第46話②
「ごきげんよう。お待たせしてしまったわね」
フラウタ様はパールのような輝きの白いドレスに身を包んで現れた
髪もアクセサリーとともに編み込みを加えていて、荘厳な印象を漂わせている
やんごとない、というのはああいうのだろう
私なんかちょっといい服を着せつけられただけの田舎の旗本みたいなものだ
こういう場所でどう振る舞ったらいいかもわからない
フラウタ様が一歩踏み出すと、人垣が割れて道ができる
その真ん中をしずしずと進み出る
先に会場にいたらしいヴェーダ様が軽く会釈をしてあとに続く
フラウタ様とは対象的に、黒い蝶の羽のような質感のマーメイドラインに身を包んでいる
近くを見るとヴェルの姿もあった
ハルの姿も探してしまったが、賓客以外はまだ建物に入ってきていない
おそらくこの場には現れないだろう
フラウタ様は振り分け階段の踊り場まで上がるとフロアを振り返った
「お集まりの皆さん、こんばんは。お招きありがとう。今宵は大姫祇園の取りを飾る花火大会です。わたし達の頭上を彩る花火とともに、皆さんと歓談できることを女王一同嬉しく思います」
フラウタ様が場内の女王達を手で示す
と言ってもフラウタ様以外の女王はヴェーダ様、私、嵐だけだ
あとはゾンダ様の名代としてプエルチェ様が来ているが、あゆ様もルーも、そしてもちろんカルマ様もいない
私に手のひらを向けたフラウタ様と目が合った
慌ててフラウタ様と来場者にお辞儀
正直末席という立場に甘えて大分ぞんざいな作法でここに立っているが、本当はもっと堂々と客を迎えないといけない
お辞儀から顔を上げてもフラウタ様はまだ私を見ていた
えっ
なんかやったっけ私
私が見返したのを確認したように、ニコッと口角をあげて再び来場者に向き直った
「それでは始めましょう。みんなに入ってもらって」
玄関の大扉が開くと、いっぺんに大量の人がなだれ込んできた
その様はまるで便秘が解消されたときのお通じのようだ
いや、まだ解消されていない
開いた大扉から見えたのは、入れ替えを待ち受ける入場待機者の群れだ
花火大会の代わりにやんごとない人物へのお近づきを許された、ここらへんに住む一般市民がフロアを満たしていく
一階の床が見えなくなると、再び大扉は閉じられた
見ていると、嵐やヴェーダ様、プエルチェ様も入場者に愛想を振りまいている
フラウタ様も踊り場から下の人混みに降りていった
「つむじも行ったほうがいいんじゃない?」
「…そうだね」
一応立場的には下になるプエルチェ様がああして矢面に立っているのに、女王の私がサボっているわけにはいかない
「つむじサン。今ざっと見回しましたが、こっちを全く見なかった客が4人ほどいました。他に目当てがあると言われればそれまでですが」
「見ないふりをしてるかもしれない、ってこと?」
「用心ですよ、あくまでも」
私をしっかり確認して狙ってくる可能性だってあるし、そんなことで脅威を判定しても始まらない
「毒食わば皿までよ」
「そいつはただの蛮勇ですぜ」
二人を伴ってそろりそろりと階段を降りてゆくと、私に気がついた顔が何人か近づいてきて、あっという間に取り囲まれた
「つむじ!つむじ!」
「ツルちゃん!みんなも!」
ツルちゃんは袋風荘で一緒だった野球部の子だ
他の住民もご一同でのお出ましだ
「やっぱりみんな招かれてたんだ」
「そりゃそうよ。ここらに住んでて呼ばれなかったら真上でドンパチやられるだけだもの」
「寮からじゃ煙で全然見えないしね」
「それよりつむじ、随分立派げになっちゃって」
「ルネが選んでくれたんだけど、どう?」
「お高級お高級」
「髪もさり気なくカールしちゃってさ」
「女王様は格が違うねえ」
「格好だけだから。私なんか何したわけでもないし」
「したじゃん」
「ねぇ?」
「私別に何も…」
「女王簒奪」
「下剋上したじゃない」
「違うって!あれはフレオに売られた喧嘩買っただけで…」
「普通女王が一介の生徒に喧嘩なんか売らないよねぇ」
「普通売られたって買わないしねぇ」
「どうなの?本当のところは」
「何もないよ!ほんとに!」
「何もない人が決闘の最中に女王の唇奪うかねえ」
「もー!みんなそんなこと聞きに来たの!?」
「まさか」
各々持ってきた手提げから色とりどりのタッパーを取り出してみせた
「ここんとこ粉物が続いたから、美味しい料理もらって帰らないと」
