第57話
台風一家
台風父さん台風母さん台風兄さん台風犬
家族という概念が通じないこの世界では、こういう話も出来ないのだろう
一夜の暴風雨のあとは、爽やかな秋晴れと通り一面のゴミや落ち葉が広がっていた
まだ湿気の残る石畳を一服寺に向かって歩く
私達は嵐の家に招かれていた
この前おごった礼にということだったが、随分畏まった話だ
この世界に来てからしばしば人んちにお邪魔しているが、やはりあまり慣れない
もっとも、人んちに世話になり続けていて私の家などどこにもないのだが
行政区分の違いというか、こんなに明確な線引きをしなくてもいいだろうというくらい、一服寺住宅街の境界線はわかりやすい
さっきまでの石畳が、きっちり線を引いたように真砂土を敷いた路盤になる
こっちの方が水はけが良さそうだが、ブランは不満なようだ
「よく敷き固められてはいますが、所詮は砂ですよ。ここで完全に足音を消すのは難しい。街からして疑り深いのを感じますね」
「お金持ち多そうだからね」
私の知っているこのあたりは、家の大小立地に関わらず車が白いベンツだらけという、色々な事情が垣間見える狭い路地だった
ほどなく道が二又に分かれた
嵐の家は右手の下り坂の方らしい
築地塀の路地に立派な瓦屋根の屋敷
ここは一服寺の中でも明らかに異質な町並みだ
いや、リリカポリス全体でも、このように塀で厳重に囲われた家々は他で見かけることはない
「…ねぇ、大丈夫?何もいない?」
ルネはさっきからしきりに背後を警戒している
「尾けられてるような気配はありませんが、こういう場所ですからね。遠くから見てはいると思いますよ」
「そんなビクビクしないでよ。胸張って大股で歩きなさいよ」
するとルネは私の腕をぎゅっと掴み
「お願いだからちょっとは慎重になって!」
「だ…大丈夫だよ…」
ルネはなんだかナーバスになっている様子だ
「慎重に越したことはありませんぜ。今のつむじサンを取り巻く状況考えると、多少警戒心持って歩いてもバチは当たりませんよ」
そりゃそうかも知れないが
程なく道の石畳が復活した
石畳は石畳だが、家の方のそれとは明らかに違う
多分これは御影石だ
雲母の粒がキラキラと光っている
丁寧に切り出されて、どの石も整然と同じ形、同じ大きさだ
この御影石の路盤を挟むように、歩道部分には玉砂利が敷かれている
「ここを歩けってこと?」
「そこは犬走りなんじゃないですか?わざわざこんな平らな石敷いてるんだから、ど真ん中を歩けってことですよ」
ブランも何か居心地悪いものを感じ始めたようだ
周りを見回しても、明らかに家並み…というか通りの構えが違う
さっきまでのが日光江戸村なら、ここは金沢の武家屋敷だ
ここは築地塀ではなく質素な板塀になっているが、美しい木目で揃えられていて、驚いたことに節が一つも見当たらない
土台の石積みの隙間に草が生えていることもなく、手入れが行き届いているのを感じる
何より違うのは、塀のすぐ向こうに建物が見えないことだ
塀が囲う敷地の広さを示している
一服寺の奥座敷とでもいうのだろうか
塀と同じ板張りの門扉が開かれており、そこから庭が見える
「ここなんか竹林じゃん。家の庭で竹の子採れるよ」
「竹って横に横に広がってくんだよ。地面の中で石か何かで囲って根止めしないと、際限なく生えてきちゃう」
「…住所的にはこの辺のはずなんですがね…あれっ」
贅沢な石畳の通りが途切れ、真砂土敷きの大通りに突き当たってしまった
「…今門いくつあった?」
「…ひとつ」
「するとさっきの竹林が…?」
私達は石畳の通りに取って返した
先ほどの開け放たれた門扉しかこの通りに入り口はない
「竹林の奥の東屋で忍者修行してるとか…?」
「もしかしてこの石畳って私道なの…?玄関ポーチ…?」
「嵐様は一服寺の大地主ですからね。このぐらい贅を尽くした家にお住まいでもおかしくはないですよ」
