23 魔力自動車って、すごい!
住み慣れた寮の自室。勿論だが、いるのは私とテーアの二人だけ。
「おじさまが帰ったって事は、全部話はまとまったのぉ~?」
「いや。全然まだ」
「あれぇ~~~?? 折角都まで来たのに、終わってないのぉ!?」
私の返答に、テーアは声を裏返らせた。まあ気持ちは、分かる。
――父と私が、フレドリック様と代理人様と顔を合わせたのから、約十日がたっている。
その間、父は連日、代理人様と色々話をしていたようだ。私とフレドリック様はチェルニクスでの学校生活もあるので、そのすべてには同席していない。
そして、侯爵家と男爵家の意向は、まとまったらしい。男爵家が出した希望を侯爵家が飲むので、男爵家は結婚に関する細かい事――結婚の時期だとか――については、侯爵家の意向に従う、という感じに。
父は領地に帰る時、やたらと機嫌がよかった。
話の中で、ロックウェル侯爵家から、カレンダ男爵家への融資の約束を取り付けたからだ。
ちゃんと話を付けたのかと思いきや、具体的な内容はまだで、「とりあえず何かするときに融資しますよ」という約束を書面で結んだだけ、と聞いた時は足が滑って尻もちをつくかと思った。それだと思ったより少ない額しか融資してもらえないとか、後から問題が出るんじゃ……、……まあ、完全な口約束だけではないのだから、まだマシなのだろう。
ちなみに契約書には融資する際には、「事前に具体的な計画を立ててうんたら」と説明が書いてあった。つまり「適当にお金を投げ捨てるだけみたいな事はしないよ」という事なのだと思う。まあ、当然だ。いくらお金に余裕があったって、無駄にするような使い方をしようとは思わないだろう。身近な場所ならばまだしも、こんな遠方に捨てるような事は、しない筈だ。
そんな私の話を聞いたテーアは、ぐい、と身を乗り出してくる。
「それで。アーヴェとロックウェル様の関係って、結局どうなった訳ぇ~?」
「どうって……まだ普通に、ただの恋人だよ」
「恋人にただも何もないでしょ! なんかしちゃったりしたの? 手を繋ぐとか、ハグとか!」
「ハッ!? し、してないッ! エスコートみたいな感じで腕を組んだりはしたけど、そ、それ以上なんてしてないしッ!!」
「そうなんだぁ~。……じゃあ、まだ、キッスもまだなんだねぇ?」
「そんな先の事、してる訳ないでしょうが!」
ついつい感情のままに、枕をテーアに投げつけた。テーアの顔に当たった枕をテーアは掴み、今度はこちらに投げ返してくる。
「ムキになっちゃってぇ~~!! 実はしちゃったりしてるんじゃないのぉ?」
「して、る、わけ、あるか!」
また枕を投げる。今度は顔面ではなく、手で受け止めた。
「でも、前と比べたらぁ、随分婚約に前向きに見えるけどぉ~? 毎日のように放課後は魔法の授業に出かけてるじゃん?」
「……それは、まあ、行ってるけど。……というか、私の婚約話についてはさておいて……ねえテーア」
「なぁに?」
「ゆっくりはできないけど、親の顔を見に行きたいって思わない?」
「……?」
そこから私は、今週末に決まってしまった予定の話をした。
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私のカレンダ男爵家と、テーアのテスタ男爵家までは、都から普通の馬車を乗り継いで、運がよくて三日かかる。確実に到着したければ、五日か六日だ。片道の話だ。ちなみにこの前父は運がよくて、三日で着いた。
休日は毎週二日。当然ながら、休日中に学校から家に帰り、また家から学校に帰ってくるのは不可能だ。精々、道中のどこかの町に行くのが限度だろう。
だがしかし、それはチィニーの一般的な交通の力を使った場合の話だ。
――帝国には、魔力自動車という、魔力を注いで動力源として動く乗り物があるらしい。
その話題が出たのは、父が帰る日が纏まり、フレドリック様にその話をした時だった。具体的にいうと今日だ。
