第33話②
催事課の彼女の後を歩いて辿り着いた場所は、宅地の中にある洋館だった
実は登校中にいつも目について、前々から気になっていた建物だ
周辺の家より小綺麗で新しく、この住宅密集地で贅沢にも庭を備えていた
それもかなり大きな庭を
天鏡閣のようなルネッサンス様式で、二階には白い手すりがついたテラスがあり、大きく開いた空を臨むことができる
「つむじ!遅いよ!」
テラスの上から手を振る人影がある
「嵐?嵐も来る予定になってたの?」
祭りの準備は数多くの人が携わり、その分野も多岐にわたる
だから私もフレオと二手に分かれて対応しているのに、女王が2人も同時に集まらなければならない打ち合わせがあるものだろうか
「お招きはしていませんでしたが、お時間いただけるということでしたので。経験者にご説明いただければ私としても助かりますし」
暇なわけがないじゃないか
絶対他の打ち合わせが面倒で抜け出してきたんだ
洋館の鉄門扉を押し開けて敷地に入る
テラスの下の正面玄関は建物のど真ん中にあり、門扉からそこまで庭の芝生を割るようにスレートが敷き詰められている
庭は幼稚園のお遊戯会ぐらいなら出来そうな広さだ
高さ2mをゆうに超える観音開きの玄関扉を開けると、バイオハザードの最初みたいな広間になっていた
外から見たときはそこまで大きい建物には見えなかったが、中は広々としてえらくゴージャスだ
内装も随分新しい
この世界の建物はどれも使い込まれた古さがあるが、ここにはそれがない
雰囲気としては築5~6年とか、そんなところだ
「ここはゲストハウスなんです。一階は大広間、二階はテラスと寝室です」
端から端まで歩いてもせいぜい1時間というこのリリカポリスで、ゲストハウスに寝室が必要だろうか
必要なんだろう、人によっては
大広間の奥には振り分け階段があり、踊り場から二股に分かれて吹き抜けに向かって登っている
階段を上がった先には分厚い扉の部屋があり、少し開いた扉の隙間からクイーンサイズのベッドや調度品が見えた
二階は階段の吹き抜けを取り囲むようにフロアが広がっており、南は格子のガラス戸、あとの壁側には全て同じ扉がある
部屋と部屋の間は細い廊下で仕切られており、廊下の突き当りに上げ下げ窓がある
つまりどの部屋も壁を接していない
これなら銘酒屋の女の子達を呼んで羽目を外しても部屋の外には聞こえないだろう
南面の格子戸の一つが開け放たれていて、テラスに嵐の姿が見えた
「他の打ち合わせサボったでしょ」
「私のは屋台の場所取りのくじ作るだけだもん。仲間に任せてきたよ」
といたずらっぽく笑っている
余裕のあるお役人は羨ましい
「花火大会当日は、女王の皆様にはこちらで地域の住民と親交を深めていただきます」
「ここから庭に集まったみんなにこう、手を振るんだよ」
一般参賀だこれ
文字通り盆と正月が一緒に来ちゃってるよ
「ここらへんの子しか来れないの?」
「いえ、もちろん誰でも分け隔てなく。でも建物の中に入れるのはこの周辺の住人だけです」
要するに我々は生贄なのだ
牙をむく餓えた獣の群れに投げ込まれる哀れな子羊だ
ああ、そりゃあみんな黙って花火を上げさせるさ
真上で花火を打ち上げる代わりに女王諸姉とお近付きになれるんだから
とはいえ、この丁目一角だけでも結構おびただしい数の人口があるのは私だって知っている
「確か1000人ぐらいかなぁ…もちろん入れ替え制なんだけど。でもみんなこっそり友達連れてきたりしてるから、もっと大勢出入りするんだけどね」
冗談じゃない
そんな大勢いる中で私を取り囲むなんて造作もない事だ
格子柄のものを身につけていなければ、私にはプラッドかどうかなんてわかりっこない
私の表情に不安をみとめたのか、催事課主任がすかさずフォローする
「もちろん節度を守って交流できるよう、我々で人を捌きます。自警団からも人手を借りますし、ブラックリストに載ってる人間は門前払いしますから」
ブラックリストがあるってことは確実に厄介勢がいるってことじゃないか!
