第40話②
足早に鉄階段を登る便所サンダルの音が響いてきた
「あっ、部屋から出ないようにって、言ったじゃありませんか」
ようやくブランが戻ってきた
「今出たばっかりだよ」
「油断は禁物。パパラッチはみんなどこか行っちまいましたぜ」
みんな現金だ
「それで、何か収穫あった?」
「つむじサンが今踏んづけていますよ」
「えっ」
慌てて靴底を見ると、切手大の小さい黒い紙が張り付いていた
「カーボン紙ですよ。この後を追えば、つむじサンがどこに行ったか辿れるって寸法ですぜ」
「これが吸血鬼の仕業?」
「いえ、こいつは忍者の手口ですな」
「忍者!?」
そんなのまでいるのか
お次は宇宙人か魔法使いか
「忍者は天井裏から来るって、天井なんにも対策してないじゃん!」
「この部屋天井裏なんかないでしょう」
それはそうかも知れないが、そういう話ではない
ルネの部屋はペントハウス…といえば聞こえはいいが、屋根裏部屋だけを平屋根の上に乗っけたような誂えで、傾いた天井の裏は素焼瓦だ
人どころかネズミが通る隙間もない
じゃあ安心かと言うとそんなはずもなく、屋根に張り付いて耳をすませば中の様子は筒抜けだろう
おまけに私でも道具無しでよじ登れるほどだ
「こいつは恐らくアフィリオテスの配下の仕業でしょう。嵐様もつむじサンを案じておられるんですよ」
アフィリオテスというのはアネモイにおける嵐の席の名前だ
「嵐の手下に忍者がいるってこと?」
「ま、忍者だけに見たことはありませんがね。一服寺にはでかい忍者軍団があって、代々その頭目が女王を襲名してるって話です」
なるほど
あんな得物を下げて歩いているのも、プラッドにやすやすと近づけるのも、忍者の頭目なら納得がいく
「でもこれが嵐の仕業なら、吸血鬼の狙いは?」
「吸血鬼本人を捕まえて聞くまで」
「要するに収穫なしか」
「そういじめないでくださいよ。今ボヤがあった時間周辺の写真をかき集めて、黒フードや首のない制服が写ってないか虱潰しにしてるところなんですから」
「そんなことに人を割いて大丈夫なの」
「癪ですがウニベルシタスも頼っていますよ。連中の方がそういうのに明るそうってのも情けない話ですがね」
自警団は物々しくならないよう、人員を増やしつつも私服で見回りをさせている
自警団の規模は上から下まで合わせて200人といったところらしいが、10万人の街を200人で見張るのは容易いとは思えない
日本の人口1000人あたりの警官数は2人程度だというから、この街の人口に照らしてもほぼ同程度だ
でもこの街は若い
血気に逸る若者の群れが、言って聞くなら苦労はしない
「そいつは剥がさないでくださいよ」
話しながらずっと靴底のカーボン紙と格闘していたが、こいつがなかなかしぶとい
「嵐が心配するって?」
「我々が気付いたことに気付かれる。もし違う誰かの罠だったら、相手が対応を一歩先に進めてしまう。気付かなかったフリをしておく方がこっちは楽なんですよ」
「そういうもんかね」
「秘密の集会に行くときは違う靴を履いてください」
よもやそんな化かし合いになってくるとは
もう誰が何をしようとしているのか皆目見当もつかない
最早私のプライベートは誰も気にしてくれないが、どうせ四六時中ブランがついているのだ
「我々も巡幸と参りましょう」
「そんな御大層なもんじゃないでしょ」
玄関の鉄階段を降りると、アーケード内の路地にまで店が並んでいる
「アブちゃん、景気はどう?」
一番手前の店は階下の住人、アブちゃんのコーヒースタンドだ
普段は早朝に喫茶店をやっている
登校する頃にはもう看板を下げているので、最近までそういう商売だとは知らなかった
「ここは静かなもん。まあこっちもそんなにお客来ると思ってないけどさ」
「じゃキャラメルマキアート、アイスで。2つ」
「毎度」
キャラメルマキアートは私が教えた飲み物だ
やはりこの世界にはまだなかった
と言ってもスタバのサイトに載ってたレシピをそのまま伝えただけ
バニラシロップを入れたミルクをエスプレッソで割り、上からキャラメルソースをかける
材料があるなら簡単だ
複雑なトッピングは喫茶店のセンスに任せたが、まだ呪文は発明されていないようだ
「はい、お待ち」
たちどころに2人分のカップが出てきた
キャラメルマキアートを注ぐには風情のない、デパートの屋上で売ってるポップコーンの容器みたいな、白とオレンジの縦縞の紙コップだ