「今んとこオードブルとかお菓子ばっかりだよ」
「いいんだよそれでも」
「食卓が華やかになる」
「それよりさあ、他の女王様紹介しなさいよ」
「それだよそれ」
「えー…私が紹介できるの嵐ぐらいだけど…」
「嵐様かー」
「不満?」
答えを聞かなくても明らかに物足りなそうな顔をしている
一服寺に通っている子すらそうだ
「なんだろうなー、女王様捕まえて選り好みもなんだけど、私らも見返りがないっていうかさ」
「まあちょっと、縁遠いお役人様みたいな」
「それでいて将棋の駒で言うと香車くらいの格で」
「なんだい、じゃあ私は歩か」
「歩は成ると銀よりも強いんだよ」
「やっぱりほら、フラウタ様とかさ」
「そそ。お目通り願いませよ」
「私だってろくに喋ったこともないよ。将棋の例えで言ったら駒じゃない、指してる人だもの」
「でも話しかけることぐらい出来るでしょ」
「それこそ今日だったら誰でも話しかけられるでしょ」
「あれに?」
とかつての同寮生が指差す方向には黒山の人だかり
巣に群がる蜂のような塊がある
その中心で愛想を振りまいているのがどうやらフラウタ様だ
「あれじゃ私だってすぐには近寄れないでしょうよ」
「今日はローストビーフをこれいっぱいに詰めるか、フラウタ様とお話するまでは帰らない」
「そんなこと言われてもなぁ」
「堅いこと言いっこなしでさぁ。そこのけそこのけでチョチョイと」
そう言ってツルちゃん達は背中をグイグイ押して、私を露払いに人垣へねじ込んでいく
「ブッ…ブラン!」
振り返るとブランは夜風に吹かれた柳のごとく、重心の安定しない立ち方をしている
まさか
近くのテーブルにあったブランが取ったのと同じ瓶を、通り過ぎざまに引っ掴む
よくあるペリエだ
でも王冠で栓がしてある
さっきブランが開けた時はコルク栓だった
この世界では炭酸水もコルク栓だなんて洒落てるななんて意にも介さなかったが、随分景気のいい音で栓がすっ飛んでいった
今そこら辺のテーブルでシャンパンの栓を開ける音のように
中身をすり替えられたんだ!
それにしたって一口飲んだらわからないものか、下戸ってやつは
肩越しに見えるブランは今にも倒れそうだ
「ルネ!ブランをお願い!」
「えっ、うん」
そう言う間もツルちゃん達は砕氷船のように人の海を割って進む
もちろん割っているのは舳先にいる私だ
「ごっごめん!通して!」
フラウタ様に近づくにつれて氷の厚みが増していくが、氷の方がひとりでに割れて行ってくれる
こういうのが女王の力というものか
黒い人垣の隙間から一筋の光、パールのドレスのフラウタ様が見える
「ストップストップ!」
砕氷船勢いに渾身の踏ん張りでブレーキを掛け、フラウタ様に突っ込むのをすんでのところで食い止めた
人垣を割って現れた私に、さしものフラウタ様もぎょっとしている
「す…すみません…こちら私が以前お世話になっていた寮の友人達です…。是非にもフラウタ様にお目通りをと…」
「まあ」
こういうところは流石筆頭女王だ
不躾な特攻に嫌な顔ひとつせず、柔和な表情で寮のみんなを見回す
全員としっかり目を合わせると
「つむじさんのお友達ね。わたし達もつむじさんの働きには助けられています。皆さんもつむじさんを支えてあげてくださいね」
横入りしたような連中に急にこんなことが言えるのは本当にすごい
まあフラウタ様からしたら、謁見の順番なんて関係ないだろうが
同寮生達はフラウタ様の如才ない振る舞いに、顔を見合わせて小声でおおーっと感激している
ツルちゃんは舞い上がりすぎて、挨拶も何もかもすっ飛ばしていきなり切り出した
「あっ、あのう!ご一緒にお写真撮らせて頂けないでしょうか!」
この世界で写真を撮らせろというのは、ある種金の無心にも似た厚かましい要求になり得る
特にフラウタ様のような有名人には
「もちろん。さあ集まって」
写真を撮られたところで、フラウタ様にとっては別に失うものはない
でも写真そのものには相応の値打ちが発生する
それがフラウタ様の場合は洒落にならない額面に化けたりするのが扱いの難しいところだ
もちろんそれを知らないわけはないはずだが、こう気安くその機会を振る舞ってしまっていいものだろうか
そんな私の憂慮もお構いなしで、ツルちゃん達は我先にとフラウタ様を取り囲む
おいおい誰が写真撮るんだ?
