20 学外個別授業と、父来る
あれ以降、フレドリック様にも軽く説明をし、帝婚茶会からの誘いがあっても、「お呼ばれしておりまして……」という理由で、不参加を貫いている。
ちなみに、“説明”はちょっと苦手な方がいるのでできる限り参加したくなくて、と濁した。あ、誤解ないようにボルトロッティ伯爵令嬢の事ではない、とは伝えている。
これも、嘘でもない。
まだ私の立場は恋人関係のままだけれど、ある人の提案で、魔法の実技面での教育が始まり、放課後の多くの時間を、そちらに費やす事になっている。
誰からかというと、アイスハート子爵令嬢から!
初めて「チェルニクスの授業と別で、氷魔法の訓練を受けないか?」という誘いがフレドリック様から伝えられた時は、何事かと思った。御本人であるアイスハート子爵令嬢からの説明は以下のようなものだった。
「お金は要りませんわ。お時間はいただきますが。当家は氷魔法のエキスパートとも呼ばれておりますの。氷魔法を学ぶ為に、帝国内外から多くの魔法使いが集まり、当家に弟子入りしてもおります。当然、私も両親より、幼いころから氷魔法の訓練をしっかりと受けております。ですので、時間などを無駄にはさせないと誓いますわ」
ありがたいけれど何故? という疑問が出た私に対して、彼女はこう言った。
「当家とロックウェル家が契約を結んでいる間、仕事を投げ出すような事はいたしませんが……だからこそ、安全性を高める事は重要と考えております。先日、ロックウェル様が体調を崩された際、私が呼び出されて駆けついた時には、ロックウェル様の体調は殆ど安定しておりました。それはやはり、属性の影響が多いと考えております」
アイスハート子爵令嬢はとても簡単に、手のひらサイズの氷の塊を、その場で精製してみせた。その時間、僅か三秒ほど。私だったら何十秒使ったとして、作れない。
光を浴びる氷は美しく輝いている。明るく、反対側が見えるほど透明な氷だった。
「カレンダ様も御存じかと思いますが、私は氷属性のほかに、光属性を持っております。必ずではありませんが、複合属性の影響で、このように透明に近い氷を作る事が多いですの。……治療の上では、氷魔法さえ使えれば、影響もほぼなく、問題はないと考えてまいりました。ですが……先日のロックウェル様のご様子を見て、考えを変えました。貴女がお使いになった魔法の量は、普段私が使用している魔法の量より少なかった筈なのに、しっかりと効果が出ておりました。直接魔力を混ぜる訳ではないので微かな差ではありますが、貴女の闇属性の力を持つ氷魔法は、より迅速に、ロックウェル様を冷やす事が可能と感じたのです」
「……なるほど……」
と反射的に言ってしまった。でも、本当に分かったかはいまいち、だ。
ええと、要は、冷気として魔法に変化された魔力なら、メインでない属性の影響はほぼないと考えていたけれど、そうでもなかったという話……?
「今の質問で納得がいかなければ、このような言い方をしましょうか。単純に、手段を増やせれば、より安全性が増すと考えております。…………現在、ロックウェル様は、治療の為に侯爵家が雇われている氷魔法を得意とする魔法使い数人と、私を抱えている状態です。そこにさらに貴女が加わる事で、より安全性を高められる……そのような理解をしていただければ、いかがでしょう。勿論、ロックウェル様の治療を貴女が行った場合には、我々に支払われているのと同等の治療費を支払う事になりますわ。既にいただいているかと思いますが」
この前、私が倒れた時の治療の事だ。
私はお金などを欲して治療した訳ではなかったので最初は断った。結構な金額だったのだが、それをいただけるほどの事をしたとは思えなかったのだ。むしろ、魔力を枯渇して、治療までしてもらったのだから……私は治療費を払わなくてはならない側と言える。
けれどフレドリック様及びロックウェル家も中々折れず、最終的には「こちらの顔を立てるつもりで良いので受け取ってくれ」とまで言われて、受け取ったのだ。学費や備品の費用にさせてもらう予定だ。
「……なんとなく、分かりはしました。けれどその、私とロックウェル様の関係は現在もまだ恋人関係です。正式な婚約は結んでおりませんが……?」
