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リリカポリス  作者: 玄鉄絢
59/93

第39話①

「お早いお帰りで」

ルネのイヤミがお出迎えだ

夜通しのど自慢大会が繰り広げられていたことは、ルネにもわかっているだろうに

収集がつかなくて朝帰りになるとは私も想像してなかったけど

おかげでほとんど寝ていない

もちろんブランも寝ていないが、まあ明後日を思って寝たんなら平気だろう

いずれにしろ別行動になるのはわかっていたので、一応ルネはファンシャのところに預けておいたのだ

「大丈夫?何もなかった?」

「何もなかったじゃないよー。大変だったんだから」

「なんかあったの」

「校友会の会員が集って前祝い。一晩中ひっきりなしに客が来てのドンチャン騒ぎで、あたしも写真撮られまくって。給仕係までさせられてさ」

「寝てないの?」

「つむじ帰ってくるまで仮眠してたよ」

「これからずっとそんな騒ぎなのかな」

「そうみたいよ。忙しくなるって言ってたから」

朝帰りをしてしまったが、私もゆっくりしていられるわけではない

「私もお昼頃からだけど、写真撮影があるって言われてる」

ミニコミ誌に、祭りを視察して回る私の紹介記事を載せたいのだという

ファンシャの一派の編集者に頼まれた

視察なんて本来私の仕事ではないのだが、形だけでいいから仕事しているシーンが欲しいらしい

私にしたら証拠を取られることになるので、写真に写っている場所で何かあったら責任問題になってしまう

「どっちにしろ女王が対応させられるんだから」とファンシャは言うが、被らなくていい火の粉には違いない

「あたしもヴェルと出てくるよ。夕方には帰るから」

最近のルネはもう毎日ヴェルと一緒にいる

それはもちろん私が忙しいからでもあるのだが、ブランがついているのだから私と一緒に行動したっていいはずだ

とはいえ、手伝って欲しい公務があるならまだしも、オフの行動までは縛れない

むしろルネに友達が出来て、プライベートな用事があるのは喜ばしいことだ

喜ばなくちゃ

胸の奥がちくりと痛む


「…あの、お付きの方は少し離れていただいて…」

「これ以上離れたら一歩で踏み込めん。そっちでどうにかしろ」

ミニコミ誌の写真撮影では終始ブランが見切れていた

姿を隠せと命ぜられているわけでもないし、こうしてブランの存在が可視化されている方が私は安全だ

でもやっぱりものものしい雰囲気になってしまうし、何よりぼろを着た浪人という絵面が非常に、なんというか、乞食が映り込んでるみたい

「連中もこんな衆人環視の中で何かしてこないって…」

「しかし気配はずっと感じますぜ」

なにそれ

そういうおっかないことは先に言っといてくれないと

「こっちが見てると思うと向こうもこっちを意識するんで…ックシ!」

「お大事に」

観測という行為自体が観測対象を変えてしまう

ルネも人に見られるようになってか、髪のおさまり具合を気にするようになった

ネイルとか言い出したら家族会議だ

まだ色気づくような歳じゃないでしょ!お母さんに何を内緒にしてるの!?

