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リリカポリス  作者: 玄鉄絢
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第56.5話

らん様、そこら辺の生徒からデッキのテーブルを片付けてくれと陳情が来ています」

「デッキのテーブル?それ私の仕事?」

「嵐様の地所でしょう」

「管理運営については知らない」

台風が近づいている

官邸は台風ごときでガタピシいうような安普請ではないが、時折強い風が窓を叩くのを感じる

「商店会にやるように言って」

「この天気で早々に事務所閉めて帰ったようです。電話に出ません」

どいつもこいつも勤労意欲旺盛なことで頼もしい

「はぁ…いくつぐらいあったっけ、あれ」

「せいぜい10組ってとこでしょう」

「…なんで()()()()()言うの?」

「何かある前に片付ければ、苦情に対応するより楽です」

まったく、こんな天気だっていうのに

そんなに気になるなら、気が付いた人がやればいいんだ


嵐と黒青シイは連れだって駅のペデストリアンデッキに向かった

こんな天気だというのに、結構な人出で呆れる

自分までその一員になったみたいで情けない

ただそんな嵐の姿を見てるのもご同輩だから、そう思われないのだけが救いだ

「どこにしまえばいいの?」

「そこらの店に聞きましょう」

どこの店もそこそこ混み合っていて、まったくもって呆れる

台風の時ぐらい家でじっとしていられないのか

「ケーキ屋は混んでますね。回転焼き屋に聞きましょう」

「変な呼び方するな。しばらくだろ」

とは言うが、よろず焼き物取り扱いの店も決して暇そうではない

焼き上がりを待ってる客の横から物を尋ねるのは不躾だが、役人とはこういうものだ

「ねえ、テーブル片付けに来たんだけど、どこにしまえばいい?」

「嵐様!助かります!列が切れた隙にと思ってたんですけど、どの店も人手がなくて!」

いくつも並んだ鋳物の型を一人で切り盛りしていた子は、流し込んだ鯛の型を閉じたところで厨房の奥に消えた

「ねえ!倉庫の鍵どこだっけ!?」

「鍵!?…ああ、カフェにあるんだ、今!」

「今嵐様来てるの!取ってこれる!?」

「待って!持ってかせる!」

厨房の裏口も他のテナントと軒を並べている

表から見ると瀟洒な商店の並びだが、要は長屋だ

向こう三軒両隣、声を張り上げれば話が通じる

ややあって一人親方が戻ってきて、慌てて型を裏返す

「すみません、今カフェの子が鍵持ってきますんで!」

「ありがと。ご苦労様」

鯛に火が通るのを待つ間も、せっせと暫を仕込んでいる

中身はカスタードだ

帰りに買っていくか

「嵐様!ご苦労様です!」

隣の方からエプロン姿のカフェ店員が鍵を手に駆け寄ってきた

「ありがと。悪いわね」

「とんでもない、こちらこそ!」

「それで、倉庫はどこだって?」

「下なんです」

ペデストリアンデッキは二層に分かれている

下層階の軒がこのデッキだ

「下か…」

もちろん階段で上り下りしなければならない

なるほどさっさと片付かないわけだ

「階段を転がして下ろしてもらって大丈夫ですから!すみませんがよろしくお願いします!」

とカフェ店員はお辞儀をするとそそくさと去って行ってしまった

こんな日にみんな忙しいなんてどうかしてる


「嵐様、二手に分かれましょう」

「二手って、一人は倉庫まで持っていく係?」

「いえ、下で受け止めますから、嵐様は上からテーブルを転げ落としてください。一度下に全部集めてから倉庫に運びましょう」

「転がして下ろすってそういうことじゃないと思うけど…」

「文字通り吹けば飛ぶような樹脂のテーブルですよ?階段から放ったくらいで割れやしませんよ」

少々楽天的な見込みな気もするが、今は時間も惜しいし、早く済ませて帰りたい

黒青の言う通り、上から転げ落とす作戦でいくことに決めた

ここに並べてあるのは、プラスチック製の一本足のガーデンテーブルだ

既に風の勢いが増してきていて、抱えて運び下ろそうとしたら自分もろともに吹き倒されてしまう

幸い階段の両脇は壁で覆われており、無人で降りていくテーブルが受ける風の影響は少ない

ひとまず二人がかりでテーブルを階段脇にかき集め、黒青は階段下にスタンバイした

「行くよ!」

「どうぞ!」

丸いテーブルを縦に構え、まず一つ目はそろ~りと送り出してみた

ガン、ガンと左右にぶつかって、踊り場を斜めに塞いで止まってしまった

「…当たり前でしょう?」

「これで行ければ穏便だと思って」

