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帝国から来た留学生御一行の目的は『集団婚活』 ~私は興味ないのになんで公開告白されてるの?!~  作者: 重原水鳥


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22/24

22 話し合いって長引くもので

「現時点での、最初にお伝えいただいた条件に関しては、以上になります。問題がなければ後程、カレンダ男爵にはサインをお願いいたします」


 今にもサインしそうな父を制するかのように、代理人様は契約書を一旦回収した。色々な話がすんでから、というのがなんとなく感じられた。


 私が出した条件のうち、今の時点で保留になっているのは、結婚後の居住地だけだ。他のお願いは、ほぼほぼ私の要望が通った形になっている。


「次に、侯爵家ですでに決まっている事についての説明や、こちらから提示する条件などについてお伝えいただければと」

「! よろしくお願いいたします!」


 前回、フレドリック様ご自身から出てきた条件は、条件とも言えない、すぐに終わるお願いが殆どだった。婚姻後の旅行については、そもそも結婚した後の話だったし。


 なので、侯爵家から提示される条件に関わる話は重要だ。


「まず、フレドリック様の立場と今後についてご説明をさせていただきましょう。現時点では事務処理がまだ済んでおりませんが、近日中にフレドリック様は侯爵家が保持する子爵位を継ぐ事になっております」


 なるほど。つまり私がフレドリック様に嫁いだ場合、子爵夫人になるのか。

 跡継ぎでないフレドリック様がほかの爵位を継がれるのは、想定していた話だ。

 ……侯爵家の息子というのは変わらないけれど、子爵夫人という立ち位置なら、まだ、受け入れやすい気はする。


「この爵位は元々、お母上である夫人が嫁入りの際に持ってこられたものですが、長年引き継がれている間に既に領地などは別の家に統合されてなくなっておりまして、現在は肩書のみのものとなっております」


 つまり、領主という立場にはならないという訳だ。


 ……少し安心した。


 フレドリック様がもし領主になるのなら、流石に「実家の領地を発展させたい」なんて願いは全く通らなかっただろう。嫁いだのだから、嫁ぎ先の領地をなんとかするのが先だ、という話になるに決まっている。


 とはいえ、領地がないなら、収入がないという事。爵位としては子爵になっても、生活をするには先立つものが必要だ。そう疑問に思ったところで、代理人様からちょうど説明が入った。


「代わりに、夫人が保持しておられるいくつかの財産が、既にフレドリック様に譲渡されております。基本的にはそちらと、侯爵家から渡されるお仕事が、今後のフレドリック様の収入源となります」

「先ほど僕が口にした個人資産の殆どは、母からもらったものから出ているんだ」

「そうでしたか」


 まあ、元病弱で、今もいつ体調を崩すか分からないフレドリック様が宮殿などに勤めに出たりするのは難しいだろう。そういうのって、激務だと聞くし。

 そしてそれを補う収入を得る事が私に出来るかと言われれば、頷き難い。


 そんな不確定要素に頼るよりも先に、侯爵家が持っている財産の類で対応するのは当然の事か。


「基本的にそれらの財産の管理も、長年担っている専門の者が担当する事になる。……だから僕がする事はそれほど多くなくてね。チィニーで暮らしても問題ないのだけれど、母は……」

「フレドリック様。それらについてのお話は、また別でしていただければ」

「ごめん」

「……当然ですが爵位は帝国のものになりますので、婚姻後にアーヴェ様の籍は帝国に移動していただく事になります。チィニーに滞在する場合も、今のように自国で暮らす処理ではなく、帝国人としてチィニーに滞在する事になります」


 そういう事には、一応なるよね。フレドリック様の方が婿入りするなんて案は考えてなかったので違和感はない。


「――ここで、先ほどご提案した半年ずつ滞在するという提案の話に繋がるのですが」


 ?

 居住地問題に繋がるの?


