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帝国から来た留学生御一行の目的は『集団婚活』 ~私は興味ないのになんで公開告白されてるの?!~  作者: 重原水鳥


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16 『神の娘』が見せたもの

 飛行船パーティーでのその後の記憶は曖昧だ。テーアと手を繋いだまま、ぼんやりとしながら時間が過ぎた。飛行船が飛び立つ時の感動も、降りる時には遠い何かになっていた。


 そしてそれから数日後。ロックウェル令息から手紙が届いた。


 ――ジョスリン殿下から許可をいただいたので、どうか我が屋敷に来ていただけないだろうか。


 要約すると、そういう内容が書かれた手紙を受け取った私は、すぐに了承の返事を送った。それから、テーアにある手紙を託した。


「何これぇ?」

「うーん。なんというか……万が一、私が帰ってこなかったりしたら、これをなんとか私のお父さんお母さんたちに届けてほしくて」

「……はぁっ!? 何それ。え、おうちデートに誘われたんじゃなかったの~!?」

「それに近いけど、まあ、何があるか分からないでしょ? アイスハート子爵令嬢が言ってたみたいに」

「……ロックウェル様が、アーヴェを無理矢理手籠めにする、って事?」

「より正確に言うと、ロックウェル()が、かな」


 言ってから気が付いた。そんな言葉がするすると出てくるぐらいには、私はロックウェル令息を信頼しているようだった。


「ま、何事もなく丸く収まる可能性の方が高いし、その手紙はただの保険だよ。お願いしていーでしょ? テーア」

「……そりゃ、ちゃんと持っててあげるし、万が一があれば届けてあげるけど……。そんな恐ろしい話し合いになるの? 今日」

「かもしれないって話。ぜぇんぶ、仮定だよ」


 人によってはそれだけ? と言われるかもしれない国家機密。


 それがどの程度のものなのか、私にはさっぱりだ。

 ロックウェル令息の態度だけを見ていればかなりの大事にも思えるし、アイスハート子爵令嬢の態度を見てしまうと、肩透かしを食らうような予感もする。ただ、皇子殿下の許可を得る必要があるのであれば、やはり、簡単に他国人に広めて良い話題ではなのには、違いないのだろうと思う。


「んじゃあ、行ってくるね」

「……ちゃんと帰ってきてよね」


 一応、笑って見せた。



 ▲



 留学生の方々が暮らしている屋敷は隣接して借り上げられているらしい。都でも高級住宅街と呼ばれている地区の一部に、帝国の家紋の旗がいくつも掲げられていると、まるでここが帝国のものになったようにも錯覚してしまう。


 そんな事を思いながら、私はロックウェル家の馬車を降りて、ロックウェル令息が暮らしているという屋敷の中に入った。


 案内された部屋にいたロックウェル令息の顔色はいつも通りだ。体調は悪くなさそうだった。


「本日は、お時間をいただき感謝する」


 そう言った彼の声はいつもより固く、なんだか、緊張している気がした。緊張は、私もしていた。でも、飛行船パーティーから数日間、ずっと考え事ばかりしていたお陰か、今日は少しだけ落ち着いている。


 部屋の中にはロックウェル令息以外にも、ロックウェル家で働いている方々が数人待機している。メイドの方は、私たちに紅茶などを淹れてくれていた。


「まず、話を始める前に、この石板に手を触れて欲しい」

「こちらは……」

「契約の石だ。この石に触れて宣言した事を守らなかった時、宣言をしたものに、罰が下るという魔法道具だ。……本当はこの石は使いたくなかったが、一応、内容によっては外で語ってはいけないような内容も口にする可能性があるので、これを使用するようにと指示が出てしまった」

