第53話
この街で見かけることのないもの
虫、ヘビ、血、怪我や病気
挙げだしたらキリがないが、もっと身近なのに見ることのないものがある
猫だ
「犬はいるのにねえ」
最近のしっぺいは、雑貨屋で買ってきた亀の子たわしがお気に入りだ
これで背だの腹だのをボリボリ掻いてやると、目を細めて喜ぶ
私が掻く手を操作するように、自分の前足をくいくい動かす
「狼だよ」
「犬もいるよ」
馬をはじめとして動物自体は割といる
だがどういうわけか猫は見かけない
「ネズミがいないからじゃない?」
女の子はめんどくさそうに私に相づちを打つ
確かに彼女のプライベートを侵してはいるが、どうせここで出来るのは寝ることと草木の世話だけだ
その隅っこで私がしっぺいを撫でているぐらい邪魔にはなるまい
「ペットの猫はネズミ食べなくても生きていけるでしょ」
何者も死なないということは、生き物の殺生も出来ないということだ
だからフィッシング同好会(会員一名)ではキャッチアンドリリースが徹底されている
前に一度、釣った魚を食べないのかと聞いたら、とんでもない!と仰天していた
やったら出来るのか?というのは謎だ
ただ猫の立場に立ってみると、狩りが出来ないのは自己実現の大きな妨げだ
まさかフィッシング同好会のように、捕らえたネズミをまた放すなんてことはしないだろうし
「お前は狩猟本能とかないのかい」
しっぺいは何か問い返すように首をもたげてこっちを見ると、また首を横にしてフーとため息をつく
あれほど野犬と騒がれた割に大人しい
何か故あってここに現れているのだろうが、こうして温室でゴロゴロしているばかりだ
前世の生存競争に疲れて、ただ休みたいのかもしれない
そんな限界狼も撫でられるのに飽きたのか、手を止めてももっとやれとせがんでこない
「よし、休め」
プスッと鼻息を飛ばして目をつむってしまった
「さて、じゃあそろそろ帰るかな」
あくまでもしっぺいの気が済んだのであって、私が満足したから引き上げるのではない
「そいつ撫でに来てるだけなの?」
「いいや、女王として独居児童の様子を見に来てるんだよ」
独居児童とは我ながらひどい言葉だ
「…児童じゃない」
「だろうね」
女の子は頑なだ
どこに出かけているのか、何をしてるのか、ヒントをこぼしたことすらない
まあ、いつか自分から話してくれる時が来るかもしれない
私も根掘り葉掘りは嫌いだし
でも
「今度来たとき名前教えてくれなかったら、私が考えた名前で呼ぶから」
「…返事しないよ」
「言われてるうちに馴染んでくるから。じゃあねしっぺい」
しっぺいは物憂げに頭の位置を直す
こういうのも一応反応だ
日に日に秋めいてきたこともあって、公務の後に温室に寄ると出る頃にはすっかり日も落ちている
しかし外はまだ残暑の熱気があることを改めて感じる
「ブラン、お待たせ」
「…どうやったらそんなに気配を消せるんです」
「実はテレポートが出来るんだ」
「マジですか!?」
ブランはそれからしばらく私のことを超能力者だと信じ込んでしまい、冗談だと納得させるのに往生した
何しろ超能力者じゃなかったらどうやって気配もなく壁の隙間から現れたのか、説明のしようがないのだから
温室への道は人を選んでいる
あと動物も
私はずっと、それがあの女の子のジャッジによるものだと思い込んでいたが、どうもそうではないようだ
だって私は明らかに歓迎されていない
どちらかというと、私と女の子が何らかの同じ要因を持っているからではないかと思う
それが何かはさっぱりわからないが
今でこそ黙って待っていてくれるようになったが、ブランの仕事熱心には苦労させられた
わがままに付き合わせている私が文句言える筋合いではないのだが
ブランは何度も私と一緒に温室に入ろうと試みたが、ことごとく失敗した
なので条件としては刃物がだめという可能性
あとスカートを履いていないとだめとか
これは私がズボンを履いてくれば検証できる
私とあの女の子が出入り出来るのだから、身長や体重は条件ではないだろう
温室に人数制限があるのではないかと考えてブランを先に入らせようとしたこともあるが、やはり道は閉ざされたままだった
色々考えられるが、まあきっと大した事情なんかない
