第58話
「いやー、来年が楽しみだなぁ!」
ルネはもらった山荷葉をご機嫌で鉢に植え替えた
「えーと…暑さには弱い。冬は根っこだけになるのか。じゃあ日陰に置いた方がいいかな」
園芸図鑑と首っ引きで、鉢を抱えて部屋の中をうろうろしている
なんで嵐は突然あんなことを
今まで面と向かってプロポーズなんてされたことがなかった
大学で初めて出来た彼氏とは、なんとなくで付き合い始めて、徐々に会う回数が減っていって、ろくな言い争いもすることなく疎遠になって、揉めないうちに別れようって私が別れ話を切り出した
高校までに出来なかったことを大学からやり直すのは難しい
いや、無理だった
嵐は女王という権能を捨ててまで私の力が欲しいのか?
この期に及んでもまだ嵐の好意を好意と受け止めることが出来ずにいる
人は損得で動いているとしか考えられない大人は、ストレートな感情をぶつけられると困惑することしか出来ない
確かにゾンダ様やカルマ様を出し抜くことは出来ると思うが、それで嵐が得られるものはケチな優越感ぐらいだ
流石に嵐がそういう人間でないことはわかっている
だとしたら、だとしたら…
解き方はわかってるけど、誰も答え合わせしてくれなかった問題に挑んでるみたいだ
この世界に来て随分チヤホヤされてきたが、ああやって好意を表現されたことはなかった
それも身近な人間に
「つむじ、ちょっとこれ持ってて」
「えっ」
ルネから今植えたばかりの鉢を手渡された
蓮みたいな葉っぱが黄色くしわがれている
こんな草にルネがこんなに熱心になるような花が咲くのか
「ここにしよう」
ルネは部屋の角のチェアレールの上に、ホームセンターで買ったコーナーハンガーを乗っけた
体重をかけたりして様子を見ている
「うん、オッケー」
私の手から鉢を取り上げると、コーナーハンガーの上にそっと置いた
床で寝るときの頭の真上だ
「そんなとこに飾るの?」
「日陰に咲いて環境の変化に弱いらしいから、外や窓際には置けない」
何故嵐のプロポーズを一笑に付すことが出来ないんだ
普通なら真に受けない
私がこの世界の不文律を理解したからか?
だとしても、あゆ様のような人間が言ったら冗談にしか取れない
単に嵐は普段そんなことを言わないから、私は驚いているのだろうか
もちろんそれも事実ではあるが、他の誰かだったらこんなに心を揺さぶられてはいないだろう
例えばアイちゃんだったら、多少困惑はするけれど、はっきりお断りできると思う
私が断ったとき嵐が何と言うか想像できない
できない、というか、そうであって欲しくないという選択肢がいくつも浮かんでくる
嵐との関係を壊したくないんだ
だからってプロポーズを受け入れたらどうなる?
なんでただの友達じゃだめなの
嵐の庭から越してきた山荷葉に、心の中で問うてみる
「そんな顔しなくても、来年にはちゃんと花が咲くよ」
ルネにはそんな顔に見えたようだ
ルネにも相談できない
きっと怒るというか、ネガティブな反応を返してくる
それにどうするのか尋ねられたら答えようがない
どうするのか相談するのはそもそも正しくない、ということだ
私の中に答えがないものを人に尋ねても何も出てこない
人はこういうとき鉢植えに話しかけるものなんだろう
だとするとルネの部屋は大分賑やかだ
何か悩み事を抱える度に鉢を増やしていたのかもしれない
私も何か鉢植えを…
青いポインセチア
そうだ、あの子
あの子もルネと似たようなものかもしれないが、温室にはしっぺいもいる
話しかける鉢もたくさんある
「ちょっと出かけてくる」
「こんな時間から?」
外はもうすっかり暗くなっている
嵐の家から帰ってきたのは午後3時くらいだった気がするが、2~3時間もぼーっとしていたのか
「ごはん先に食べてて」
「どちらに行かれるんです」
「しっぺいのところ」
そういうとブランは諦めてくれるようになった
幾度となく温室に入ることを試みたが、温室への道はありとあらゆる手段でブランの行く手を阻んだ
何を目印に篩い分けているのかわからないが、私以外の人間が出入りしている様子はない
