第55話
「ふうん、赤ちゃんねえ」
「やっぱり変に聞こえますよねえ」
「つむじくんも図書館を見たことはあるだろ?この世界にないものも本には書いてある。実際のところ私達だって同じだったわけじゃないか。体験したことのない物事でも、本で知ることができた」
「てことはやっぱり、赤ちゃんなんていないんですよね?この世界は」
「まあ、見たことはないね」
ついてくると言うブランを振り切って、あゆ様のスクーターで2ケツしてツーリングに連れてきてもらった
普段来ることのない街外れにも、ちゃんと生活の痕跡がある
ただ街の外に目を向けると、花畑がすぐそこに広がっている
まるで向こう側が天国みたいな風景だ
「たとえば、ここでダムは見たことないけど、水道の蛇口をひねれば水が出る。だからダムの存在は理解できるだろ?まして赤ちゃんなんて、かつては誰もがそうだったんだ。ただ赤ちゃんだった頃の事なんて誰も覚えてないだけだ。違うかい?」
「そうかもしれませんけど…だからって自分達で授かれるとまでは思わないでしょう、こんな世界で」
「鰯の頭も信心からだよ」
「ほんとにコウノトリが赤ちゃん運んでくるって、信じてるっていうんですか」
「実を言うと、私もキスしたら赤ちゃんが出来ちゃうと思ってたことがあったよ」
そんなの信じていて劇団員全員にキスして回ってたとか、何考えてるんだ
「…それいつの話ですか」
「忘れていた遠い昔だよ」
「つむじさんは、愛の証が欲しいとは思わない?」
話は少し戻って、ゾンダ様のお宅
「まだそういうふうに考えたことがなくて…」
プエルチェ様の急なカミングアウトに動転したものか、それとも乗っかって話を広げた方がいいのか、一瞬では計りかねた
「私達は、私達の関係を形にして残したいんですよ」
と、ゾンダ様はプエルチェ様の手を握り返した
こうやってトロフィーか何かみたいに子供を欲しがるカップルは白い目で見られがちだが、少子化が叫ばれる昨今、どんな形であれ子供を産むのが尊ばれる空気があった
それ自体は別に文句はない
ただこんな世界で血を分けた子供が授かれるわけではない
もしそういう事実があるなら、形にして残したいという愛の証をコウノトリに託したりはしないはずだ
何で盛り上がってそういう話になったのか知らないが、コウノトリが運んでくる赤ちゃんはエジプトの王女と泥沼の王の間の娘であって、要するに明確な赤の他人だ
しかも昼は悪童で夜はヒキガエルという化け物である
おまけに最後には母方の実家に帰ってしまう
そうでなかったら死んだ夢を見ている死んだ赤ちゃんだ
まあこの世界だったら後者だろう
いずれにしても、ゾンダ様もプエルチェ様も妊娠して子供が産めるとは思っていないということだ
だったらペットでも家でもいいじゃないか
なんで自分達と同じ形をした生き物を欲しがるんだ
「総長はロマンチスト過ぎるんですよ」
まるで私の心を読んだみたいに、ブランはゾンダ様の言葉を継いだ
自分で聞いても楽しくない昔話をされて少し饒舌になってはいたが、それでもちゃんと話には加わっていた
でも赤ちゃんの話が始まってからは神妙というか、不服そうな顔をしていた気がする
「ブラン、お前に夢はないのか?」
「最近寝付きが良くなりましてね。朝までぐっすりなんですよ」
ブランがこんな物言いをするとは、やはりゾンダ様と何かあって自警団を離れたのだろうか
根掘り葉掘りは好きではないが、雇用者として一応聞いておかないといけない話だろう
ましてゾンダ様も私の力を狙っているとなれば
「つむじさんがこの街に現れて、思ったんですよ。古い本に新しいページが付け足されたようだ、って。もしかすると、その付け足されたページで本の内容がそっくり変わってしまうかもしれない。…でも擦り切れるほど読んだ本です。今更惜しくはない。それよりも新しい感動に期待したいんですよ」
プエルチェ様の手を握りしめて熱っぽく語るゾンダ様の目は、メガネ越しに輝いていた