そう上手くは行かないと思ったが、ひとまず一番雑なやり方を試してみたかった

「もっと思い切った方がいいですよ」

黒青がつっかえたテーブルを拾いに上がってくる

「そうだな」

黒青は受け取ったテーブルを脇に片付けた

「じゃあ次は勢い付けていくよ」

「どうぞ!」

今度は半歩助走を付け、勢いよく前転させながら押し出した

ガンガンガン、と跳ねながらも、いくらか景気よく進んだ

しかしどうしたって脚がついた状態では、味噌すり運動を起こして傾いてしまう

また踊り場で止まってしまった

「こっちで先に脚を外すよ。天板だけ投げ下ろすから」

「わかりました。そうしましょう」

最初からそうすればよかったのだが、片付けごとはいかに横着できるかが勝負だ

引き抜いただけで脚は簡単に外れた

こうなればただの丸い板だ

「いくよ!せーの…」

手前から転がした天板は面白いように階段を駆け下り、踊り場もまっすぐ進んで見事黒青の元に滑り込んだ

「バッチリですね!」

「オッケー、じゃあどんどんいくよ!」

脚外す、落とす、受け取る、脚外す、落とす、受け取る

調子を掴むと面白いように運び、餅をつくようなテンポで瞬く間にテーブルは階下に集まった

あとはテーブルと同じプラスチックの椅子をスタックして運び下ろすだけだ

結局何往復かする羽目になったが、テーブルを一個一個抱えて下ろすよりは早く片付いた

「これで最後…っと」

「嵐様、お気付きですか?」

黒青が神妙な顔を近づけて囁いた

「ああ、やはりまだ嗅ぎ回ってるようだな」

さっきからこちらを監視する気配は察していたが、いつものことだ

カーミラや自警団はお互い様子を窺い続けている

「どうします?」

「我々の品行方正なところを見せつけてやるまでだ。さっさと倉庫に放り込んで、帰るぞ」

こんなところを見られたからってなんでもない

カーミラどもには笑われているかもしれないが、こういう仕事をしないカルマの眷属にどう思われても何とも思わない

いや、お前らも公益のために働けと怒りが湧いてくる

なんであんな連中から女王を、とも思うが、好き好んで丑三つ時に起き出してくるような人間が他にいないから仕方がないのだ


倉庫は安全カミソリみたいな頭の人間が百合の花を掲げるオブジェの下、陽の差さない通路の奥にあった

中はほどほどに広く、祇園で使った櫓や提灯などが奥の方に積み上げてある

「多分これいつもしまっておく物じゃないよね」

「でしょうね。毎日これをやってるとも思えませんし」

とりあえず入り口付近のスペースに天板を積み上げ、その周りに脚と椅子を並べておいた

「これはちょいと商店会の連中お説教だな」

「一応事務所を覗いてみますか」

「居留守だったら仕置きだ」


商店会の事務所は3階建てアパルトマンの谷間の路地にある

一応看板を出しているが普段何をしているのか、職員もなんだかよくわからない書類を右から左しているだけだ

これもその”なんだかわからない仕事”をする人間が他にいないから、仕方なく各店舗から人身御供を捧げている

案の定、事務所の扉は鍵がかかっていた

「やっぱりいませんね。人の気配もないし」

「同じような仕事をしてても役人と違うからな。風雨に晒されてまで働きはしないさ」

嵐が顎で促すと、黒青は懐から何某かの道具がまとめられた長財布のようなものを取り出して広げ、小さい金属棒とピンで鍵穴をいじり始めた

程なくカチっと解錠される音が聞こえ、二人は躊躇いなく事務所に入り込んだ

「誰かいないの!?次は合鍵を作ってくるぞ!」

事務所の静寂は何も答えない

「うわあ、これ。退勤時間誤魔化してますよ」

黒青はタイムカードを見て呆れている

「大した手当が出るわけでもないからな。まあボランティアに酷なことは言いたくないけど」

言いたくなくても言わずにはおれない

肝心なときこそ働くのが裏方というものだ

どうも商店主というのはそのへんの意識が違うようだ

まあ肝心でないときにちょっとサボったくらいで目くじら立ててるから、こうなるのかもしれないが

「今日の当直は…こいつか」

嵐は担当者の名前を閻魔帳に記した

こういうのは、普段事に当たらない一番上の責任者だけ呼びつけても是正されない

当事者本人に吊るし上げられる恐怖を与えなければだめだ

「倉庫の鍵を返して、我々も帰りましょう」

黒青がドアノブに手をかけたその時、嵐は気配を感じてその手を止めた

黒青もすぐにその気配に気付いた様子だ

二人息を殺して身を潜める

「おのれカルマ!」

「待ってブラン!」

つむじの用心棒とつむじの声だ

何故こんなところに?