「婚姻後、アーヴェ様が帝国籍になった場合、半年ずつ滞在するのが恐らくアーヴェ様の願いに反しない、最適な滞在期間となると考えております」


 説明の意図が理解できず首を傾げそうになる。そんな様子に、代理人様はこう説明を続けた。


「ご存じないようですね。チィニーでは、外国人の滞在に関して、一定の制約が設けられております。短期間の旅行などは除かれますが、基本的に、長期滞在出来るのは最大で三年まで。そして、自国に戻った後は、滞在していたのと同期間、チィニーへの再入国が出来なくなります」

「エェ?!」


 初耳の法律に、私は変な声を上げてしまった。横の父の顔を見上げるが、父も驚いたようで目を丸くしている。基本的に国外に出る事もなければ、外国の人と関わる事もなかった私たちは、そんな法律があるなんて知らなかった。というか、聞いたこともないけれど、知っている人はどれだけいるのだろうか。


「元チィニー人の場合も完全に同じかは現在問い合わせ中ですが、フレドリック様に関しては生粋のラガーラ人。そして留学の為の滞在は、チィニーが定めている長期滞在に該当するので、一度退去した場合、それまでの期間と同期間は再入国が認められません。特例はありますが、それを通すよりは、法律に乗っ取り、期間を置いてから入国するのが安全と考えられております」

「そ、そんな法律があったのですね……」

「別に、ずっとラガーラで暮らせば何も関係がないだろう」


 代理人様がこちらの希望を理解した上で説明してくれたのに、水を差すような事をまた口にする父に、肘を打つ。代理人様やフレドリック様の前だというのに父に肘を突き出してしまったので、私は恥ずかしくなって、謝罪を漏らしながらうつむいた。


 フレドリック様は私の肘の動きには何も言わず、話を続けた。


「……なので、少し僕も悩んでいるんだ。アーヴェ嬢は、チェルニクスを卒業したいだろう?」


 勿論だ。


「僕は出来る限り時間を共にしたいと考えているが……その場合、婚姻後早々、数年、あるいは数か月ごとに別居しなくてはいけなくなる。だから、どうするのが一番良いのか、どうにも迷ってしまっていて……」


 ……確かに。

 チェルニクスには飛び級制度もあるけれど、私はそれを利用出来るほど優秀ではない。


 チェルニクスは四年制。外国人が滞在できるのが三年なら、フレドリック様の場合、丁度二年生(いま)から四年生(そつぎょう)までの期間がちょうど当てはまる事になる。

 どちらにせよ私が最終学年の間は、私生活でしか重なる事はないのだが、私が卒業した後も、二年間はフレドリック様はチィニーに入国出来ない。その間、どうするかという問題がある訳か。


 ……なんて考えた私だったが、ふとそこで、共に過ごすとか以前の問題がある事を思い出した。


「……その、えぇと。……今のフレドリック様の発言ですと、卒業後すぐに婚姻する前提のように聞こえるのですが……」

「そ、そうだね」


 フレドリック様は少しだけ頬を染めながら答えた。


「今年中に婚約できれば、卒業後すぐに結婚する場合でも、婚約期間としては十分だ。僕としては、出来る限り早く、夫婦になりたいと思っているよ」


 ……成程。まあ確かに、チェルニクスの学生も、家から独立予定のない女学生は特に、卒業後一年以内に結婚する事が多いとは聞く。だから、確かに一年生で私がフレドリック様と婚約したとしたら、卒業までの四年間で婚約期間は十分。その後すぐ結婚しても違和感はない。……うん。そんな風に都合よくいけるのなら、だが。


「……大変申し訳ないのですが、どちらにせよ、卒業後すぐに婚姻までいくのは、難しいかと思います」

「えっ! ど、どうしてだろうか」


 少しショックを受けたようなフレドリック様に、私はなんと答えるか迷う。……これは元々、カレンダ男爵家からの提示される条件として、父が話す予定だったものだ。ただ、この流れで「説明は後で」というのも、なんだか変な気がした。その為、私は父の方を見ながら、私はこう答えた。


「えと、その、持参金が……ない……ので……」


 私の持参金予定のお金は、入学金及び学費という事になっている。なのでどちらにせよ、卒業後、私や我が家が持参金分のお金を稼がないと、フレドリック様には嫁げまい。

 父も私の言葉に頷いて、発言した。


「ええ。これの持参金予定だったお金は、既に入学金や今後の学費に使う予定となっております。チェルニクスを辞めさせればある程度は早く婚姻をさせる事は可能かとも思っておりますが……」


 だから辞めたくないって!