…内緒にしてることは今のところない

それがまた癪でもある

「…ックシ!」

「夏だからって外で寝るからだよ」

「風邪なんかじゃありませんよ。なんだか鼻がむずむずして…」

「バカは風邪引かないって言うよ?」

「それを言うなら夏風邪引く方がバカ、でしょ」

私を囲む輪の中に、いつの間にからんがいた

「つまんなそうな顔だ」

「カメラ向けられたら顔作るよ」

写真部がすかさずポートレート用のコンパクトカメラを構える

こちらもにっこり笑って、香ばしいソースの香り漂う焼きそばの屋台を紹介する

まだ本格的な営業前だが、写真を撮るからとわざわざ鉄板に火を入れてくれているのだ

しかし時折そのソースの香りに混じって、芳香剤のような人工的な匂いが鼻をくすぐる

匂いの主は嵐だ

嵐が動くとすぐにわかるほど匂いも一緒に動いてくる

「どうしたのその匂い」

「柔軟剤入れ過ぎた」

私と同じことをしてる人がいる

一時大流行したあの臭い柔軟剤のようなどぎつい匂いではないが、いつもの白檀の匂いをかき消すほどのフローラルな香りを漂わせている

「桐箪笥みたいな匂いよりその方がいいよ」

「あれはあれでいいんだよ」

「…ックシ!」

「お大事に」

と嵐もブランの悪霊を追い払った

でも多分くしゃみのもとはこの柔軟剤の匂いだ


「嵐仕事は?」

「仲間がやってる」

嵐は部下達のことを『仲間』と呼んでいる

ただ嵐の部下達を見ることはほとんどない

嵐の代わりに執務室に詰めている子が一人と、連絡係みたいな子が一人

全員一服寺の生徒だ

その2人以外はまだ見たことがない

嵐の口ぶりからすると結構な大所帯のようなのだが、それを目の当たりにすることは全くない

嵐がこうしてサボってばかりいてもちゃんと仕事が回っているのだから、みんな見えないところでしっかり働いているのだろう

「私がサボってると思ってる?」

「思ってないよ」

恐ろしい

テレパシーでもあるのか

私以外の誰かも特殊な力を持っている可能性は、少し警戒した方がいいかも知れない

少なくとも人の記憶を消す薬は存在するのだから

「開業前の安全確認。みんなちゃんとやってる?」

そう言って嵐はガスボンベの周りを覗き込んでいる

「はい!大丈夫です!」

「じゃあ私より嵐の写真撮ってよ」

撮影班を恨めしく見ても「つむじ様を撮るようにとの厳命でして…」と聞く耳がない

「私が安全確認したあとにつむじは写真撮ってもらいなよ。私が安全を担保するから、何かあってもつむじが責められなくて済むよ」

本当に心が読めるんじゃないか

「つむじ様、これお持ちください」

と試し焼きの焼きそばを3パックも振る舞ってもらった

「ありがとう。しっかりね」

「はい!」

さっきから寄る店寄る店でこんなふうに施してもらって、撮影班は両手いっぱいにビニール袋を下げている

「いっぱいもらってるから、嵐も持ってってよ」

「あとでお相伴に預かるよ」

次の撮影ポイントに向かうため足を踏み出したその時だ

聞こえるはずのない叫び声が聞こえたのは


「火事だーーー!!」

駅から出てすぐ下の街道沿いから煙が立ち上っているのが見える

嵐はすぐさま屋台を望める切通の上に駆け寄っていく

私もあとに続こうとしたら、ブランに腕を掴まれた

「つむじサン、こういうとき拙速な行動は謹んでくださいよ」

「でも火事が…」

「そうやって何か理由があるときが一番狙いやすいんですぜ。釣りは餌に食いついた瞬間竿を上げるでしょう?」

火事が私を釣り上げるための餌だというのか

「ああして女王直々に安全確認して回ってるんですぜ?誰かが故意に燃やそうとでもしなければ、火事なんか起きやしませんよ」

今まで家が燃えないでいたのは、燃やそうという意思が働かなかったからということなのか

不注意による出火の可能性はまったくないのか

撮影班は私を放り出し、いの一番で野次馬に加わっていた

何処かから半鐘の音が聞こえてくると、音が伝わるのに合わせて別な半鐘も打ち鳴らされ、丘全体に鐘の音が響き渡った

さしものリリカポリス民も大事だと理解したのか、まだ支度中の午前の街は騒然となった

ブランに背中を預けながら、恐る恐る火事の現場を覗き込んでみる

火元近くの高天原の生徒が、道沿いの赤い収納箱からホースを取り出し、消火栓に繋いでいる

燃えているのは屋台の後ろに積んである段ボールだ

近くの生徒達が燃えそうなものを火元から遠ざけている

しかし火は勢いを増し、屋台の後幕に燃え移ろうとしている

「どいてどいて!」とホースを持った生徒が人払いをすると、別な生徒が消火栓を開ける

途端に吹き出した水は女子一人の力では御しきれないほどパワフルで、持ち上げられたノズルは真上の空に水を撒き散らした

降り注ぐ細かい水の粒子で、夏の青空に虹がかかる

ボヤ騒ぎの真っ最中だというのに、私は鮮やかな虹に見とれていた

だってどうせ誰も死にはしないんだ

空高く吹き上げられた水が雨粒になって戻って来る

不規則な噴水がしばし吹き上げると、ホースを抱える生徒にもう一人が加勢し、ようやく火元に水が注がれた

この水の勢いでは、線香花火にバケツの水をぶちまけるようなものだ

たちどころに火は消えた


降りかかる雨粒を払いながら、嵐は現場周辺の様子を見渡している

黒青シイ!どうだ!?」

嵐が声を張り上げると、一服寺の生徒が人垣を割って水浸しになった火元にやってきた

さっき火元から物をどけていた生徒の一人だ

周辺を見回すと、しゃがんで何かをつまみ上げる

「マッチの燃え滓がありました!」

黒青と呼ばれた嵐の部下らしい生徒は、マッチの燃え殻らしい小さな木の棒を掲げて見せた

「ここは金魚すくいの屋台です!両隣は型抜きとヨーヨー釣り!火元はありません!」

「不審火か」

嵐は剣を呑む様子で現場を見下ろしている

