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31.久し振りの研究所で

 あの夜の事については、わたしもヴィクトル様も触れなかった。

 いつも通りの日々を過ごしていて、それで問題ない。わたしの恋心も知られていないし、ヴィクトル様が態度をおかしくする事もない。


 それが上辺だけのものというのは……理解している。

 だって、恋心を自覚して、いつも通りでいるっていうのは中々難しいものだと思うのだ。


 好きだと気付いたら、ヴィクトル様がもっとかっこよく見えてしまうし、ちょっとした事で意識をしてしまう。

 でもこの気持ちを知られて、気を遣われるのも辛いと思う。だからこの気持ちはどうにかして隠し通さないといけなくて。


 お屋敷を離れて距離がとれたら、きっとこの気持ちも落ち着いていくのだろう。

 気持ち全てをなかった事に出来ないとしても、ただわたしの心の中だけでひっそりと恋心を慈しむような事は許されるだろうか。


 そんな風に心の中では忙しくしていたからだろうか。

 妹との事を思い出して辛くなるような事は全くなかった。それが良かったのか、別の件で心を乱されている方が良くないのか、判断は出来ないでいる。



 浮ついてばかりもいられない。

 わたしは王命を受けているのだから。


 魔法式の構築はなかなか順調に進んでいる。それもヴィクトル様がサポートして下さるおかげなのだけど。

 今回の件では魔法研究でもいくつか新しい発見があって、儀式が終わった後も忙しい日々になりそうだ。そんな事をヴィクトル様と笑いながら話しているけれど、迎えるであろうその日々では、わたしとヴィクトル様は一緒にいないのだろう。


 それが少し寂しくて、でも当たり前の事だと納得している自分もいて。

 いつまでも一緒に居られるわけではないのだから。


 このお屋敷にお世話になって……わたしは変わった。

 好きなもの、嫌いなものが分かるようになってきた。古代文字に触れる事や魔法の研究も、出来るからやっているのではなくて……好きだから夢中になれるのだと気付く事が出来た。


 食事の大切さも知ったし、今までは自分を大事に出来ていなかった事にも気付いた。


 欲しても手に入らないものなんて沢山ある。そう、それがわたしの場合は家族だったというだけで。

 いつまでもそれに囚われていたら、また自分を自分で傷付けてしまうのだろう。


 そういう考えが出来るようになったのも、ヴィクトル様のおかげだ。

 ヴィクトル様が気付かせてくれた。本当に優しい人だと思う。その優しさを勘違いしてはいけない。そう何度も言い聞かせた。


 ***


 ある日のこと。

 ラウリス先輩から手紙が届いた。


 シィラが預かり、ヴィクトル様に渡してくれたらしい手紙には共同研究のお誘いについてが綴られていた。

 古代魔法の研究という事で、すごく興味がある。古代魔法なら自信も持てているし、研究で充分に力を発揮する事も出来るだろう。


 でも、今すぐに共同研究に参加するわけにはいかない。

 わたしが最優先しなければならないのは、精霊を目覚めさせるための魔法構築だ。もう少しで完成しそうなのに、次の瞬間にはひどく遠退いているような……そんな一進一退の日々。


 だから、研究に興味はあるけれど、今すぐは難しいというお返事をした。

 そうしたらすぐにまたお手紙が届いてしまう。


 今までは頻繁にやり取りをしている仲ではなかったから、ヴィクトル様も不思議に思っているようだった。だからそのまま、共同研究のお誘いだと説明をした。


 地下室の作業場で、わたしの机横に椅子を持ってきていたヴィクトル様が、机に頬杖をついた。


「共同研究か……」

「今は無理だとお断りしたんですけど、とりあえず研究内容だけでも確認してほしいってお願いをされてしまって。研究所に行っても大丈夫ですか?」

「うん、いいよ。オルソン研究員との話が終わったら、俺の所に戻ってきてくれる?」

「執務室にですか?」

「そう、昼になったら一緒に帰ろう」


 一緒に帰る。

 その言葉を以前と同じように受け取れなくて、胸が弾んでしまう。そんな自分を恥ずかしく思うけれど、それでも頬が緩んでしまうのは抑えられなかった。


「はい。でもお邪魔ではないですか?」

「アンジェリカが邪魔になる事なんてないよ」

「何かお手伝いできる事があったら、何でも言って下さいね」

「言ったな? 書類仕事が溜まってたんだ」

「誓約魔法が必要ないものにしてくださいね」


 冗談めかして弾む会話が楽しくて、わたしの笑みは深まるばかりだ。

 書類仕事を溜めるなんてこと、ヴィクトル様はしないと分かっているけれど。でもきっと……明日はわたしでも手伝えるようなお仕事を用意してくれるんだろうな。

 午前のお仕事が終わるのを待っている間、手持ち無沙汰にならないようにと。


 こんなの、好きになるなと言うのが無理な話だ。

 お屋敷でお世話になる事が決まった時は、好きになってしまうなんて考えなかったのにな。

 そういう気持ちが分からなかったのもあるけれど、わたしには縁のないものだと思っていたから。


「アンジェリカ?」


 黙ったわたしを気遣うような、お砂糖みたいな優しい声。

 ああ、また胸の奥が苦しくなる。


 わたしは何でもないと笑って見せて、魔法式の計算をするべくペンを手に取った。

 この恋心が気付かれないようにと、蓋をして、胸の奥にしまいこんで。


 ***


 翌日は今にも雨が降りだしそうな程に、厚くて暗い雲が広がっていた。湿り気を帯びた風が木々を揺らす。

 ぽつりと雨が落ちたと思って空を見上げても、続く雨粒は落ちてこない。いっそ一気に降り出してしまえばいいのにと思うような空だった。


 所長室と隣り合う、ヴィクトル様の執務室から廊下に出る。人の気配はなかったけれど、誰とも会わなくて済んで少しほっとした。

 わたしが別任務にあたっているのは公表されているけれど、それでもヴィクトル様のお部屋から出てくるのを見られるのは避けたいところだ。


 夜会でわたしとヴィクトル様が一緒だったのを見ている同僚達もいるし、何があったか聞かれる事もあるだろう。上手な受け答えが出来るとも思えないし、出来れば誰にも会いたくない。


 そう思って、出来るだけ人の少なそうな道を進む。

 今日、ラウリス先輩に指定された場所は会議室だ。いつもは先輩の研究室に呼ばれるのだけど、と思ったけれど……人に会わないで済みそうなのはありがたい。


 やってきた会議室には【使用中】のプレートが掛かっている。

 ノックをすると、明るいラウリス先輩の声が返ってきた。


「失礼します」


 ドアを開けて中に入ると、椅子に座っていたのは──エドラだった。


 どうしてここにエドラが?

 驚いてしまって動けないでいるわたしの背を押したのはラウリス先輩だった。振り返るとにこやかに笑っているのに、何だか薄気味悪いとさえ思ってしまう。


 先輩が音もなくドアを閉めた。

 何だか嫌な予感がして、ここから今すぐ逃げ出したいのに、先輩はわたしをエドラと向かい合う椅子に座らせた。


 エドラの向こうにある窓に、雨が当たる。

 降り始めた雨はその勢いを増すばかりで、外の景色が歪んで見えた。


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