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リリカポリス  作者: 玄鉄絢
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第46話①

迎賓館の二階は一階と違って絨毯敷きだ

吹き抜けで階下の騒がしさが筒抜けのはずなのに、音が吸い込まれているようだ

おしゃべりの内容がよりはっきりと聞き取れる

二階も程々に人が入っているが、下に比べるとまだまばらというのもある

「つむじ、なかなか様になってるじゃない」

らんは本当にいつもの制服だった

「嵐も十二単衣かなんか着てくりゃいいのに」

「足の踏み場もないのにそんなもの。裾を踏まれて転んじゃうよ」

格好は同じなのに、今日の嵐は何か雰囲気が違う

しばらく考えてしまったが、やっと匂いが違うことに気がついた

柔軟剤のような強烈な香りではないが、いつもの白檀とも違う繊細でグリーンな香りだ

「香水?」

「一応ね。こういう席だから」

嵐でもそういう気を遣う場所ということだ

ただ花火のバーターに設けられた宴会ではないのだ

まあそれはさっき引き合わされた街の重鎮の面々からもわかる

「憂鬱だよ、こういうのは」

「そう腐りなさんな。いいこともあるよ」

「例えば?」

「タダ酒」

と嵐はグラスを掲げてみせた

透き通った液体だが、シャンパンにしては泡が立ち上っていない

いや、それ以前に

「嵐下戸でしょ」

「おっと、そういう設定だった」

言いながらグラスを一息に煽って空にしてしまった

水か何かだったのか、それともウォッカだったのか

忍者の頭目か

どこまで素性を偽っているのやら

私を欺いていると考えるのが嫌で問い質していないが、まだ何らかの手段で私を追跡しているのだろう

「甘いものもあるよ」

テーブルにはマカロンやミニケーキの山脈が築かれている

「あれ総会に持ってきてるケータリングでしょ」

「庶民はなかなか食べる機会がない上物なんだよ?」

いつも食べたいだけ食べているので全く実感がないが、一応格の違いがあるらしい

でも私は貧乏舌だから購買のお菓子と違いがわからない

実際この世界の食べ物はなんでもおいしいし、違いは本当に格だけなのかもしれない

まあ高級ブランドなんて往々にしてそういうものか

「もっといいことないの」

「つむじは何がお望み?」

改めてそう聞かれると、これと言って欲しいものはない

この世界にやってきて、流されるまま生きていたらこうなってしまった

いや、生きてはいないかもしれない

でも生活があって、多少の責任があって、本当だったらもっと何か積極的にならないとやっていけていないだろう

何も望まなくてもこの世界は私を生かそうとする

でも私には野心もない

ただ

「…?どうかした?」

ルネはケーキの山を物色している

私の生活はルネの生活だ

そして今の私はルネの平穏を脅かす存在でしかない

私がいることはルネには何の益もない

ルネばかりではない

この世界に対して私が与えている恩恵など何もない

そんな私の権威でも、縋ってくる人たちが今この場所には大勢いるのだ

人生波風立たない方がいい

でもそんな暮らしは飽きるほどしてきた

何も得るものはなかった

真っ赤なドレスのルネはいちごのケーキを頬張りながら私を見ている

意を決して嵐を振り返る

「もっと力が欲しい」

嵐は一瞬意外そうに眉を上げると、すぐいつもの表情に戻った

「それなら今ここに全部揃ってる」

嵐が手のひらで指し示したゲスト達は、実際にこの世界を動かしているエスタブリッシュメント

ものは考えようだ

今の私は買い手がついていない権力機構の頂点の一人だ

私が望めば誰の力も手に入るはず

「力を手に入れて、何をするの?」

「…世界征服?」

「いいね。女王らしくなってきた」

「嵐も世界征服したいの?」

「どうかな」

と遠い目でホールを見下ろしている

「征服したら半分嵐にあげるよ」

「丘の上はつむじがどうぞ。登るの大変だから」

金持ちは谷の底には住みたがらないと思っていたが、まあ実際生活するとなると坂の上は不便だ

高みもほどほどがいい

私は何と言われようと高いところがいいけど

「くれぐれも大きいつづらは選ばないようにね」

そう言うと嵐は、同じ一服寺の制服の生徒に二言三言話しかけて、階下の人垣の中に消えていった


「私から誰かに話しかけた方がいいんだろうか」

「中には女王から声をかけられたって笠に着るやつもいますからね。わざわざ気安く愛想振りまくことはないと思いますぜ」

「そういうもんかね」

「誰か仲良くしたい相手でもいるなら別ですがね」

