第40話①
吸血鬼
人の生き血を啜って何百年も生きる…生きてるのか?あれは
まあともかく、そういう妖怪かなんかの類
陽の光を避けて生活し、鏡に映らないとか、十字架やにんにくを嫌うとか、銀の銃弾で死ぬとか
この世界にそんなものがいる意味がない
みんな死なない
陽の光も十字架も怖がる必要はない
流れる水を傍らににんにくを食べてもなんともない
…なんともないのか?
ラーメンににんにくを入れすぎると腸内細菌を殺菌してしまってしばらく具合が悪くなるが、まあこの世界だ
第一誰も血を流さない
こればかりは流石に間違いがないであろうことを、我が身をもって実証している
吸う血がなくて何が吸血鬼だ
ただの鬼じゃないか
「そうだよ!鬼だ!」
「何!?急に!?」
とりあえず家に帰ってきて、振る舞ってもらった焼きそばやお好み焼きで晩御飯にしている
とりあえずとは言うが、一応対策の指針を取り決めて来た
吸血鬼に付きまとわれたら、チョコレートをぶちまける
…それだけだ、私に出来ることは
ブランの話では、この写真に写らない吸血?鬼は、俗称としてカーミラと呼ばれているらしい
カーミラというのは数ある吸血鬼物語の中でも特に有名な女性の吸血鬼だ
だが一般的に知られる吸血鬼と違って、あまり決定的な弱点を持たない
真っ昼間に堂々と外を出歩くし、十字架を恐れたりもしない
賛美歌を嫌うというが、嫌いなだけでそれで死ぬわけではない
よくあるドラキュラの弱点は大体ヨーロッパの吸血鬼伝承から来ているが、後年の創作で盛られた部分も大きい
このカーミラに付きまとわれたらなぜチョコレートを撒くのか、というと、チョコレートに目がないかららしい
ブランは彼女との関係を根掘り葉掘りされたそうだったので深堀りしてみたが、どうも歯切れが悪い
相手のことをよく知っているような口ぶりだったが、どうして?というところに話が及ぶと「知らない方がいい」だの「それは問題じゃない」だのとはぐらかされる
因縁浅からぬ相手なのは間違いなさそうだ
吸血鬼が写真に写らないのはフィルムが銀塩だからだ
すると銀に弱いというのはあるいは事実かもしれないが、そう容易くは手に入らない
自警団も鉄砲は持っていないようだ
第一やっぱり死にはしないのではないか
考えようによってはここはお化けの国だ
お化けの国に更にお化けがいるなんてことあるのだろうか
「お化けなんて聞いたこともないけど、吸血鬼の噂は思い当たる節がある」
「襲われた人でもいるの?」
「いや、空飛ぶチョココロネとか歩く制服とか、そういうオカルト写真が時々あるんだけど、今にして思えば写真に写らない子がただ歩いてただけなんじゃないかって」
「空飛ぶチョココロネは?」
「チョココロネ買えて嬉しくて、小躍りしてるところを撮られたんじゃない?」
なんとも親しみの湧く吸血鬼だ
でもこの世界で写真に写れないなんて、ものすごいハンディキャップだ
生活するには人の写真を売り買いしていれば済むが、自分自身の思い出は残せない
いやまあ、残るけど、写っているのは服だけだ
「なんか不憫になってきたな」
「不憫だからって放火を許していいの?」
「そりゃよくはないけど、マッチ売りの少女みたいじゃない。マッチ擦って、燃え立つ炎の中に自分の思い出を見ているのかも知れない」
「マッチ売りの少女を悪者にしないでよ」
「でもそのオカルト写真の主が本当に吸血鬼だとして、私に何か関係があるかも知れないってありうる?」
ルネの平らげた焼きそばの皿には、きれいに紅生姜だけが残っている
偏食というかなんというか、この様子だと屋台の食べ物はあまり楽しくあるまい
「たとえば…つむじだけは血が出るとか」
「やめてよ!?今更!」
「いやー、でも転校生だし…」
転校生を何だと思ってんだ
「全力疾走の馬から線路に転げ落ちてもかすり傷一つなかったんだし、ないって!」
…転校生を何だと思ってんだ?