売れたのにいつまでも大衆車に乗ってたら咎められた、という阿部寛の話を思い出す
ヴェーダ様のマンションやゾンダ様の砦…女王ともなると、カタギとは一線を画する住まいでなければいけないものなのだろうか
あの地下道がカルマ様の城だという話も、あながち嘘や冗談ではないのかも知れない
それに比べて私などは文字通りのリリカポリス無宿
女王を名乗る無頼の輩である
そりゃ方々から目を付けられても何の不思議もないか
「呼び鈴はなさそうですな」
ブランはずかずかと門をくぐって庭に入っていってしまう
「ちょ、ちょっと…」
「ここで待ってて使用人でも出てきたら、その方がバツが悪くない?」
「そうかなぁ…」
ルネに促されて私も門をくぐったが、ルネは私の左腕にがっしりしがみついている
なんなんださっきから
さっきまでの通りが玄関ポーチというルネの言は的を射ていて、それが証拠に門をくぐっても同じ石畳が奥に続いていた
石畳の先には竹林に築山、小さい池など、日本庭園よくばりセットを経て、茅葺きの慎ましい家が鎮座ましましている
2部屋分ぐらいの縁側の右手に引き戸の玄関がついていて、近代的な間取りをこういう建築に適用できるものなのかわからないが、いいとこ2DKか、1LDKといった規模感の平屋だ
この広さの敷地にたったこれだけの家とは、贅沢な土地の使い方過ぎる
まあそもそもここまでの庭が付いてる時点で贅沢なのだが
そしてさっきからちょっとした違和感を感じていたのだが、玄関前に立って気が付いた
玄関の上の方に行灯のようなものが付いているが、のぞき込むと電球が収まっている
ここには電気が引かれている
違和感の正体は、道路脇から茅葺き屋根に伸びる電線だったのだ
ここまで徹底された和の風情が電線一本で台無しだが、電気の利便性を捨てられないところに生活感が垣間見える
「これは…玄関チャイム?」
音符が描かれたボタンだけのシンプルな奴だ
インターホンの機能はない
まあこの広さなら大声で呼べば聞こえるか
息を整えて呼び鈴を押してみると、なんと聞こえてきたのはファミマの入店音*だ!
急に現実に引き戻されたというか、もう随分聞いていない電子音に得も言われぬ懐かしさを感じ、自分が遠いところに来てしまったのだと言うことを思い出させた
ホームシックということはない
失って惜しい暮らしでもなかった
ふと、まだ左腕にしがみついているルネを見る
「…何?」
ルネは不思議そうに私を見返す
こうして側に誰かがいたわけでもない
家に帰ってもスマホを眺めるだけの生活
趣味の一つも持ってれば違っただろうか
「なんでもない」
チャイムは比較的近くに聞こえた
せいぜい部屋一つ向こうといった感じで、家の外にいても来客に気付けるだろう
「はぁーい」
嵐の声だ
思った通り近くにいる様子だ
もっとも、先ほどからブランが何か構えるような様子だったので、近くに嵐の気配を察していたのはわかっていた
絣のような模様が刻まれた磨りガラスの障子戸が開いた
「いらっしゃい。上がって」
ラフな私服の嵐が出てきて、ふらっと寄った客を招き入れるように、私達を家の中に促した
髪も後ろでゆるい三つ編みにしただけで、いつもの隙のない格好ではない
玄関の先は土間だった
昔ながらのタイル張りのシンクとガスの五徳、奥には今も使っているのかわからないが竈がある
左手の小上がりには囲炉裏を囲む六畳ほどの部屋があり、その奥にもう一つ、障子で隔てられた部屋があるようだ
つまり1LDD
囲炉裏の上の天井は高く、茅はよく燻されて黒い
よく見ると隣の部屋は鴨居の上で仕切られているようで、物置になっている
なんとロフト付き物件だ
そして茅葺きに土壁だからか、音が吸い込まれるようだ
RC造の建物にはない、独特の落ち着きがある
「居心地良さそうなおうちだね」
「まあね。そのための家だから」
本当にくつろぐためだけの家なのだろうか?