まあ私は別に今撮らなくてもいいけれども
焼き増しに耐える高級なフィルムをセットして、フラウタ様を中心にみんなが入るよう構える
購買のカメラは元々高度な写真を撮るためのものではないため、ファインダーから見える通りの画角で写るわけではない
いい感じに収まるように撮るにはコツがいるのだ
「はい、それじゃあ皆さん…もう笑ってるね」
「は…っ早く!この顔何秒も持たない…!」
とツルちゃんは必死に最高の笑顔を貼り付けたまま器用に喋っている
「はいはい。撮りますよー。2+2はー?」
「「「5!」」」
パキッ、というインスタックスみたいな音でシャッターが切れる
なんでみんなオーウェルなんか読んでるんだ
「あーっ!変な口になっちゃったじゃん!もう1枚!」
「ほらほら、あとがつかえてるから」
カメラから出てきたフィルムが像を結び始めると、雄叫びを上げるような表情の面々が柔和な笑顔のフラウタ様を取り囲んでいる奇妙なシーンが写し撮られていた
「えーっ、ちょっ…つむじこれさあ…」
「かえって値打ちが出るよ、面白いから」
「売らないよ!大事に取っとくよ!」
まだ不満を言い足りないツルちゃん達を剥がしの係員が容赦なく引きずっていく
未練を訴える彼女らの背中を見送りながらフラウタ様に近寄ってみた
「…すみません、無理聞いていただいて…」
「そのための場よ。遠慮したらもったいないわ」
お話を遮って申し訳ない、と詫びようとしたら、いつの間にかフロアの人口がまばらになっていた
ちょうど入れ替えのタイミングだったようだ
客は入ってきたのとは別の出口から外に出されている
次の順番の客が大扉の前で待機しているのだ
「…でもお話のタネもそうそうないわよね」
と肩をすくめると、私の手を取って小走りに階段を昇り始めた
えっ
何
「特等席に行こう」
肩越しに私に見せる笑顔は作り笑いではない、本当に楽しそうに笑って見えた
あくまでも私の主観だが
というか特等席って?
階下を振り返ると、大扉から吐き出され(吸い込まれ?)てくる客、私と客を交互に見返すヴェーダ様、控室のあった廊下から出てくるどう見てもホストに見えない一団…と目が合った
入れ替えのタイミングで外に出されないように、トイレにでも隠れていたのだろう
一度入ってしまえばチケットを確認されたりするわけではない
フロアの隅の壁にもたれて座り込んでしまっているブランと、介抱しているルネが見える
近くにはヴェルがいるはずだ
ハルの命を受けているならルネの身を守るだろう
二人の関係に確証はない
でも私の勘を証明するように、ルネに駆け寄るヴェルの姿が見て取れた
そんなことで安心している私がいる
フラウタ様に手を引かれて、特等席とやらに連れ込まれようとしているのに
特等席は案の定二階のベッドルームだった
こんなところにホイホイついてきちゃって
力付くで腕を引っ張られていたわけではない
いつでも振りほどくことが出来た
どうもフラウタ様の香りに包まれると私は舞い上がってしまうようだ
フラウタ様は私をベッドルームに引き入れると、重厚な扉を締めて中から鍵をかけた
こういうときどうすればいいんだ
とにかく唇だけは死守しないといけないが、相手が相手だ
断れなかったら険悪なことになってしまうかもしれない
いっそ事情を話して踏みとどまってもらえば…
と、丁重なお断りのセリフを記憶の中のビジネス例文集から探している私を置いて、フラウタ様は一直線に窓へ向かった
「来て」
スライド式の窓を上に押し開けると、そこをくぐってすいすい表に出てしまった
いや待った
この窓の外にはベランダなんかないはず
慌てて窓から身を乗り出すと、フラウタ様は雨樋に掴まって庇をよじ登っていた
「ほら、こっち」
小さな庇の上から差し伸べられた手を取ると、結構な力で窓の外に引きずり出されてしまった
フラウタ様に支えられて窓の縁に立つと、どうにも掴まるところがない
ここでようやく、左手にさっきのペリエの瓶を持ったままなことに気がついた
どうりで
「しっかり掴まって。1、2の…」
3で一気に庇の上に引っ張り上げられた
