第36話
ファンシャの配下には様々な人材がいた
そのうちの一人はマスコミ関係…というほどではないけれど、ある意味でもっと傍若無人な雑誌編集者だった
私と同じ高天原の生徒らしいが、学校では見たことがない
学業の傍ら週刊誌を編纂していると紹介されたが、雑誌を作る片手間に学生やってるような手合だろう
大学にはそういう人もよくいたものだ
とはいえこの世界で週刊誌といっても、町内会の会報ぐらいの情報しか載っていない
おまけに時々自分の写真や記事まで載っていたりして、気分がいいことばかりではない
しかし『昼と夜・放課後を越えた密会』と題されたルネとヴェルの写真つきの記事が載るや、二人のカップルショットは暴騰を始めた
するとみんなもっといい写真を撮ろうと二人を追い回した
愚にもつかない写真が購買の壁を埋め尽くしてもすぐに綺麗さっぱり売り切れ、瞬く間に新しい写真に置き換えられていく
そして二人の写真は更に過激にインフレしていった
「…いや、おかしいでしょ」
「どうして?」
「普通過当競争になったら値崩れするじゃない」
「需要が上回っているからよ」
と編集部の本棚の前に積み上げられた、写真だけで底が抜けそうなダンボール箱を指さした
からくりは単純だった
ファンシャは二人の写真が貼り出される度に人を使って買い占め、壮絶な仕手戦を仕掛けていたのだ
買うのに使った金は新しい写真を売って取り戻す
その写真を撮っているのはかつての我がビジネスパートナー、写真部員だった
「こっちはシチュエーションのセッティングから構図、ライティングに至るまで、なんでも自由自在に用意できるのよ?損なんかしやしないわ」
こんな野放図な売買をしながら、ちゃんと利益まで出していたのだ
ファンシャは自分が売った写真よりも高い写真には手を出さなかった
しかしこのおかげで、公正な市場参入者の競争力が高まった
そしてファンシャが市場操作から手を引いても、勝手に値が釣り上がる強気相場が形成されていた
「あなたが生み出した”はったったー”も活用させてもらったわ」
はったったーとは、付箋を貼りつける壁SNSのことだ
壁を見に行ってみると、それはもう、ルネとヴェルのことを勘ぐるわざとらしい付箋でいっぱいだった
中には証拠と称して写真を添付しているものもある
やってることが完全にステマだ
こういうものを使いこなす人間は時代なんか関係ない
そういう生き方が魂に刻み込まれているのだ
「つむじ様、これ今日出るやつのゲラなんスけど、どうです?」
件の雑誌編集者がニヤつきながら手渡してきた校正紙には、ヴェルと談笑しているルネの写真がはまっていた
「ルネがこんな芝居を打てるなんてね…」
「お芝居じゃないわよ。本当にただヴェルとお話してるだけ」
そんなバカな
バカなとしか言いようがないじゃないか
あのコミュ障の文学少女の世捨て人が、昨日今日会ったばかりの人間とこんな和気あいあいな雰囲気を出せるなんて
「それこそそんな子が芝居でこんな顔出来る方がびっくりじゃない?」
「うう…」
この何ヶ月か一緒に暮らして、ルネのことは知り尽くしたと思っていた
少なくとも性格に関しては
それが最近になって急に、知らない一面を見せつけられて当惑している
もちろん過去に何があったのか、全ては知らない
しかしそれも殊更追求しなくても、自分からぽつりぽつり話すことも増えたのだ
私には心を許していると思っていた
というか、私だけに
「これから新しい記事の写真を撮りに行こうと思ってたんだけど、誘わないほうがいいかしら」
「行くよ!行く!」
でっちあげとはいえ密会の現場を押さえようというのに、私、ファンシャ、編集者、写真部、ちょっと離れたところにブランまで、結構な大所帯が街をゆく
しかもそのうち一人は女王ときている
今日のルネは私よりも早く家を出た
どこへ行くのかぐらい聞いておくのが家人の勤めだと思うので尋ねると「待ち合わせ」とだけ言ってそそくさと出て行ってしまった
やるせない
私はようやく彼氏ができたときには一人暮らしだったので、そのことを報告して父を悲しませたことはなかったが、そういうことがあったら父もこんな気持ちになったのかもしれない
どこへ行くかは話してくれなかったが、そもそも耳目を集めるために始めたことだ
人の視線が集まるところにルネはいる
ところがこっちが気を使わずとも、ヴェルはちゃんと行先を報告していた
「今日はお気に入りの喫茶店に連れて行くと言ってたわ」
