第52話③
姿が見えない距離まで離れて、ブランの鼻を頼りに後を追う
辻に来るとブランが三方に鼻を巡らせ、間違いがないという方向を嗅ぎ定めると、その先へ進む
臭いはザナドゥの下町、例の美容室がある方へと私達を誘っていた
「オレはカーミラが臭いと思いますがね」
「私に歩み寄ろうとしてるのに、私の盗撮写真を捌くなんて、筋が通らない」
「ヴェルが言ってたんだけど、やっぱりカーミラって宵っ張りが多いみたいだから、今日みたいな夜のお店に現れることはよくあるんじゃないかな」
「昼の経済に参加できないから、金策のためにはああいう場所に頼るしかないってこと?」
「それはあるかも知れませんな」
とはいえ、夜の経済で売り物にされるこっちはたまったものではない
「…あっ!」
「なんです!?」
「他にも私の写真売りに出されてたりするんじゃ…」
「…まあ、あるかも知れませんな」
「まったく…脅かさないでよ」
そうする間も匂いはザナドゥを離れ、丘を越えていく
「本当にこっちで間違いない?」
「少なくとも写真は間違いなくこっちに来てると思いますがね。持ち主はどうかわかりませんが」
「怖いこと言わないでよ」
以前カルマ様に迷い込まされた、地下道のあたりを過ぎた
カルマ様は城と言ったが、やはりもう引き払ってしまったのだろうか
住宅地の間の道をジグザグに上って、また来てくださいと言われてももうさっぱりわからなくなったころ、丘の頂上らしきところに出た
「…こっちへ…行ってるようですが」
ブランも躊躇している
匂いの行く先にあるのは、フラウタ様…ではなくヴェーダ様の住む段々マンションだった
丘の斜面に建っているこのマンションは、麓からだけでなく丘の頂上からも出入りできるようになっている
もっともこちらは裏口らしく、蛇腹の門扉で閉じられている
「…通り道にしただけじゃない?」
「これを開けてですかい?」
門扉は閉じられたままだ
南京錠で鍵がかかっている
乗り越えられない高さではないが、写真を競り落とした子が身につけていたドレスでそういう身のこなしは憚られる
でもここを突っ切ると、丘を越えて向こうに行くには近道になる
「出口は一つしかないんだから、とにかく向こう側に回ろう」
流石に人んちを突っ切るわけにもいかないので、マンションを迂回して入り口のある方の通りに出る
出口はこの前ここに来たときの入り口
「どっちに行ってる?」
ブランは念入りにあたりを嗅ぎ回る
が
「通りには…匂いがありません…」
ここを通り抜ける間に全部飛んでしまったのか?
「というより、明らかにこの中から匂います…」
ブランは神妙な面持ちで段々マンションを見上げた
ブランと顔を見合わせる
「…50からの部屋があるんだよ!?」
「そりゃそうですが…」
「今更なんだけどさ、やっぱりつむじの写真撮った人が必ずしもつむじの写真欲しがるとは限らないんじゃない?」
「欲しいから撮った、というのも動機としては十分ですぜ」
ヴェーダ様が報復に私の写真を流通させている可能性も、まったくないとは言い切れない
ただそのために、海に行ったときから仕込んでいたとは考えづらい
でもヴェーダ様が私の写真を欲しがっている可能性はない
呪いの儀式に使うとかでもなければ
「一軒ずつノックして回りますか?」
「私の写真買いませんでしたか、って?何のために変装までしてオークションに潜入したんだよ…」
何よりここは大物がたくさん住んでいるだろう
女王だからってどんな権威にも優越できるわけではない
「今回は頑張り過ぎた…もっと庶民に手が届くレベルの写真で行くべきだった…」
「今回って…つむじまだやる気なの?」
「だってさあ!」
「つむじサンの写真を買ってるのは、あんな大金ホイと出す人間だってわかっただけでも、大分絞り込めたとは思いますぜ」
とブランはマンションを親指で指した
結局金持ちが上流にいるということは、私の力では止めようがない現実を示している
「あの写真、焼き増しされて広まっちゃうのかな…」
「まあ、元は取りたいでしょうな」
こうなってしまうと、裸の写真を50000で売り渡したのは痛い撮られ損だ
しかしあの写真は出回らなかった
彗星のように現れた貴重な一枚の噂だけが一人歩きし、オークションでは売れたときの何倍もの値段で買い取るというオファーが毎晩出ているらしい
本当に欲しくて買った私のファンが、あの段々マンションにいるのか
