第43話
カジュアルなシーンで着る着物のことを小紋と呼んだりするが、それよりもう少し大きい柄を使う浴衣は中紋と呼ぶ
当然みんな思い思いの浴衣でキメてくる
フレオのは山吹色の生地に白いオキザリスの柄が入った浴衣だ
オキザリスは昼に花開き、日が陰ると閉じてしまう
なんともフレオらしい
ゾンダ様はいつも通りだが、プエルチェ様は藍色に桔梗の柄でエレガントだ
嵐はリリオペ柄だ
らしくない雰囲気だが、似合ってはいる
そしてルネはいちご柄…と思いきや、白地にピンクのアネモネだった
みんな一人で完璧に着付けも出来ている
夏に浴衣の一着も袖を通さないとは、青春が燃え尽きてしまった女子のすることだ
「つむじさんは着ませんの?」
「こんな席があるなんて聞いてなかった」
今宵は祇園二日目の山場、盆踊り大会だ
駅前にやぐらが出来ていたので、ここらへんで踊り明かす人達がいるのだろうとぼんやりと思っていた
まさかその中に自分がいようとは
なんだ?大会って
いやそもそも盆踊りって
この世界で先祖の霊を迎えるとはどういうことなんだ
もしかしたらご先祖本人がそこらにいるかも知れないのに
私も浴衣の一つくらい欲しいと思ってはいたが、色々と慌ただしかったし、まさか自分がこんな大会に駆り出されるとは思ってもいなかった
祇園の日程は把握していたが、その中の細かいイベントまでは予定に入れていなかった
現に女王全員参加ではない
カルマ様はともかく、ルーもヴェーダ様もフラウタ様も来ていない
「同じ阿呆なら踊らにゃ損々と言うだろう?」
「それ阿波踊りですよ」
あゆ様は青いカトレア柄の爽やかな浴衣
でもビゼ様の姿はない
「ビゼなら稽古を続けてるよ」
「あゆ様のお芝居一度ちゃんと見に行きたいんですけど、晩餐会と被っちゃってるんですよね」
「まあそういう行事も大事だからね。ルーもこの3日間はザナドゥから出ないだろうし」
あゆ様は花火の最中に公演があるので、ゲストハウスの晩餐会には出席しない
ずるい
私も来年は何か理由をつけてすっぽかしたい
この盆踊りもだが
参加する女王達は一応貴賓席みたいなところに集められているが、運動会の実行委員が座ってるテントみたいな一角だ
別にどことも仕切られていない
客も私達を見てキャーキャー言って手を振るが足は止めない
まあ有名人と言ったってそんなもんだ
みんなはみんなで大事な用がある
私の後ろには一応ブランが控えている
髪はなんとか維持して(させて)いるが、格好はいつものボロだ
「それでつむじさん、どういう算段なんです?」
一応ゾンダ様には話を通しておこうと思って、先にブランに断りを入れさせておいた
「線路の向こうの開けた高台に写真部をスタンバイさせてます。それで私達の周りを写してもらって、首が写っていない人影のそばにいる人物を絞り込みます」
「なるほど…面白いですね」
「不用心なだけですぜ総長。つむじサンもこんなときに余計なことをしない方がいい」
「グルーピーを絞り込んでいけばカーミラの足取りを追えるって言ったの、ブランでしょ」
「わざわざ危険に身を晒さなくて済むようにと思ってですよ。つむじサンを餌にしていいなら、他にいくらでもやりようありますぜ」
「物騒なこと言わないでよ」
「心配するなブラン。隊のものを私服で紛れ込ませている。そう何度も好きにはさせんよ」
ゾンダ様はそう言うが、人混みの中に明らかに異質な振る舞いのものが目立つ
人の流れの中で立ち止まって周囲をじっと見回してる人、屋台の後ろばかり見て歩く人、やぐらの根本を周回してる人
あれが自警団でなかったら相当間抜けな不審者だ
自警団だったら間抜けに見えないということではないが、そこは非常に指摘しづらい
まあ自警団の目があるとわかればそうそう悪さもしないだろうし、ここは頑張っておいてもらおう
「つむじはさっきから何の悪巧みをしてるの」
そこらへんをうろうろしていた嵐は、どこで買ってきたのか牛串をもぐもぐしている
「銀行強盗」
「向上心旺盛だねえ。もう十分お金持ちでしょ」
「慎ましいものだよ」
そういう嵐の方がよほど金持ちのはずだ
一服寺の広い庭がある大邸宅に住んでいるという話だし、普段持ち歩いているバッグを革製品のブティックで見かけたが、私の金銭感覚的に言うと家賃3か月分くらいの値札がついていた
「火付けに関しては私の方でも目を光らせてるよ。うちの仲間はもっと自然に人混みに紛れてるから」
「それは頼もしい」
忍者ともなれば影にだって紛れられるだろう
ただあのとき実際火付けは起きたわけで、こうして意識していなければ街中をいつでも監視できているわけではないということだ
ハルが嵐やゾンダ様を私から引き離したいなら、こんな盛り場ではなくもっと離れた場所で火の手を上げるはずだ
私は当然それも考慮しておいた
盆踊り大会の他に一服寺とザナドゥにも写真部を配置して、電車が来る度に乗降客を撮るよう命じたのだ
どこで何をするかまでは絞り込めないが、ひとまず移動の動線を追うことは出来る
大分人が集まってきて、やぐらを取り巻き始めた
特にアナウンスもなくトントントコトンと太鼓が鳴りだすと、「それぇ!」の掛け声とともに盆踊りが始まった
川崎おどりじゃんか
私はジモティじゃないから踊れないが、ここらへん育ちとフロンターレのサポーターは、これが踊れないとたいそう肩身の狭い思いをするらしい