「ちなみに、お恥ずかしい事ですが……持参金はいくらぐらい、お包みすれば宜しいのでしょうか?」


 代理人様が新しい紙を取り出された。


「チィニーの金銭に換算しますと、大体この程度かと」


 契約書ではなかったので、紙に書かれている情報は簡潔だった。代理人様の口調的にそこまで高くないよ、という前置きだったのだろう。だが紙を見た私と父の口から洩れたのは、潰れた蛙のような声だった。

 私は父に小声で訴えた。


「……お父さん。私が働くの加味して、どれぐらいかかる?」

「…………お前が他所で働いて稼ぐ前提で、かなり稼いだとして、五年か……?」


 つまり、下手すりゃもっと長い期間がかかるという訳だ。


 毎年毎年、上がってくる収入は、全額がそのまま持参金に回せる訳ではない。日々の生活費、領地内で色々起こる問題の処理にかかる費用。そういう様々なものを除いたお金が、貯金に回せるお金だ。それを、持参金用で貯める事になる。


長女(ミーラ)の持参金を回せば、あるいは……」

「!? 絶対ダメ!」


 独り言のようにつぶやいた父の言葉に、私は反射的に言い返してしまった。


 確かに、持参金が足りない時、借金するとか、他の兄弟の結婚を後回しにするとか、方法は色々ある。


 だけど、前者は一旦おいておくとして、後者は出来ない。私はしたくない。


 私には未婚の姉がいる。姉は現在、親戚から紹介されて結婚前提で関係を築いている人がいる。

 本当は、今年か来年に結婚する予定だった。けれど私がチェルニクス魔法学校に入学が決まった際、扱いとしては私の持参金を使っている事になるものの、実際の現金として動かせるお金がやや足りなかった。領地の問題を解決するのに、私の持参金として貯めていた現金を流用していたからだ。

 結局、姉自身が許してくれたこともあり、姉の持参金から一旦建て替えるような事になった。当然、姉の結婚は先送りにされる事になった。


 持参金の管理は親の領分で、私に責任がある訳ではない。でも、原因は私の入学なのだ。正直にいって、それが決まった時にはかなり心苦しかった。

 それでも姉本人が、「無駄な学校生活送るんじゃないよ」と背中を押してくれたから、目いっぱい勉強する事で報いると決めていた。


(そんな姉に、さらに結婚を伸ばすって、ありえない!)


 既に一番迷惑をかけているといっても過言ではない人に、それほど長い期間我慢させるなど、出来るものか。


「……コホン」

「!」


 咳払いの音に、私はハッとした。父の言葉で頭がいっぱいになってしまい、フレドリック様と代理人様の前だという事を忘れてしまっていた。……さっきから、同じような失敗を繰り返している気がしてならない。なんでこうも学べないのか。顔が赤くなる。


「アーヴェ嬢。それからカレンダ男爵。そう心配されずとも、そこまで問題にはならないので落ち着いて欲しい」


 フレドリック様の言葉の意味が分からず、彼を見つめる。フレドリック様は横の代理人様を見た。代理人様は一つ頷き、説明は彼が引き継いだ。


「持参金の不足については、結納金である程度賄う事が可能と考えておりますので、不要かと」

「ゆい、のうきん?」


 あまり聞き覚えのない単語だ。


 そこから伝えられたのは、私が知らなかった、国による文化の違いだった。


「チィニー国において、婚姻時における家同士の金銭のやり取りは、持参金のみなのが一般的で、結納金という単語はあまり浸透していないようですね。要は、新郎側が新婦側に支払う、結婚準備金の事になります」