「そうなんだ…お気に入りの…」
「フフッ。彼女なりに気を使っているのよ。多分ね」
一言多い
私達はヴェルのお気に入りの喫茶店が見える、住宅街の裏手の雑木林の中に陣取った
見える、と言っても喫茶店は向かい側の丘の南面にあり、写真部ご自慢の超望遠レンズでやっと人の顔がわかるという距離だ
「こんなのでいい写真撮れるの?」
「あの店は今日貸し切りにしてあるの。ヴェルは二階の窓際に座ることになってるわ。パパラッチは店に入るところぐらいしか撮れない。そこへ行くとここは二階の窓の真正面というわけ」
「今日は粒子の細かい低感度のフィルムを使うから、引き伸ばしても見れる表情が撮れるよ。一番光が当たる時間帯にセッティングしてもらってるしね」
写真部が撮れるというのだから間違いないのだろう
「来たわ」
遠くに人で出来た雲のようなものが移動しているのが見える
その先頭にいるのがどうやらルネとヴェルだ
あんなに人混みを嫌っていたルネがああして人に囲まれている
嫌かもしれないが、周りがルネを熱心にカメラで追っている間はプラッドも滅多なことは出来ないだろう
ルネ達のあとをついてきた一団が喫茶店で門前払いされているのが見える
入れろと抗弁しているのか、早くも今入ったばかりの二人を出待ちしているのか、人の雲は消えない
「…おっ、席についたよ」
ファインダーを覗き込んでいる写真部がカメラを微調整している
「ちょっと、見せて」
写真部を押しのけてご自慢の一眼レフを覗き込むと、順光側に座っているルネの笑顔がはっきり見えた
笑ってる
目を細めて
口を大きく開けて
日の傾きでまだ影の中にいるヴェルも笑っている
その時一瞬、カシャッという音ともに視界が遮られた
「つむじさんの表情でシャッターチャンスがよくわかるよ」
とケーブルレリーズを持った写真部が私を見ていた
ファインダーに戻る
店員が来て注文を聞いている
ヴェルが二人分を頼んだようだ
またシャッター
店員が去ると、ルネは机に両肘をついて乗り出し、ヴェルと何か話し始めた
シャッター
私の脳にシーンが焼き付けられるようだ
諦めてカメラから離れると、双眼鏡を持った編集者が「今」と言って写真部がレリーズを押す
写真部もこっちを向いた
「…冗談だよ。まあ顔には出てるけどね」
写真部が再びカメラに陣取っても、編集者は「あれ撮って」と双眼鏡で指示を出している
真夏の熱気の中、雑木林に座り込んで何をやっているのだろう
蚊や蝿がいないからまだいいが、汗が出る気温なのは変わらない
後ろの薄暗い雑木林を見やると、どこから飛んできたのかぶーちんが幹をよじ登っている
せっかく虫らしい虫がいない世界なのに、カブトムシのメスだけいて誰か楽しいんだろうか
この辺は、私の世界では桜が植えられベンチや遊具などが整備された立派な公園だった
それがここでは鬱蒼と檜が茂る薄暗い裏山だ
すぐ下に住宅街が広がっているのに、イカれた長玉を構えた集団を咎める住人の姿もない
「つむじサン、終いまでここにいなきゃあいけませんかね」
裏山を見て回っていたらしいブランが戻ってきた
「どうして?」
「ここは場所が悪い。坂だし、雑木林は味方になるとは限らない。数の優位があっても有利には立ち回れませんぜ。お恥ずかしい話ですがね」
ブランがそこまで言うからにはまずい場所なのだろう
「ここは私達だけで充分よ。もちろん続きが見たいならどうぞ」
ここで眺めていても唇が読めるわけでもなし、むしろファンシャ達に危険が及ぶだけだろう
「いや、いいよ。記事はつつがなくよろしく」
何故ついて行くなんて言ってしまったのか
来なくてもよかった
来なければよかった
見なくてもいいルネの知らない一面を見て、ことのほかショックを受けている自分に私自身が驚いていた
まあまあ、わかるよ、私
友達を取られちゃったみたいな疎外感
ただ思い返してみると、今までの人生でそういう経験はなかったような気がする
もちろん鈍い私が気づかなかっただけかもしれないが、友達はずっと変わらず私の友達でいてくれた
それから友達の程度とか、果たして本当に私の優先順位が変わったりしてなかったのかとか、いらぬ思いつきで頭が一杯になってしまった
ここへ来てチヤホヤされすぎて麻痺してしまっていたが、私だって人並みに大事にされたいのだ
まあ十分大事にされているとは思うが、そういう話でないのはわかるだろう
「ブラン?」
離れて歩いているであろうブランに声をかけてみる