「分かりました」


 片手を石に向かって出しながら、ロックウェル令息の顔を見た。


「それで、なんと宣言しましょうか? ここで見聞きしたことを外では話さない、とかでしょうか」

「……躊躇いがなくて、ありがたいけれど、驚いてしまうな。……そうだな。一切話さないなどというと怖いから、僕の許可なく、第三者には伝えない……という形にしよう」

「かしこまりました。――アーヴェ・カレンダは、フレドリック・ロックウェル令息の許可なく、ここで見聞きした事について第三者に語る事はいたしません」


 宣言と共に、石が光った。手を退けると、そこには私の手形のようなものが染み付いていた。


「これで契約が成されたという事で良いのでしょうか」

「ああ。以後、どうか語る内容については気を付けて欲しい。では、本題に入ろうか」


 そこでロックウェル令息は言葉を切った。


「……運命の人というのは、より正しい言い回しを使うならば、僕、フレドリック・ロックウェルが最も幸せな人生を送った時の結婚相手、という意味合いになる。細かく言うと難しいし、人によって条件付けが違ったりもしているが……ある出来事から認識したそのパートナーの事を、我々はまとめて、運命の相手、という言い方をしている」


 どうして、説明が始まった筈なのになぞかけみたいに聞こえてくるのだろう。

 私の顔で、私の心境を理解したのだろう。ロックウェル令息はこう付け加えた。


「訳が分からないのは当然だ。これは帝国にいる『神の娘』の神術で発覚した事だ」

「『神の娘』といいますと、……聖都におられる、聖女様の事でしたでしょうか?」


 確か、ラガーラ帝国の国教であるホルイ教ユーニヴェル派の中心地、聖都におられる人だよな……?


「考え方としては間違っていない。ただ、まだ今代の『神の娘』はご存命だ。聖女という呼称は相応しくないな」


 あ、そうか。『聖女』は、亡くなられた後、尊称として使われる呼び方か。チィニーには直接は関係ない考え方だから、ついつい聖女という言葉のイメージの方が強い。


 チィニー国もホルイ教ではあるけれど、国境は宗派が違うのだ。チィニーはブイブル派という宗派を国教に定めていて、ユーニヴェル派とやや教えというか……重要視している考えが異なっている。

 ただ、ブイブル派はユーニヴェル派から邪教とは判断されておらず許容されている宗派なので、ユーニヴェル派の人とブイブル派の人が結婚する上での障害は現状ない。閑話休題(はなしをもどそう)


「えぇと、つまり、『神の娘』の神術により、フレドリック様にとって最良の結婚相手をお探しになった、という事ですか」

「ああ……」

「それで選ばれたのが、私……?」

「……うん」


 神術っていうのは確か……魔法とは違う力で、聖なる人のみ使えるとされる、秘術の筈。チィニーには使える人なんていないのでよく分からないが、この前ラガーラ帝国史の授業で聖女様について出てきた際に補足されていた。


「僕は『神の娘』に神術を使っていただいて――」


 ……いやでも、『神の娘』のお力を借りて探したとして、それって、国家機密にするような事?

 だって、ラガーラ帝国史の教科書でも聖女の話題や、歴代の聖女が使った神術の話は乗ってる。そんな秘匿されている情報でもない筈。


「その際に――」

「それが国家機密、なのでしょうか」

「ん?」

「アッ! す、すみません、お話の途中に遮ってしまって」

「いや、構わない。先にアーヴェ嬢の疑問に答えよう。……出来る限り秘さねばならない事情は、『神の娘』に神術の使用をお願いするに至った経緯の方だ」

「なるほど。……そちらもお教えいただける、という事で間違いないでしょうか?」

「勿論だ。……一応お尋ねするが、アーヴェ嬢は、帝国について知っているのは、どの程度だろうか」

「帝国に関する知識ですか? 現在チェルニクス魔法学校で行われるようになった、帝国史で教わった事以外は存じ上げません」

「そうか。ではそうだな……簡単な歴史の話からしようか。ラガーラ帝国は、長年、国土を広げる戦争を繰り返してきた過程で、なによりも魔法の力を重要視してきた歴史がある。チィニーでもあるだろうが、魔法の力を高める為に、同じ属性の者同士での婚姻を繰り返すか、あるいは魔力量が多い者と子供を作るのが一般的だった。当主は第二夫人、第三夫人を抱え、より強い血を残す事が、最重要な事と考えられてきていた。中には、強い子を産めるからと、複数人の男性と離婚再婚を繰り返し、子を産んだ女性もいた。女性だけじゃない。強い火属性の子を作れると有名になった男性が、複数の火属性の貴族家を渡り歩いた話もある。……同属性を保有する者同士で子を成す事や、より魔力量が高い者の血を手に入れる事は、ラガーラ帝国では善だった。戦争の頻度が落ちた後も、その考え方は変わらなかった」