私の魔力量を思えば、この提案は「フレドリック様の婚約者候補だから」出されている案に違いない。別に、人手が足りなければ新たに雇えば済む話なのだ。
しかし「フレドリック様の婚約者候補」だったから育てたのに、後からそうではなくなって、「話が違う!」となられても困る。
そう思いながら様子をうかがうと、全く気にしてないという風にアイスハート子爵令嬢は答える。
「別に構いませんよ。貴女がロックウェル様と縁がある間だけでも、対応をしていただければ十分です」
それでもやっぱり、アイスハート子爵令嬢の利点が少ない気もしたけれど……私は拒否する理由もないし、帝婚茶会は避けたいしで、受け入れる事にした。
ちなみにフレドリック様の反応は、「目的に関してはいささか納得いかないものもあるけれど、アイスハート家から氷魔法を学べるのは中々ない機会なので、アーヴェ嬢が望むなら受けたら良いと思う」というものだった。
この授業、ありがたいと同時に、容赦はなかった。
……強制された訳ではなく、事前に「お優しくするのと、容赦なくするの、どちらがよろしいですか?」と尋ねられていて、(せっかくの機会だし、フレドリック様がいうぐらいだし、優しくしてもらってもな……)と思い、「容赦なく」を選択した所、倒れないけれどほかの事をする余裕がないぐらいに魔法の実技授業が行われることになったのだ。選択したのは自分なので、自業自得というものである。
何度も何度も氷を作る。それだけでなく、己の手部分のみを局所的に凍らせる。
今の時点での内容は、魔法学校で教師から習うものとそう大差はないように思えた。しかし、その際の力加減とも言うべき部分に関して、アイスハート子爵令嬢が求めてくる繊細さはかなりのものであった。
どの程度の温度で、どんな氷が作れるのかなど、理論も含めてあれこれと教えてくださった事はありがたいが、こちらはメモを取らねば記憶も出来ない。ヒイヒイと、泣き言を零しながら必死に習得しようと魔法を繰り返す。
勿論、最優先は学業だ。それについては事前にアイスハート子爵令嬢とすり合わせていたので、あくまでも毎日の事ではない。……でも彼女から授業を受ける時は、毎日、ヘロヘロになって自室に帰る事になっていた。
そんな事をする余裕があるのは、まだ条件をすり合わせる作業が、進んでいないからだ。
一つの問題として、やはり、帝国は遠い。いくら帝国が飛行船などの最新の移動手段を用いたとしても、すぐに結論を出せる話題ではないのだ。
手紙が来る、何か意見の食い違いがあったなら、さらにこちらからまた手紙を送る。……そんなやり取りを経なければならないので、時間がかかるのは仕方ない。
我が家ことカレンダ男爵家でも、話はまとまりきっていないというか……いや、結論の方向としては「婚約」に偏っているのだ。家の意見は。それは、手紙から見える。
それはそれとして、条件の所での話が、あまり進んでいない。こちらは、完全に私たちの動きが遅いと言えてしまう。どうにも家族内で意見が割れているらしい。距離の壁はロックウェル家と比べたら微々たるものなのに、まだはっきり条件をまとめ切っていないなんて……と頭が痛かったのだが、そんな私の元に驚きの連絡が届いた。
「あぇ!?」
「変な声上げてどーしたのぉ、アーヴェ」
「お、お父さんが、都に来るって……」
「おじさまがぁ~!?」
届いたばかりの手紙には、要約すると「手紙の往復代金が嵩んできた。これなら一度、直接話すために移動する代金の方が安いので、都にいく」という言葉が書かれていた。
それはそうだけど。それならそれで、最初から決断してくれた方が話が早かった。
「……にしても、お父さんだけか……。……なんか、面倒な事になりそうな気もする」
「うぅん、でもどうせ避けられない事だよねぇ、今後のこと考えるとぉ~」
「まあ、うん、そうなんだけどね」
そう愚痴りつつ、私はアイスハート子爵令嬢やフレドリック様にも連絡を取った。父の相手をする関係で、アイスハート子爵令嬢から受けている授業を休ませてもらう事にはなるだろうし、場合によってはフレドリック様との顔合わせもしなくてはならないだろう。ああ、お父さんがどこに宿泊するかも確認しないと……とバタバタ過ごしているうちに、あっという間にお父さんが都にやってくる日になった。
