21 条件にたいするお返事きたよ!
次の日は休日だった。
その日に早速、私は父と共にロックウェル邸に赴く事になっていた。
前日は夜遅くまで話し合ったが綺麗に話が纏まった……訳ではなく。門限ギリギリに寮に駆け込むような状態だった。テーアからは「どうだった?」と聞かれ、父との話し合いの内容を伝えると、「おじさまらしいわ……」と、呆れ半分の眼差しが向けられた。
ロックウェル邸からの迎えの馬車に、父はやや怯えている風に見えた。それも、従僕が顔を出すまでの短い時間だったけれど。従僕の姿が見えた途端、すました顔になったのは、当主の矜持的なものなのだろうか。
私の恰好は、フレドリック様に買っていただいたものの一つの、比較的簡素なデイドレス。
父の恰好は、昨日見せてくれていた礼服だった。それに合わせて、簡易的ではあるけれど髪も多少整えていて、まあ、一応貴族に見える恰好だ。
「その恰好で宿から来たの?」
「ああ」
「せっかく小汚い恰好できたのに、宿で身分がバレたんじゃない?」
「いいや、お貴族様と小さい商談だと言ったんだ。バレちゃないだろ」
ケロリと、身分詐称をするような発言を漏らす父に、頭が痛くなる。しかも絶妙に「嘘でもない」と言い切れる言い回しなあたりが、なんとも……。
「はあ、上等な馬車だなあ……」
馬車に乗り込んだ後、そんな事を言う父に私は何も言う気にはなれなかった。
ロックウェル邸に着くと、私は屋敷の外に、もはや見慣れた赤髪がある事に気が付いた。
馬車から先に降りたのは父だ。父の後を追い、私も従僕の手を借りて、馬車から降りる。
並んだ私たちに、何人もの使用人を従えたフレドリック様が笑顔を向けてきた。
「よくぞ来てくださいました、カレンダ卿。ラガーラ帝国、ロックウェル侯爵家が三男、フレドリック・ロックウェル。来訪を歓迎いたします」
「これはご丁寧に。カレンダ男爵位を国から賜っております、エットレでございます」
挨拶が交わされ、和やかな雰囲気のまま、私たちは屋敷内へと移動した。
テーブルを挟んで、横並びに座れる大きなカウチが二脚。片側には既に人がおり、入室に合わせて立ち上がり、こちらに頭を下げてきた。どうやらその人の横にフレドリック様が座り、反対側に私と父が座るようだ。席に着く前に、フレドリック様は横の方について紹介してくださった。
「本日はご挨拶だけと思っておりましたが……婚約に向けての条件のすり合わせは、一度では終わりますまい。ですので、今の時点での双方の条件の提示だけでも、改めて出来ればと思っております。こちらは父の部下でして、父の代理人として帝国より参りました、オークウッド卿です」
「ご紹介に預かりました、オークウッドと申します。普段はロックウェル侯爵様の部下として働いております」
「おお、これはこれは。どうもよろしくお願いいたします」
私と父もそれぞれ名乗りをあげ、和やかに挨拶を終える。そして四人全員が腰かけた所で「いえね」と父が口を開いた。
「婚約につきましては、もう、侯爵様に望まれているという、それはそれはありがたい事態でございますから。ええ、勿論お受けするつもりではございまして」
「お父さんっ!」
何あっさり告げているのだと、父の服を掴んで引っ張ってしまった。フレドリック様はというと、早々に自分の希望を父が通していると言われたものだから、少しポカンという顔をしている。一方、代理人様は顔に浮かべている笑顔を崩さない。
「成程。それはありがたい事でございます。坊ちゃまから、結婚についてはまだ未確定と聞いておりましたので」
「いえいえ、それはこの娘がどうにも、変なところで臆病を出したようでして。全く無鉄砲で夢見がちな所がある娘ですが、やはりまだまだ子供ですね」
私はうつむいて、唇に力を籠めた。
「……カレンダ卿。婚約のお許し、ありがたく思います。ですが本日は、条件の提示を目的としておりますので。先にそちらをしても?」
フレドリック様の言葉に、父は陽気に「そうでございましたな」と受け答えをする。
代理人様が場を仕切るようで、口を開いた。
「まず――アーヴェ・カレンダ様より個人的なものとして提示されました条件への、侯爵家からのご返答を行わせていただきますが、よろしいでしょうか?」
「勿論です」
