第52.5話
旗疋さんはどうしてこう迂闊なのか
盗撮写真が流通していることをそれとなく伝わるように教えてあげたのに、わざわざ自分から写真をオークションに出すなんて
おかげでとんだ出費になった
「フラウタ様、そんなことにお金を費やさないでください」
ヴェーダにも小言を言われる始末
「女王のこんな写真が出回っているのは看過できないわ。取り締まったら見えないところで市を開くだけなんだから、こうやって買い占めるしかないでしょう」
とはいえ実際、馬鹿にならない出費だ
これまでも女王達の隠し撮りを追って来たが、根絶やしには出来なかった
オークションにはデュープフィルムだけ出しておいて、高値がついてから焼き増しを市場に流すのが常套手段だ
下流の取引はそれこそ麻薬の密売みたいになっていて、噂話から持ち主に接触し、秘密の合い言葉か何かから取引が始まる
それも最近は、旗疋さんの作った”はったったー”が利用されるようになって、追跡不可能なほど闇市場が拡大してしまっている
迂闊すぎる
でもそういうところが好き
もっと親密になって迂闊なところをたしなめたい
だめでしょうつむじさん、そんなことをして悪い人に使われたらどうするの?
はぁ…
迂闊なのはいいが、旗疋さんの困ったところは、あまりよくない方向に知恵が働くことだ
横車を押して偏った利益をもたらすことにかけては右に出るものがいない
官僚にでもなっていれば、ものすごい才能を発揮していたことだろう
彼女にはそれだけの能力があった
高校時代の彼女の友人グループは、早慶や東大を目指すような人間ばかりだった
旗疋さん自身は慶応を志望していたと聞いている
もっとも、慶応に進まれていたら私は金策に追われていただろう
でもわたしは彼女の去就を見届けぬうちに病床に伏した
その後わたしの細い細い人脈から伝え聞いたところによると、彼女は慶応にも早稲田にも、もちろん東大にも進んでいないらしかった
彼女がその後どれだけ生きたのかわからない
しかし天命を全うしていたら、こんな地獄には落ちてこないだろう
…いや、何か悪さをして報復に刺されでもしたかもしれない
いずれにしても、現世に未練がなければここには来ない
実際わたしが未だに旗疋さんを想っていなければ、上田さんまでここには来ていないはずだ
心まであげられなくてごめん、といつも心の中で謝りつつ同じベッドで寝ている
三つ子の魂百までもというやつだ
わたしにもどうにもできない
「フラウタ様、やめてください」
「えっ、何?」
「その写真、持ち歩かないでください」
ちっ、めざとい
流石看護師だ
わたしは渋々鞄から旗疋さんの写真を戻した
「接収した写真は執務室にしまっておいた方がいいでしょう?」
ヴェーダに気兼ねすることなく眺めたいから
「その写真には、特殊な香りが付けられています。誰が買ったか追跡するつもりです」
「香りが…?」
流石は旗疋さんだ
そう気安くお風呂の写真を売り渡しはしないか
しかしいくら写真を嗅いでみてもわたしにはわからない
わたしはどうやら鼻が悪いらしい
ここではみんな香水のような匂いを放っているらしいのだが、わたしには嗅ぎ分けられない
もちろん自分の匂いもわからなくて、しょっちゅうお客さんに聞いては変な顔をされていたが、みんないい匂いだと言ってわたしを抱いた
わたしなんて血と消毒液の臭いしかしないはずなのに
ヴェーダが言うにはカラメルを作るときのような甘い匂いらしい
そういえば上田さんはよくマーロウのプリンを買ってきて、一緒に食べさせてくれたっけ
「とりあえずこれにしまっておきます」
とジップロックに写真をしまい、それをまたタッパーに入れてきっちり蓋をした
「そんなにすぐわかる匂いなの?」
「10人いて一人わかるかどうかというところです。でも彼女のところにはブランがいます」
ブランは以前ヴェーダが養っていた浪人だ
初めて会ったときから刀を大事そうに抱えていた
まるで刀を持ったままここへ来たみたいな感じだった
しばらくは銘酒屋の用心棒をしていたが、いつだったかゾンダがスカウトに来て自警団に連れられていった
番犬らしく鼻が効く、という
今は旗疋さんの護衛をしている
旗疋さんがプラッドに付け狙われているからだ
みんな旗疋さんを狙っている
フレオの有り様を見て、あの力がこの世界の因習を覆すと思っているのだ
みんなくだらないことに血道を上げて…そんなに権力が疎ましいのか
「とにかく、こんなものを集めて回るのは不毛です」
「不毛でも、やめたら女王の盗撮が蔓延る」
とは言うものの、あゆやルーの盗撮が出回ったところで知ったことではない
わたしの聖域を侵されたくないだけだ
「あなたのハメ撮り写真がとっくに蔓延していますよ」
銘酒屋でお客に撮られた写真
アイドルが子供の頃撮らされたIVみたいなものだ
闇市場では今でもいい金になっていると聞くが、今更写真一枚どうということはない
どうせ客はもっと淫らなわたしもつぶさに見ているのだ
そんなことより、ハメ撮りだって?
この世界にはあるはずのない語彙
ヴェーダはどこでそんな言葉を覚えてきたんだ?
きっと昔の記憶が戻っている
わたしが上田さんと呼ぶ意味にも気がついているはずだ
だったらわたしのことも凪ちゃんて呼べばいいのに
それとも上田さんがわたしに気があると思っていたのは、わたしの思い上がりなんだろうか
だとしたらひどい道化だがそれはない
流石にそれくらいわかる
上田さんは旗疋さんと何かあったことをわたしに知られたくないんだ
別に構わない
いつか本人が話したくなるまで、わたしはいくらでも待てる
でも旗疋さんは待ってくれない
旗疋さんを狙う他のみんなも
「ヴェーダ」
「はい?」
「今日は休むわ」
「どこか具合でも…」
そんなことありえないのはわかっているはず
生きてた頃の記憶がなければ
「”夜”に備える」
「…わかりました」
上田さんはいい顔をしないだろうが、駒を一歩進めなければならない
他の誰かに旗疋さんを渡すわけにはいかない