火が消えたのを見届けた野次馬達は三々五々散っていった

消火にあたった生徒もいそいそとホースを畳んで収納箱に戻している

みんなそれぞれに忙しいのだ

しかし当の火元には誰もいない

金魚すくいだというのに水も張っていない

わざわざ人のいないところを狙って放火する意味は何なのだ

怨恨なら当人がいる時を狙った方が効果は大きいはずだ

火に巻かれても命までは落とさないのだから、やるなら騒ぎにした方がいい

私は当然のごとくプラッドの仕業だと思い込んでいた

だが嵐の見解は違うようだ

「あの屋台に恨みがあるんだったら、稼がせてから強請る。ただ燃やしてもプラッドには益がないよ」

実際損害はなさそうだ

せいぜい後幕が少し焦げたくらい

このあと水を張るんだから水浸しだってどうということもないだろう

だが


「あーっ!?何があったの!?」

火事の現場にリヤカーを引いて現れた生徒は、どうやら屋台の主らしい

さっきの嵐の部下が何事か説明している

「ええーっ!?ポイが全部水浸し!?」

燃えた段ボールはポイの箱だったようだ

損害がないわけではなかったか

リヤカーに積まれたポリバケツには、ビニール袋で金魚がたくさん入っていた

「損をする人はいたようだけど」

「あのぐらいだったらすぐに話を付けて…」

言いかけて嵐は私の方を振り向いた途端、止まった

表情に何かを察して私も後ろを振り返ると、そこにはヴェーダ様が立っていた

今起きましたみたいなシルクのガウンだけを羽織った姿で

確かに銘酒屋はすぐそこだ

騒ぎがあれば嫌でも気づくだろう

ブランは深々と礼をしている

「どうしたの」

切通の下の屋台の主に尋ねる

「それが、ボヤがあったみたいで…金魚すくいのポイを燃やされちゃって…」

屋台の主は相手がヴェーダ様と知ってもまだ現場の惨状に動揺している

「すぐに代わりを寄越すわ。予定通り準備を進めていて」

「あっ、ありがとうございます!」

屋台の主がお辞儀をしている間に、ヴェーダ様は踵を返してさっさと帰っていった


後ろ姿を見送っていると、道すがら部下らしい人間を見つけたのか、二言三言指示を出しているようだ

部下らしい人間は二人いる

一人はなんだか見覚えのある背格好だ

いや、もう一人もだ

ヴェルを伴ってルネがこっちに歩いてくる

「さっきの半鐘、火事があったの?」

「ボヤ騒ぎ。大したことはなかったけど…」

「大したことでしょ。誰かが火着けたなんて」

燃やそうとする意思がなければ何も燃えない

つまりここで火事というのは誰かの企て以外ありえないということだ

人が死なないというだけで、ここは別にユートピアでも王道楽土でもない

この世界が悪意の味方をしていないのは、善意の圧力の方が強いだけだ

それが唯一の救いといえる

ヴェルはすぐ切通の下に降りて、屋台の主と話をつけている

「金魚すくいはヴェーダ様の管轄だから、すぐに対応するって」

流石は上位のアネモイ、何事もたちどころに解決する

何か事を起こすときは、問題が起きたときのための弾も込めているのだろう

私は出店の認可申請にサインをしただけで、別に屋台の安全管理まで仰せつかったわけではない

こんな私が視察して回るところを写真に収めるなんて、滑稽じゃないか

話がついたのか、ヴェルが両手で◯のサインを送っている

ルネに

手を振り返すルネ

別にルネが何か対応するわけではないのに


「ルネはどこ行ってたの」

「美容室。どう?」

とボブをふさふさして見せる

色気づきやがって

いつもと全く変わらん

カラーを入れだしたら家族会議だ

「ヴェルにいい店教えてもらったんだ。つむじもここいくといいよ」

と店の名刺を差し出した

「ご親切にどうも」

友達を紹介するとクーポンでもくれるのか

「つむじサン、ちょっと」

いつの間にか少し離れたところにいたブランが近づいて耳打ちしてきた

「実はさっきの騒ぎの時、野次馬と反対の方向に駆けていく人影を見ましてね」

「なんで追わなかったの」

「こちらに気付かれるのはまずい。他の誰かに探らせるので、総長のところに寄りたいんですよ。適当に理由をつけてブン屋を追い払ってもらえませんかね」

「わかった」

思いがけず火事の現場を捉えられて、撮影班も撮れ高は十分だろう

現場の確認が済んだのか、ヴェルが切通の上に戻ってきた

「私これからあの屋台の補償に行ってきます。申し訳ないんですが午後の予定はまた今度に」

誰に聞かせてもわかる説明だが、話しかけているのはルネにだ

「うん、いいよ。頑張ってね」

「ありがとう、ルネさん」

ヴェルはいつもの柔和な笑顔で手を振ると、小走りで駅に駆け込んでいった

ちょうど今ザナドゥ行きの電車が滑り込んできたところだ

「愛想がいいことで」

嫌味が癇に障ったのか、ルネは一瞬眉根にシワを寄せた

()()()()()()()()

ぷい、と今セットしてきたばかりのボブを揺らしてそっぽを向いてしまった

なんだっていうんだ


カメラマンは今撮ったフィルムを巻き上げているところだ

新しいフィルムを開ける前にここはお開きにした方がいいだろう

「私今の火事の件で一旦官邸に戻るよ。もう十分いいシーン撮れたでしょ?」

「はい。おかげさまで」

「嵐も安全確認引き続きよろしくね」

「厳にするよ」

撮影班に持たせていたおすそ分けをみんなにおすそ分けして、私も引き上げだ

…いや

「ルネも来て」

私達も、だ

既にルネだけでも写真に撮られる機会が増えたので、以前よりはプラッドに付け入られる隙はなくなっただろう

でもこんな騒ぎのあとで一人にしておくわけにはいかない

ルネは抗弁せずに一緒にホームに降りた

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