さんの呑気な声に、ジャンナ義姉さんが歯ぎしりした。
ジャンナ義姉さんは男爵領で一番大きい商家の娘だ。幼いころから私たちカレンダ家と関わりが深かった。元々、年回りがちょうどよいので、相性が殊更悪くなければ我らが兄と結婚させる算段を、大人たちはしていたのだろう。幸い、兄とジャンナ義姉さんは相性も悪くなくて、そのまま結婚したのだ。
商家の娘だけあって、お金の計算にジャンナ義姉さんはうるさい。家の決定は当主である父や、次期当主である兄(ジャンナ義姉さんにとっては自分の夫)の判断であるので従うが、決まった事に関するお金の管理については我が家一うるさい。そんなジャンナ義姉さんが持参金の話題を出すのは普通の事だが、その話は既に決着が(一応)ついているはず。父と共に代理人様たちと話した日に、解決した話題だ。それが上がっているという事は……。
「あー……。ジャンナ義姉さん、父さんからは何も聞いてないの?」
「何が?」
「えぇと。ミーラ姉さんも?」
「何も聞いてないわよ。お父さんが帰ってきてから聞いたことと言えば、アーヴェの婚約が決まったって話と、何かあったら融資が貰えるって話だけだわ」
なんてことだろうか。私は肩を落とした。
「……まず最初に、私の婚約はまだ正式には決まってないから!」
「えぇ? でも一緒に我が家に来るなんて、顔合わせでしょ?」
「それならロックウェル侯爵家の方々も来てないとおかしいじゃない。今回は本当に、私が入学後一度も実家に帰ってないって事を不憫に思ったフレドリック様が手伝って下さっただけだからね。それとジャンナ義姉さん――ミーラ姉さんにも関係あるけど――持参金に関しては、話がついてるの」
「金額を下げて貰えたの? あるいは分割払い?」
「そうじゃなくってね。そもそも帝国は結婚の時のお金の流れが、チィニーと全然違うんだって」
という前置きをして、私はラガーラ帝国では新郎家から新婦家への結納金の文化が一般的な事。ただし、家格差がある場合は、嫁ぐ側からの持参金もある程度必要な事。結納金の金額である程度持参金を賄うことが可能であるという計算を一応しているという話をした。
「わあ。ロックウェル侯爵様って、優しいのね」
「そうかしら。家格差があるのは事実だし、愛されてる内はいいけれど、何かあったらアーヴェは立場が弱くて最悪だわ。アンタ、そのあたりは分かってるんでしょうね?」
「それは、うん、まあ」
……政略に基づく結婚だと、ある程度の立場の保障はされるものだ。政略でも冷遇される事もあるが、それが表沙汰になれば責められる事になる。
一方で、愛に基づく結婚だと、その愛が冷めてしまうと、その後が大変だ。結婚の時は愛があって配偶者を支えたとしても、その時と同じ支えは、保障されない。ジャンナ義姉さんの言葉は間違いではない。
そんな話をしていた所で、兄が顔を出した。
「おい、アーヴェ」
「何?」
「お前……婚約者があんな格上で、持参金大丈夫か?」
「もう一回説明しないといけないの???」
兄も聞いてないって、そんな事ある。まだ確かに勉強途中とはいえ、父は兄にはそれなりに仕事を教えている感じだったのに。
そう思いながら説明すると、カレンダ家として用意する持参金は巨額には恐らくならない件に、兄は明らかにホッとした。
「ならいいんだが。融資が貰えるといったって、持参金で消えちゃあ意味ないし」
別の用途の為に集めたお金を、その時その時に必要になった別の支払いに使うのは、ダメになるパターンだと思う。
その前提で持参金を作ろうとしないでほしい。
ジャンナ義姉さんも同じ気持ちだったようで、冷たい目で兄を睨んでいた。
「ボニート。そんな借金が増えるような事、絶対許さないんだけど」
「分かってるよ……」
兄夫婦の相変わらずな様子を見た所で、母が私たちを呼びに来た。
「ボニート、ジャンナ、椅子が足りないわ。納屋から持ってきてちょうだい」
「はい」
「ミーラ。侍女が緊張しすぎて紅茶を淹れられそうにないの。対応してちょうだい」
「分かったわ、母さん」
兄夫婦と姉が消えた後、母は私を見てまなじりを下げた。
「なんだか、少し見ない間に立派になったわね、アーヴェ」
「魔法の勉強が本格化してるからね」
まだやれているのは基礎中の基礎という感じだが、それでも、魔力測定を行う前と後では、全然違う。そう思いながら胸を張る。母と軽いハグをして再会を喜んだ所で、母が小声で言った。
「……それでアーヴェ。持参金について、何か聞いてる?」
嘘でしょもう一回?