本当はアイスハート子爵令嬢から魔法の授業を受ける予定だったのだけれど、アイスハート子爵令嬢側の事情の急な変更で授業がなくなり、空いた時間を二人で雑談をして潰している時だった。
「お父上が帰るのに合わせて、アーヴェ嬢も少し帰省したりはしないのかい?」
「日数が足りなさ過ぎて、無理ですね」
そんな会話をしているうちに、気が付いたら魔力自動車の話になった。そこまでは、まあ、ただの雑談の範疇だった。
ところがそこから数分して、気が付いた時には、その魔力自動車に乗って、次の休日に男爵領に行こう、という話になった。
流石に日帰りは難しいので、初日に朝早く出発して、当日中に男爵領へ。男爵領の観光――見るものなんて自然しかないが――をして、一泊。次の日は帰る事だけが目的なので、ややゆったりとした速度で戻り、夜には都に戻る。……という計画だ。
そんな事可能なの?! と驚いたものだが、フレドリック様曰く、出来るとの事。この計算は彼が簡単に考えたのではなく、彼の近くに控えていた執事の方が、しっかりと都から男爵領までの距離と道の長さを考えて出した結果なので、本当なのだと思う。……なぜ少し前まで話にも上がっていなかった、『カレンダ男爵領までの道と距離』を執事の方が把握しているのかについてはやや疑問が残るが、一旦横においておく。
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と言う訳で急な話だが、今週末に私は実家に帰る事になった。
「えぇっ、それ、あたし参加していいのぉ? デートじゃん」
「むしろ来て欲しい。魔力自動車って、構造の都合上、大きさの割に、馬車より席が狭いらしいんだよね」
「えぇ~……。……まさかだけど、恥ずかしいからあたしに来てぇ~って言ってる?」
「密室二人きり、長時間だよ!? 話がもたないよッ!!」
そう叫びながら引っ付いてごねた結果、テーアは頷いてくれた。
テーア自身、数か月ぶりに家族の顔が見たい気持ちはあったのだろう。元々フレドリック様には「テーアも連れて行っても問題ないですか?」と聞いていたので、一応その旨の連絡は明日の朝一でしよう。
テーアも急な事だけれど、週末に一日だけ帰る事が出来るかもしれないというような内容で、家族に手紙をしたためていた。
流石に来週末の事だから、手紙が届く方が実際の帰省よりは早い。……筈だ。
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――そして、当日。
「本日はお日柄も良く、絶好の旅日和でございますわね」
安全の為、まだ太陽も出ていない時間帯に出立する事になり集まった私とテーアが見たのは、フレドリック様と、その横にいるアイスハート子爵令嬢だった。
「せ、先生…………なぜここに?」
アイスハート子爵令嬢と毎度呼ぶのも長いし、教えていただいているから……と最近は先生と呼んでいる。
アイスハート子爵令嬢はニコリとほほ笑んだ。
「医師もついては参りますが、密室で何かあったさいに対応する人手が要るだろうという話になったそうですわ。更に狭くなり申し訳ありませんが、私も同乗させていただく事になりました」
「成程……」
そういわれたら否定できない。出来ないが、それ、フレドリック様の肩身が狭そうだな……。魔力自動車の中に乗り込むのが私たちだけだとしたら、四人中三人が令嬢って……。
そんな話をしているうちに、準備が整って、私たちの目の前には大きな鉄の塊が動いてきた。
「おぉぉぅ……」
馬のない馬車を想像してもらえたら、と聞いていた。確かに、一番近いのはその姿だろうか。
高さは、馬車より遥かに低い。大きな四角い箱に、大きな車輪がついているような形だ。
ただ、馬車と同じところもある。四角い箱の外側に、もう一つ小さい箱がついていて、そこに人が乗り込んでいた。この人がいわゆる御者なのだろう。
フレドリック様の手を借りて、私とテーアが乗り込む。アイスハート子爵令嬢は一人でさっさと乗り込んでいた。