過去の記憶を持っていることがひとつの条件ではないかと踏んでいるが、ルネは温室に興味を示さないのでまだ試せていない
ルネほど長くこの世界にいて、まだ知らない場所があるというのも驚きだが、そもそもルネは温室の存在を信じていないようだった
自分より植物を集めている人間がいるのが癪なのだろうか
街はすっかり秋の装いで、そろそろ冬物を揃えないと凍えてしまう
死なないのにいつまでも凍えるほど寒いなんて厳寒地獄は勘弁願いたい
街灯がぼんやりと照らす坂道を行く
もう視界が定かでなくても迷わず目的地まで辿り着けるようになった
元々住んでいた街だし土地勘が効いてもおかしくはないが、駅と家とを往復する以外しなくなって久しかった私には新鮮な裏路地だらけだ
私だけではない
本来のこの街の住人でさえ、そこに知り合いでもいない限り通ることのない道だ
しかし温室に続く小径で他人と出くわしたことはなかった
ここは汽水域というか、もう既に人払いが始まっているのだと考えることにしている
そしてこうして身を捩りながらでないと通してくれないのは、茶室の入口に通じるものがある
まあ別に温室に出会いを求めているわけではない
温室の中は不思議と暖かかった
温室なんだから暖かくて当然なのだが、単にここの高原の気温より外の方が寒くなってきただけだ
「しっぺい?」
いつもあまり愛想のない狼だが、いるならいるで気配を放っている
でも今日は気配を感じない
植木鉢の棚を分けて奥へ進んでみる
やはりいない
本当に散歩に出ているのか
ベッドを見る
念の為布団もめくってみるが、女の子もいない
揃ってお出かけなんてことがないのはわかっている
まあ本当は鉢植えや狼じゃなくて答えが返ってきそうな相手に話を聞いてもらいたいところだったが、やむをえまい
聞き上手そうな鉢植えを物色してみる
どちら様もお忙しいご様子
みんな蕾のままだ
そうなると、あとここには温室の天井を突くような大木ぐらいしか話相手はいない
夜も冷え込まないのか、大木は葉を赤らめる様子もなく青々と茂っている
なんの木だかは知らない
残念ながら葉っぱを見て草木の種類を言い当てるような芸当はできない
見慣れたみかんの葉っぱに似ているが、みかんはこんなにでかい木にならない
こんなでかかったら収穫できない
「こんちは」
返事はない
風も吹かなければ虫も鳥もいないこの温室では、枝葉が音を立てることもない
幹を撫でながら話しかけてみる
「ちょっとさ、考え事してるんだよ。聞いてくれる?」
枝ぶりを見上げて答えを待ってみる
おお、いいよ、なんだい
「嵐に、何かやってみたいことはないのか、って聞いたら、お妃にしてくれって言われちゃってさ」
お妃って”やる”ものなのかい?仕事かい?
「そうなんだよな…女王としての私の公の配偶者は、それはもう仕事だよな…」
仕事じゃいけないのかい?人を雇うのと何か違うのかい?
「だったら、私の仕事を手伝いたいとか言うじゃない。お妃ってまたニュアンスが違うじゃない」
「好きってことでしょ?」
とうとう木が声を出して答えた
…いや、そういうふうに聞こえただけかな
こんな世界だし草木が喋っても不思議はない
しっぺいは喋らないけど
と根っこに目を落としていた顔を上げると、枝の上に鋏を持った女の子がいた
「うわああああああああああああ!?」
あまりにも仰天して尻餅をついてしまった
「何よ、聞いてくれって言うから聞いてたのに」
「違うよ!だって…」
ああもう、いちいち説明するのもしんどい
まあそもそも、人んちの庭に勝手にやってきて勝手に木に話しかけていた私が、この子の毎度の行いを責めるのは筋違いだ
「…木に話を聞いてもらおうと思ったの!」
「鏡にでも話した方がいいよ。返事してくれるから」
「病気じゃない」
女の子は枝を伝ってするすると木を降りてきた
私はもう口に出すのも呆れて手振りで女の子を指すと
「剪定してたんだよ。新芽が出る前に枝葉を落とすと大きい実がつくの」
立ち上がって天井に届きそうな木のてっぺんを見上げてみる
本当にここで成長してこの大きさになったのだろうか
「なんの実ができるの」
「非時香果」
「…聞いたことないな」
「橘のこと。ミカンみたいなやつ」