あまりに家族に説明していない父に、頭痛がした。
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何も説明をしていない父への叱責は、家族に任せるとして。
私、テーア、フレドリック様、アイスハート子爵令嬢の四人で、私たちは男爵領の観光をする事になった。一応テーアには、「折角帰って来たんだし家族を優先したら?」と言ったのだが、「どっちにせよ~、寝泊りは実家でするから~」という返事が返ってきた。本人がそういうので、お客人の相手を優先する事となった。
観光と言っても、男爵領には、都みたいな観光名所がある訳ではない。男爵領にあるのは手入れされてある自然か、手入れされてない自然だ。そして大体が後者である。
「行くとしたらぁ~?」
「……とりあえず、滝行く?」
「とりあ~えず、そこかぁ~」
私はテーアとそんな話をして、目的地を決めた。
「滝を見るのかい?」
「立派なものではありませんが。この辺りの子供たちが遊び場の一つとして、よく使う場所なんです」
フレドリック様とアイスハート子爵令嬢にそう説明した。
「問題は、どう行くかですね……」
「遠いのなら、魔力自動車で行こうか」
「いえ、ちょっと……流石に、車輪で入っていける場所ではないので」
都から男爵領までの道中には、馬車や旅人が使うための道があった。しかし滝の方に行くのなら、もう魔力自動車のような大きな物が入っていける道はない。基本的に徒歩か馬かというような場所だ。ハッキリ言えば、この近辺に住んでいてあの滝に行くのに、馬なんてものを使う人は余程のご老人だけだ。若者は歩く。
ただそれを、見るからに全身高級品に身を包んでいるお二人に強いるのもちょっと……という空気だ。
「……馬、テスタ家から借りた方がいいかな」
「あぁ~、ごめんアーヴェ。さっき確認したんだけどぉ~、今うちの馬、出払ってるみたいでぇ~……」
「うっそぉ……」
タイミングが悪すぎる……。
「……なら、えぇーっと。……フレドリック様、アイスハート子爵令嬢」
「うん」
「はい」
「牛、でもいいですか?」
二人の目が丸くなる。
「牛」
「はい。牛です」
「牛……牛車という事か?」
「いえ。牛に乗ります」
「牛に!?」
明らかに驚きをあらわにするフレドリック様に、私は頷いた。
「カレンダ家は馬を持っていないもので……乗るとすると、牛になります。お二人がおいやでなければ……」
パチパチパチと目を瞬かせるフレドリック様の横で、予想外に好意的な反応を見せたのはアイスハート子爵令嬢だった。
「まあ、牛に乗るなんて今までしたことがありません! 是非そうさせてくださいませ」
「なら、アイスハート子爵令嬢、あたしと乗りませんかぁ~?」
「テスタ嬢が宜しいのであれば、是非」
「全然問題ないでぇす」
テーアとアイスハート子爵令嬢の会話で、そちらは話が纏まった。私はまだ反応がないフレドリック様を見上げる。
「その、牛でない場合は徒歩になります。徒歩でも問題なければ、徒歩でも良いのですが……」
「……いや。乗ろう。牛に」
すごく決意した様子で言われた。そんな決意してまで言うような事ではないとは思うのだが。
お二人の反応の通り、まあ、牛に乗って移動するのはあまり一般的ではない。馬の代わりに牛に荷物を牽かせる地域はそこそこあるが、牛に乗って移動する利点があまりない。何より、訓練の難しさの度合いが桁違いともいわれる。
馬は比較的人を背中に乗せる訓練がしやすい。そうだからこそ、人に長年そういう用途の家畜として飼われてきている。
一方大半の牛は、背中に人を乗せる事に慣れていない。一部の地域では、闘牛なんていう見世物とかもあるらしいし、牛を乗りこなせるのは卓越した人だけ、なんて言われている地域もあるとかないとか。