魔力自動車の中は、想像よりは広かったけれど、確かにロックウェル家の馬車よりは狭かった。いや、これはロックウェル家の馬車が広すぎる、という方が正しいか。
「向かい合わせ式ですのね」
とアイスハート子爵令嬢がいった。
「ああ。一番違和感がないだろう?」
「そうですわね。ただ、対面の方を気にして、のびのびする事は難しいのでは? 全席統一式の方が、長旅には丁度よいかもしれませんわね」
なんの話かと思っていたら、どうやら席の話らしかった。
アイスハート子爵令嬢の言う通り、普通の馬車のように人間が四人、対面で座れるように席が作られている。どうやら魔力自動車の中には向かい合わせで席が接しされておらず、一律で全ての席が前を向いている形のものもあるらしい。
車内でそんな話が出ているとは知らないのだろう。二人いる御者のうちの一人――運転手が、魔力自動車を動かし始めた。
一日で領地に帰れるという話だったから、早く動くのは予想していた。しかし私やテーアの予想より早い速度で、魔力自動車は走れる。高速移動過ぎて、今見えていたものがあっという間に窓の外から消えてしまう。
「もう見えないじゃん……」
「すごぉ~~い」
私とテーアは、窓の外の光景に釘付けだった。
最初はまだ太陽が昇りきっていない薄暗い光景。それが次第に、陽の光が昇り始めて、明るくなっていく。そして気が付けば、完全に朝となっていた。その時には都はとっくに見えなくなっていたし、近くの町も通り過ぎていて、かなりの距離を移動している事が分かった。
(馬車だったら、乗り換えないといけなくなってる筈だ……)
大体の移動は馬車か、馬に単身で乗っての移動になる。よほどのお金持ちなら自前の馬車でずっと移動するが、そうでなければ乗合馬車を使っての移動になるだろう。
馬は早く走れるが、生き物なのだから、ずっと最高速度では走れない。荷物などもあればなおさらだ。身一つならば、人間が走る方が早いかもしれない。
長時間・超重量の移動は大変な為、大体の乗合馬車は、一定区間を往復するように出来ている。
この村からこの町まで行ったら移動は終了。馬を休ませて(あるいは別の馬を使って)また、来た道を戻っていく……みたいな感じである。
先に進みたければ、当着地点の町や村で別の馬車に乗り換えて移動して……を繰り返して、目的地を目指すのだ。
また、道中の道も、田舎にいけばいくほど舗装されていない。舗装されていない道は速度が出せないし、雨が降ったりすれば馬車が通れない事もある。
そのため、カレンダ男爵家の領地までは馬車でおおよそ三日と言われるけれど、殆どの場合ではもっと日数がかかってしまうのだ。だから、安全の為に五日ほど移動にかける時間が欲しいと言われるのである。この前の、父の三日は、本当に運が良かった。
それに比べて、この魔力自動車はなんと素晴らしい事か!
「フレドリック様。この魔力自動車、いつまで走り続けられるのですか?」
「動力は魔力だからね。内部の器具の不具合がなければ、魔力がある限り動き続けるよ。予定では問題がないけれど、運転手の横に座っている魔夫の魔力が不足した場合は、僕が対応するから問題ないよ」
……つまり、道が舗装されていない事以外においては、馬車のような苦労とは無縁なのだ。フレドリック様たちは座席が狭いと言っていたけれど、田舎を行き交う乗合馬車と比べたら、こちらの方が快適だ。乗合馬車は時に押しつぶされそうになりながら乗らなくてはならないし、そうでなくとも長時間揺られているうちに尻に感覚がなくなる事は少なくない。
(すごく、快適。最高……)
最初は計画されていたものの、難しいのではと内心疑いも持っていた『今日中に男爵領に到着する』という事が、全く夢物語ではないのだと感じた。
チィニーで暮らす私たちには、到底想像も出来ない事だった。
(帝国は……魔力自動車が普通になっているんだろう。街中を馬車ではなく、これが走り回っているのだろうか。それって……それって、どんな世界なんだろう?)