つむじが何事かつぶやいているようだが聞き取れない

「ハル!あなたでしょう!?」

「こんばんは。こんな日にお出かけなんて、つむじ様もいいご趣味でいらっしゃる」

つむじに答える声は上の方から聞こえる

上の階に誰かいるのか

すると何かが地面に降りた気配がし、靴底が砂を踏むかすかな音が聞こえた

気配を殺して嵐にここまで近づいてくるのはカーミラぐらいだ

先ほどから嵐をつけ回していたのもこいつだろう

「なんでこんな回りくどいことをするの」

「回りくどい?ちょっと待ってくださいよ。何かわけがあってつむじ様をここに誘い込んだとでも思ってます?」

つむじは自分が追われていたと勘違いしているようだ

「…じゃあ、なんでそこで待ってたの」

「待ってるのはあなたじゃありません」

どうもこのハルと呼ばれたカーミラとつむじは面識があるらしい

カーミラは嵐達がここにいると知っているはずだが、そのことをつむじには知られたくないようだ

嵐は扉の前で身動きせず留まってしまったことを後悔した

さっさと裏口から出ればよかったが、今動くとつむじの用心棒に気取られてしまう

「言っておくけど、オペラの最後の一個は私がもらったよ」

「別に私達チョコレートしか食べないわけじゃありませんよ。こんな日はチーズケーキって気分じゃないですか?」

さっきのケーキ屋の行列につむじもいたのか

こんな日に何をしてるんだまったく…

「待って、ハル!カルマ様は…」

「あの方はお寝坊さんですから。お会いになりたいのなら夜明け前に」

そう言うと、カーミラの気配は勢いよく離れて消えた

「つむじサンが宵っ張りなら、今頃丁夜の女王だったかも知れませんな」

「みんなは真夜中でも転校生を追い回したかな」

つむじの足音がこちらに近づいてくる

まずい

ここに用事があるのか?

今扉には鍵がかかっていない

黒青と顔を見合わせる

静かに鍵を閉めろと目で訴える

黒青は無理です!と必死で首を振っている

ノブを回して開ける扉だから、ノブを持って扉を押さえるわけにもいかない

今すぐにでも姿を隠すべきか───目を落とすと、扉の足下に落とし棒が付いていることに気付いた

錆び付いて音を立てないことを祈りつつ、棒を床の穴にはめる

幸いにして手入れされているようで、音もなくスポッと収まった

その瞬間、つむじがガチャガチャとノブを回しだした

「…開かないな」

「なんか気配はしますがねえ」

「おーい!誰かいない!?つむじだけど!」

つむじがドンドンと無造作にドアをノックするたび、落とし棒が跳ね上がって緩んでくる

黒青はとっさに落とし棒を上から押さえつけた

「やっぱりハルが私をここへおびき出すのに片付けたのかな」

「つむじサンを罠にはめるためとはいえ、連中が世の中の足しになることをするとは思えませんがね」

そうだそうだ!

「でも一服寺に向かう電車で、一服寺のテーブルの話をしてくるのって不自然じゃない?」

「つむじサンだって往復して帰るところでしょう?」

「それは…そうだね」

なんだかよくわからないが、つむじは自分が追われていると思わせる何かがあったのか

「それより、あのハルってカーミラ、例の地下道で会ったんですか」

「そうじゃない…あの子はブランの見てない一瞬に接触してきた。顔はわからないけど、あの声、香り…そして何より、ヴェル。ヴェルがハルの香りを纏って現れたことがあったんだ。多分ヴェルはハルの眷属…」