それからしばらくオークションの動向を追っていたが、私の盗撮写真というのは相当レアなものだったようで、嵐と行った海で撮られたものと、5万で落札された手前味噌しか流通しなかったようだ
理由の一つには常にブランがついているからというのがある
もう一つは私がリスクを犯すほどの被写体ではないということだ
それはそれで虚しい
「おはよう」
執務室に入るときは何時でもおはようだ
フレオがそういうときの挨拶にいつもおはようございますと言っているのでそうなった
まだ業界人の血が流れているのか
「お早くありませんわ。道草食ってたでしょう」
「ああ、これお土産。ドーナツ」
最近一服寺に出来たドーナツ屋がお気に入りだ
いつも行列ができていて、学校帰りに寄ると30分は余計にかかってしまう
ここで久々にフレンチクルーラーを食べたが、大衆に阿ったチェーン店の味が懐かしく感じてしまう
「紅茶淹れるよ」
お茶を淹れるのはルネの仕事になっていた
フレオの部屋のキッチンでコンロにやかんをかける
「また妙な噂が広まってますわよ」
「えー。今度は何」
フレオは街で出回っているゴシップ誌を取り出して開き、記事を読み上げ始めた
「『写真の秘密オークションに真昼の女王現る!?お目当ては愛するフレオ嬢の赤裸々な姿態を収めたネガ』」
「ええっ!?バレてるの!?」
「まあブラン連れてちゃねぇ」
「そんな…刀まで置いて行かせたのに…」
執務室の扉が開いて廊下のブランが顔を出した
「ああいうところは、お互い正体わかってても知らないフリ、っていう不文律でやってるもんですぜ。そういう横紙破りなブン屋はあとでシメてやりますよ」
「あの中に記者もいたわけか」
記事を見てみると、流石に写真はないが想像図のようなイラストが描かれている
文面で私だと断じているわけではないが、あの時私が着ていたドレス、髪型、ルネとブランの姿も描かれている
しかし記事の内容は大幅に脚色されたものとなっており、私が自分の裸の写真をなげうってまでフレオの写真を取り返したことになっている
まあこっちの事情なんて、その場にいただけの人間にわかるわけはないんだけど
「それで、このネガに一体いくら払ったんですの」
取り返したネガは既にフレオに渡してある
「…10万」
「10万!?これに10万も払ったんですの!?」
「だって…そんなネガ焼き増しされたら困るでしょ」
因みに10万というのは、あゆ様のスクーター2台分ぐらいの値打ちだ
「…む、無駄遣いが過ぎるんじゃありませんの」
しかしそういうフレオは悪い気はしていない様子だ
「うん、以後控える」
しかし考えてみると、購買の壁に貼られている写真も大概出所不明なわけで、下着こそ写っていないが海側から私と嵐を捉えた写真は複数あることにも気がついた
オークションから足取りを辿っても、結局アンタッチャブルなことに変わりはなかった
「…それでは、今日の総会はこれにて。球技大会はアネモイ全員参加ですので、他の予定を入れないようにしてください」
議長が球技大会のことを念押しして、今日の総会はお開きとなった
球技大会に全員参加を呼びかけたのはゾンダ様だが、今回の反対はカルマ様だけだった
もっとも、出なかったら女王をクビというわけでもないし、あとで難癖付けるくらいしか出来ることはない
割と執念深いというか、余計なところに拘泥する人だな
まあ警察力を持っている人が諦めよくても困るが
会議室に入るときはフラウタ様が最後だが、出るときは最初だ
フラウタ様とヴェーダ様を見送ってから会議室を出るのが定例になっている
もっとも、今日はフラウタ様はお休みで代理の補佐官が来ていた
いつも通りブランがお辞儀でヴェーダ様を見送る
「…!」
「あーあ…球技大会か。私球技苦手なんだよな」
「フレオはテニス得意だったよ」
「代わりに出てもらうか」
「つむじサン、ちょっと」
「?」
嵐との会話を遮って、ブランが私を廊下に連れ出した
「どうかした?」
「例の写真に付けた匂いが…ヴェーダ様から」
「えっ!?」
それだけはあり得ない
それとも本当に私を呪おうとしているのか
それ以前に
「だって…あれから何日経ってるの!?」
「でも間違いありません。かすかな残り香ですが、他にはない匂いなんです」
去って行くヴェーダ様の後ろ姿を遠く見る
…いや、もう一つ可能性がある