13 急展開……?
授業で失態を犯した二年生には、かなり叱責が加えられたと後から聞いた。
状況としては、アイスハート令嬢に良い所を見せようとした学生が、自分が制御できないほどに魔法を巨大化させてしまった。普段制御した事のないサイズまで風の渦を大きくした為、当然、的に当たる事なく魔法は大きく向きを変えた。
ここで運の悪い事は、この魔法が風の魔法だった事だ。ほかの魔法――水や火や土とか――であれば、単純に違う方に真っすぐ飛んでいっただけですんだだろう。だが、風魔法で、しかも事前に渦巻かせていた。そのせいで、ただでさえ視認しにくい風魔法の飛んでいく軌道を読むことが難しくなってしまった。
二年生たちは各々警戒し、結界などを貼って対処しようとしていた。その中で、風魔法が触れた事で地面が切られた事に気が付いたロックウェル令息が、その跡の方角から一年生に向かって飛んでいる事に気が付いた。
ある程度の自衛をすでに学んでいる二年生と違い、一年生は、家で学んだ者でもいない限り、自衛の為の魔法を使えない。それを理解しているロックウェル令息がすぐに、土魔法で壁を作り出した事で、一年生の身は守られた。
けれどもしあの壁がなかったなら、どうなっていただろうか。テーアが言ったように、恐らく私やテーアなど、一番前の列にいた学生たちは酷い目にあった事だろう。最悪の場合は……。
ただそれも、あくまで仮定の話。結果として、ロックウェル令息の活躍もあり、怪我人はいない。
その為、この一件は、学生の個人的なやらかしというよりは、学校側の監督不行き届きな一件として処理される事になった。
問題を起こした二年生の担当をしていた先生は、当事者である学生の魔法の暴発を防げなかった事。
そして、もう一方は、観戦しかしていなかったとはいえ、自衛手段もほぼ持たない一年生の傍に、誰も先生が控えていなかった事の方が、問題視されたのだ。
学生として通っている以上、やらかした二年生も学んでいる側でしかない。その失敗が酷くならないように監督し、導くのが教師の役目と考えられたそうだ。
詳細については――特に誰がやらかしたのか、という部分とか――あまり大きく出されないようにされた。変わりに、「二年の授業を一年が見に来ていた際、魔法が失敗した学生がいた。その学生の魔法が一年生に向かったが、留学生のロックウェル侯爵令息が完璧に守り切った」という話は大きく広まった。
留学生の中で、ロックウェル令息の株は大きく上がった。
女性陣は色めき立ったし、男性陣の間でも、なんと男らしいのかと評価が上がったらしい。
その結果何が起きたかと言えば……。
「カレンダさん。お聞きになって? カルメーロ様がロックウェル様とお話されておりましたのよ」
「この前はエジェオ様がロックウェル様と昼餉の時間を共にしておられましたわよ」
……こんな風に、ロックウェル令息と他の誰か(主に女性)がいつどこで何をしていたか、という目撃情報の報告が、やたらと増え始めた。
当たり障りない返答をして流しているけれど、何度も何度も耳に入ると、段々気が滅入ってくる。わざわざ教えてくれる親切な人というのは、まあ、私が慌てたりする様子が見たいのだと思う。その通りの事を何もしない私は面白くないようで、中には煽るように、
「そういえば、カレンダ様は最近デートには誘われておられないようですわね?」
と、付け加えてくる人すらいた。ロックウェル令息が忙しくなって誘われなくなったという経緯を話しても良かったが、ただでさえ目立つ留学生たちが、皇子殿下の下で何かを準備している。そんな事を耳にしたら、変な噂がたってもおかしくない。そう思いなおして、
「私の成績が不安があるものですから」
と答えた。人のデートの頻度まで気にしてるような探り屋なのだから、私の成績だって簡単に調べる事が出来る筈。成績に不安、というのは嘘じゃないから、探られても違和感はないだろう。一応言うが、座学とかではない。