嵐にとっては文字通りの隠れ家として機能するような、何か仕掛けがあるのではなかろうか
嵐は囲炉裏端に上がると、上の梁から吊るしてある鉄瓶を取って急須に注いでいる
私達も続いて上がらせてもらい、囲炉裏を囲んで座った
「そうだこれ、今川焼き。小倉とカスタードとうぐいすと、あと白あんがあるから」
初めて来る人んちに今川焼きってこともないと思うが、あまり格式張ったものを持って行くと何か別な意図に取られかねないとブランが言うので、駅前の茶屋で適当に買ってきた
茶菓子ぐらいなら気兼ねもするまい
「白あるの!?」
「嵐も白あん好きなの?あんまりないよねこれ」
「も、って、つむじも白派なの?」
「うん。カスタードよりあんこがいいけど、白あんって小倉よりトロッとしてるじゃない?あれがいいんだよね」
「あたしは断然カスタードだな」
「オレはハムマヨが好きなんですけどね…なかなか見かけなくて」
ブランは仕方なさげにうぐいすをつまんでいる
「珍しいね、甘党のブランが」
「肉っ気脂っ気も大事なんですよ」
そう言われてみると、確かに甘いものより肉に敏感な気はする
「どうぞ。ほうじ茶だけど」
と嵐は鉄瓶で淹れた茶を私達の前に並べた
「ありがとう」
気取りのない振る舞いと他愛のない世間話
招かれておいてこう言うのも何だが、おごられた見返りにしては慎ましい接待に思える
私はまだ嵐の意図を量りかねていた
わざわざこんな私宅に招き入れたのだ
ゾンダ様やカルマ様が一歩先んじていると考えてのことだろう
となれば、何か重大な話を切り出してくる可能性は高い
縁側の障子を開け、庭を眺めながらしばしのティータイムを過ごした
「それにしても広い庭だね。なんでもあるし」
「手入れが大変で家の方には手が回らないよ。雑草抜いて落ち葉掃いて」
「贅沢な悩みだ」
「飾り物じゃないんだよ?あの竹だって巻藁作るために育ててるだけだし」
「巻藁?」
「居合の練習に使う奴ですよ。竹に藁を巻いて、人に見立てて斬るんですよ」
とブラン
やだ物騒
「よかったら使う?奥に練習台があるけど」
「いいんですか?隊をやめてからちょっとサボってましてね」
「どうぞ。使わないと竹ボーボーになっちゃうからね」
「では遠慮なく」
いや一応遠慮気味にしろ
人んちだぞ
藁巻く手間だってないではないだろうし
ブランは立ち上がって、案内された土間の勝手口から家の裏手に出て行った
「悪いね。ブランのトレーニングとか考えたことなかった」
「いいんだよ、ほんと。私も最近サボってたしね」
「飾り物じゃないって言ったけど、築山とか池も何かの練習に使うの?」
うっかり”修行”と言いそうになったが、嵐が忍者衆の頭目であることは本人からは聞かされていないので、一応知らんぷりを通しておかなければ
「いやまあ、流石に一部はただの庭だけど。花植えたりしてる」
見ると池の周りには大小様々な草花が地植えされているが、今の時期はひときわ目立つのがコスモスだ
「この間まで山荷葉が咲いてたんだけどね」
「山荷葉!?ほんとに!?」
と今度はルネが反応した
「うん。来て。ここら辺にあるんだけど…」
と嵐は池の畔の花壇にルネを連れていった
ルネは座り込んで興味深げに花の落ちた草を眺めている
興味深いものがあれば、誰でもホイホイついていくんだ
「水に濡れるとガラスみたいに透き通る花が咲くんだよ」
と嵐はルネを置いて戻ってきて言った
「ルネが珍しがるってことは相当だよ。やっぱり贅沢なお庭じゃない」
「そうかもね。でもお金はかけてないよ」
裏手からイヤーッというブランのかけ声が聞こえてくる
あの剣でどんな風に藁人形を斬っているのか
「ね、部屋に来ない?」
嵐は障子の向こうの部屋を促した
手際よく人払いして準備完了、というわけか
上等、毒食わば皿までだ
「せっかくだしお邪魔しますかね」
時代劇に出てくるような、床の間に刀でも飾ってるほかは何もない部屋を想像していた
ところがというか、やっぱりというか、想像していたのとは大分趣の違う部屋だった
まずベッドがある
ごく普通の、宮付きフレームのベッドだ