 愛人や第二夫人を抱えるところまでは理解出来る。

 けれど離婚再婚を繰り返してまで、自分が望む条件の子供を作ろうとしたという歴史は、正直にいうとちょっと気持ち悪くは感じる。

 だがそれほどに、魔力が多く、強い魔法を使える子供を残すのが、ラガーラ帝国では重要視されてきたのだというのは、伝わってもきた。


「話は今に移るが……ここ数世代で、僕のような、体が弱くなる子供が増え始めた。医術は進歩しているのに死産は多くなり……、生まれたとしても社交界に出れるまで生き残れる子供は数えられる程度に落ち込んでいる。表でそれを声高に語る人間は少ないが、当然、帝国内ではその原因を探る動きがあった」


 帝国より技術の劣るチィニーですら、そんな出生率低下の話はない。


 家を守る事だけを求めるならば、養子を迎え入れれば解決する。

 けれど帝国ほどに時間をかけて血統を重ねてきた国だと、多分……そう簡単に養子を入れれば良い、という話では解決しなさそうだ。


「調査の結果、この出生率と無事に育つ子供の数の低下は、殆どが歴史の長い名家と呼ばれるような家で発生しているんだ。平民や、貴族でも新興の家や低位の家ではこの傾向はない。そしてその結果と共に、この原因が魔力至上主義や属性至上主義による政略結婚によるものだ、という研究結果が出された。過ぎた魔力至上主義や属性至上主義の結果、生命が許容出来る限界を超えてしまったと。……まあ、その考えが広まるとまずいとする者が多かったようで、早々に論文は消されてしまったそうだが……」


 コワ……。


 まあ、長年魔力量や属性を最重要として政略結婚を繰り返していたのに、急にその真逆の方針に変えるのは簡単ではないでしょう……。でもそうか。


 ――「強いて言えば、私共帝国人の傲慢の結果を、避けるための手段でしょうか」


 飛行船でアイスハート子爵令嬢が語っていた事は、そういう意味だったのかな……?


「……えぇと、でも、一応、原因が分かったのですよね? それ以降は、昔とは違う選び方をして相手を選べばすむのではないでしょうか……?」

「その考えの家や人も、少なくない。だが、出来る限り早い解決を望む家もあった。……その一つが、皇帝家だ」


 皇帝一家……皇子殿下のご家族か。


「……現皇帝陛下には、皇后陛下のほかに、第一から第四までの御妃様、そのほかにも複数の愛妾様を抱えていらっしゃる。その方々との間に、皇帝陛下は、現時点で二十人の子を成しておられる」


 ワ、ワァ、凄イ、オツヨイ。

 ウン。

 まあ、帝国の、頂点だしまあ、そういう事もあるか、まあ。


「その二十人の御子のうち、現時点でご無事なのは、ジョスリン殿下を含めて、七人だけだ」


 半分も残っておられないが!!!


「――この二十人というご人数も、無事にお生まれになって、一歳のお披露目がなされた御子しか含まれていない。……お流れになった御方やすぐに天に帰られた御方は含まれていないと言われている」


 つまり、実質的な皇帝御一家の皇子、皇女の生存率は、もっと低い訳だ。


 なるほど……これは他国で大っぴらには語れまい。

 国内では流石に公然の秘密にはなっているだろうが……、少なくとも、チィニーでは、帝国の貴族の出生率が一部低下している話だとか、皇帝一家に生まれた御子の生存率の低さなんて話題は、聞いたこともない。

 既に広まってしまっている国で噂になるのは仕方ないとしても、広まっていない国でわざわざその話題を広めるメリットは一切ない。……できる限り広まらないように立ち回るだろうな、それは。


 にしても……。二十分の七でも随分な割合なのに、もっと低い確率でしか、子供が生き残っていないなんて……。


 ……ただでさえ身分が高い家では幼いころから暗殺とかの危険もあると聞くのに、生来体が弱いとなれば、子供を一人成人させるために割かれる労力はどれほどのものだろうか。


 最初は皇后に加えて四人の側妃、さらに愛妾まで抱えているなんてなんて性欲が強い皇帝陛下だ……とか思ってしまったが、とんでもない。むしろ、それだけ子が命を落とすのであれば、皇族の血を継ぐ指名を一人の女性に押し付けたら、それこそ女性が狂ってしまう。