 理解出来た。


 チィニーでは、結婚時、新郎側は結婚にまつわる費用を支払う。式の費用全般を含め、招待客への対応なども女性側(とつぐがわ)の客の分も、男性側(とつがれるがわ)が支払うのが一般的だ。実際の所は男性側の方が金銭的な余裕がなかったとしても、必ず表向きは男性側が支払い、家が繁栄している事を周囲にも見せる習慣になっている。この場合、女性側が結婚式に纏わる費用を金銭として出すと、男性の家に対する侮辱になってしまう。

 とはいえ、女性側の支払いが一切ないとすると、男性側の負担だけがとんでもない事になる。その為、女性側は『その後の生活の為』という名目で、現金の形で持参金を持っていく。

 婿入りの場合はこのやり取りが男女逆になる。閑話休題(はなしをもどそう)


 この、男性側の支払う費用の事が、帝国では結納金と言うらしい。

 チィニーでは請求書の名前を全て男性の家で書く形で対応するか、男性の家からお金を預かった代表者が支払いに同席して対応するのが殆どなので、()()のやり取りをする印象がなかった。その為、言葉ではすぐ理解できなかった。


 父が口を開く。


「えぇと、つまり、婚姻時にはロックウェル家から現金をいただけるという事なのでしょうか?」

「はい。そうなります。チィニーで行う準備に関してはチィニーのお金へ。そしてラガーラで行う準備に関しては、こちらのお金で対応させていただく予定です。……ちなみに、ラガーラ帝国における婚姻時に、女性側から男性側への持参金は必須のものではありません」

「そうなのですか!?」


 明らかに明るくなった父の声と、純粋な驚きを上げる私の声が重なった。


 持参金がなくても良いのなら――と、間違いなく私と父の考えが被った時、代理人様は鋭く付け加えた。


「ただし、新婦側が新郎側より家格が明らかに劣る場合には、支払う事が一般的です」

「へ」

「新婦側の家格が劣る場合、嫁ぎ先で立場が弱くなってしまう事が多々あります。それを避ける為、或いは冷遇された時に新婦が生活を保つ為に、持参金は必要と考えられております。身の安全は勿論ですが、持参金がある方が、周囲から認められやすくなります。……今回の場合、フレドリック様がアーヴェ様を強く望む形での婚姻ですので、そう高い持参金を持つ必要はありませんし、侯爵家の令息とはいえ、婚姻時のフレドリック様は子爵となります。これらの情報を加味し、こちらの持参金はかなり低く見積もられております」


 丁寧にされる説明を理解していきながら、代理人様から告げられた最後の言葉で肩が落ちる。……侯爵家からすれば、気を使ってかなり安く設定した持参金。それが、カレンダ男爵家からすれば、かなり大きな金額。


(やっぱり、凄い家格差があるという事だよね……)


 きっとこれからも何度も、こういう格差を感じる事になる。フレドリック様と結婚するのなら、それらも全て受け入れなくてはならないのだ。


「結納金に関してですが、大体この程度を予定しております」

「こ、こんなにッ!」


 明らかに興奮している父の手の中にある結納金の金額を見る。興奮するのも分かる金額だ。


(とはいえ、侯爵家がかわいがっている末子の結婚式なんて……カレンダ男爵家(わたしたち)からすればとてんでもなく豪華なものになる筈。……と言う事は、それに見合う準備にかかる費用も馬鹿にはならなさそうだなぁ。……お父さん、その所、気が付いてるんだろうか……)


 なんとなく、父の考えは分かる。


 私をフレドリック様に嫁がせるのは決定事項。


 で、持参金が頭の痛い部分だったが、それは結納金のお陰である程度気にしなくてよくなった。……なんなら、現金として結納金が手に入るのなら、私の結婚に必要という名目で……ほかの事にも使えるのでは!? ……とか考えていそう。もし露見したら最悪過ぎるので、それは後で止めておかないといけないだろうな……。