何の事かといえば、氷属性のゼミでの成果があまりよろしくないことだ。
まだまだ専門的な授業は始まったばかりなのだから気にしなくてよい程度の成績不振だが、気にする人は気にするとも思っている。
その間も、ロックウェル令息から手紙は届く。
同じ学校に通いながら、主な関係が文通という不思議な距離感が、私とロックウェル令息の間では保たれていた。
(今週もデートは……なさそうだな)
手紙に書かれている文面を読みながら、そう思う。あっという間に月日というものは過ぎるのだと最近は感じている。
水面を少し凍らせられるのが限度だったのが、最近は、桶の水面全体を凍らせられるようになった。まだ中の水全ては凍らせられないけれど、軽くたたくだけでは割れない厚さの氷を作れるようになったのは大分進歩だ。前は、指先で少し触れただけで、氷が割れていた。
一方で、進歩が全くないのが、私とロックウェル令息の関係だろう。ロックウェル令息が望むような未来に進む事もなく、かといって私が望む状況になる事もなく。婚約もしていない、ただの恋人同士という名目の関係が、なんとなく過ぎている。
手紙の返信を書き終わると、ベッドに腰かけて髪を梳いていたテーアが、不思議そうに問いかけてきた。
「念入りな準備、しなくてい~の?」
含みの多い言い方に、私は眉根を寄せた。
「……何? デートなら今週もないけど」
私の言葉に、テーアは驚いたように目を丸くした。
「えぇっ! ジョスリン殿下が関わってる準備って、随分時間かかってるんだねぇ~。アーヴェも、そろそろ寂しくなってきたんじゃないの~?」
「ならないわよ、別に! 毎週のようにデートしてた方がおかしいんだから!」
「えぇ~~~そうかもだけど。そうかもだけどさぁ~。でも、学校では会えないしお話も出来ないんだから、週末には会いたくなるものじゃないのぉ?」
私は大きくため息をついた。
「あのね? 本気で好き合ってる恋人同士ならそうかもしれないけど、私たちはそうじゃないんだから」
「ふぅん? そういえば運命がどうのってぇ~、聞き出せたのぉ~?」
「……それは。まあ。まだだけど」
その話題に関しては気まずくて、ついつい視線を逸らす。髪を梳き終えたテーアはブラシを置いて、こう問いかけてきた。
「アーヴェ。ほんとは別れたくないんじゃないのぉ?」
「そんな訳ないでしょッ!!! 確かにちょっと、私がばかだけど!! でも今度こそ聞こう、って思った所で、暫く忙しいので、デートが出来ないとか言われたら、手紙で聞くのもなんか変じゃない?」
「いや逆に聞いちゃって良い気がするけどぉ? 口頭だと、アーヴェってば、また忘れそ~じゃ~ん」
「うっ」
「手紙の方が、何かに邪魔される事もないんじゃないのぉ?」
「ぐっ……」
机に突っ伏して、唸る私に、髪を梳き終えたテーアは呆れたような様子で言った。
「というかぁ。今の調子だと、別れる事も出来ずズルズル無駄に関係続けるだけじゃない? 続ける気がないなら、お互いの為にサクッと終わらせた方が良いと思うけどねぇ~」
「…………」
▲
(テーアの言う通り。私が早く結論を出さなくちゃいけない事だよね……)
だってロックウェル令息は、ずっと同じ意見なのだ。結論を出せていないのは、私だけ。
(分かってる。分かってるけど……)
でも、ロックウェル令息と過ごした時間から、彼が優しい人だと感じてしまったせいで、彼が傷つく事を伝えるのが、どうにも戸惑ってしまう。
そう思いながら、今日最後の授業を終え、荷物をまとめた時だった。
「カレンダさん! 呼ばれておられますよ!」
「……はい、今行きます」
廊下から、顔見知り程度の関係の学生にそう呼ばれ、とりあえず返事をする。一体誰だろうか。横に座っていたテーアと顔を見合わせて首をかしげて、それから私は鞄を持って廊下に出た。そこにいたのは、ロックウェル令息だった。
「ロックウェル令息……? なぜここに」