じゃんかじゃんかとやたら浜っ子に対する敵愾心に満ちた歌詞だが、潮の香りもしないここらへんにはあまりピンとこない
「フレオが歌えばいいのに」
「都はるみさんは好きじゃありませんの」
都はるみの歌だとは知らなかった
「さあ、我々も輪に加わろう」
あゆ様が先頭に立って踊りの輪に混じっていく
腕を上に伸ばしてー縮めてー、右に掃いてー左に掃いてー、はいキーラキラー
何の思いを込めたらいいのかわからない振りを見様見真似で合わせて踊る
幸い私はダンスが必修になる前に中学を出られたので、嫌な体験をせずに済んでいる
でも別にダンスは得意にも好きもになれなかった
右に掃いてー左に掃いてー、手拍子ー、はいウッキウキー
楽しんでる人には悪いが不毛な時間だ
いつまで踊ってればいいんだろう
見ていると、あゆ様や嵐は周りの子に話しかけられて愛想を振りまいている
私はもうチヤホヤされなくなってしまったのだろうか
「つむじ、つむじ」
肩を小突いて声をかけてきたのはクラスメイトだ
ちゃんと浴衣を着込んできている
「後ろの人、怖いよ」
「?」
何かと思って振り返ると、ブランが黙って私の後ろを歩いてクラスメイトを睨んでいた
「ちょっとブラン!輪に入るんなら少しはらしくしてよ!」
「踊れって言うんですか?大体何なんですか大会って。そもそも盆踊りって」
私と同じことを言うな
私だって知らん
まあちょうどいい、これを口実に逃げよう
ブランを押して踊りの輪の外に出る
「人目っていうのを気にしてよ」
「さっきの、知り合いならいいですが、あんな場所で腕でも掴まれたら簡単にどこかへ連れて行かれますぜ」
「少なくともプラッドはそういうことしなさそうだし、カーミラも人前で大事にはしないでしょ」
「急に街灯が全部消えたら?」
「分電盤にも見張り立ててるよ。まあ万全ではないだろうけど」
「つむじサン、地下道には小部屋も物置もなかったそうです。本当はあそこで何があったんです?」
壁を動かして閉じるような機構でもあったのか、それとも私が見せられたのは丸々幻だったのか
でもあの小箱は本物だった
今もルネの部屋のベッドの下に隠してある
「行き止まりの部屋にテープレコーダーがあって、カルマ様と名乗る声が私と友達になりたいって、それだけ」
それだけではないが、ブランには話せない
「総会にカルマを召喚して問い質そうという話が上がっています」
総会に呼び出されたら、本人が出席しなければ解任されると聞いている
ただし召喚には女王による多数決が必要だ
まあもしそうなったら、みんなの前に引きずり出されることは避けられないだろう
でもだ
「今の問題は解決できないよ」
「そいつは今我々がやってることも同じですぜ」
ここからは見えないが、写真部がここらの人の顔がわかるレベルの望遠で絨毯爆撃を行っている
もっとも昼間の明るさではない
はっきり撮れるかどうかは微妙だが、カーミラの動きを掴む役には立つはずだ
しかしその夥しい枚数の写真を現像するのにも、分析するのにも時間がかかる
少なくとも祇園の間は打てる手はない
私とブランは、都はるみの歌に合わせてやぐらを回る人の流れを眺めていた
見てる方が不毛だ
「同じ阿呆なら踊らにゃ損、じゃない?」
「我々が阿呆なんじゃない。バカにされてるんですよ」
数があっても見えない相手には何の力にもならない
頭が痛い(痛くはない)
「つむじ様、こんばんは」
不意に後ろの方から声をかけてきたのはヴェルだ
黄色い百合の柄が入った明るい浴衣を着ている
なんだかヴェルっぽくない雰囲気だ
こういう格好だと普段出ないセンスが出るものなのかもしれない
「こんばんは。ルネは…あそこ」
特に誰と連れ立っているわけでもなく一人で川崎おどりを踊っている
私が来る前もああして一人で祭りをエンジョイしていたのだろうか
「ありがとうございます。お祭り楽しんでください」
といつもの物腰で踊りの輪に紛れ、ルネに駆け寄った
だが通り過ぎる一瞬、かすかな菊の香りが漂った
とっさにヴェルが来た方を振り返る
思い思いの人の流れ
あの薄紫のパーカーを探したが、まあそんなわかりやすい格好でうろつくはずがないか
遠くのおだんごヘアの子と目が合った
こっちを見て笑っているような気がする
通りを埋め尽くすような人の群れの中で、偶然目が合う確率はどれくらいだ?
人間の目というのは距離に関係なく、相手が顔の中心から5度くらいの範囲を見ているときに”見られた”と感じるらしい
彼女の視線の先へ振り返る
私を捉える10度の円錐に、彼女を見返している人間がいるか?
わからない
その範囲にあるのはやぐらを回る人の流れだ
一定の集団は必ず彼女の方を向く
また彼女の方を振り返る
もういない
ハルはわざと名刺を残したと言った
私に気付かれたくないなら見える範囲に現れないはず
ルネの安全は保証するとも言った
ヴェルが現れた
何故ヴェルはカーミラの山荘のことを知っていた?
どこでそれを聞いた?
偶然と言えるだろうか
美容室で聞くより遥かに可能性が高い
「何を見つけたんです、つむじサン」
「…何も」
確証はない
「つむじサンはオレにはない勘が働くと思ってますぜ」
盆踊り大会は何事もなく過ぎ、日が変わって祇園三日目を迎えた