ではカレンダ家で飼われている牛たちは、なぜ人を乗せられるのかというと……慣れ、としか言いようがない。
特別な訓練をした訳ではない。だがうちの牛たちは、子供の頃から背中に私たちカレンダ家の子供たちや近所の子供たちがよく登ったり乗ったりしていた。それを繰り返すうちに人間を乗せるのに慣れてそのまま成牛になった為、背中に乗られる事に抵抗があまりないのだ。
あまりないだけで、振り落とされる事は稀にある。それは馬も同じなので、そう考えると大した差はないように思う。
親に牛を二頭借りる許可を得て、牛たちに鞍を取り付ける。牛は私の顔を見て「なんかお前見覚えがある気がしないでもないような、そうでもないような」という顔をした。あほ面め。ぷにぷにしてやった。
私が前、フレドリック様が後ろ。テーアが前、アイスハート子爵令嬢が後ろ。そんな風に別れて、牛に乗り、私たちは滝を目指す事となった。
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「ほお……綺麗な滝ですね」
「とても小さい滝ですけれど……」
子供のころは、たいそう大きな滝だと感じていた。けれど今になって見ると、そこまで大きな滝でもないのだろう。それでも、上から落ちれば人は死にかねない場所だが。
「懐かしいなぁ~、ここでよく魚を釣ったり、水遊びをしたりしたんですよぉ」
「兄が上から飛び降りたりもしていましたね。今になって思えば、なんて危険な事をと思いますが」
私や姉は羨ましかったが、万が一に飛び込みがバレたら親に怒られるではすまなさそうだったので、出来なかった。懐かしいとテーアと顔を見合わせる。
ふと、フレドリック様が突然しゃがみ込んだ。
「どうかされましたか?」
「……不思議な魔力の流れがあるように感じまして」
フレドリック様は、地面を撫でながらそんな事を言う。
突然の発言に、少し前とは違う意味で私とテーアは顔を見合わせた。
「魔力の流れ、ですか?」
「はい。人間の中にある魔力ではなく、自然の大きな流れの中の魔力です。基本的には、我々人間が違和感を感じるような流れはないものなのですが……」
「へえ」
アイスハート子爵令嬢まで、フレドリック様の近くに行き、しゃがみ込んで地面を撫でた。スカートの裾が! と私たちは慌てて、手持ちの布をアイスハート子爵令嬢の周りに敷き、彼女のスカートの裾がこれ以上汚れないようにした。
「これは……ふむ」
「本当ですわね。これは水の魔力が……」
何かをお二人が話し始めてしまった。私たちにはさっぱりで、少し離れて、久々に来た滝つぼを覗き込む。
「相変わらず、綺麗ね」
「ほぉ~~んと! 都の水はマアマアって感じよねぇ」
そんな事を話していた時、ぽこぽこ、と音がした。顔を上げる。水中からあふれてきた泡が、水面に浮かび上がっていた。
「あ」
テーアと私は同時にそんな声を出した。そして慌てて、未だに地面に触れたまま何かを話しているフレドリック様たちの方に走った。
「逃げて逃げてぇ~!」
「は、離れてください! 今日だったみたいです!」
「? 何を――」
ぼこぼこ、という音が大きくなる。異変にお二人も気が付いたようだったが、その音から察するに、もう遅い。私たちはもちろん、フレドリック様たちも逃げるのは間に合わないだろう。
「いつもよりはやぁ~~い!!」
「フレドリック様、そのまましゃがんでいてくださいっ!」
ぽこぽこという可愛らしい音はぼこぼこという鈍い音に代わっていて、そして次の瞬間、凄まじい勢いで水の柱が水中から空に向かって打ち上げられた。
「っ、これは?!」
「あああああ」
私とテーアは辛うじて、それぞれ、フレドリック様とアイスハート子爵令嬢に覆いかぶさるようにして二人を庇った。後頭部から背中にかけて、強い勢いで上から振ってきた水が私たちに降りかかる。……デイドレスとはいえ、ドレスで良かった。スカートに布の余裕があるから、なんとか自分より体格の大きいフレドリック様を庇う事が出来た。