奥行きは靴より少し長いくらい、幅1m足らずといった庇の上にフラウタ様と肩を寄せ合って立つ
ドレスの厚みに押されて落ちそうになるくらい狭い
その狭い庇の半分で、フラウタ様は180度回って壁の方を向いた
「ここで待ってて」
そういうと今度はひと跳ねして屋根のオーバーハングに手をかけると、懸垂で軽々と上に登ってしまった
「それ、こっちに」
後生大事に抱えていた瓶を手渡すと、フラウタ様は屋根に寝そべって、下の私に両手を差し出した
バランスを崩しそうになりながらその手を取ると、力いっぱい私を引っ張り上げる
私も壁を蹴ってオーバーハングに飛びつき、フラウタ様の手を借りながらどうにかこうにか屋根の上に這い上がることが出来た
「先に靴を脱げばよかったね」
フラウタ様はそう言ってヒールを脱ぎ捨てると、瓦屋根を真ん中に向かって歩いた
私も恐る恐る立ち上がり、靴を脱いでフラウタ様に続く
周りを見回すと、他の建物の屋根にも人影が見える
こっちに気づいて手を振っている人がいる
「ごきげんよう!」
フラウタ様が手を振り返すと、他の建物の人影もフラウタ様に気付いたようだ
「つむじさん、手を振ってあげて」
目が合った人に靴を持った手を振り返すとキャーキャー言って喜んでいる
なるほど特等席
間に遮るものはない
花火もフラウタ様もよく見えるってわけだ
周りの家々にひとしきり手を振ると、フラウタ様は屋根の真ん中に腰掛けた
私も隣に座る
「…いつもこんなことなさるんですか?」
「ヴェーダに止められるけどね」
フラウタ様は思ったよりお転婆なようだ
この人のことをもっとよく知りたい
「ちょっとそれ貸して」
と私がまだ手に持っていたヒールを指した
もちろん何のために?と聞きたい
でもまだそういうことも気軽に尋ねられる気がしない
黙ってヒールを手渡すと、踵の部分を器用に使って一瞬でペリエの栓を開けた
ドイツ人みたいだ
「昔取った杵柄。栓抜き以外で開けるとお客さんが喜ぶの」
この人は娼婦だった
女の子相手に性を売っていた
もう第一印象のような深窓の令嬢ではないが、ペリエを呷るフラウタ様はそれでもやっぱり遠くに感じる
「みんな花火ばっかり見るけど、お星さまも綺麗よ」
私にペリエの瓶を手渡すと、フラウタ様は屋根の上に寝そべった
一緒になって見上げると、写真でしか見たことがないような鮮やかな天の川が南北に空を貫いていた
感動的な眺めだ
いろんな色に輝いている
星空が肉眼でこんなふうに見えるものなのか
西の方はまだ夕焼けの余韻が残っているのに
まるで演出過剰なプラネタリウムだ
星座なんてオリオン座くらいしかわからないが、これだけたくさんの星がはっきり見えていては、詳しい人間でも何座か見間違うのではないだろうか
ここに来てこんなにまじまじと夜空を眺めたことはなかった
昔の人が星に名前をつけたくなる気持ちが、今ならちょっとわかる
無意識にペリエを一口呷る
フラウタ様と回し飲み…!
まずいまずい
私が口をつけたやつをフラウタ様が飲んだら何が起きるかわからない
抜けることがない炭酸を、そのまま一気に飲み干した
喉が破裂しそうだ
案ずるな
死ぬことはない
喉を通り過ぎる炭酸が落ち着くのを必死でこらえていると、ヒューッという音がエコーを伴って背後から響いてきた
ぱっ、と、天の川をかき消すまばゆい大輪が花開くと、わずかに遅れてドンッと爆発音が轟いた
続いて二発目、三発目と花火が打ち上がると、庭先や屋根の上から歓声が上がった
つっかえていた息を吐き出して、私も屋根に寝そべってみる
「つむじさんとこんなふうに花火が見れるなんて、夢みたい」
私と?
私がそんな?
隣で寝そべっているフラウタ様の顔が、花火に照らされて赤や青に輝く
「わたしのことを何も知らないお友達が欲しかったの。ずっと」
この街でフラウタ様が何者だったのか知らない人間は私だけ
もちろん色々伝え聞いてはいるが、目の当たりにしているのは今隣にいて私を見ているフラウタ様だけ
谷間に轟く爆発音の中、フラウタ様はずっと嬉しそうに私を見ていた