第41話①
ブランは大分憔悴していた
何から何までチョコちゃんの思惑にはまり、私の護衛という任務を果たせなかった
腹を切るとか言い出されても困るが、それ以上にプラッド達を遠ざけるという仕事を投げ出されるのも困る
チョコちゃんを舐めているわけではないが、いよいよとなれば私にもチョコレートをぶちまけるくらいのことは出来る
それにひとまずカルマ様の眷属は私に敵意はなさそうだ
「隊のみんなに地下道を探らせています…」
「そんな凹まないでよ。私は無事なんだから」
地下道の出口は思った通り大きな戸口だった
ザナドゥ寄りの住宅地の法面に堂々と顔を出しており、チョコちゃんに誘い込まれた(ブランが選んだと言うと傷つきそうなので、そういうことにしておく)路地は、法面の上の一段高いエリアだ
どうやら普段は鍵がかかっているらしく、私が鉄扉を開けて出てきたら、近くに住んでいるらしい子にアネモイが使っている施設なのだと勘違いされた
まあカルマ様の城だということなら間違いではないか
自警団が探りを入れる前に当事者に聞いた方が早いはずだが、官邸でカルマ様の補佐官を捕まえて問い質しても、そんな場所は知らないという
「カルマ様が私的に擁しているものなのかも知れませんわね」
「カーミラは公の部下じゃないってことか」
「吸血鬼が部下だなんて、いくらこんな世界でもまかり通りませんでしょ」
忍者ならギリ通りそうではあるが、まあ確かに
ふと天井を見上げてみる
シンプルなパネル壁に対して、天井は梁を互い違いに組み合わせた格天井になっている
こういうのは大体どこか一枚天井板が外れるようになっていて、屋根裏の様子が見れる
おもむろに入口脇に立てかけたままになっているフランベルジュを取り、一枚一枚板を小突いてみる
どれも開かない
「屋根裏はわたくしの部屋からでないと入れませんわ。でもそれも執務室ごとに仕切られていて、他所から入ってくることは無理だと思いますわよ」
「入ってみたことあるんだ」
フレオにしては珍しく、しまったという顔をしている
「たまにはお掃除でもしようと思いましたの」
ふーん、屋根裏の掃除を?
へそくりか何か隠しているな
まあ天井裏も仕切られているという話は信じよう
しかし嵐も私の動向を探っているということは、私の力を狙っているということなのだろうか
ブランは嵐”も”私の身を案じていると言った
つまりゾンダ様もということだ
どちらもプラッドから私を守るための善意だとは思いたいが、私の監視を兼ねることも出来るのは事実だ
「…そうだ、先日の火付けはチョコではなかったらしいことがわかりました」
「まああの子にはそういうことは出来ないと思うよ」
「ですが依然としてカーミラの仕業の可能性が高い。目撃情報もいくつか上がってきています。必ず尻尾を掴んでやりますよ」
「プラッドの仕業だったら?」
「その場で斬り捨てるまで」
「公開処刑でお金を取るから生け捕りにして」
「…承知」
やはりブランは生前人を斬り損ねた未練を晴らしたいのだろうか
しかしカーミラの誰かだとするとカルマ様の命令ということになるけど、仮にも女王が目眩ましのために屋台に火を付けるまでするのか
その後結局私以外の女王の前にはカーミラは現れなかったという
一番困るのは私にコンタクトするために火を放ったという可能性だが、流石にこれは的外れだし、結果的に夜回りをするよう謀ったにしては遠回し過ぎる
総会で女王による夜回りを発議すれば済む話だ
そうなると一部のカーミラの独断専行や、全く別な目的の動きということになるが…
「私を尾け回していたカーミラはチョコちゃんだったの?」
と以前ブランが持ってきた写真を広げた
言っておいて何だが、制服だけでも体格の違いが見て取れる
「いえ、そいつはまた別な誰かのようです。チョコはシラを切ってますが、カルマの差し金であることは吐きました」
きっと誘導尋問にあっさり引っかかったんだろう
「つむじさんに何かご用があるのは間違いないようですし、御本人にお会いするのが一番穏便なのではなくて?」
これ以上街の誰かに迷惑がかかるのは確かに困る
と言っても
「どこにいるのかもわからない」
「あたし知ってる」
「「「えっ!?」」」
今までずっと自分の椅子でかき氷をつついていたルネがやっと口を開いた
「なんでルネが!?」
「ヴェルに聞いた」
ヴェルから聞いたんじゃ仕方ない、で済ますわけにはいかないが、この場で追求できないことは違いない
「この向こうに、山あるじゃない?あそこだって」
ものすごい漠然とした情報
だがその場所は私にもわかる
線路が二股に分かれるあたりに、突如ド田舎が広がっている
これは私の世界でもそうだった
立派な四車線の幹線道路が二車線になったかと思うと、角を一つ曲がるだけで急に農村が現れるのだ
ここに越してきたばかりの頃この農村に遭遇したときは、まるで手品か何か見せられているような変わりように困惑した
ある意味実家の方に似ていて懐かしさもあったが、そこを通り抜けるとまた大都会が顔を出して、ニュータウンに囲まれた都会の裏庭といった風情が大変気に入った