嵐は布団を敷いて寝ていると思っていたので意外だった
縁側から一番遠い部屋の角、宮側が押し入れを塞ぐように置かれていて、ベッドの長手方向は北側の壁に接している
ちっ、金持ちはみんな西枕だ
私も西枕にしようと模様替えしてみたことがあるが、一般的なマンションの間取りだと南向きの掃き出し窓をベッドが丸々塞いでしまう
せっかくの窓際がもったいないし、寝床が窓の正面というのも落ち着かないので、すぐもとに戻してしまった
私に金運は巡ってこないようだ
壁はベッドの足下で途切れていて、その奥は天井裏へ続く階段になっている
そのベッド脇の壁にはコルクボードが下げられていて、写真が何枚か貼ってあった
あまりまじまじとは見なかったが、嵐の仲間やクラスメイトらしい人物と一緒に写ったものの中に、私と海に行ったときの写真があるのを見逃さなかった
あのときは嵐も私も写真は撮らなかった
流通している写真をわざわざ買ったんだ
日向側の明るいところに文机があり、並びに2段のカラーボックスぐらいのちょっとした本棚が置かれている
そのほかに小さめの箪笥(おそらく下着や靴下をしまうような)、その隣に姿見がついた鏡台、藤色の千鳥格子がグラデーションしている屏風、白い毛の円形のラグ、山田くんが持ってきそうな座布団
格天井の真ん中にはちょっと時代がかった照明器具があり、電球が4つ、竜胆のような笠の中にはまっている
そして香炉
家の中に入ったときからちょっと不思議な香りが漂っており、その出所はどうやらこれだ
別に不快な匂いではないが、嵐のいつもの匂いをかき消すほどの存在感を放っている
煤の臭いでもするから気を使ってるんだろうか
で、床の間には確かに刀が飾ってあるのだが、その後ろの掛け軸には荒々しい筆で”暫”とだけ書かれている
書いたのは嵐ではなさそうだ
達筆すぎて読めない筆者の名は、どう見ても1文字以上ある
それとも嵐の雅号か?
こういうのに四文字熟語や漢書の引用なんかが書かれていると思想が見えて嫌なものだが、暫一文字が果たして何を意味するのか、私には皆目見当もつかない
全体的な印象としては片付いている和室だ
採光も充分で明るく、これなら和室界隈と揶揄されることもあるまい
「そんなに念入りに観察して。なんか珍しい?」
「珍しいか珍しくないかで言えば、珍しいかな」
まず茅葺きの家って時点で大分珍しい
嵐が促した笑点の座布団に座る
「普通でしょ、こんな部屋」
「普通のこんな部屋には御影石のポーチや池のある庭なんかないよ」
「先代から丸々受け継いだんだよ。私も女王を辞めるときはここを引き払わなきゃいけない」
「そんなことって出来るの?」
「さあね…でも先代がそうしたように、いつかは私もそうする」
以前からちょっと思っていたが、嵐の仕事に対する姿勢はあまりやる気が感じられないというか、仕方なくやってるように見えていた
少なくともゾンダ様のような積極性はない
「嵐は女王辞めたい?」
嵐はちょっと意外そうに私を見た
「そうだな…そしたら私何になるのかな」
「ルーの先代みたいに先生にでもなるとか」
あるいは忍者の師範代か
「人が人にものを教えるなんて、おこがましいと思わない?」
「でも誰かに教わらなきゃわかんないこといっぱいあるよ」
「それは学ぶ意思があるからだよ。その気がない人は、知らないことを何とも思わない」
うん、嵐は先生には向いてない
強いて言うなら長老とか生き字引とか…まあそもそも知識や経験を後進に伝えるのが向いてなさそうだ
と言ってフレオみたいにパフォーマーというのはもっとないだろう
「嵐はなんかやりたいことないの?」
「…思いつかないな。ずっとこうしてきたから」
「でも一つくらいなんかあるでしょ。言ってみればその気になるかもよ」
嵐は遠い目で庭を見ている
家の裏手からイヤーッというブランのかけ声が聞こえる
「じゃあ…つむじのお妃様にしてくれる?」
少し間があってからバサッという巻藁が地面に落ちる音が聞こえ、ブランが刀を仕舞う音がキンッと響いた
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