ロックウェル令息は、いつもより頬を赤く染めながら、私を見つめてきた。
「アーヴェ嬢。急に会いに来てしまってすまない……。少し、お時間をいただいても良いだろうか?」
「時間……」
数度瞬いてから、廊下に増え始めた人影に気が付く。今は授業が終わってからそう時間が経っておらず、人は多くない。けれど時間が経てば殆どの学生が教室から出てきて騒がしくなるだろう。
「別の場所に移動して、からでも良いですか?」
とにかく早く移動しようと思い即座に頷けば、いつも通り手袋をした手を差し出される。
「では、我々留学生が借り上げている談話室に向かいましょう」
少し迷いつつ、出されているのを断るのも……と考えて、その手を取り移動する。
チェルニクス魔法学校は貴族の為の学校だから、当然、貴族が使うような施設が存在している。そのうちのいくつかに、ごく親しい者たちだけが集まる談話室などがあるけれど、一部の高位貴族の方々は、一定期間――具体的には入学から卒業まで、という事が多い――丸々、その部屋を借りる事がある。お金がある人たちだけが出来る事だ。
留学生たちはこれだけ騒がれながら学校生活を送っていて大変そうだと思っていたのだが、この談話室の一区画が丸ごと帝国に借りられており、留学生一人につき一つの談話室があるのだと移動の最中に説明をされて、納得した。
個人が借りている談話室には、許可がなければ勝手に入る事も出来ないようになっている。勝手に入室したら犯罪だ。ついでに談話室の位置は教室が多い区画とほぼ真反対なので、「教室への移動で通りました」なんて言い訳も通らないので、用事がないのに談話室が並んでいる区画の廊下を通る人も殆どいない。談話室があれば、騒がしくなりがちなチェルニクス魔法学校内でも、落ち着いて過ごす事が可能と言う訳だ。
私はほかの学生に騒がれる事なく、無事にロックウェル令息が借りている談話室に移動した。
進められるがままに椅子に座った所で、頬が色づいているロックウェル令息に尋ねる。
「えぇと……それで、御用というのはなんでしょうか」
「以前、ジョスリン殿下がかかわっている案件の準備をしていると話しただろう?」
「はい」
「それの準備が出来てね」
そこで一度言葉を切って、ロックウェル令息は一通の招待状と思しき封筒を差し出してきた。普段の手紙より柄も紙質も凝っていると思しきその招待状はまるで光り輝いているようで、そこに私の名前が宛名として書かれている事はあまりに不釣り合いだった。
「……パーティーを開く事になったんだ」
「パ、ティー、ですか」
「ああ。飛行船に人々を招待してね。あまり長時間ではないけれど、チィニー上空を飛行船で飛びながら、立食パーティーを行う事になったんだ。主催は我々ラガーラ帝国からの留学生一同。そして招待する相手は、我々が自分で選んで招待をする事になっている。それで……どうか、このパーティーに僕と共に参加をして欲しい。アーヴェ嬢」
「……」
顔を赤くしながら、どこか必死な様相で、ロックウェル令息はそう言った。
即座に返事をする事が、私には出来なかった。
招待状に手を伸ばす事もためらわれて、暫くの間、ただただ無言でいるしかなかった。
(――受けたら、もっとロックウェル令息に期待を持たせる事になる、よ)
ロックウェル令息は、良い人だ。これが演技だとしたら凄いと拍手しか出来なくなるほど、本当に良い人だ。……彼の人の好さは演技ではないと、私は思っている。
けれど。結婚というのは、ひと夏の恋みたいな淡い思い出とする事が出来るような事案じゃない。家と家が結びつく。関わるのは私だけじゃなくて、カレンダ家の全ての人にも少なくない影響があるかもしれない。私がロックウェル令息を良い人だと感じている。それだけの理由で、うなずける話題じゃない。
(いや違う。これは言い訳だ)