遠くはいつまでも変わっていないのに、手前の景色は何が見えたのかを把握するのも難しいぐらいだ。時折、人影らしいものも見えるけれど、彼らの表情を見る暇もなく通り過ぎていく。見覚えのある町を通り過ぎ、村を過ぎ去り、覚えのある川を越え、湖を見ながら魔力自動車は進む。
爽やかな朝はまだ終わらない。
――道中、数度の休憩は挟まれた。けれど車内に座っていた四人の意見が一致し、最低限の休みだけで私たちはカレンダ男爵領に到着する事になった。昼食を取る時間が、やや過ぎた頃だった。
魔力自動車の速度が少し落ちる。窓に張り付きながら、テーアは楽し気な声を上げた。
「アーヴェの家、見えたよ!」
反応して私もそちらを見た。確かに、カレンダ男爵家の臙脂色の屋根が見えていた。
「本当ね……」
こんなに早く帰ってくる事があるなんて、思っていなかった。だからなんとも、ぼんやりとした返事になった。
臙脂の屋根のカレンダ男爵家は、都の立派な建物と比べると、立派とは言い難い屋敷だ。領地の一部が見渡せるような、少しだけ高くなっている丘の上に立っている。建物の大きさはこじんまりとした印象で、壁には処理するのを後回しにされたツタが行き場を求めて蔓延っている。
都のお貴族様の屋敷のように、土地を仕切る塀などはなく、勿論門などもない。当然、門番のような人もいない。
斜めになっている道を、魔力自動車は簡単に登っていく。道中もそうだった。上り坂もなんのその。あっさりと走っていた。そして、家の玄関からほど近い所に、魔力自動車は停まった。
カレンダ男爵家の外には、カレンダ家の人々が勢ぞろいしていた。数日前まで顔を合わせていた父、それから入学以来の再会である母、兄、兄のお嫁さん、そして姉だ。そして、家の前に集まっていた人々はそれだけではなかった。
「母様たちもいる!」
「ほんとだ」
テーアのご家族であるテスタ男爵家の人々もそこにはいた。テスタ男爵、男爵夫人、そしてテーアの妹のモニカだ。テーアも今回の帰省を連絡していたから、わざわざ出迎えに来てくれたのだろう。
隣とはいえ、テスタ男爵家にはここからまた、移動しなくてはならない。その移動をせずとも、テーアは家族と会える事になったのだ。約束していた訳ではなかったようで、テーアは明らかに喜んでいた。
魔力自動車が、家に対して横づけるようにして停まる。外から運転手がドアを開けた。家と反対側のドアから、アイスハート子爵令嬢は運転手の横にいた魔夫の手を借りて、さっさかと降りていた。家側のドアからフレドリック様が最初に降りて、私に対して手を差し伸べてくれる。彼の手袋に覆われた手に自分の手を重ねて、私は魔力自動車から降りた。次はテーアかと振り返ると、テーアはアイスハート子爵令嬢が下りた側から既に魔力自動車を降りていて、大きな車輪の横を通って、家族の元に走っていた。
「ねえ様~!」
「モ~ニカ~!」
テスタ男爵家の姉妹たちは久方ぶりの再会を喜んで抱き合っていた。それを、クスクス口元に手を当てて笑いながら、テーアの所のおじさんとおばさんも、久しぶりに会った娘との再会を喜んでいた。
一方で、私の家族であるカレンダ家の人々は、父以外が『唖然』という言葉が似あう顔をしていた。目を丸くして、口は力なく少し開いている。その視線の先にいるのはフレドリック様だった。
今回の帰省で、私と、私の婚約者となるかもしれないフレドリック様が来る事は、家族も聞いていた事だろう。そうなると、テーアと私以外の二人のうち、男性はフレドリック様だけだから、挨拶の前から誰が『アーヴェの婚約者になる人か』は分かる訳だ。
チェルニクス魔法学校でラガーラ人を見慣れてしまっている私たちと違い、これが生まれて初めて見るラガーラ人である家族たちが驚いているのは分かる。うん。私ももし、姉や兄の結婚相手がラガーラ人ですと言われて、実際にその人が訪れたりしたら、仰天しただろう。
唯一、婚約の条件のすり合わせでフレドリック様と何度か顔を合わせていた父だけが、狼狽えたりもせず会話を始めた。
「フレドリック様、よくぞお越しいただきました!」
「カレンダ男爵。この度は突然の来訪をお許しいただき、誠にありがとうございます」
「いえいえいえ! このような田舎にわざわざお越し頂き、ありがたい事でございます。こちらは私の妻のカーラ。嫡男のボニートとその妻のジャンナ、娘のミーラです」
父に言われて、名前を呼ばれた家族が機械仕掛けの道具のように礼をした。母以外の家族は全員、信じられないと目で語りながらフレドリック様を見続けている。
私の家族を見渡し、フレドリック様は胸元に片手を添えてこう名乗った。
「お初にお目にかかります。ラガーラ帝国、ロックウェル侯爵家の三男。フレドリック・ロックウェルと申します。貴家のご令嬢、アーヴェ嬢とお付き合いしております」
「ま、まぁ……末娘が、お世話になっております」
……仮にも返事が出来たのはお母さんだけだった。