まるで突然大雨が降ったかのように、私たちの体を水が濡らす。
――数秒して水が収まった後、私とテーアはびしょびしょの姿のまま、フレドリック様とアイスハート子爵令嬢に頭を下げた。
「たい、へん、申し訳ありませんでした……」
「忘れてましたぁ……」
「この滝つぼ、稀に、水が吹き上がる事があるのです。頻度はまちまちで、まさか今日吹き上がるなんて思わず……」
「家族に確認しておけばよかったですぅ……」
少なくとも、頻発して水が吹き上がるという話は聞いたことがない。なので家族に確認を取り、ここ最近滝つぼの水が吹き上がったかを確認しておけば、ある程度警戒しながら近づく事も出来たのに。
「お二人とも、濡れてしまい、申し訳ありません……」
庇えたつもりだったけれど、フレドリック様の体は濡れていた。特に髪の毛も濡れている。
アイスハート子爵令嬢も、ドレスの色が変わってしまっていた。多分だが、もう着る事は難しいだろう。
頭を下げる私とテーアに、呆れたように口を開いたのはアイスハート子爵令嬢だった。
「……あれは自然現象でしょう。貴女方に制御出来る事案でもありませんのに、貴女方を責めて何になるのです? 何より、己より濡れ切ったご令嬢を前にして、批判するなど帝国の紳士淑女として出来かねますわ」
「……アイスハートに先に言われてしまったが、僕は全く気にしていないし、二人の責任は少しもないとも。だからそう、頭を下げないでくれ」
「……ロックウェル様、貴方の魔法でお二人の洋服を乾かす事は可能でしょうか?」
「……一旦自分自身で試させてくれ」
フレドリック様が杖を取り出し、魔法を使用する。ぶわりとフレドリック様の服が、内側から膨れ上がる。濡れていた服も髪も、もう濡れていないようだ。
「……うん。恐らく問題ないだろう。二人とも、魔法を使って乾かしても良いかい?」
「わ、私は問題ありません。テーアは?」
「あたしも、大丈夫です」
「では」
フレドリック様が杖を振るう。まるで私の体と服の間に直接吹き込まれたように、あたたかい空気が体中を覆う。限界まで服が膨らみ、服の表面から小さい水の粒が外に向かって飛ばされていくのが見えた。
その時間が数秒あり、あたたかい風が収まると、私の体からは、先ほどまであった水の重さが消えていた。
「す、すごぉいです!」
横のテーアも同じようになっていたようで、テーアは感動したように声を上げている。フレドリック様は私とテーアの様子に頷いてから、アイスハート子爵令嬢にも魔法をかけた。
「ロックウェル様。先ほど、水が噴き出る直前の魔力の流れを覚えております?」
「ああ。明らかに魔力の集中が見られた。恐らく、水の噴出は、魔力がたまった事により起きているのだろうな」
「このような土地はたまに見られますが……面白いですわね」
ラガーラ人二人がまた話し合いを始めた横で、私とテーアは悩んだ。
「……なんかもう、滝でゆっくりする雰囲気じゃあないよね」
「そうかなぁ。よく分かんないけど、お二人ともぉ、なんかむずかしぃ~話してて、楽しそうだよぉ~?」
「いや勿論、お二人がそれでいいならいいけど……濡れた場所で、椅子もなくずっとお話しさせるのはちょっと良くないような」
「それはそうかもぉ」
テーアと揃って頭を悩ませていると、フレドリック様から声をかけられた。
「アーヴェ嬢! 良ければ見てみたい所があるのだが」
「見てみたい場所ですか?」
そんな面白い所あっただろうかと思いながら、どこなのかと尋ねると、返って来たのは予想外の言葉だった。
「カレンダ男爵領の大半を占めているという、例の土地を見てみたいんだ」




