第38話
田舎の小さい祭りにはのど自慢大会なんかあったりする
赤ら顔のおじさんが聞いたことない演歌や民謡を歌って悦に入る催しだ
子供はひとっつも楽しくない
という世間体を気にしてか、押し付けがましく子供の部なんてのを開催したりする
私は別に楽しくない
まあしかし人様が楽しんでるんだからしょうがない
それを私がつまらないからやめろというのはただの我儘だ
特にやめさせられる権力を持った今は
「郁金香第二軽音楽部の皆さんで、恋のウォータールーでした!」
万雷とまではいかないが十分騒々しい拍手と、舞台に上がれなかった仲間達からの声援が降り注ぐ
どうやって運んだのか、舞台上にはアップライトピアノがセッティングされていた
その他の楽器は自前だが、初めのうちは奇怪なバイオリンのサイボーグみたいだったエレキギターも、今やどう見てもレスポールにしか見えない代物が蔓延っている
ベースもドラムも十分近代的な形だ
第二軽音楽部だって?
一体第何まであるのか
ここは一服寺のペデストリアンデッキから見下ろせる駅前広場
私の世界ではロータリーだった場所だ
審査員席はデッキの下、屋根下にあたる空間にある
のどに自慢の皆様は、ロータリー中央の植え込みの前に作られたお立ち台に上がりなさる
そして私は何故だかこの審査員席に座らされているのだった
席の少し後ろにはSPのごとくブランが控えている
今日は大姫祇園の前夜祭
のど自慢大会はその催し物の一つだ
なんていうかもう、ずっとお祭り騒ぎをしているくせに前も後ろもあるか
勝手にやってろと言いたかったが私に勝手はさせてくれないのがこの世界だ
「さあ審査員の皆様、得点は!?」
5点満点で評価しろというのだが、このぐらいの中途半端さが一番厄介だ
これが10点満点だったら、多少具体的な根拠を要求されつつも、7点ぐらいをつけておけば大体お茶を濁せる
3段階だと、うまい・ふつう・下手と、素人でもまあ納得できる尺度で評価できる
そこへ行くと5点満点というのはどんな点をつけてもある程度真剣さをもって受け止められ、中庸な褒め方で逃げづらい
4点というと何か足りなかったとしか受け止められないし、3点は露骨に判断を避けているのが見えてしまう
2点は辛辣だし、1点は立場上ネタでしか出せない
「5点」
オーディエンスは大喜び
ここは欽ちゃんの仮装大賞だと思って、大甘な点数をくれておくのが一番無難だ
「皆さん見事なパフォーマンスでした。どうもありがとう」
コメントも無難に
こんなところで色気を出して火の粉を被る必要なんてない
私のコメントを披露するための場じゃないんだ
他の審査員はザナドゥ演奏家組合の役員や一服寺商店会会長、あゆ様の劇団の舞台監督、高天原自治会副代表などなど、とりあえず声をかけてOKした奴を連れてきたみたいな面々だ
出なきゃいけないものだと思って二つ返事で応じた自分が恨めしい
他の審査員も大雑把に5点を挙げていく中、ザナドゥ演奏家組合は3点と辛口評価だ
「ベースがねぇ、あやふやなんだよねぇ。リズム隊だからさ、そこははっきりしてくれないと」
とあやふやなコメントでオチをつける
こうやって点をもらって一喜一憂するが、別にその後のキャリアを彩るマイルストーンになるわけではない
あくまでも一夜限りの勲章だ
中にはこういう場末の大会を人生の分岐点だったと振り返る名士もいるかも知れないが、そういう人は他の部分でもしっかり評価されているというだけだ
少なくともこの場でこっちから与えられる地位や名誉といった余録はない
「続きましては…おっと!ここで今注目の歌姫のご登場です!かつての女王は真昼の太陽より輝いているか!フレオ嬢です!」
観客は一層盛り上がり、盛大な声で今やザナドゥで引っ張りだこになったフレオを迎えている
バックバンドが一揃いと、アコースティックギターも一人壇上に上がってきた
フレオとギターの他にも、ベースやエレキギターの元にもマイクが用意された
バンドに目配せしてセッティングを確認すると、自分のスタンドマイクに向き直って目を伏せた
マイクにそっと片手を添えると、観客は波が引くように徐々に静かになる
「君のひとみは10000ボルト」