ここはそういう世界だ
暮れなずむ街に街灯が点り始める
陽光の下では真っ白な家々も、夜はフィラメントの炎の色に照らされてきらめく
秋の夜はつるべ落としと言うが、日没に抗うように一斉に明るくなる
「やっぱりこの時間は好きになれませんな」
「逢魔が時だから?」
「電灯と同じで、人間もスイッチが入る時間なんですよ。晩飯の支度をしようとか、戸を閉めようとか。なんであれ、きっかけが重なると事が起きやすくなる。それだけなんですがね」
「前に何かあった?」
「かもしれませんな」
ブランの前世は想像もつかない
でもいつも何かに注意を払っているのは、生の世界から持ってきた旧観のように感じる
こんな世界でぐらい何も気にせず羽を伸ばせばいいのに、と言えたらいいが、残念ながら割と物騒なことは身に染みている
ブランはなんとはなしに続けた
「格子野郎の件なんですがね、最近ここらで痕跡を残してないんですよ」
「ブランに恐れをなしたかな」
「オレは一定の目的を果たしたからだと踏んでますよ」
「目的?」
「つむじサンから脅威を遠ざけることです」
「脅威?何の?」
プラッド自体が脅威だから、こうしてブランについてもらっているのに
「つむじサンに危害を加えたいならチャンスはいくらでもあった。何よりオレがこうしてそばについて歩かない方が楽だったはずです。察するに、連中は初手で失敗した。本来はつむじサンに気取られないようにするはずだった。でもつむじサンが何か上手いことやって、目論見が崩れた。オレがこうしてここにいるのは結果論です。オレがいなくても、つむじサンは何らかの手段で安全を確保されていたんですよ」
「嵐が私を尾けてるみたいに?」
「それも最近はしてないようです」
なんだかわからなくなってきた
「私への脅威って一体何なの」
「お互いですよ」
「お互い?」
「…実はですね、自警団を抜けてきたんですよ」
「ええっ!?」
何だって言うんだ、藪から棒に
「みんなつむじサンを狙ってるんですよ。総長でさえもね。でもオレが抜けたことで、自警団のティアは一つ下がった。嵐様もプラッドもカーミラ達も、イーブンになったってわけです」
「むしろ私を巡って争うんじゃないの」
ヒューッ
こんなことを言う日が来るとは
モテるってつらいなぁ
「睨み合いをしてる間は安全だと思いますよ。誰かが抜け駆けしたら荒れるかもしれませんが」
そういう意味ではカルマ様は一歩先にいるわけだが、他のみんなは多分それを知らない
ハルが利口だと言ったのはこのことだったのか
わかるように言ってくれなきゃ、何か余計なことをしちゃったかもしれないじゃないか
「…待って、まさか勢力が拮抗するようにわざわざ自警団を抜けたってこと?」
「そんな殊勝な話じゃありませんよ。ただオレが自警団から抜ければ脅威は小さくなって、オレの手間も減るって話です」
ブランが自らの本分より手を抜くことを選ぶなんてあり得ない
やっぱりチョコちゃんに出し抜かれたことをまだ気に病んでいるんだ
「じゃあ今は根無し草なんだ」
「生来根無し草ですから」
「なら、私が直接雇う」
「そいつぁ助かりますな。食い扶持分は働かせてもらいますよ」
私の写真をフラウタ様が買ったのかも知れない
理由はどうとでも考えることは出来るが全部想像だ
知りたいのはそういうことじゃない
怪我の功名というか、何の偶然かヴェーダ様を訪ねたらフラウタ様がいた
そして、オフのフラウタ様はかなりフレンドリーだということがわかった
かつて娼婦だったフラウタ様は、この街のありとあらゆる名士と寝たのだろう
ヴェーダ様もその一人だった
そしてフラウタ様を身請けして、今はこの街のナンバー2として行動を共にしている
そんなヴェーダ様は宮比さんと面識があるらしい
この世界で私との共通項を持った貴重な人間だ
まあ、好意は持たれていないが
懐柔は出来ないだろうが、私の力を知った今では私を巡る争いには加わらないだろう
そういう意味では懸念が一つ減った
フラウタ様も私の力を求めているのだろうか
ルーはどうなのだろう
そしてゾンダ様
自警団を率いる長が何を求め、私の力に何を夢見ているのか
そして本当にブランを手放したのか