こういう話には不向きな相手な気もするが、他にいないし
「ブランには大事な人がいる?」
「いませんよ。大切なものが自分を縛る」
それほど意外な答えでもないし、侠客らしい物言いもわからなくはない
でもブランが何よりも自由を選んだとは思えない
「その刀も大切じゃない?」
「なきゃないでなんとかしますし、いよいよとなれば躊躇わず捨てますよ」
「いよいよってどんなとき?」
「命を賭けるとき」
私達は死なないんだから生きてもいない
そんな仮初の命に全てを捧げられるものだろうか
命を賭けた末に得るものはなんなのだろうか
「オレはずっと、ただ寝て起きるだけの人生を送ってきたんですよ。何のために、何にもならない同じことを繰り返してきたのか。朝目が覚めたとき、夜また眠りにつける保証なんかどこにもないのに、ずっとそうだったから、それを疑ったことがなかった。ところがある朝、もしかしたら今日は眠りにつけないんじゃないかって考え始めたら、気付いたんですよ。今までと何も違わないはずなのに、夜眠りにつくとオレは明日を手に入れていた。だから毎朝、死を思う。死んだら明日は来ない。何もない明日と死は違う。そして本当に死に直面したとき、終わりを受け入れなければならなくなったとき、これまでの何もない明日がようやく報われる気がするんですよ」
なんだかかっこいいことを言ってるように聞こえるが、気の持ちようで何もない毎日に価値を見出したと、そういう話である
大体毎朝死について考えても夜ちゃんと眠れるとか、心身健康そのものだ
「幸福は一日遅れて来るんだよ」
太宰治は絶対にお付き合いしたくない人だが、その言動はめんどくさい人にてきめんに効く
「なら今日は明後日を思って寝ますよ」
祭りの準備でみんな奔走しているのに、今日の私は帰宅して窓を開け放ってから何もしていない
今日は暑い
生暖かい夏の風が午後の空気を運んでくる
なんだか地下鉄が来るのを待ってるときみたいな熱気だ
そのまま何時間ぐらいごろごろしていたろう
外の鉄階段を登ってくる足音が聞こえる
玄関先で二言三言、何か言っている
「ただいまー。つむじずっとそこにいたの?」
「えー?うん」
そういうことにしておく
「そんな暇ないでしょうに。つむじはつむじの仕事してよ」
まるでルネはルネの仕事をしてきたみたいに言う
私だってファンシャの試みがうまく行っているかどうか確かめていたのだ
部下の安全確保は当然私の仕事だ
「ラムネ買ってきたよ。冷えてるよ」
「ありがとう」
珍しく気が利く
というか、気を利かせてきたことをルネが自発的に言うことは今までなかった
そういう役割分担がなかった
こういうときも「はい」「うん」で済んだ
殊更強調しなくても、お互いその辺は配慮し合っていた
ラムネの瓶についた水滴はまだ細かい曇りだ
すぐそこで冷えたのを買って急いで帰ってきたのだろう
びん玉編みの手提げを外すと、流しであっという間に栓を開けた
どうやったのか見えなかったが、吹き出しもしていない
「ヴェルとね、ヴェーダ様の話したよ」
「ふぅん」
ヴェルと会うことになっていた話は、ルネからは聞いていない
「ヴェーダ樣、つむじの話をすると機嫌悪くなるんだって」
私のことを嫌っているのはわかっていたが、今はその気持ちがよくわかる
ヴェルのことを聞くと気分がよくない
人間ていうのは自分で考えているよりぶきっちょだ
思っているようにはうまく感情を乗りこなせない
もっと器用に振る舞えたらいいのに
それからルネは、ヴェルと話したことを逐一私に話して聞かせた
翌日学校で続きを話さないような、どうでもいい、その場限りの話
その場にいなかった私が聞いても仕方のない話だ
私がここに来るまで、ルネにそんな話をする相手はいないと思っていた
自分の思い上がりが情けない
そんはなずはないのだ
私よりもずっとずっと長い間この世界にいるのだから
でもその相手はもうここにはいない
そうやって何人送り出してきたのか、その中に私と同じようにこの部屋で暮らした人物がいたのか、勘繰りだしたら止まらなくなる
そして何より、ルネは今と同じように楽しそうにしていたのか
ルネに新しい友人ができたことを素直に喜べない、狭量な自分にうんざりする
死んでもそういう部分は捨ててこれないなんて
ヴェルの話はほとんどヴェーダ様のことばかりだ
ルネは私のことを話したろうか
私はその後も、ラムネを呷るルネの濡れた唇を見ながら話を聞いていた