と曲名を告げるとアコギがGコードから入る
なんだっけこれ、アリス?だっけ
髭のおじさんがギターを掻き鳴らしながら歌う曲を、ラウドな低音から伸びやかな高音まで見事に表現している
フレオが現役当時どんな歌を歌っていたのかわからないが、こういった男性ボーカル曲やジャズなど歌いこなすのを見るに、歌手としての適性はアイドルではなかったのだろう
サビは楽器隊もコーラスに加わって、観客もヒートアップしている
ここの時代性には早すぎる歌かもしれないが、フレオは盛り上げどころをわきまえている
2番まで終えるとドラム以外はハンドクラップを打ち始め、曲のタイトルを歌うサビが繰り返される
観客も手拍子を合わせる
誰かが指笛を鳴らしているのが聞こえる
なんか様子が変だ
両隣の審査員がニヤニヤと私の方を見ている
観客も私に向けてヤジを飛ばしているような気がする
あっ
しまった、そうか!
世間的には私とフレオは熱愛中なのだ
観客はフレオが舞台上から私にラブコールを送っていると思っているのだ
知ってか知らずか、フレオはまだサビを繰り返している
「まっ…待ってよ!違うって!」
私が慌てて立ち上がると観客に火がついてしまった
沸き上がる観衆が静まれと言って静まるなら、ヒゲの伍長の演説ももう何分か短かったろう
ドラムがドンドンドンドンッとリズムを盛り返すと楽器隊も演奏に戻り、最後のサビを盛り上げる
観客も最高潮の中歌い切ったフレオが審査員席にウィンクを飛ばすと、耳をつんざくような黄色い声がロータリーのあちこちに反響して難聴になってしまいそうだ
「フレオ嬢で、君のひとみは10000ボルトでした!さあそれでは審査員の皆様、得点を!」
あああなんてこった!
私はこれに点を付けなきゃいけないのか!
衆人環視の中で!
はめやがったな
私はまだ立ち上がったままなことに気づいて、そろそろと席についた
その後のことは言うまい
この時の歓声は隣の駅までも聞こえたという話だ
フレオが舞台からはけても観客はまだ騒々しいままだ
ここらでちょっと水入りにしないと続かないのではないか
…と思ったら、一瞬で観客が神妙な空気になった
何が起こったのかと周りを見回すと、次の歌い手が控室になっている一角からこっちへやってくるのが見えた
こっちへというのは、まさしくこっちだ
審査員席に向かって歩いてきている
いや、私に向かってだ
私の前で立ち止まったのは、色打掛を着崩した花魁姿のアイちゃんだった
露出した首から肩のラインが、舞台照明の逆光で色っぽく輝いている
アイちゃんの姿を見るのはあれ以来だ
写真が高値で取引されるようになるほど色街で人気が出ていたので、この格好を見たことはあった
「つむちゃん、一緒に歌って」
「えっ、私?」
戸惑っている私の手を結構な力でグイグイ引っ張っていく
「この閨狂いが!」
剣に手をかけたブランが一瞬で詰め寄る
「大丈夫だから!」
なんとか剣を抜くのは踏みとどまってくれたが、まだアイちゃんを警戒している
その間もアイちゃんは止まることなく進み出て、私はあれよあれよと舞台上に連れ出されてしまった
観客もざわつき半分、賑やかし半分
「これはなんとも!こちらも今人気急上昇中のアイゼ姫、女王のつむじ様を連れ立ってのご登場です!」
抜かりなさすぎるアナウンスで会場は一気に再沸騰した
何年こういう事やってんだこいつ
アイちゃんはアップライトピアノに腰を下ろすと、マイクの位置を高くして自分に合わせた
「つむちゃん、ハナミズキ歌える?」
「えっ?一青窈?まあ…なんとか」
カラオケに行くと必ず誰かが歌うので、特に歌う気がなくても覚えてしまう
「2番からでいいから」
と短く言うとアイちゃんはピアノで前奏を弾き始めた
ピアノだけだとなんだかすごく物悲しい歌に聞こえる
でも一応人の幸せを祈る歌だ
アイちゃんのピアノは玄人はだしで、お金が取れるくらい見事な腕前だった
長身から発せられる歌声も、あの人懐っこかったアイちゃんからは想像できない大人びたものだ
私はあっけにとられ、ステージの真ん中でアイちゃんが弾き語るハナミズキをぼーっと聞いていた
1番が終わるとアイちゃんは私を振り返って目配せした
そうだった、私も歌うんだった
歌うんだったか?