「では早速。第一にして最重要な条件として、婚姻後の生活場所を帝国ではなく貴国にしたいというものがございましたが――」
「連れて行ってもらって、全く構いませんとも! 世界を知らない故に、怯えているだけですので」
「……違うって……! というか、代理人様、まだ喋っているじゃない。遮らないで黙って聞いてられないの!?」
やたら前のめりになっている父を落ちつけようと、小声で文句を言いながら服を引っ張る。ただ、父は全くその事には気が付いていないらしく、こちらを見もしなかった。
「……。失礼。カレンダ卿。この場は条件を出し合う場ですから。まずは話をさせていただいても?」
「おお、勿論ですとも」
代理人様の言葉は耳に入ったらしく、座った父の姿に、私は顔が熱くなった。申し訳なくて、お二人の顔は見れない。
「……婚姻後の居住地につきましては、こちらは、まだ侯爵家としてもハッキリとした結論を出せておりません。フレドリック様ご本人は、チィニーへの移住を決意しておられますが、侯爵夫人が過保護になっておりまして」
父が口を開きかけたのを、足を踏んで黙らせる。流石に先ほどの代理人様の言葉は思い出したようで、口を閉じた。
「ですので今の時点では、保留という事にしていただければ。……今の所、こちらから提示出来る案としては、一年の半分は帝国。もう半分はチィニーに滞在するという形を考えておりますが……。――アーヴェ様。お父上のお考えはもう分かりましたが、貴女のお気持ちはいかがです?」
「……そう、ですね。その、侯爵夫人の心配というのも、分かるのです。フレドリック様の御事情が御事情ですから。なので、正直この条件を理由に結婚の許可が下りないと思っていたのですが……」
「折角見つけた運命ですから、手放す事は侯爵家としても考えてはおりません」
代理人様の言葉にぶるりと背筋に震えが走った。今の時点で私は侯爵家の手の中にいるというニュアンスにしか聞こえない。……いや、実際そうなのだろう。
「そ、うです、ね。……半年ごと……。……………………後程ご返答でもよろしいですか?」
「勿論です。この件についてはほかの条件にも絡んでくる重要な件ですし、そもそも、本日この場で、婚約を結ぶわけではありませんから」
代理人様は、笑顔だ。それが少しだけ、いや、少しじゃなく、普通に怖くなってきた。
いやそもそも、ロックウェル侯爵の代理という事は、この場でこの方の決定権はロックウェル侯爵閣下並みにあるという事だ。御本人ではないが、私と父の目の前にはロックウェル侯爵ご本人がいるような状態という事なのだろう。
「次の個人的なご希望として、爵位差からくる教育の不足について責め立てるような事をないようにとの事でしたが、こちらは既に了承されております」
「え……本当ですか?」
「はい。アーヴェ様ご自身に、努力をするお心積もりがあられる以上、現時点での不足を理由に責め立てるような事はないと、ロックウェル侯爵と侯爵夫人がお約束いたします。ただし、ロックウェル家外部の人間で少なからずそのような事を口にする者がいる可能性と、……例えばのお話ではありますが……三十年、四十年と経ってなお、今の状態から成長がないような事があれば、ある程度言葉が出る可能性はあります事は、ご承知いただきたいですが」
「それは勿論です!」
陰口悪口噂話は世の常である。チィニーにいたって言われるだろうから、現時点で、出来ていないマナーとかを指して「男爵家の生まれだからどうのこうの」と言われなければ問題ない。
……まあ勿論、私が努力する前提での許容だから、婚約するなら本気で頑張るしかないだろうが。
「次に不足している教育に関してですが、こちらは全面的に侯爵家が受け持ち、家庭教師などを派遣いたします。教育にかかった費用に関しては、どのような結果になったとしても、返還の義務はございませんのでご安心ください」
それと同時に取り出されたのは、何やら契約書のようだった。私が見る前に父が手に取ってしまったので読めなかったのだけれど、代理人様が教えてくれたので内容は問題なかった。
「そちらの書類には今申した事について記載されております。帝国法に基づき、カレンダ男爵家には返還などは求めないと記載されております」
そんな、こちらに都合がよすぎる条件が、簡単に通るものなの?