この代わり映えのしない世界が退屈でしょうがなかったんだ
「…そして私達の赤ちゃんに聞かせる新しい物語を、私達の読み飽きた物語よりもっと良くしたいのよ」
なんというか、思ったより本当に子供のことを考えているようだ
この世界を刷新したいという願いは悪くないと思う
どこの世界でもそうだが、どんなによく見えても完璧じゃない
だけど、つまはじきにされる人が一人もいないような理想郷は実現できない
昨日よりちょっといい明日を夢見る方が建設的だ
幸いこの街は、いつまでもその明日を待つことができる
ただ、だ
私にそれを期待しているのならお門違いだ
まして私はコウノトリではないのだ
「素敵なお話ですね」
まあそれは本当にそう思ったから世辞ではない
「勘違いしないで欲しいのですが、私達は後ろ向きな勢力ではないということです。もちろん出すぎた杭を打ち、原状に復するよう努めています。しかし新風を遮ることはしたくないんです」
つまり、誰かさんは後ろ向きだと言いたいのか
しかし意外だった
ゾンダ様のような治安を司る女王が変化を求めていたとは
私の力をどこまで把握しているかわからないが、どちらかと言えば私の力は後ろ向きな効果を発するものだ
確かにフレオやあゆ様には前向きな変化が見られたが、この世界には引き返す過去がないだけだ
昔には戻れないだけ
この人達は本当に秩序立った新しい世界を思い描いているのだろうか
それとも乱世に跋扈する悪意を、思うさま取り締まりたいのか
「わかりました。承知しておきます」
「つむじさんはこの街の風向きを変えてくれると、期待しているんですよ」
「買いかぶりすぎですよ」
ゾンダ様の家からの帰路
ブランは珍しく私の前を歩いていた
できるだけ早くあの城から遠ざかりたいようなムードだ
カランコロンと便所サンダルの音だけが響く
「ブラン、ゾンダ様と何かあった?」
「総長はつむじサンを見て、今まで不可能だったことが出来るかもしれないと、考えるようになっちまったんです」
「私…のせい?」
「そういう話じゃあないんです。のぼせ上がってるんですよ。分も弁えずに、可能性っていうオモチャに夢中だ。オレはもう、そんな人の下で剣を振るえないと思ったんです」
まあ、私のせいではある
しかしゾンダ様にもそういう人並みの俗っぽさがあったんだと、私なんかはむしろ安心している
同じ俗物でも、ファンシャより遙かにわかりやすい
「でも、悪い事じゃないんじゃない?夢見るのって」
「目が覚めても同じ夢の続きを見てるんですよ。あの人達の世界に現実はない」
この世界で現実と言われても寝てるとき見てる夢と大差ない気もするが、まあブランの不信感はわからなくもない
それとも今まで部下に気を焼いていたゾンダ様達が、いもしない赤ちゃんに熱を上げているのが楽しくないのか
まああの調子だといつベビーカーやおむつを買ってくるかわからないし、端で見ているのもキツかろう
私はちょっと改まって言った
「ブラン」
「…はい」
「あなたはこれから、あなたの現実を守るために剣を振るいなさい。たとえそれが私でも、あなたの現実を壊すものだと思ったら、躊躇わず斬ること。わかった?」
いつも顔色のわからないブランの瞳に、輝きが灯った気がした
ブランはあの便所サンダルで、足音も立てず素早く私の前に回り込んで跪いた
腰に下げたドスを外し、垂れたこうべの上に両手で掲げた
こういうのはあれか、両肩を剣で叩くジェスチャーをするんだっけ
ブランの剣を取って、静かに引き抜いた
握りや鞘のように、刀身にも一点の曇りもない
これは芸術品だ
これをチョコちゃんと取り合ったのか
「じゃあ、ルネが証人ね」
「わかった」
一応神妙そうに頷く
「女王の名において、あなたを騎士に任じます。これからも己の信じるものに対して誠実であるように」
トン、トン、…と、刀の峰でブランの肩を順番に叩く
騎士の任命式にドスってのもどうかと思うが、まあポーズだ
「肝に銘じます!」