その日は平日だった。今頃お父さんが都についている筈だと思うと、いまいち授業にも集中できなかった。授業が終わるや否や、事情を把握しているテーアに見送られて、私は寮の自室に、出来る限りの全速力で移動した。それから、制服を脱ぎ、実家から持ってきているワンピースに袖を通す。それから外出届を出して、私はお父さんが宿泊する予定だという宿に走った。
貴族用の宿ではなく、そこそこ裕福な平民が泊まるぐらいの雰囲気の宿に、お父さんは泊まっていた。
宿の建物内に入ると、受付などがある一階の待合所となっている場所に、そこそこ裕福な平民という風貌の男性が一人、腰かけていた。私が宿に入ってきた時の物音で顔を上げたお父さんは、呑気にこういった。
「ああ、アーヴェ。大きくなったか?」
「これだけの日にちで背なんか伸びないよ!」
呆れつつ突っ込むと、お父さんは笑いながら立ち上がった。
お父さんが泊まっている部屋に移動してから、久方ぶりの父の顔をしっかりと見る。
「……この宿で、本当に大丈夫なの? そりゃ、金銭的にはこの辺りが一番手が出しやすいけど、防犯的な意味でさ」
「まあ若干不安はあるけれど、場合によっては滞在が伸びるかもしれないだろ? その時に支払い切れない事になったら大変だ」
「それはそうだけどさぁ……」
実家では違和感はないのだけれど……この父の姿を見て、この人が男爵家の当主だと分かる人は殆どいないだろう。本当に、「やや裕福な平民」という風貌なのだ。「やや裕福」というのが、微妙な所。「裕福な平民」という雰囲気でもないあたりが、なんとも、田舎者という感じであった。たぶんその雰囲気を助長させているのが、恰好だ。着ている服は、元の質は良いものだと分かる布地だが、使い古されてやや解れが見えている。なんなら持ってきている荷物が入っている鞄は、何十年使いこまれたんだという傷だらけの皮の鞄だ。
「……一応確認だけど。フレドリック様と会う時に着れる服、持ってきてくれてるよね?」
私の父が都にわざわざ来ると知り、フレドリック様は是非挨拶したいと申し出てきた。それを父にも伝え、父も一応顔を合わせるのを了承していたが……。この格好では、フレドリック様に申し訳なくて、とてもではないが出せない。
そう思ってしまった私に、父は、
「なんだ、思ったより親しくしているみたいじゃないか」
なんて言ってくる。私がフレドリック様の事を名前で呼んでいるからだろう。
「それは別にどうでもいいでしょ! それより服!」
「どうでもよくなくないだろう。でも仲良くしているならよかったよ。あれだけ、嫌がるようなそぶりが手紙にあったから、よほど嫌な人なのかと」
「良い人だよ。格差が凄すぎるだけで。服!」
「ええ? ああ、服か。あるよある」
鞄に手を伸ばす父に、私は肩を落とした。
懐かしい意味合いで、頭が痛い。
ついでに思い出した。
人によっては嫌がる程度にゆったりした口調のテーアが全く気にならない理由が、この父との会話に慣れているからだ、という事を。
(テーアはまだ会話がすぐに成り立つもん……ズレても自力で戻ってくれるし……)
父はそういう所があまりないというか、なんというか、自分の世界で生きている人なのだ。悪意はなく、自分の意識が向いたところを優先的に見つめていく、みたいな感じ。
意識さえ向いてくれればすぐに話がすすむのだが、別の事に気を取られてしまうと、そちらにばかり意識が向いて話が進まなかったりする。
額に手を当てている私の目の前で、父は鞄から礼服を取り出した。
「ほらあるよ」
「お願いだから、当日までに皺とかないようにしておいてね」
「大丈夫大丈夫。魔法でなんとかするから」
本当に頼むよ。
「それよりアーヴェ。さっさと話し合いを始めようか」
「ああ、うん」
お父さんが鞄の中から、紙の束を取り出した。
「とりあえずな、家で話に上がったのが、多少の融資が欲しいなという話だったんだ」
まあ出そうな話だな。
「融資の目的は?」
「あのやたらめったら広いだけの土地を、なんとかしたいだろう? そのためのお金も今までなくて放置だったが、何かしら手を出せれば、永続的にお金にもなるじゃないか」
「分かるけど、こう……解決出来る目途が立ってます! とかの状況じゃないなら、融資してもらっても正直無駄な気がするよ」