「あっ、つむじ!用事済んだの!?」

つむじの同居人の声だ

路地の向こうから駆け寄ってくる

「…ブラン。ハルのこと、ルネには黙ってて」

「あまりいい手だとは思えませんがね」

つむじと用心棒の気配が離れていく


話し声も聞こえなくなって、充分時間が経ってからそろりとドアを開けた

「カルマはつむじ様の勘所を押さえているってわけですね」

山風やまじに言ってつむじの動きを追わせろ。カルマと接触するかもしれない」

「その前に嵐様がつむじ様を抱き込んでおいた方が…」

「なんて言ってだ!?」

黒青は珍しく言葉を選んで言った

「『我々に力を貸して欲しい』」

「…言えると思うか?」

「我々は既にミスを犯しました。失敗を雪ぐには、正直に話すのが一番の近道なのでは?」

「…だがそのせいでつむじの立場を難しいものにしてしまった。大きな借りになってしまう」

「つむじ様は話せばおわかりいただける方だと思いますが」

「わかってはくれるだろう。でもその上で我々の味方をしてくれると思うか?」

「あんなにずる賢いのに善良な人は、なかなかいませんからね」

「それに公平なんだ」

「それでも私は味方に付いてくれると思いますよ」

いつも冷静に正論ばかりぶつけてくるこの部下にしては希望的観測が過ぎる

他の部下達もだが、つむじを大分高く買っているようだ

「私はつむじのように善良ではないよ」

「とにかく、山風に伝えてきます。嵐様は嵐様でそろそろ覚悟を決めて下さい」

そう言うと黒青はアパルトマンの壁面を交互に蹴って飛び上がり、屋根の向こうに消えた

嵐は深いため息とともに肩を落とし、官邸への帰路についた


途中カフェに寄って鍵を返すと、ねぎらいに紙コップのコーヒーを持たされた

「…暫買ってくか」

焼き物屋の列に並んでしばし待つ

雨脚が強くなってきている

「カスタードと赤2つづつ。焼けてるのでいいよ」

「ありがとうございます!お代はいいですから、お持ちください!」

「悪いよ。あれも仕事だし」

「でしたらこれも仕事と思って!」

そう言うと、鉄板の端で出荷を待っていた暫を紙袋に詰めてくれた

「ありがとう。じゃあいただいていくよ」

彼女らは嵐が女王じゃなくてもこんなに気前がいいだろうか

嵐は自分が尊敬される人間だとは思っていない

女王の位も先代から譲り受けただけで、民衆に信を問うたりつむじのように簒奪したわけでもない

この暫だって、風で飛ばされる前に体よくテーブルが片付いた見返りであって、彼女らはその用を見込んでいても店を優先して放置していたに過ぎない

誰かが嵐に押しつけようとした結果なのだ

だからと言って別に、相応に尊敬されたいとか、持て囃されたいとか思っているわけではない

ただ何か、つむじを見ていると羨ましくなってくるのだ

つむじは嵐が遠い昔に失ったものを謳歌しているように見える

あるいは女王であることをやめれば、享楽的な人生を取り戻せるかもしれない

軽々しく受け継いでしまったが、捨てるのは容易ではない

この忍の頭目という重責は、卒業してこの街を去るまで背負わなければならない

いっそ抜け忍にでもなってみるか

そうしたら気が楽なことだろう


官邸が見えてからはいよいよ本降りになってきた

小走りでエントランスに駆け込む

コーヒーも暫も温かいうちに戻って来れた

執務室には黒青が先に戻っていた

「お疲れ様でした。つむじ様には山風を付けました」

「ご苦労。これ、お土産にもらった」

「これはこれは。実のある雑役でしたね」

「そう気楽にはなれないな」

「おっ、カスタードじゃないですか。回転焼きはやっぱりカスタードですよ」

「いや、白だろ。あの店なんで白ないんだろ」

「暫とかいう妙な食い物じゃないからですよ。前から言ってるでしょう」

「これは暫だ!先代からそう言い付かってるんだから、しょうがないだろ!それよりなんだ”回転焼き”って」

「回転焼きは回転焼きですよ。カスタードがあるのが回転焼き。ないのが暫」

「白うまいのに…」

嵐は食み跡の小倉の粒をまじまじと見る

「当たりでも入ってましたか」

「つむじは我々のことをどう思っているだろう」

「道化、ですかね」

悔しいがその可能性は高い

だが一番は「何とも思っていない」だ

「一度うちに招待してみよう」

「それはいいですが、そうなると用心棒の方もついてくるのが問題ですよ」

「いや、もちろん屋敷の方には呼べない。私邸の方にだ」

屋敷とは文字通りの忍者屋敷だ

勘のいい人間を招くには念入りな準備が必要だ

「…嫌味になりませんか?」

「何がだ?」

「そういうとこですよ」

余計な配慮のいらない、ただの友達付き合いが出来たらいいのに

嵐は自分が背負った重責を、日に日に疎ましく感じるようになっていた

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