「いないよ。ていうかわからないし」

そうこうしているうちにも会場は賑わいを増してきている

「ねえつむじ、あたしどっか人気ひとけのないとこ行ってたいんだけど」

「駄目だよ離れちゃ。何がいるかわからないんだから」

「今のところ妙な気配はありませんぜ。腹のうちまではわかりませんが」

「あのへんの応接室つむじに充てがわれてないの?」

「そんな格好してきて、ただケーキ食べて部屋に閉じこもってるなんて不毛でしょ」

「だからってあたしに出来ることなんてないよ」

「側で后っぽくしててよ」

「ま、オレもその方が安全だと思いますね。権威ってのは些細なことも大事おおごとに出来ますからね」

ちょっとした難癖で相手の人生を終わらせたりとか、まあこの世界では終わりはないかもしれないが、偉い人はそういうことができるってわけだ

ルネはフォークを咥えたまま目をキョロキョロさせている

「せめてお上品に振る舞ってよ」

「…これを食べたら、やる」

ルネは皿に乗せたケーキを大急ぎで片付けると、人目につかない側のテーブルクロスの端で口元を拭って咳払いを一つ

私の左側について腕を組んだ

「さ、行きましょうか、つむじ様?」

「…そこは普通でいい」

ドレスに身を包み、ルネを伴い、ブランを従えて、今ここでできる最高の設えだ

他所様はもっとすごい秘密兵器を隠し持っているのかもしれないが、私にはこれ以上は望めない

「ごきげんようつむじ様」

フロアに歩みだした途端、フォーマルなスーツ姿の人に挨拶された

「…ごきげんよう。パーティ楽しんでらっしゃる?」

するとそのスーツの人は顔を近づけて小声で続けた

「…あの、私自警団の者で…」

なんだよ、私が恥かいたみたいになってるじゃないか

「私の他にも隊のものが私服で見て回ってますから、どうかご安心を」

「あ…ありがとう。ゾンダ様にもよろしくね…」

「畏まりました。隊長、あとはよろしく」

とブランに軽く挨拶をすると、私服自警団は人混みの中に消えた

…というか

「…隊長だったの?」

「言ってませんでしたか?」

「…お互い自己紹介からやり直した方がいいかもね」

「知らない方が安全てこともありますぜ」


それからしばらくは、ごきげんよう、パーティ楽しんで、で凌ぐことができた

相手の顔も名前も覚えていないが、私は女王なのだ

私が知らないと言ったら知らないことにできる

何かあってから相手が何者か決めればいいのだ

幸い、警戒が必要な相手はブランが先に示してくれた

最悪の事態は避けられているだろう

「やあ!どうもどうも!」

そこへ急に昔の知り合いみたいな間合いで近づいてきたのは、身なりのいい快活そうな女性

ブランを振り返ると、刀の柄に左手を添えてはいるが追い払う気配はないらしい

するとよく知られた人物なのか

「あちしはモン・ド・ピエテの代表なんてのをしてます、シャハルというもんです」

「モンド…何?」

ケーキ屋か何かみたいな響きだ

「質屋みたいなものをやっとります。お金に困ってる子に低金利で貸付けなんかを、こう、ね」

なんてこった、金貸しか

「おかげさまでお金には不自由してないけど」

「ははは!まさか!つむじ様には参っちゃうなぁ!」

と不意に顔を近づけると、小声で耳打ちしてきた

「その不自由してないお金を貧しい民草にお貸しいただけないかってね。もちろん利息をつけてお返ししますよ」

金の無心か投資話か

いずれにしてもこいつの飯の種になれというありがたいお話である

「つむじサン、ちょっと」

ブランにしては珍しく、人目を憚るように私に話しかけてきた

「購買の写真が貼ってある壁、あるでしょう?あれを仕切ってるのがこいつらです」

わざわざ晩餐会を前に私に近づいてきたということは、ファンシャの市場操縦に釘を刺しに来たのか

「いやぁ自警団の方はバッサリおっしゃる。あちしらは取引の場を提供してるだけですよ」

思い出がここの経済の源泉

壁の写真に値を付けて売り買いする

そうした市場がなければ個人間の物々交換で終わってしまい、貨幣経済に発展しない

当然誰かが仲介しているものと思っていたが、それがこの女性というわけだ

彼女は質屋みたいなもの、と言った

つまり写真は質草で、一旦その価値を預かる

でもみんな返済を前提に写真を質に入れるわけではない

売れた写真の代金は返済に充てられるので、見かけ上は直接取引と変わりない

ただちょっと、質屋の懐に入るお金があるというだけだ

ファンシャの市場操縦ではむしろ利益を上げたことだろう

そのように動きのある写真はすぐに別の持ち主のもとに行ってしまうが、一方で売れない写真は残り続ける

でも壁の面積は有限だ

なので壁には掲示期間が設定されている

要するに流質期限だ

