第52話①
今日の総会が終わって執務室に戻ると、ルネはファイルを片付けているところだった
小柄だが背筋がピンと張っているルネは、胸にファイルの束を抱えて歩いていると出来る秘書といった風情だ
「私の議案通ったよ」
ルネは冷たい表情をしている
「…どうしたの」
「ちょっとした騒ぎになってますわよ」
フレオは一枚の写真を上げて見せた
パラソルの下の私が水着の嵐と肩を寄せ合って笑っている
夏休みに海に行ったときの写真だ
しかもパンツがしっかり写ってしまっている
「なにこれ!?どうやって撮ったの!?」
海に向いて座っている私と嵐を真正面からフレームに収めるには、当然海の側からでないと撮りようがない
しかもこんなに寄った写真を購買の折りたたみカメラで撮ろうと思ったら、目の前で構えていなければ不可能だ
「油断し過ぎだよ」
「下着が写っているものは没収しましたけど、お二人の仲睦まじい写真は他にもたくさんありましてよ」
世間では、私とフレオは愛が高まり過ぎたために決闘に及び、その末に結ばれたことになっている
フレオは未だに入籍はしないのかとしょっちゅう尋ねられているそうだ
とはいえ事実を説明するわけにはいかない
私もフレオも、決闘の真相を尋ねられたときはご想像にお任せしますでやり過ごすことにしていた
「わたくし、捨てられたとか言われてますのよ」
そういう噂は女王の沽券に関わるが、だからといって噂を払拭しようとするのもまた別の憶測を呼びかねない
「大体これどこから撮ってるの」
「まあ…位置関係からすると、島の何処かからでしょうね」
砂浜から桟橋で繋がれた島までは、距離にして1㎞ぐらいある
これほどの超望遠レンズを持っている連中はあいつらしかいない
「知りません!知りませんてば!」
「でも言ってたよね?向いの丘にある新聞でも読めるって」
「言ってませんよ!」
私は早速メガネの写真部員をとっ捕まえて尋問を始めた
この世界でも本格的なカメラ用品は高い
まして1㎞先のパンツを盗撮出来るような超望遠レンズは、一服寺のお大臣か、プリクラで稼いだ写真部しか買えない
「大体こんな潮風が直撃するところにデリケートな長玉持っていかないですよ!いくらすると思ってるんですか!」
「盗撮写真を売ればすぐ稼げるんじゃない?最近新しいカメラ買ったって聞いたけど」
「あれはスナップ用に買ったレンズも替えられない安物です!一眼レフも交換レンズも、普段持ち歩きたくないくらい繊細なんですから!」
その繊細な代物が、写真部の鍵付き防湿ロッカーには夥しい数収まっている
ここのカメラは普段私達が持ち歩いているものとは格が違う
こいつらが安物と言ったときは、大体給料一ヶ月分だ
「大体見てくださいよ!これほとんど海面の高さから撮ってるんですよ!?島のこっち側は全部岸壁になってるんですから、こんなの海に入らなきゃ撮れないですよ!」
言われてみればそうかもしれない
砂浜を向いている部分はコンクリートで護岸された船着き場や突堤があり、海面よりかなり高い位置にある
1㎞も離れたらどうでもいいような高低差だが、カメラから見た水平線の位置はごまかせない
砂浜より高い位置から撮っているなら、私達は見下ろされるように写っていなければならない
1mでも高ければ、スカートの内側は写っていないはずだ
写真とにらめっこしていたブランがいう
「つむじサン、こいつはかなり近くから撮ってるはずですぜ」
「どうして?」
「背景がボケてない」
スマホの写真に慣れすぎているせいか、ボケ効果なんてあとからどうとでもなると思っていた
ことの程度は違えど、絞りを変えて人為的に作り出す効果なのは知っている
「そう!そうなんですよ!島からなんて超望遠で撮ったら、つむじ様の顔にピントが合ったらパラソルがボケるぐらいなんですよ!」
ふぅむ
確かに手前から奥までまんべんなくピントが合っている
「絞ればこのぐらいには写るんじゃない?」
「望遠でそんなに絞ったら、暗くって風になびいてる髪がこんなにくっきり写りませんから!」
確かに嵐の髪はブレもなく、毛の一本一本がはっきり見て取れる
まあ写真部の言い分は大体真実のようだ
でももうちょっといじめてやろう
「でも仮に、私達の目の前の海の中から撮ったとして、画角も構図もこんなに完璧にできるの、写真部以外にいる?」
写真部を疑ったのは、ただ超望遠だと思ったからだけではない
盗撮写真というにはあまりに完成されすぎたショットだったからだ
私と嵐がど真ん中、ブレも歪みもなく、まるで広告のスチル写真のようだ
一応褒めておいたつもり
「…これはおそらく、もっと広角で撮られたネガをクロップしたものです。絞りはF8ぐらい。真夏の真っ昼間ですから、短いシャッタースピードでも十分な露出は得られたはずです」
「大体眼の前にそんなカメラ構えたのがプカプカ浮いてたら、普通わかると思うんだけど」