「早いね。エスプレッソどうしたの?」
アブちゃんの店でエスプレッソを頼んだ場合、モカエキスプレスで抽出する
つまり厳密には濃い目のモカであってエスプレッソではないのだが、圧力で高速に抽出するマシンはこの世界にはまだなかった
要するにエスプレッソ自体が存在しなかった
「一応作り置きしといたんだ。こんなとこでコーヒーが出るの待っててくれる客いないじゃない。多少香りは飛ぶけどさ」
と冷蔵庫にホーローの小さいポットを戻している
「工夫してんね」
お代を渡してカップを受け取る
「毎度ありがとう。お祭り楽しんで」
「うん。またね」
一応この辺の並びはご近所様なのだが、弁当や洋品など普段店で出しているものを店先に並べている感じで、祭りを練り歩くのに持って行くようなものではなかった
軽く挨拶をしてアーケードを出る
「これ、ブランの」
ブランが離れてしまう前にカップを手渡しておく
「これはどうも。でもお気遣いなく頼みますぜ」
「2人連れなのに1人分しか頼まないってわけにいかないでしょ、知り合いの店で」
こうしていると苦学生が遊園地でなけなしの金で買った飲み物を持ってるみたいに見える
訝しげにスンスンと匂いを嗅いでからストローに口をつける
「うおっ!なんすかこれは!甘ったるい!」
「未来の味覚にようこそ」
ブランはそれからも難しい顔で「あーっ」とか「んんーっ」とか言いながら、夢中でキャラメルマキアートを飲んでいる
まあいつもトーストにメープルシロップをべったりかけて食べているから、甘党だとは思っていた
外は完全に陽が落ちているはずなのだが、店の灯りや提灯などで溢れんばかりの光芒が道を照らしている
まだ初日だからか、みんなそこまでは浮ついた格好をしていない
浴衣がチラホラといるが、ほとんどは普段着
そんな中で私は制服だ
一応女王のお仕事なので
居並ぶ店々はどれも魅力的だ
やはりお祭り感覚は物欲を亢進させる
財布の紐を緩める前に、まずこうして気分をアゲてもらわないと
田舎のシャッター商店街は、こういうもてなしの気力を取り戻すことに知恵を働かさないといけない
「ブラン、りんご飴とチョコバナナどっちがいい?」
「オレは買い食いしてる余裕なんかありませんよ」
「気付かなかったフリをしておく方がいいんでしょ?いかにもパトロールしてますって雰囲気出すよりは、ただお祭り楽しんでるように見える方が」
言いながら私はチョコバナナを2本買った
甘党ならりんご飴よりは多分こっちだろう
片手に縞々の紙コップ、片手にチョコバナナで完全に祭りをエンジョイしている装備だ
バルーンや金魚も欲しいが、それこそ祭りをエンジョイしてるだけになってしまう
一応見回りが目的なのを忘れてはいけない
「それで、どこを見てればいい?」
「つむじサンの場合はただ歩いてればいいんですよ。向こうから寄ってきます」
「プラッドも吸血鬼も、どうして私を狙うんだろう」
みんなもそうそう何度も尋ねられても知ってるわけはないのだが、私だってうーんそうだねで納得するわけにもいかない
ま、これはため息みたいなもんだ
しかしブランは私に何か因果があると言っていた
「転校生なんて、縁起物でしょう?」
「ブランまでそれ…」
「なんです?」
「いい。なんでもない」
転校生だから何だっていうんだまったく
そういえばルネは7年ぶりの転校生だと言った
「私の前の転校生って、誰だか知ってる?」
「えーと…随分前ですからね。確か…」
とチョコバナナをくるくる回して頭の中をかき回している
「ああ、そう。確かフラウタ様ですよ」
「筆頭女王のことピンとこないってある?」
「ここへ来てすぐに頭角を現したわけじゃありませんからね。オレも女王を襲名するまでご縁がありませんで」
「するとフラウタ様もプラッドだの吸血鬼だのに追い回されたの?」
「どうでしょうね。筆頭女王ともなると警備の格も違いますんで」
私のような三下とは比べるべくもないってか
「そうは言ってもつむじサンも立派な女王ですよ。言い換えれば…一番近付きやすい女王、てわけです」
千客万来、来るものは拒まず、病気以外ならくれるものは何でももらう
そんな人間なら喜べる話かもしれないが、今のところ厄介事しか増えていない私には嬉しくない
フレオがお高く止まっていたのは正解な気がする
下っ端が気安くしても何の得もないし誰も有難がってくれない