第49話①
人が変わっていくのと同時に、街も少しづつ変わっていく
それは比喩的な表現ではなく、本当に変化している
例によっていつの間にか、だ
最近馬車を見る機会が減っている気がする
と言ってバスが通るようになったわけではない
目に見えてバイクが増えている
それもスーパーの駐輪場でよく見かけたような、プラスチックで覆われた50㏄の近代的なスクーターだ
この街は坂がきつい
私がここに来る前の駅の駐輪場も、半分は原付だった
今この街の駅にはあのでかい屋内駐輪場はない
そこら辺に無造作に止められている
もっともみんなの行く先は駅ではなく学校なので、まだそう夥しい数にはなっていない
また、バイクがあるならそれで直接目的地へ行けばいいので、パークアンドライドという形もあまり成り立たない
新しいものが現れたら、それに置き換えられた古いものはどこかに消えているのだろうが、この勢いだと電車が丸ごと消える日も来てしまうかも知れない
馬車のように
だが消えたのは馬車だけなのだろうか?
馬車を引いていた馬達はどうなったのか
「乗合馬車を回してた事務所から、馬を引き取ってくれないかって言われてさ」
以前お世話になった馬術部の厩舎は、既にすし詰め状態になっていた
拡張も進められているが追いついておらず、屋根のない屋外に繋げられている馬もいる
「この子達馬術出来るの?」
「まあ仕込めば出来ると思うよ。ここまで跨って連れてきたから、人が乗るのは問題ないと思うし」
馬術部の部長は相変わらずの出で立ちだ
一応自分専用というか、専ら乗る馬は決まっているらしいが、基本的には部の備品と同じでいつも同じ馬に乗れるわけではない
それは部員に対して馬が少なかったためだ
ところが今は部員より馬の方が多くなってしまっている
憎むべきはモータリゼーションの到来か、あっさり馬を手放してしまう乗合馬車か
「売ったらどうだろう、乗用に」
「原付と違って乗らないときでも燃料食うからねえ…」
そこが生き物の難しいところだ
食べなくても死にはしないのだろうが、これまでのところ食うに事欠いてひもじい思いをしている人や生き物は見たことがない
あるいは野良になって、虹色の花畑の向こうに行ってしまうのかも知れない
どっちにしろそういう処分の仕方は考えたくない
そういえばタービュランスは普段どうしているのだろう
「裏山で遊んでますわよ」
官邸の裏手には小山がある
ちょっとした公園ぐらいの規模なのだが、木々が鬱蒼と茂っている
執務室の窓を開け放つと、この小山しか見えない
「タービュランス!」
フレオが窓から乗り出して裏山に叫ぶと、ややあってから金色の鬣をなびかせてタービュランスが現れた
私が見えたのかお辞儀をしている
相変わらず主人より礼儀正しい馬だ
「放し飼いにしてたとはね」
「水飲み場もありますし、まあ、お腹が空いたら食む草もありますわ」
「雑草しか食べてないわけじゃないでしょ」
「飼葉は裏の物置に置いてますわ」
官邸の裏手に降りてみると、執務室の真下辺りに農機具を仕舞うようなちょっとした木造の物置が建っていた
ただ半分ぐらいのスペースは藁が敷いてあるだけの空間になっている
「これが厩舎の代わりか」
「馬の背丈にはちょっと天井低いですけど、雨風は凌げますし、寝るのに窮屈ということはないでしょう」
「なかなかいい寝床ですな」
ブランが寝起きしている玄関先には軒もない
中で寝ろと言うのに頑固だ
タービュランスがポクポクと歩み寄ってきて、頭を下げて物置に入ると藁のベッドを3度回って横になった
だらんと首を預けたのは毛羽立ったクッションだ
「ちゃんと枕使えるんだ。ルネよりおりこうだね」
「つむじだって座布団枕でしょ」
「うわ!」
私の後ろにはいつの間にかルネが立っていた
「いつ来たの…」
「さっき。窓開けっ放しだから、見たら下に誰かいるようだったから」
ルネはヴェルに付き合って購買に寄っていた
ファンシャの指示で壁の写真を処分しに行ったのだ
ファンシャのパパラッチ作戦の第2段階は、売り崩しだ
人気が独り歩きを始めたルネとヴェルの写真を再び大量に投下、相場を暴落させて写真の質を篩いにかけたのだった
加熱しすぎたパパラッチは常に二人を監視される状況に置いたが、ブレているとか見切れているとか、愚にもつかない素人のスナップ写真まで値がつくようなありさまになっていた
最早監視の有効性よりも、二人の生活を侵される割合の方が高くなっていた
本末転倒とまでは言わないが、ルネの平穏のためにやっているのに、日常生活に支障が出るのでは意味がない
そこで競争力のある有益な写真だけが生き残るように、わざと素人みたいな写真を増やしてレッドオーシャンに仕立て上げた
撮る方だってタダではない
フィルムもいるしチャンスもいる
リターンが小さくなれば他の被写体を探すというわけだ
こうして片手間に二人を追うカメラの数を減らしつつ、有益なシャッターチャンスを逃さないガチめなパパラッチだけを選り分けた
十分に素人スナップの市場を破壊し尽くし、写真の評価基準がハイレベルなものに移行したので、大量に貼り出した写真を引っ込めに行ったというわけだ
相変わらずろくでもないことをする
有能だが本当にお友達になりたくないタイプだ
ただ今となってはファンシャの力も利用していかなければいけない
プラッドの脅威が去ったわけではないのだ
それにヴェルがハルと接触する瞬間も捉えることが出来るかも知れない
カルマ様は私に敵意はないかも知れないが、私の周りの誰かを困らせないとはまだ言えない
