第52話②
そもそもシャハルのところに持ち込まれた写真はどこで取引されていたのか
写真があの一枚だけでないことは私を取り巻く視線で容易に知れた
「あんなところ、真昼の女王が行くとこじゃないですよ!」
「だから真昼の女王に見えないようにしてくれって言ってるの」
チョコちゃんの眷属がやっている美容室を貸し切って、私、ルネ、ブランの変装を頼んだ
ブランは変装しても目立つが、普段が普段だ
いい身なりをさせれば誰もそうとは思うまい
また洗髪台で拷問を受けさせている
私達はそれぞれ髪を染めたりアレンジしたりで、一瞥して私達とわかるような特徴を消してもらった
写真のブラックマーケットはザナドゥの奥深くにあるという
手のひらの出し入れもやっとの小窓しかない、麻薬取引所みたいな場所だろうか?
いやいや、やはりここでも私の想像を超える底辺が存在していた
私達は夜会に出るような、フォーマルな格好で決めていかなければならなかったのだ
「シャハルの口利きなんだけど」
そこは以前嵐に連れられて行ったバーとは違い、絨毯敷きの廊下に剛直な紫檀のドアという趣だ
お高級なレストランを彷彿とさせる
入り口脇に立つビシッとしたタキシードのバンサーは、私達を上から下までゆっくりと眺め回すと、革表紙のメニューを取りだして広げた
「お料理の付け合わせはどちらになさいますか」
写真が2つ並んでいて、一つはじゃがいも、もう一つはかぼちゃだ
シャハルにテストされたら私は不合格だったので、ここはルネに代わってもらった
「清太夫で」
「畏まりました」
何を言ってるのかと思うかもしれない
どっちを選ぶかは問題ではない
これは余所者を篩にかけるシボレスだ
神奈川北部ではじゃがいものことを”清太夫”と呼んだ
…らしい
私は足柄族なので聞いたことがない
また湘南のあたりでは、かぼちゃの”ぼ”にアクセントがかかる発音だ
なのでじゃがいもを指してじゃがいもと言ったり、かぼちゃを指して”たまご”と同じアクセントでかぼちゃと言ったりすると門前払いされてしまう仕掛けだ
「中に入る前に、こちらをお召しください」
とバンサーからベネチアンマスクを手渡された
これならいよいよ私達だとはわかるまい
「どうぞ、ごゆっくり」
バンサーに促されて紫檀のドアをくぐった
「…さっきの本当に合い言葉として機能してる?」
「田舎者お断りっていうジェスチャーみたいなものでしょ」
都会はじゃがいものことを清太夫と呼んだりしないと思う
店内は薄暗く、3つあるビリヤード台が天井から照らされている
どうやらプールバーらしい
その割に客はかなりぎゅうぎゅうで、ビリヤードが出来るような空間はない
みんな同じベネチアンマスクを付けていて、台を囲んで台の上に広げられた何やらを見ている
一番奥の台からおおおっというどよめきが聞こえてきた
ルネとブランに目配せして台に近づいてみる
「フレオ嬢の楽屋での一枚です」
フレオの!?
人垣に割り込んで台の上を覗き込んでみると、着替えている最中のフレオが写ったネガだ
「5000」
「5500」
「…8000」
「100000!!」
私は懐からありったけの学札を叩きつけて、台を囲む連中を目で黙らせた
「…これで全部?」
「…はい」
フレオの写真をふんだくって台を離れた
「…飛ばし過ぎじゃありませんか」
「こんなの流通させるわけにいかないでしょ!」
「でもあの様子じゃ、きっとそれ一枚じゃないよ」
「ここへ来た目的を忘れないようにしませんと」
「わかってるよ」
私達は写真を買いに来たのではない、売りに来たのだ
ここでオークションされた盗撮写真は何者かが現像したり焼き増ししたりして、個人間で売買される
こんな場所を知ってるんだから恐らくシャハルも取引はしてるんだろうが、ちゃんと私にチクったんだからとりあえずは目を瞑ろう
撮影者本人がここに顔を出しているとは限らないが、ネガが出ている以上、撮影者と直接取り引きのある人間がいるのは間違いない
「なんか私、注目されてるな」
どこかの台に取り付こうと思ったが、私の方を見てヒソヒソやっているのがそこかしこにいる
「そりゃあいきなりあんな大金はたいては、警戒もしますぜ」
「あたしが行ってこよう」
「よろしくね」