同意したつもりはなかったが、ここまで担ぎ出されて声の一つも発さないわけにはいかない
一青窈を真似して、自分を指揮するように手で調子を取りながら歌った
歌い始めて思い出した
この世界でこの曲を知っているのは多分私とアイちゃんだけだ
他意がない選曲と考えるのは難しい
わざわざ私を舞台に上げて一緒に歌わせるということに、意味を求めないわけにはいかなかった
アイちゃんに対する様々な思いが去来しつつも、なんとか歌い切った
観客はしっとりした曲に拍手を送りながらも、どこか未練がましさを感じる歌詞に思うところがあったようで、各々ひそひそと感想を言い合っている
「アイゼ姫とつむじ様の思いがけない共演でした!感動しちゃいました!」
確かに感動的なムードの歌ではあるのだが、この歌は不倫の歌だと言われることがある
ハナミズキの花言葉は”私の思いを受け取って”だ
それを頭の隅に置いて歌詞を見ていると、その話も納得してしまう
拍手に見送られて舞台を降りる道すがら、アイちゃんは言った
「どうして私が好きだった人はこの世界に来ていないのかな」
それは考えもしなかった
好きな人を死なせてしまったと言うのだから、アイちゃんは後を追ってここに来たのだろう
なのにアイちゃんは一人ぼっちだ
「…どこかで幸せにやってるって思ってる?」
「…だったら悔しい」
ここでは幸せに暮らせるかもしれないが、浮世の記憶は捨てなければならない
ある意味でそれは不幸かもしれないが、こうして生きていた頃を思い出したアイちゃんは幸せまで取り戻したわけではない
そもそも生前が幸せだったらここには来ていないのかもしれない
どっちがいいのか
いずれにしろ、あの時手に入れたかったものはもう手に入らない
それはアイちゃんもわかっているはず
「もし私に負い目があるなら、前を向いてよ」
忘れろとか、まだ見つかっていないだけでどこかにいるとか、気休めは言えない
もしこの世界にいても相手の方はアイちゃんを覚えていないのだ
ましてや私が代わりになってあげるなんて思ってもいない
だから新しい恋でも探してもらうしかない
「負い目なんて、ないよ。私モテるんだよ。今も昔も」
アイちゃんは悲しげに笑った
あの頃と違う笑顔
「だから喜べって?」
いつまでも鬱屈しているよりは、そうやって恩着せがましい方がいい
ここでは死ねないんだ
世を儚んでも足しになることはない
小さくなりながら審査員席に戻ってくると、拍手で迎えられた
恋のウォータールーに渋い点を付けていたザナドゥ演奏家組合は、すすり泣きながら5点の札を上げている
「どうかお幸せに…」
だからそういう歌じゃねえよ
それからも入れ代わり立ち代わり歌い手が舞台に上がり、空が白むまで歌い明かした
今日から大姫祇園だ