「土の改良が出来れば畑に出来るだろ? そしたら税収という意味合いでは増えるから、最終的には悪くないと思うんだがなあ」
「その算段が立ってないのに、無計画にお金貰ったって意味ないでしょって言ってるの!」
「せめてあそこをどうにかする知恵を持ってる人でも貸してもらえないもんだろうか」
「それだって無賃ですむはずがないし、そういう専門家を雇うならもっとお金がかかるじゃない。我が家から侯爵家に利のある提案も出来ないのに、そんなの簡単に貸してもらえるとは思えないよ。そういう算段は出来てるの? って話でしょう」
「それは難しい話なんだよなあ。」
難しいじゃなくて、融資ってようは借金みたいなものなんだし、考えなくちゃいけない話でしょうが。
「あとは問題に上がってるのが、持参金だよなあ……これはいくらぐらい必要としてるのか、それの金額によっちゃ、何年かは結婚を待ってもらわんと困るな」
「それはそう」
私の持参金は既に学費になっているのだから、別途お金を貯める必要がありまくりだ。
「結婚を急ぐとか、特定の時期に、という話になるのなら、やはり支援をしてもらわないと、無理だな。あるいは、お前が今すぐチェルニクスを辞めれば、入学金とここまでの学費だけですむから多少は金が――」
「は、はあ!? 絶対に辞めないよ。まだ全然、学べてないのに!」
「なら十年ぐらいは待ってもらわんと、持参金なんぞ用意出来んな」
「……実際、そうだとは思うんだけど……。……普通にそう言っちゃうの、いろいろ、どうなの?」
「何言うんだ。男爵家が、侯爵家の求める対応なんぞ、出来る訳がないじゃないか」
開き直っている……。いやまあ、そうなんですけど。
……こういう問題が色々と起きるから、基本的に格差のある結婚って、喜ばれるかどうか怪しくなるんだよね。
「それで。なんだったか。アーヴェは結婚しても帝国に行きたくないんだったか?」
「うん」
「何でだ? 帝国にいったら、こっちよりよほど良い生活が出来るだろうに」
「それは……そうかもだけど」
フレドリック様に伝えた、実家の為に何かをしたい。その希望を父に言うのはなんだか気恥ずかしくて、一瞬私は口ごもった。それを、父は自己解釈したようだった。
「ちょっと怖い程度なら、行けばいいだろう?」
「簡単に言うね! そもそも、怖いとかじゃないし! ……というか、父親なんだから、娘を外部に嫁に出したくないとかないの!?」
「嫁ぐってそういうモンだろう。女児なんて手元に残らんもんだと、俺たちは分かってるよ」
「そ――! ……んな言い方、しなくてもいいじゃん……そうだけど……」
基本的に、女性はどこかに嫁いでいく。男性は家に残る事が多い。そんなのは分かりきっていて、そうやって、色々な家と結婚して、親戚と言うものを広くしていくというのも、分かっている。分かっているけれど、あまりにハッキリと父が言うので、私は俯いて両手を握った。
「何がそんなに嫌なんだ? 余程の醜男とかでもないんだろ?」
「全然違うし、綺麗すぎるぐらいだし……」
「ならいいじゃないか。――ああ、家への支援の形だが、土地じゃなくって何か商売の方でもいいんじゃないかと、嫡男の奴も言っててな。なんかこう、帝国で時代遅れだが、チィニーにはまだないようなもんでもあれば、それを安く買い取って、チィニーで売れば一儲け出来るんじゃないかと」
「兄さんも簡単に言うね。そもそも輸送費とかどう考えてるわけ? 安く買ったって、輸送費で結局赤字になるのが関の山だよ」
「やってみなきゃ分からんだろう」
「はぁ……」
そこからも私は、父とあれこれと話し合ったが……完全に納得出来る条件なんて、簡単には見つかりようもなかった。そもそも我が家に取れる手段は少なくて、父としては結婚する以上、出来る限り良い条件を引き出して家を豊かにする――という事以外は、あまり眼中にないようだ。
一応少ししてから勇気を出して、故郷への恩返しをしたいという思いも伝えたが、返事は「ああ」という、相槌なのか適当に声が出たのか分からない言葉だけだった。
「……お母さんも来てくれたらよかったのに」
ぽつりとつぶやいた言葉は、父の耳には入っていかなかったようだった。