「さ、剣を取って。騎士ともあろうものが野宿ってわけにもいかないんだから、早く帰って寝床作ろう」
「はい!」
ブランは見るからに嬉しそうな顔をしている
こういうのがブランの望むものだったのかわからないが、本人が満足しているならそれでいい
で、早速ブランの寝床を作り始めたものの、いざ作業を始めると足りないものが次々出てくるのがDIYというもの
それでスクーターでぶらついていたあゆ様を捕まえて、ネジ釘の買い足しとリアカー返却のついでに、二人乗りで遠乗りとしゃれ込んでいたわけである
「どこまで釘買いに行ってたの!?」
棟梁はご立腹である
そりゃあスクーターなら10分とかからないところを往復するのに3時間もかかったのだ
腹立ちはごもっとも
しかしそれもちゃんと見越してお土産を買ってきていた
「…何?これ」
「電動ドライバーだよ」
この世界で初めて電気製品らしきものを買ったが、ルネの部屋にコンセントがあったかどうかも定かではなかった
「へぇー…下穴開けも出来るんだ」
ルネは興味深げに説明書を読んでいる
「だから釘じゃなくてネジ買ってきたよ。引き寄せ抜群だっておすすめされた奴」
スマホの化粧箱ぐらいの大きさに、みっしりとネジが詰まった段ボール箱を渡す
こんなたくさん必要なのかどうか知らないが、まあ余ったからって困ることもあるまい
「つむじサン、脅威が消え失せたわけじゃないんですぜ?いくらあゆ様がご一緒と言っても、出来ない用心もあることを…」
ブランはブランでずっと不安そうな顔をしていた
騎士に任じたばっかりなのに放っていった私も悪いが
もちろんこちらにもお土産を用意した
「ブランにはこれ」
「えっ?オレにもですか」
帰り道の洋品店にギョサンがいっぱい並んでいたので、ひとつ買ってきた
「地面が濡れてても、滑らなくていいんだってよ」
こないだビーサンを履いていたところを見ると、多分ブラン的にも便所サンダルは都合が悪いシーンがあるのだと考えた
「…ありがとうございます!大事に履きますよ!」
早速ギョサンに履き替えたブランは、足首を回したり跳ねたりしてフィット感を確かめている
悪くはなさそうだ
「それにしたってつむじ、こんな時間からじゃもう暗くて作業できないよ」
そう、もう日もとっぷり暮れた7時過ぎである
あゆ様と日が沈む花畑を眺めていたからだ
だがもちろん抜かりはない
「こんなものも買ってみた」
屋外用の作業灯だ
これさえあれば一晩中でも作業が可能だ
まあ近所迷惑だから限度はあるが、これから日が短くなる折、もうちょっと明るければ外仕事が出来るのに、なんてことはざらにある
適当な庇の端にクランプで止めて、コンセントについないでみた
水銀灯がじわーっと灯り始め、徐々に明るさを増していく
5分もすると、狭苦しい玄関前には無用なほどの眩しさがあたりを満たした
「仕事熱心なことで」
「でもまあ、今日のところはご飯にしようよ。お弁当買ってきたよ」
昼間行ったときには気付かなかったが、ホームセンターから帰る道すがらには、これまで見かけなかった様々な商店が軒を連ねていた
街の端にあるホームセンターから帰途につく導線に色々店があれば、出たついでで寄ってしまう
まんまと商店の戦略にハマってしまっているが、ホームセンターに行くとついついレジャー感覚になって財布の紐がゆるんでしまう
きっとみんなそうなのだろう
商店はどこもそれなりに賑わっていた
「ブランも、これからはご飯ぐらい中で食べようよ」
「わ…わかりました」
ブランは不服そうというより、落ち着かない感じだ
野宿が身に染みすぎている
その日は3人で食卓を囲み、談笑しながらカキフライ弁当を食べた
ブランは胸のつかえが取れたようで、今までになく砕けた雰囲気で終始上機嫌だった
私はカルマ様のことを考えるとき、斬られる覚悟をしなければならなくなった
なんであんなこと言っちゃったかなぁとも思うけど、それでブランの救いになるなら結構なことだ
私の方こそブランに誠実でいられるかわからないが