私とブランはバーカウンターに、ルネは入口に一番近い台へと向かった
とりあえず軽そうな飲み物を頼んで台の動向を見守る
「本当にあれで大丈夫なの」
「追跡は任せてくださいよ。それより本星が買うかどうかですぜ」
二口ほどドリンクを飲んだところで、早速ルネの出番が来た
ポーチからチェキを一枚取り出す
「つむじ様の湯浴みのひととき、一点ものです」
さっきより1オクターブ高いざわめきが起こった
そりゃあそうだ
これを撮るためにわざわざ銭湯に入り、購買のカメラ1台犠牲にしてまで撮影した珠玉の一枚なのだ
まず先に風呂に入っていたブランが上がり湯を浴びるためカランの前に座り、その隣に洗面器とタオルでカメラを隠し持ったルネが座る
そこでルネがシャッターを切ったら、フィルムを取り出さずに洗面器ごとブランが持って出る
こうして見事に私が湯船に浸かっている瞬間が撮影されるわけだが、当然私は写されるように構えているし、ベストポジションを押さえられるように人の少ない時間帯を選んでいる
それでもどこで作為を疑われるかわからないので、銭湯にも見切れてしまった子にも一切事情を話していない
まあ私以外の顔は写っていないから大丈夫だろう
しかし隠しやすいカメラではなくあえて購買のカメラを使ったのは、ブランの鼻で追跡してもらうためだ
現像を経たネガでは、追跡のために付けた香水の匂いが飛んでしまう
まあもっと持ち込みやすいカメラで撮ってプリントしてから持ってきてもよかったが、ネガを渡して容易く焼き増しされてしまうリスクも避けたかったので、私がどうしてもと粘った
「い…10000!」
おおおというどよめき
「12000!」
「15000!」
「1万…7000!」
金額がどんどんヒートアップしていく
「…さっき場を温め過ぎちまったんじゃないですかね」
そんなことを言われても後の祭りだ
「20000!」
おおおおおおとひときわ高い声
「2…いや30000!!」
ヒャァーと囃すようにも悲鳴のようにも聞こえる声
さっきの10万は流石にやりすぎだったのかみんな引いていたが、今度のは相場の範囲内の高値という雰囲気だ
それにしたって結構な高値だ
しかし自分が風呂に入っている写真の値が吊り上がっていく様を、こうして本人が耳をそばだてている心境がわかるだろうか
写真を欲しがっているのは全員同性だ
怖い
いや、それを通り越して胸が高鳴ってきた
だって今まで私の写真には付いたことがないような値段で競り落とされようとしているのだ
そんなお金を払ってまで私の写真を手に入れて、何をしようというのだろう
何を…
やっぱり怖い
「50000!」
思わず口に含んだマンハッタンを吹き出してしまった
台を囲む客のどよめきとともに、降り時を測り始めたのか、コソコソ話している客も見える
「他の方はいらっしゃいませんか?」
オークショニアが台を囲む客を見回して念押しする
誰も手を上げない
「では50000のお客様、落札です」
周囲からはささやかな拍手が起こる
「どうぞ」
ルネが直々に写真を手渡し、オークショニアから手数料を引いた代金を受け取って数えた
「確かに」
「よい写真をありがとう」
双方握手をして台を離れる
ルネは台を振り返りながら、小走りでバーカウンターに戻ってきた
「これいい商売じゃない?無限に稼げるよ!」
「やめてよ!」
「ちょっと、手の匂いを」
ブランはルネの手を左右順番に嗅いだ
「わかる?」
「かすか過ぎますね…多分香水じゃないかと思いますし、やっぱり写真に付けた匂いの方を追うしかないですな」
「…あっ、あの子帰るよ!」
ルネと取引した子が店を出る
「追いましょう」
残っていたマンハッタンを一気に飲み下し、焦らず急がずで写真の買い手の後を追う
と、すれ違いざまに他の客と肩がぶつかってしまった
「あっ、ごめんなさい」
「失礼…」
…?
マスクもあるし、人相はよくわからないが、どうも既視感のある人だ
香りにも覚えがないが、ごくかすかに、嗅いだことのある匂いが一瞬鼻をかすめた
相手も一瞬何かを感じ取ったようだが、すぐ振り返って去ってしまった
「…何してるの、あの子行っちゃうよ!」
ルネが戻ってきて私の手を引いていく
わずかな香りが誰のものだったか思い出せないまま、後ろ髪を引かれる思いでプールバーを後にした