「……切羽つまった状況であられたのは、分かりました」

「そこが分かってくれると、話が進みやすくなる。そして、皇帝一家と同じ状況になっている家は、少なくない」


 理屈は同じか分からないが、ロックウェル侯爵家も似たようなものだろう。ロックウェル令息は三男。つまり上に二人お兄さんがいる訳で、こちらは恐らく存命。けれど上に二人いたというお姉さんはどちらも故人。……ロックウェル令息も下手をすれば亡くなっていたかもしれないのだから、こちらも、割合としてはなんとか半分を超えられた、という感じか。


「栄えある皇帝の血筋を絶やす訳にはいかない。今ご存命の御子がこれからも無事に生きていられるかの保証もない。血の近い公爵家もほぼ全てが似た状況で、養子がどうのという話をする余裕もない。国を統べる血筋の上位層が揃って跡継ぎ問題に悩むというのは、大きな問題に繋がるんだ」


 大きな問題?


「……簡単に言ってしまうと、革命の類が起きやすくなる、という事だ」


 あ、あ~……。成程……。


 小国チィニーではほぼない悩みだ。独立したら、ただでさえ小さい国よりさらに小さい国になる訳だから……周辺諸国からさらに見下される事間違いない。だから、チィニーでは独立騒ぎのような問題は、ここ数百年起きていない、筈。


 一方、帝国は戦争で国土を広くした国。現在は表立って大きな問題はない風になっているが……、戦争に負けて領土に組み込まれた地域の中には、水面下で独立を夢見る地域も少なくないのだろう。

 そこが独立の為に武器を取ったとすれば、戦争が起きるのは避けられない。帝国もやすやすと独立を許すわけにいかないからだ。

 革命と呼ばれるにしろ戦争と呼ばれるにしろ、戦いが一度起きれば、簡単には終わらない。少なくない人間が命を落とす事になる。


 ……どちらかというと、こちらの事情が、国家機密、なのかな?

 多分、独立をたくらみやすいのって、帝国の中心から遠い、国境付近の土地。となると、チィニーからの距離はそう遠くないから……もしチィニーで、帝国のお貴族様事情が広まって、他国にも伝わったら……うん、まずそう。


「様々な理由から追い詰められた皇帝一家が救いを求めたのが、教会――聖都におられる『神の娘』だった」


 なるほど。ここで教会『神の娘』に、話がつながるのか。


 意外ではない。人の手だけでの解決が難しければ、神に救いを求めるのはよくある事だ。神が簡単に人々に救いをもたらすかはどうかは、その時々としか言いようがないけれど、苦しい時、人は皆、神に祈る。


「『神の娘』は普通の人では扱う事が不可能な、神術を使う事が出来る。その一つには、いわゆる予言と呼ばれる術がある。皇帝陛下は、その予言の使用を求めた。予言を用いて、御子たちの命を救う最善の道を知ろうとされたんだ。これに対し、普段、聖都の奥で祈りに従事している『神の娘』は答えを示す事を約束した。同時に、救いを求める者全てに、己の神術の力を浴びる事を許された」


 さっぱり分からない。


「どういう状況かもう少し詳しく説明をお願いしてもよろしいでしょうか」

「分からないのは当然の事だ。この試みは、史上初の試みだった」



 ――曰く。


 神術は、あくまで『神の娘』が神に祈り、その返答として娘のみが振るえる力だ。神の御力を、『神の娘』を介してこの世に下ろす術。そういう意味で、魔法とは異なる力である事は、間違いない。

 神の御力を下ろせる人間が、『神の娘』と呼ばれる事になる。だから、代替わりしていく教皇と違い、『神の娘』は不在になる期間も少なくない。


 重要なのは、神の御力を下ろす為、神がその力を使う事を許さなければ、使う事も出来ないという点と、『神の娘』しかその力を使う事は出来ないという二点だ。


 例えば、癒しの力であれば、『神の娘』のみが死者を生き返らせるほどの術を使う事が出来る。

 仮令『神の娘』から「癒しの力を使って」と頼まれたとしても、『神の娘』以外は使えない。

 それはなんとなく理解出来る。


 なので予言の力も、あくまで『神の娘』が神に答えを望み、神は『神の娘』にのみ答える形式でしか行われてこなかったそうだ。

 一問一答。一対一の対話。一回の質問で、複数の回答を得る事は出来ない(解釈によって複数の意味に取れる答え自体はよくあるらしいが……)。


 ところがその時行われたのは、本来『神の娘』しか出来ない、神から直接未来の一部を切り取ったイメージを垣間見る事が出来るという、奇跡の実演。

 ……大分やばい話しているのでは? こちらの方がよほど国家機密では?