「侯爵家では代々、ご子息の婚約者が定められた段階で、侯爵家が教師を選び、教育を施す方針があります。この教育にかかった費用は、通常であれば婚約が解消された場合、ある程度の返済も求めるのですが…………今回の場合、婚約を結ばなかった場合の費用請求に関しては、フレドリック様がご対応される事が決定しております」
「へ?」
フレドリック様の方を見ると、微笑みながら彼は頷いた。
「ああ。今オークウッド卿が言ったように、通常、こちらの有責以外で婚約がなくなった場合では、かかった費用に関しては全額、または一定額の返還を求めるものであるのだが、今回は僕が払うという事で話がついている」
「え、いや、そんな! それでしたら、その、必ず返済いたしますので、私が支払う形にしてくださいませ」
「そうはいかない。そもそも、アーヴェ嬢にとっては想定していなかった教育を受けなくてならないのは、僕が理由だ。だからこれの支払いについては、僕が支払うよ。僕の個人資産で問題なく払える金額だから」
「いえ!」
そこから、どちらが払うかの押し問答が始まってしまった。
それに言葉をさし込んだのは、代理人様だった。
「あくまで、お二人の婚約が成されない事が決定した場合の支払いになりますから。こちらの立場としては、そのような未来がない事を祈っております」
何とも言えない圧があるような気がして、私は最終的に、フレドリック様からの提案を受け入れた。それを見て、代理人様は変わらない笑顔のままこう付け加えた。
「……個人授業に関しては可能であればこのお話以降、アーヴェ様のご都合の良い日を選定し、開始したいと考えておりますので、後日教えていただけますと幸いです」
「わ、分かりました……」
それにしても、ただでさえチェルニクスの日々の授業と課題に、アイスハート子爵令嬢からの個人授業(魔法)を行っていて、ここに個人授業(恐らくマナー中心)が加わるとしたら……。本格的に、時間が足りなくなりそうだ。
「オークウッド卿。アーヴェ嬢は現時点で、アイスハート家の方より氷魔法に関する個人授業を受けている。チェルニクスでの学業に影響が出ない範囲で収めるように、頼むよ」
私と同じことを思ったようで、フレドリック様がそういう。
代理人様は、
「ほう、アイスハート家からの魔法指導ですか。かしこまりました。そちらの方が重要度が高いかと思います。魔法指導を優先として、空いている日に個人授業は入れさせていただきたいですが、よろしいでしょうか、アーヴェ様」
と言ってこられたので、私も「私は大丈夫です」と頷いた。
元々、都に来ているのは勉強の為だ。チェルニクスでの試験の点数も落とさないようにはしたいが、追加で学べる事が増えるのは、ありがたい事だ。
それにしても、代理人様があっさり引くなんて……本当に、アイスハート子爵家って、有名なんだな。爵位は子爵位だけれど、家名に結びついている名誉的なものは、下手な伯爵家とかより、上なのかもしれない。
「その次にお聞きしておりますのは、アーヴェ様の魔力量などを理由とした懸念でございますが……、問題ないという返事を預かっております」
「本当ですか……?」
今日一番の怪訝な声が出てしまった。失礼だったと思ったが、代理人様はあっさり頷いた。
「ええ。魔力量に関しては、確かにフレドリック様と比べればとても少ない事は事実ですが……フレドリック様に求められているのは優秀な次代を作る事ではありませんから」
……まあ確かに。
病弱な三男に、子供を作る事を求めたりはしないだろう。これが一人っ子の長男とかだったら話は変わっただろうけど……。