「あー…柑橘ではあったんだ」
見覚えのある葉っぱなわけだ
収穫するために品種改良されたみかんは低木と言っていい大きさだが、原種に近いものはこんなに巨大な木になるのか
「まだ実ったことはないけど」
そう言う女の子の顔は優れない
「…今度みかん持ってくるよ」
「別に食べたいわけじゃないんだよ」
こんな小さな子にも色々悩みはあるようだ
まあ、頭は大人なのに体が小さいだけなんて悩みでしかないか
コナンくんもしょっちゅう苦労しているし
「…何かいるものがあればさ、持ってくるよ。最近ホームセンター出来たの知ってる?腐葉土とか化学肥料とか、抱えてくるの大変でしょ」
「木にのろけてる人が、土や肥料で木が育つと思ってるの、面白いね」
「ノロケじゃないよ!」
女の子はベッドの下のカゴに剪定鋏を戻すと、ガーデンシンクに置いてあるブリキのじょうろに水を溜めた
「あなたはモテるからピンとこないのかも知れないけど、好意を伝えるのってエネルギー使うんだよ」
「モテてるのもピンとこないよ」
ここに来たときほどチヤホヤされるということはなくなったが、邪険にされたことはない
さりとて持て囃す気持ちも理解できない
「木に相談するほど思い詰めてるってことは、あなたも無碍にはできないと思ってるんでしょ」
「それと私が応じるかどうかは別の話」
「他に好きな人でもいる?」
ほらきた
この子もやっぱり、プロポーズ断るには他に好きな相手がいなきゃいけないと思ってる人種だった
「この世界は何、常に誰かとくっついてなきゃいけないの?そういうルールでもある?」
「やけに突っかかるね」
「好きっていうのもエネルギー使うなら、それを受け止めるのもエネルギー使うんだよ!どっちかって言うとこっちの方がカロリー消費するよ!」
「痩せそうでよかったね」
「私はこんな消耗の仕方したくないんだよ!いいじゃん、友達同士毎日楽しくやってられればさあ!」
「みんなそう思ってるよ。でもそう都合よくいかないから、どうしても、これだけは、って時には、力を振り絞って手を伸ばすしかないんだよ」
「…私は今のままがいい」
最初から答えは出ていた
でもこの子が言ったように、嵐はそれなりの覚悟でもってプロポーズを切り出したのだ
無碍にはできない
無碍にはできないが、嵐のチャンスを活かしてあげることもできない
自慢じゃないが私は、ごめんねお友達でいましょう、って言って本当に友達でいれる人間ではないのだ
「…あなたには、”あなただけの特別なチャンス”を譲りたくない人、いる?」
私はハッとなった
嵐には私を取られたくない相手がいる
それは単に女王の間の確執だと思っていたが、妃にしろっていうのはそういうことではない
あゆ様やゾンダ様のように、公私の別なく親密なパートナーのことだ
…そうか、くそ、そうか
私が拒んでいるのは、嵐との関係が変わってしまうこと自体ではなかった
「ここじゃ一番は待ってればいつか自分の番が巡ってくるかもしれないけど、特別なチャンスは二度とこないかもしれない。あなたも半年女王をやってるんだから、その特別を譲りたくない人がいるのもわかるでしょ?」
「でも…それは私にもある」
「じゃあ、どっちを取る?」
ここは悩み事のないユートピアなどではない
それはもうわかっていた
結局私は女の子の問いに答えられぬまま温室をあとにした
命の危険や生活の困難があるわけでもないし、こんなことで悩み抜けるのはある意味幸せなことかも知れない
ただ気になるのは、私が恋愛下手だからこうなのか、他のみんなはこの世界なりに割り切れているのか、ということだ
どっちにしても
「…しっぺい」
不意に暗がりに白いモワッとした塊が見えて、のそのそと歩み寄ってきた
一応尻尾を振って迎えてくれる間柄にはなった
「お前こんな時間に散歩してるの?」
頭を両手でわしわしと撫で回すと、目を細めてハッハッハと息を吐く
「『しっぺい』?女王様がそんな名前で呼んでるとはね」
暗がりにはもう一つ、赤っぽい塊がいた
全身真っ赤の、マリークワントみたいなモッズファッションにトラッドなチェックのマフラー
プラッドだ