行っても店一つないが、時々自転車を出して何の変哲もない田舎道を通るのが好きだった
のだが
「鬱蒼としてるね…」
農村の田舎道がいい雰囲気なのは、さんさんと陽の光が降り注ぐ日中の話だ
間違っても夜来るところではない
夜の森は緑ではない
黒い
タールのように黒い
夜空の方がずっと明るかったことを思い知らされる
一応道々に街灯が立っているが、オレンジ色の薄明かりだ
近代的な真っ白なLEDの灯りではない
悪い意味で実にムードがある
なんでわざわざこんな時間に来なければいけないのか
もう夜中の2時だ
ド深夜だ
丑三つ時だ
私がカルマ様の地下道から出てきて官邸に戻った頃には既に10時を回っていた
出てきた場所がどこだかわからなくて、しばらく街を彷徨ったからだ
それから官邸で色々していたら真夜中になっていたが、いつまで経っても外が騒がしいので時間の感覚を失っていた
げんにここに来るまでは人の往来が絶えなかった
「このてっぺんにある洋館に住んでるんだって」
私、ルネ、ブランの3人で真っ暗な夜の山に分け入っていく
山と言ってもちょっとした丘くらいの高さなのだが、眼の前にそびえ立つ黒い影は立山か谷川岳か、難攻不落の巨壁に見える
一応石畳が敷かれた山道が続いているのだが、虫やヘビがいないとわかっていても怖い
夜目が効くブランに先に立ってもらいたいところだったが、ブランは殿を務めると言って聞かなかった
私の世界のここのてっぺんには、幸いお世話になったことはなかったが大病院があった
「本当に洋館!?廃病院だったりしない!?」
「なにそれ」
そうか
病気がないんだから病院もあるわけないか
学校に保健室はあるけど、保健の先生とゴニョゴニョする場所だと聞いている
うっかりサボるのに使わなくてよかった
頂上までせいぜい2~30mの高低差しかなく、この街の坂にしてはどうということはないが、何しろ木しかない
学校の方がよほどきつい坂の上にあるのだが、ここは下の通りから見ても鬱蒼と茂る森しか見えないのだ
明るいときに登るんだったらピクニック気分なのに
もちろん夜が明けてからにしようと提案した
だがフレオが言うにはこうだ
「わたくし達がお顔も知らないのは、きっと日中は寝てるからに違いありませんわ。寝てるところにおしかけるのは失敬じゃありません?」
ご尤もで
ただそもそも、私は地下道であったことをみんなに正確には伝えていなかった
わざわざチョコちゃんを使ってまで人払いをさせて私だけに聞かせた話だ
人に話すのはそれこそ失敬だろう
それに持ち帰ったあの箱もまだ開けてはいない
見返りに渡したのだとすれば、開けてからでは突っ返すことも出来ない
まあそこまで穿った意図ではないと思うが、これを開けるのは私が何らかの判断を下したことになる
まだ保留だ
これから会おうというときに貰い物の蓋も開けていないのは不躾ではあるが、私はそもそも会えるとは思っていなかった
「…臭いますな」
「私にはわからない…」
ブランの嗅覚はかなり敏感だ
私達がジャムの蓋を開けたら、分けてくれと戸を叩くくらいだ
「これは…バターの匂いだ」
ルネもあんないちごの匂いを振りまいているくせに匂いには敏感な方だ
私にもようやく、木々の香りに混じって粉ものを焼いているような匂いが感じ取れるようになってきた
石畳の続く先に、窓から明かりが漏れる建物らしい影が見える
洋館というか、ごく普通の一軒家ぐらいの雰囲気に見える
どの面も窓はせいぜい2つ並んでいるくらい
非対称の切妻屋根で、よく別荘地にありそうな建物だ
中から何か騒々しそうな音が聞こえてくる
ポーチには「ようこそいらっしゃいませ」と書かれた小さい黒板が下げてある
そういえば吸血鬼は招かれてない家には入れないんだっけ
我々はそんなルールお構いなしだ
「…何て言って入る?」
黒板のメッセージは吸血鬼の不文律であって、我々は招かれたわけではない
用はあるが人前で話すのもどうかと思う
ただどうしたってブランはついて来るし、向こうで人払いしてもらわないと二人きりの話は出来ない
「『夜分遅くに失礼します』」
まあそれはそうだな
玄関前に立つと明らかにどんちゃん騒ぎしているのが聞こえるので、そういう遠慮は無用な気はするが、礼儀は礼儀だ
人の顔をした羊のようなノッカーを二度鳴らす
扉は一般家庭の勝手口にあるような木の扉だ
ノックの音もそんなに重厚感がない
木枠に合板で蓋をして、薄い化粧板を貼り付けた中空の扉だろう
「はいはーい」
誰かが対応に来たようだ
声が聞こえるくらい中の音は筒抜けだ
僻地の別荘にありがちな安普請
いかにも安っぽい扉がカチャリという安っぽい音で開く
「もーおっそい…」
「夜分遅くに失礼…」
「うわあああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!」
人間は突然大きな声を出されるとびっくりする
「うわあああああああああああああああああああ!!!!!???????」