「また、治療面での技術不足や責任問題を懸念されていたそうですが、そもそもロックウェル家が求めておりますのは、フレドリック様の妻でございますので。医療に関しては専門家の仕事でございます。緊急時に助力を求める事はあるかと思いますが、基本的には医療に精通した者を現在と変わらず雇い入れます。アーヴェ様がフレドリック様と婚姻されたとて、治療をする必要は基本的にありません。技術としては持っていただいて悪い事はありませんので、このままアイスハート家からの魔法指導は受けていただきたいですが。……責任問題につきましても、アーヴェ様が直接的にフレドリック様を害そうとした事実でもない限り、貴女が責められる事もございませんよ。もしや、侯爵家が、フレドリック様の為に働く無償の医師を求めていたと思われていたのでしょうか?」
……言われてみれば、確かに……、私に一から医術を学ばせるよりも、既に学んでいる人を雇えばすむ話だな……。
なんで私が治療しなくてはならないと思っていたのだろう。
あ。そうか。……アイスハート子爵令嬢が治療をする為に雇われた、という感じで話していて、その人手を増やす為に魔法を習わないか、と言われたからだ。
でもそのまま言うと少し、アイスハート子爵令嬢が悪いみたいになってしまうなと思ったので、少し言い回しを変えて説明する事にした。
「いえ、そういう意味ではないのですが…………すみません。フレドリック様の横にいる女性のイメージがアイスハート子爵令嬢でしたので、私も同じような役目が毎日求められるのかと、勝手に勘違いを…………」
「女性……ああ、なるほど。それでそのようなお話になったのですね。……アイスハート家の方に関しましては、初めて他国に赴くフレドリック様を心配されて追加で雇われた方ですので、雇用関係にあるのと同じです。結婚関係とは到底同じ扱いにはなりません」
「分かりました」
横で、父が口を開きそうになるのを何度も止める。今は私の個人的な条件に対する返答だから、父の出番はまだ先だ、と必死に押しとどめる。
「最後にアーヴェ様からの個人的な条件として、万が一にフレドリック様が運命の方を間違っておられた場合の話ですが、こちらをどうぞ」
新しい契約書と思しき紙が差し出される。父が持ち上げる前に手で抑えて、机から浮かないようにした。そして私も横から紙を覗き込む。
やはり契約で、そこには私が望んだとおりの条件が記載されていた。つまり、万が一私が運命というのがフレドリック様の間違いで、今後新しい運命が出てきた場合、私や家族の安全を保証するという内容だ。
また、既に婚約を結んでいた場合はロックウェル家有責の婚約破棄という事になるので、その場合の慰謝料などに関しても必ず支払う事などが記載されていた。
「この場合の慰謝料の欄は、フレドリック様とアーヴェ様が実際に婚約を結んでいた期間に比例させていただきます。大体の目安ですが、およそ一年婚約関係にいた場合は」
と仮の金額として出された額に私は顎が外れそうになった。
「……勿論ですが、婚姻までした場合には、さらに金額が上がります故、ご安心いただければと思います」
外れた顎が返ってこない。
そんなあっさりと決める金額ではない。まあロックウェル家側としては、フレドリック様が間違えていない前提で、支払う予定はないのだろうけれど……。それでもあっさりと、私がチィニーで一生遊んで暮らせそうな金額の支払いを約束するなんて……。……侯爵家って、凄いや……。