それを過ぎても動きがない写真は”アルバム”に綴じられる

この時点で質流れとなり、写真はモンドなにがしの持ち物となるのだという

もちろんアルバムの中の写真も取引対象で、欲しければ質屋から買うこともできる

しかししばらく壁に貼っておいても動かなかった写真だ

もっぱらそのままアルバムの肥やしになっていく

だが価値を失ったというわけではない

最初に学校を案内されたときルネが言ったように、みんな思い出に飢えている

最早そこに写っている人はこの街にいないかも知れない写真も、時間が経てば再び輝きを取り戻す

住民が入れ替わっていけば、新しい住民には未知の思い出、街の歴史になる

そして壁に貼ってあったときよりも値打ちが増すわけだ

「チリも積もればなんとやらでしてね」

「待てば海路の日和あり、じゃない?」

「さっすがつむじ様!よくわかってらっしゃる!」

「景気いいんでしょ?私の慎ましい財産が何かの足しになる?」

「それこそチリも積もればなんですよ!ちょっとでもいい!女王様がこのアルバムの写真に投資していただければ、それが信用になるってわけです!」

とモンドなにがしは小脇に抱えたがま口カバンから一冊のアルバムを取り出した

手渡されたそれをめくってみると、ただでさえ時代がかった街の写真に年季が入っていて、よりもっともらしく見える

「ご熱心だこと…」

私はアルバムをめくってある写真を探していた

だが、ない

「ルネの写真ないね」

「そりゃあ、人気のある方の写真はいいお値打ちになりますからね!」

勝手に値がつく写真はモンドなにがしが自ずから売れば丸儲けだ

そりゃそうか

「オッホッホ、ごめんあさぁせ。人気者で」

ルネは上機嫌だ

ならいいけど

しかしモンド某の言い様では、本当にこの中にルネの写真があったのかどうかわからない

アルバムをめくっていくと、制服だけが写っている写真があった

何の変哲もない集合写真

陽に焼けた感じからしても結構昔の写真だ

カーミラ達はいつから存在していたのだろう

この中から何か手がかりを見つけようというわけではないが、ここにヴェルの写真もないであろうことは想像できる

人手に渡っただけでこの世界からなくなったわけではないが、容易に調べられる証拠が隠滅されたとも取れる

あのときファンシャがヴェルを呼んでルネに充てがったのは、本当にただの偶然なんだろうか

この世界で写真に写らないというのは過去が存在しないのと同じだ

過去はないがまだこの街にはいるかも知れない

私は何枚かカーミラが写っていると思しき写真をピックアップした

「これ、買うわ。そしたらあなたが又売りしてくれるわけでしょう?」

「もちろんですとも!女王のお墨付きとなれば高く売れますからね!当然利回りの方も…」

「いや、それはいい」

「…はい?」

モンドなにがしは何を言ってるかわからない、という顔をしている

儲け話を棒に振るなどもってのほか!

顔にそう書いてある

「儲けはあなたにあげるから、女王が選んだって言わずにこれを売って欲しいの。売れたら誰が買ったか教えて」

「…なるほど。もちろん内密で?」

「話が早いじゃない」

とりあえず私のアネモイとしてのサラリー一ヶ月分くらいのお金を握らせた

正直まだこれの価値はよくわかっていない

だが喜色満面のモンドなにがしで十分な対価だということは知れた

「お任せください!買った生徒は写真付きでお知らせしますよ!」

「くれぐれも当の本人に気づかれないようにね」

「畏まりました!またご贔屓に!」

と言うと札束を懐に隠してそそくさと走り去った

「無駄金じゃあありませんかね。奴らの足取りは我々が突き止めてみせますよ」

「それはお金で返せる借りじゃないし」

それに比べたら今のは貸しだ

「つむじ、いつもあんな大金持ち歩いてるの?」

「留守宅を狙われる可能性もあるかと思って」

「女王ともあろうものが、銀行に金預けてないからああいう奴が寄ってくるんじゃありませんか?」

「…銀行あるんだ」

「そりゃあるでしょう。金があるんだから」

銀行強盗とか言っておいてなんだが、実際の銀行を見たことがないのであるとは思わなかった

みんな大事なことは先に教えてくれない

大事なことだから普通知ってるってことなんだろうけど

「ルネが教えてくれてもよかったんじゃない?」

「お金って持ち慣れないもんだから」

「今度からお賃金は銀行振込にする」

その時、階下がにわかに騒がしくなった

「主賓の御成りですな」

ゲストが全員集まったのを見計らい、最後に会場に入ってくる人

フラウタ様だ

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