「タービュランスがどうかしたの?」
「乗合馬車が減って、馬がダブついてるんだって。それで各校の馬術部が引き取ってるらしいんだけど、馬飼うのってどのぐらいお金や手間がかかるのかなって」
つまりはそういう陳情である
しかも私が女王になるにあたって直接世話になった、馬術部たっての頼みだ
聞かないわけにはいかない
「餌って烏麦でしょ。お米の何分の一とかじゃない?」
「食べる量は人間の10倍でしてよ。それにふすまや干し草も混ぜてバランスを取らないと、費用面でも栄養面でも偏ってしまいますわ」
「そりゃ原付が流行るわけだね」
タービュランスは物憂げにフーとため息をついた
「原付に話しかけても相槌打ってくれませんでしょ」
「そうでもないぞう!」
ビイン、と軽快な空ぶかしで一台のスクーターが止まった
乗り手はあゆ様だった
この世界では当たり前だが、怪我をしないのでヘルメットはなくてもいい
なくてもいいが、あゆ様は水色のちょっと洒落た半ヘルを被っている
というかみんなヘルメットでバイクに乗っている
これ自体が原付スクーターというファッションなのだ
「見てくれつむじくん!私もバイク買ったんだ」
明らかにこれまでのこの世界の時代性とは一線を画する直線的なデザイン
何と形容すればいいのかわからないが、ディティールや素材感から、かっこいいポリバケツって雰囲気だ
ただ郵便屋さんや新聞配達が乗ってるような仕事用っぽい道具ではなく、街に乗り出せるおしゃれ感がある
この世界に来る前に街で見かけた、オタクっぽいガチャガチャした最新型のスクーターと比べてもシンプルで洗練されている
それでいて妙な現実感がある
フレオの冷蔵庫やコインランドリーの洗濯機のような
もしかしたら
「これどこのバイクですか?」
「ホンダだ!」
私が一人暮らしを始めた頃、母に言われた
ホンダ車に乗るような男の人とはお付き合いしちゃだめよ
何故かと聞くと、母はうんざりした声で、家族を顧みない独り善がりだからよ、と答えた
何もそこまで言うことはないだろうとその時は思った
だが実家に帰省して、父が新しく買ったミニバンに乗せられたとき母の言葉の意味を理解した
拷問だ
後ろに乗る人間のことなど米袋ぐらいにしか考えていない人間の所業だ
いいや、段差を乗り越えたら米袋だって弾け飛ぶかも知れない
それでいて父は運転にご満悦だ
聞くところによると、ホンダの車は運転席が一番乗り心地のいい座席らしい
まあ別に母には母の車があるし、父の車なんだから普段運転する父が快適であるべきだ
でもミニバンだ
これがスポーツカーだったらまだ理解できる
でも自分以外に人を乗せるためのミニバンでだ
しかしこの乗り心地を、買うときによく母が許したなと思った
父は狡猾だった
確信犯だった
父は自分はどんな車かわかってるからと言って、母の運転で試乗させたのだ
自分で運転してみて父の判断を疑わなかった母は、ローンの引き落とし日になるたび後悔したという
ローンを払い終えた頃に帰省したときは、父はなんかくったりしたセダンに乗せられていた
なんでも母が後ろに乗って何台も乗り比べ、吟味した結果選んだ車だそうだ
まあ確かにこれだけラグジュアリーな車ならそりゃ快適だろうという雰囲気だったが、運転する父は、退屈だしでかくて取り回しが悪い、税金も高い、と嘆いていた
件のミニバンはどうしたかというと、父を拷問するために母が乗り回していた
自分で乗る分にはいい車なのだ
…と知っている企業名を聞いて、我が家の苦い思い出が蘇ってしまった
しかしとうとうこういうものに出くわした
以前この街で流通し始めたエレキギターは、レスポールやテレキャスターにそっくりだが、ギブソンやフェンダーのロゴは付いていなかった
ただそういうギターはよくある
私が高校の頃だって、◯◯モデルみたいな名前で、シルエットで見せられたら見分けがつかないようなコピー品は氾濫していた
でもこれはそれそのものだ
「バイクも愛情持って接すれば応じてくれるんだ。アクセルをひねれば鐙で腹を蹴るように走り出すし、こうしていななきもあげるんだぞ」
とあゆ様はビィンビィンと空ぶかしを響かせた
新しいおもちゃを手に入れた子供のようだ
「それに免許がなきゃ乗れない乗り物なんて、大人の嗜みだろう?」
どうやら見解の相違があった
だがこの世界に免許制度はない
どう見ても乗りこなせそうにない人には売ってくれないだけだ
「あゆ!まったくもう…」
音を聞きつけたのか、Tシャツにジャージ姿のビゼ様が駆け寄ってきた
「遊び歩いてないで、ちゃんと稽古に来てよ!」
「ちょっと気分転換をしてきただけじゃないか」
「気分転換でどこまで行ってきたのよ!遠回りしすぎでしょ!午後の授業だってサボって!」
相当舞い上がってるなこれは
まあ私だって初めてのボーナスでマルジェラのバッグを買ったときには、用もないのに日曜の人混みの中を練り歩いたり、目立つカフェの窓際で時間を潰したりしたものだ
あのバッグも今頃誰かに形見分けされているのだろうか
「全身に風を受けて、私一人世界とは違う速さで動く…その瞬間、いつもとは違うものが見えてくる。バイクで走っていると、芝居のインスピレーションが湧いてくるんだよ。ビゼも乗ってみればいいんだ」
「嫌よ!そんなの不良の乗り物でしょ!」
「食わず嫌いはよくないよ」
私もバイクはあまり好きではないが、確かに食わず嫌いはよくない
本格的に嫌いになるのは一度試してみてからでも遅くはない
…そうか
「それだ」
私はひらめいた