 ……なんだか、頭が痛くなってきた。真面目な説明や会話が多いからだろうか。ずっと、背中や肩に、重い何かがのしかかっているような気分になる。

 せめて、違う話題に移りたい。我儘だけれど……。そう思いながら、私は口を開いた。


「代理人様。一つお願いをよろしいでしょうか」

「ない。なんでしょうか、アーヴェ様」

「本日この場は、条件を提示する場でお間違いなかったでしょうか」

「勿論です」

「では……居住地の問題に引き続き、戸籍についてもまだ先にお話をする事にさせていただいてもよろしいでしょうか? ……その、結婚する時期については、そもそも婚約がすんでから、考えさせていただきたいのですが」

「問題ありませんよ」


 代理人様が優しくそう答えた時だった。フレドリック様がコホッ、と小さな咳をした。途端、代理人様の視線がそちらにいった。その動きはとても素早かった。


「坊ちゃま。大丈夫でしょうか」

「……問題ないよ」

「一度休憩を挟みましょう。――いえ、そうですね。カレンダ男爵がよろしければ、男爵と私とで()()の続きをさせていただきたいのですが」

「ももも勿論、問題ありませんっ!」

「ありがとうございます。……アーヴェ様。フレドリック様と共に、良ければ別室へ御移動くださいませ」


 まだすべての話が終わった訳ではなかった筈だけれど……あっという間にそういう事になった。それで、私はフレドリック様に差し出された手を取って、二人で部屋を出て行く事となった。

 部屋を出て少し歩いた所で、フレドリック様は侍女の方に案内された別室の前で、私に問いかけてきた。


「……随分長く座っていたから。良ければ、少し館の中を歩きながら話さないかい?」

「はい。構いません」

「ありがとう」


 侍女の方に一言断りを入れて、フレドリック様が歩き出す。

 言われるがままフレドリック様の横に並んで歩き出したのだけれど、彼は何も話さない。


(私から話題を振った方が良いのかな?)


 そう思いながらどうするか迷っていると、名前を呼ばれた。


「アーヴェ嬢。その……なんといえば良いか分からないのだけれど」

「はい?」

「お父上との関係は、その……あまりよくなかったりするのだろうか?」


 うん。

 確実に、今日のやり取りが原因の質問だった。

 私は頭を下げた。


「大変見苦しい姿をお見せして、申し訳ありません」

「ああ、頭を上げてくれ。謝罪を求めている訳では全くないんだ

「……父との関係ですが、悪い訳ではありません」


 今回に関して言えば、私が当主(ちち)の意見に反発しているから、悪く見えているだけ。私が令嬢らしく、当主の指示に素直に従っていれば……良い関係に見えた筈だ。

 婚姻前から、カレンダ男爵家の印象が悪くなることばかりを、今日はしてしまった。改めて自分の行動に頭を抱えそうになる。自業自得なのだけれどね……。


「そうか、悪くないのか。それは良かった。…………ならこれは、僕が勝手に心配になってしまっただけなのだけれど」


 フレドリック様は静かに言葉を区切り、それから、私の顔を見つめながら問いかけてきた。綺麗に前髪が整えられているお陰で、彼の瞳がよく見えた。


「大丈夫かい?」

「はい。大丈夫です。けれど、心配、ですか……」


 カレンダ男爵家が想像より低俗だった事がだろうか? そんな予想を立てた私だったが、それは全く違った。


「――心配なのは、僕との結婚が、アーヴェ嬢の気持ちに反する形で決まってしまわないか、という事だよ」

「……」

「その、正直に言って、カレンダ男爵があそこまで僕との結婚を前向きに考えてくださっているとは思っていなかったんだ。それは、嬉しい。僕から見れば、あの方は義父という事になるからね。……ただ、君の願いを置き去りに、決めたくはないんだ」