「『神の娘』は語られた。子を失った親の哀。子の幸せを願う親の愛。――神は、この苦しみを超えるための機会を、望む者全てに与えられる事にされた――と」


 ロックウェル令息は目を閉じられた。何かを思い出しているような様子だった。目を閉じたまま、彼は語り続けた。


「…………ここからは、多分、僕個人の体験を話した方が良いと思う。……あの時僕は、よく分からないまま、家族と共に聖都に向かった。兄二人に手を引かれて、荘厳な大聖堂に入った。多くの帝国貴族の子弟がその場にいた。ジョスリン殿下も御兄弟と共にいらしていた。大聖堂が埋まるほどの人数の子供から若者までが入り、そして、最も高い祭壇に、『神の娘』は現れた。それからは、『神の娘』の指示のまま、僕たちは目を閉じた。――機会は一度だけ。今からあなた方が垣間見るのは、あなた方が幸せになった未来の一瞬。……彼女はそう仰られた。そして聖句を『神の娘』が唱えた後、僕は荒地に立っていた」


 荒地?

 夢を見たという事だろうか。それが、予言の力?


「荒地は少し、言い過ぎかもしれない。だが草原とも言えない、少しの雑草が生えているだけの、知らない場所だった。見覚えは全くない土地だ。そもそも、僕に過保護な家族が、太陽がよく照っている下に、僕を送り出す筈はない。そう疑問に思うと同時に、僕の視線の先に、一人の女性の姿が立っているのに気が付いた。つばの広い帽子をかぶった女性だ。全く知らない女性なのに、その後ろ姿を見た瞬間に、僕は彼女を探していた事を思い出した。僕は名前を呼びながら彼女に近づいた。なんという名で呼んでいたのかは、思い出せないんだ。ただその音は彼女の名前で、僕はその名前を、親しみと慈しみを持って呼んでいた」


 ロックウェル令息の声は酷く優しかった。口元が、優しく、弧を描いている。今語っている光景が、彼にとっては素敵な記憶なのだろう。


「聞こえている筈なのに、彼女は振り返ってくれなかった。僕がすぐそばによってやっと、振り返った。帽子のつばのせいで、口元しか僕には見えなかったよ。その時に気が付いたけれど、その女性は若い女性ではなかった。見えている口元は皺だらけで、かなりの年配の女性だった。彼女は手紙を持っていたよ。近づいてきた僕に、彼女は笑った。反応しないのは、彼女なりの悪戯だったんだ。それが僕は本当に愛おしくて……そっと、彼女の肩に手を回した。その時に気が付いたんだ。僕の手もまた、皺だらけだって事に。それを理解した瞬間、ああ、これは未来の光景だと、僕は思った。大人になれないと言われた僕が、誰かと結婚して、皺だらけの体になるまで生きた未来だと、疑問も疑念もなく、信じられた。――気が付けば、僕は大聖堂で座り込みながら、泣いていた。僕と同じような子供はほかにも沢山いた」


 ロックウェル令息がそっと、瞼を押し上げる。のぞいた瞳が、ゆっくりと、私を見た。

 その目が妙に、強い光を放っているように感じて、私は身じろぎも出来なくなった。


「あれは、君だった」


 いつの間にか、ロックウェル令息は、私の手を掴んでいた。テーブルの上で、一方的に握られた自分の手を見おろしながら、私は、飛行船パーティーの日から今日までの間に、考えていた事を思い出していた。

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見覚えの無い場所・顔が見えない年を取った姿と、運命の人を探し当てるにはこれだけでは情報が少なすぎる気がするけどここからどうなっていくんだろう
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