「もしかすると…110カメラかも知れません」
「…おまわりさん?」
「こういうカメラがあるんです」
とカメラ”を”写した写真を取り出して並べた
スパイカメラというにはでかいが、一眼レフやコンパクトカメラに比べたら非常に体積が小さい
海に持っていくような化粧ポーチにも余裕で収まる
何より遠目にはカメラには見えない形をしている
「中には防水のものもあると聞いています。二の腕やラムネの瓶でも十分隠れる大きさですから、目立たないように持ち歩くことは難しくないと思います」
いや、堂々とぶら下げて歩いていても、ハーモニカか何かに見えてしまう
ファインダーを覗いて構えられたらともかく、よそ見をしていたら写真を撮られたとはつゆにも思わないだろう
「そんなカメラが売れるくらい盗撮需要があるってこと?」
「ただコンパクトだからですよ」
「つむじサン、よく考えてくださいよ。海で写真撮って、その場で出てきても置き場に困るでしょう。誰も購買のカメラなんか持っていきやしないんですよ」
「そうかなぁ」
海にチェキ持って行くのってそんなに変だろうか
そもそもあれ以外のカメラをみんなが持ってるというのが信じられなかった
でも聞いてみると、いわゆるカメラ女子くらいの趣味の子は、何らかのれっきとしたカメラを持っていた
「みんなこれで頑張って撮ってるんだと思ってた」
と、デコったスワロフスキーもくたびれてきた自分の購買のカメラを見る
「わたくしはあまり写真撮る習慣がありませんでしたので」
デコってもいないフレオのカメラはまるで新品のようだ
「あたしも」
でもルネのカメラは相当年季が入っているように見える
「オレは件の110の一種を」
ブランが出したのは最早極限と言っていい小さなもので、スニッカーズぐらいの大きさしかない
外見はプラスチックのキーホルダーのようだ
「こんなのがあるの!?」
「ポケットから出してすぐ撮れますからね。逃げ足の早そうなやつの風体ぐらいは撮っておけますぜ」
「…ていうかこれで撮ったんじゃないの?」
「こいつは防水ではありませんでね。流石に塩水に浸かったらフィルムがダメになっちまう」
防水ではないにしても、こんな恐ろしいカメラが流通していたのか
こんなの更衣室でもトイレでも撮り放題じゃないか
…待てよ
「そもそもあの写真、どこで売られてたの?」
購買の壁にあんなもの堂々と貼り出しているとは思えない
この街の闇は掘り返すといくらでも出てくる
私が底だと思っていた倫理観は私の思い込みに過ぎなかった
まあ、10万人からの人がいて、そう誰も彼も聖人君子なわけがないということなのだが
大体ここは何丁目か知らないが地獄だ
善行積んだ人は天国でよろしくやっているはず
「なかなかどうして、つむじ様も隅に置けませんねえ」
「そういうんじゃないから」
写真が出回っていることをフレオに垂れ込んだのは、祇園の晩餐会で知り合った質屋、シャハルだった
「それで、いくらで買い取ったの」
「もちろん二束三文ですよ!高く売れるとなったら、大量に持ち込まれますからねぇ」
「相場が崩れるって?」
「いやだなぁ。ちゃんとお引き渡ししたじゃないですか。ご禁制の品で稼ごうなんて思っちゃいませんよ」
商売人だからあまり顔に出さないが、ちょっと気に障ったようだ
「わかった。疑って悪かったよ。それで、誰が持ち込んだかはわかってる?」
「何者かまでは存じませんがね」
そう言って取り出した白黒の荒い写真には、質屋の窓口で取引する人物が写っていた
近くのコンビニがせいぜいといった装いで、夏物のルームウェアのようだ
背格好もこの街によくいる類型的な女子だ
印象もない
「人相は…よくわからないな」
「お役に立てませんで」
「端金で手放したということは、末端の購入者に過ぎないのでしょうね」
「きっとお金に困って泣く泣く手放したんだよ…もっと高く買ってあげればいいのに」
「どっちの味方なんだよ、つむじは」
盗撮写真とはいえ、どうせなら高値で取引されて欲しい親心
不肖の我が子をじっと見る
…いや、何枚も持ってるから手放したのでは?
「いずれにしても、こんな不鮮明な写真一枚では特定は難しいですわね」
「そもそもこの子は買った人であって、撮った人ではないじゃない」
「シャハルは普段見ない客だ、と言ってましたな。本当にただの一見という可能性もありますが、他に持ち込んできた人間がいない以上、撮影者に繋がるルートなのは間違いないと思いますぜ」
「顔もわからないのに、これ以上辿りようがないでしょ」
「いや…手はあるでしょう?」
とブランは自分のおもちゃみたいなカメラを眺め回している
「…そうですわね」
フレオも魂胆がわかったらしい
私もわかったけどわからない
わかるわけにはいかない
「いやいやいや…ちょっと待ってよ!」
「つむじも少しはあたしの気持ちを味わったらいいんだよ」
抵抗は無意味だった