 何かを言おうと思った。でも開いた口からは、何も音が出なかった。


「前にも言った通り、僕は……お互いに愛し、愛されるような夫婦になりたい。よ、欲を言えば……その……、君にも、恋をしてほしくて」


 以前言われた条件の延長のような言葉に、私はただ言葉を繰り返す鳥のようにつぶやいた。


「恋……」


 フレドリック様の頬が、桃色に色づく。一瞬、また体調を崩されたのかと思ったが、そうではないようだった。これはただ、彼が照れたが故の紅潮だ。


「うん。……勿論、僕たちにある立場の都合上、政略性がない結婚なんて難しい事は分かっているつもりだよ。でも、願わくば、愛し合って、それで、結婚したい」

「……」


 多分だけど、ロックウェル侯爵夫妻はそうだったのだろう。フレドリック様の語る夫婦の理想は、ご両親。幼いころから家に閉じこもりがちだったのならば、他の夫婦の形を見る事はあまりなかったと思う。だからこそ、ご両親を理想として、理想をかなえたいと思っている。


 平民の子供ですら、私たちぐらいの年齢なら、もっと打算的だと思う。


 男女がただ恋をして、家の事なんて何も考えないで、好き合う相手と結ばれて、子供を作る。


 それは必ずしも実現不可能という訳ではないけれど……裕福な家に生まれた、最初から余裕がある人間特有の、幼子が持つような夢物語だ。

 大抵の人は恋をすれどその後は願えないとか、恋をしても家の事情でその人と結ばれる事はないとか。そんな事ばかりだと思う。そもそも、好きになった人から好きになって貰えないという事もあるだろうし。


 フレドリック様の言う通り。きっと、人によっては、なんて甘い考えだろうかと、叱責されるような考えだ。


 けれど……。


(嫌いだとは、思わない)


 私だって形は違えど、彼と同じだ。

 幼いころからあてもなく持つ「領地をもっとすごくしたい」という夢を叶えたいと、ここまできた。小さな子供が、社会を知らぬ子供がなんの確証も確信もなく宣言して、目指している夢物語の、まだ延長でしかないのに。


 フレドリック様は顔の前で手を振りながらやや早口に言った。


「ぼ、僕の願いはともかくとしてだ! ……男爵家にも事情はあるだろうし、ご令嬢の結婚は、当主が下すべき重大な事案だ。それは分かっているけれど、僕は、君と無理矢理結婚したくないんだ。だからその、えぇと……。……もし男爵に、君の願いが通じないのなら、僕に教えて欲しい。すべてを叶えられるかは分からないけれど、ロックウェル側から条件を提示したら、多分、男爵様も受け入れやすいのではないかと思うから…………いやこれはその、侯爵家の威光を笠に着ている……形になる、ね。なるけれど、その、男爵家を下に見ている訳ではなくて」


 後半になればなるほど、より早口になっていた。私に話してはいるけれど、同時に、自問自答のように口調も変化していく。何か不興を買ってしまった時に頑張って言い訳をする幼子のようだ。フレドリック様は時折、こんな態度をする事が前からあった。やたら丁寧なのだと、生来の性格なのだと感じていたけれど、多分、それだけではないのだ。

 この行動に、私は覚えがある。


 好きな人に好かれたい。

 その一心で、少し無理をしたり、時には良い子ぶったり。自分をちょっと捻じ曲げる。

 そんな、どこにでもある、誰でもする姿。……今のフレドリック様の姿は、そういう、恋をした人の姿に見えた。


(フレドリック様って、本当に私の事、好きなんだ……)


 君()()恋をしてほしい。

 ()()()()()()


(それって、フレドリック様の方はもうその状態だから、私にも同じようになって欲しいって意味合いだよね?)


 もしかしたら彼の言葉には深い意味はないかもしれない。フレドリック様は翻訳魔法を使って話をしている筈だし、何か誤作動でそう聞こえているだけかも。

 真実そういう意図が込められていたとしても、彼の持っている恋も愛も、運命だからという前提による錯覚によるものかもしれない。もしかしたら、本当の運命は別にいて、後からその人が出てくるのかもしれない。


 ――でも錯覚から生まれたとしても、今彼の胸にある感情は、偽物という訳ではないと思う。


 胸に溜まっていた何か重いものが、崩れて、解けて、溶けて落ちていく。


「フレドリック様」

「うん?」

「お気遣いいただき、ありがとうございます」


 そう答えた私に、フレドリック様は少し虚を突かれたような顔をした。それから、柔らかくほほ笑んだ。

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