――そうだ。そんな、尤もらしく聞こえなくもない、けれどどこか女々しい言い訳をして、私はずっと、曖昧にしていた。自分から相手を傷つける勇気もなく、相手が行動してくれる事ばかりを望む。そんな、卑怯な事ばかりをしてきた。
そんな弱い心でい続けるのは、もう、終わらなければ。
「ロックウェル令息、私は――――ロックウェル令息?」
「……っ、ふぅ、ウ゛……」
「ロックウェル令息? どうされたんですか?」
決意して顔を上げた私の目に飛び込んできたのは、顔が赤くなったロックウェル令息だった。それはもはや、頬が少し紅潮しているなんて域を超えていて、顔中に血が集まったように色づいて、額には汗と皺が滲んでいる。先ほどまでは真っすぐに私を見つめていた瞳は明らかに焦点が合っていない。
「もしかして熱があられるんですか……!?」
「……ぃえ、だい、じょ、ぶ、で……」
ロックウェル令息はテーブルに両手をついて、ふらりと立ち上がる。しかしその動作すら、見ていて不安を覚える様子で、とてもではないがそのまま歩かせる事は出来そうにもなかった。
今日はやたら頬が赤いと思っていたが、照れとかではなく体調不良だったのか。
「待ってください、一度座って……!」
そう声をかけながらロックウェル令息の体を支えようと、私は手を伸ばした。
「触るなッ!!」
「……!」
今まで聞いたことがないほどに強い拒絶に、私は伸ばした手をひっこめた。それから、荒く呼吸をし、制服のネクタイを震える手で緩めようとしているロックウェル令息を、呆然と見つめた。ロックウェル令息は自分が叫んだ事に、まるで少し遅れて気が付いたような様子で、私に視線を向ける。その瞳は酷く怯えているように見えた。まるで、悪い事をして叱られるのに怯える、小さな子供みたいな目だった。
「っ、ふたつ、出て、みぎ、隣の部屋に、アイスハートがいます。……僕の名前で呼べば、来る、ので……」
その場でしゃがみ込んでしまいながらそう言ったロックウェル令息はそれきり、胸元を抑えるような動作を繰り返すばかりで、喋らなくなった。私は足を半ば縺れさせながら、廊下に飛び出た。
(出て右、二つ!)
安全性の為か、扉には持ち主の名前はない。この部屋が本当にアイスハート子爵令嬢の部屋か、自信はなかった。けれど、戸惑っているうちに、ロックウェル令息が意識を失ったら?
「アイスハート子爵令嬢、おられますか……!? ロックウェル令息が、ロックウェル令息が体調を悪くしておいでなのです。おられませんか、アイスハート子爵令嬢!」
扉を何度もたたいてそう叫ぶと、数回目のノックの時に、ドアが開いた。たたらを踏みながら後退すれば、以前の授業の時に見かけた、アイスハート子爵令嬢がそこに立っていた。
近くで見たアイスハート子爵令嬢は思ったより背が高かった。彼女は私を見下ろしたが、何を言うでもなく、そのままロックウェル令息の部屋に向かっていった。私はその後を追った。
開けっ放しだったらロックウェル令息の談話室に入室していった。迷いのない足取りで、ロックウェル令息の傍に寄り添ったアイスハート子爵令嬢は、ドアの傍に立ちすくんでいた私に指示を飛ばした。
「ドアを閉めてください。この御姿を多くの人の目に入れる訳にはまいりませんので」
「は、はい」
ドアを閉めている間にも、アイスハート子爵令嬢は慣れた様子でロックウェル令息の背中をさすりながら、態勢を変えさせた。テーブルの脚にもたれさせるような形で座ったロックウェル令息の、外れていなかったネクタイをほどき、シャツのボタンも開ける。そして、アイスハート子爵令嬢はロックウェル令息の首元や頬に手を当てた。
魔法を使っている。
具体的な事は分からないが、多分、冷やすような魔法。
そういう魔法を使う発想は、私にはなかった。何より――何より、アイスハート子爵令嬢はロックウェル令息に拒絶されていない。ロックウェル令息に触れる事を、彼から、拒絶されていなかった。
私は何も言えず、何もできず、ただ立っている事しか出来なかった。