私も大分この世界に毒されてきた
「ふむ…じゃあなんだろうねえ」
血が出るかどうかはともかくとして、転校生が何か縁起物だと思って付け狙っている可能性は考えられる
食べると不死身になれるとか
「食べられてたまるか!」
「チョコレートしか食べない人が急に肉なんか食べたって消化できないよ」
「私はすごく腹持ちがいいかもしれないよ?」
「じゃああとで味見させて」
ただの冗談なんだから適当に流せばよかったのだが、私を食べるということに思考を囚われてしまった
ルネが私を食べる
なんかすごくドキドキする
なんだ?私は変態なのか?
でも、ルネに食べられて人生の終りを迎えるのは、老いさらばえてベッドで大切な人たちに看取られる最期より遥かにロマンチックだ
正直に言おう
羊たちの沈黙もハンニバルも、最後にクラリスを食べなかったのが気に入らない
それは昔からそう思っていたが、それが何かこう、自分の性癖みたいなものに根ざしているとは今日の今日まで考えつかなかった
だって味見させてなんて今まで言われたことがなかった
なんだろう、ルネは私のレクター博士なのか?
私のレクター博士は焼きそばを取り分けた皿を流しで洗っている
確かめないと
ルネがどうかではない
「どこから食べたい?」
「えぇ?うーん…」
これは大事な質問だ
私的なおすすめ部位はあるが、私が思いも寄らないエレガントなチョイスを期待している
そうやって私を感動させてほしい
「ほっぺ?」
うーん
悪くないけどちょっと子供っぽい
そういうところがルネっぽくはあるけど
「ああ、いややっぱり唇」
ドキッとした
それを言われたら一発で落ちるという私のとっておきが唇だった
やばい
足が震える
なんか変な汗出てきた
本当にルネが私のレクター博士なのか
「だってそんな厄介事ばかり起こす唇、真っ先に片付けないと。呪いの聖遺物にでもなられたら困るもん」
なんか、現実的な理由
まあ、うん
そうかもしらんな
インディ・ジョーンズの倉庫に永遠に仕舞われるのは私も勘弁してほしいし
いずれにしても昔の記憶があるルネが食べても特に問題がないだろう
最初から私の力が及ばない貴重な存在
だから人を雇ってまで守っているのに、当の本人ときたら
晩御飯を食べたと言っても実はまだ6時前
祭りもたけなわになってくる宵の口に備えて、早めに食べておいただけだ
特に何かしろと言われているわけではないが、ボヤ騒ぎで警戒を強めようという話になった
自警団も見回りを増やすというし、あゆ様も稽古を押して街を巡回するというのだ
私だけ家でゴロゴロしてるわけにもいかない
開け放った窓から、甘みも辛味も渾然一体となった祭り独特の匂いが漂ってくる
あちこちでお囃子が聞こえる
窓から見下ろす街の通りは、端から端まで屋台屋台屋台…
坂だろうと路地だろうと、人が練り歩く場所は全部屋台で覆い尽くされている
鷲神社の酉の市に勝るとも劣らない、大変盛況な祭りだ
もちろんルネの家の前が爆心地だからだが、それでも遠く一服寺の方もいつもと違って煌々と明かりが灯っている
「さて、私達もそろそろ出るか」
「あたしはヴェルと向こう側の丘を見てくる」
「気を付けてよ」
「つむじこそ。血を吸われないでよ」
ルネとは家の前で別れた
というのも珍しくブランが持ち場を離れているからだ
自警団に調査の様子を聞きに行っているが、まだ戻らない
ルネと二人っきりにして行ったのは、ルネを見る目が有効に機能しているからだった
流石に家の窓から写真を撮られたりはしないようだが、家に近づく人間が監視されているというような状態だ
苛烈になりすぎてしまった写真の市場が、抜け駆けを許さない相互監視を形成させていたのだ
プラッドもそう簡単には近づけないだろうが、なんともさもしい話だ