アイドルの握手会だって、あれだけ万全に人を配していても危害を加えようとする者が現れるのに
怪我や病気はしなくとも、怪しい術で記憶を失わされると知ってからは流石の私も大分怖気づいてしまった
「それで、私に心の準備をさせるのが今日の集まりの目的?」
「とんでもありません。皆さんはホストですから、当日のお衣装ですとか、お食事ですとか、色々と決めていただいて。ああ、あと、ダンスの曲目とか…」
「ダンス!?1000人からが入れ代わり立ち代わりするすし詰めの中でダンス!?」
「そこまでぎゅうぎゅうにはしないよ」
「女王の皆様と直接触れ合えるチャンスというのはなかなかありませんから…まあ、このくらいの役得でもないと打ち上げは敢行できなかった、ということでして」
逆に言えば、一服寺とザナドゥの既得権益は同じぐらいの値打ちがあったということだ
身に余る大役(もちろん皮肉)
「フレオもやってたの?」
「ええ、もちろん。ただ客の誰かと追いかけっこを始めて、いつの間にかいなくなってらして」
アイちゃんだろうか
袋風荘もここから近いし、招かれていたかもしれない
「別にタンゴやジルバを踊れってんじゃないから。チークダンスでいいんだよ」
「嵐が踊ってるとこ想像できないな」
「言ったな」
言うが早いか嵐は私の手を取り、一服寺の編み上げブーツでフォックストロットのステップを踏み始めた
「スロー、クイック、クイック、スロー、クイック、クイック、はい回って」
嵐の顔が近づくと、制服の白檀の匂いの間に時折ふわっとバニラが香ってくる
私の腰に手を回してくるくると回り、手を高く掲げて私をくるくると回す
サッ、と足を引いて止まる
「踊れるじゃない」
「振り回されただけだよ…」
女王がこのざまではいけない
多分フレオならなんでも踊りこなすだろう
「そんなに構えないでください。女王直々にお相手してくださるだけでみんな十分満足します。どうしてもと仰るなら、お部屋に迎えてご歓談なさる方もいらっしゃいますし」
「本当に歓談だけかな」
「みんなには秘密だって言って、部屋に入れた子全員にキスしてる人がいる」
ほらやっぱり
何が節度だ、えっちな園遊会じゃないか
あゆ様は節操がなさすぎる
「違うよ。フラウタ様」
「ええ!?」
そういう人だったのか!
もっと雲の上の、手を伸ばしても届かない存在だと思っていたのに
「フラウタ様は銘酒屋の娼婦から女王になった人だから。最初はその時の客だった子にしてあげてただけだったんだけど」
「娼婦!?あの人が!?」
「そうか、知らないのはつむじくらいだもんね。あの頃からものすごい人気だったんだよ。朝から晩までお客取ってて。でも全然くたびれずに、何人相手した後でもずっとあのまんま。それでサービス精神も旺盛だから…」
じっと嵐を見ていると、向こうも流石に気付いた
「随分詳しいね、嵐」
「そりゃあ、知らない人はいないくらいの人気だったから」
嵐は取り繕うのが上手い
慌てたところは見たことがない
それにしても、なんということだろう
元娼婦が筆頭女王とは
AV女優が総理大臣になるみたいなものだろうか
私はフラウタ様のことをまだ何も知らない
もしや銘酒屋でも女王様だったのでは?
「ではつむじ様もお部屋でご歓談ということで…」
「ダンス!ダンスにします!」
不特定多数にキスを振る舞うなど、この世の終わりかなんか来てしまいそうだ
それだけは絶対にできない
それから当日のケータリングの注文(これはほとんど嵐がやってくれた)、特別な賓客のリストのチェック、当日着るドレスなどを決めた
一階の広間の奥には衣装部屋があった
来客用のドレスがずらりと並ぶオープンクローゼットの前に、トルソーに着せ付けられたウェディングドレスが何点か飾られていた
そう、どう見てもこれはウェディングドレスだ
正直どれも素敵だとは思うが、そのまま誰かと結婚でもさせられやしないかと不安になるくらい何の説明もない
「寸法はお直し致します」と催事課の主任がメジャーで私のスリーサイズや身幅を計っている
なるようになれだ
結婚ができるなら離婚もできるだろ、きっと
私の心は最初から決まっていた
ひときわ目を引く真っ赤なドレス
大きく肩が開いていて、膝丈のフレアスカートの上に長いレースを纏っている
左胸を飾るのはリボンで作られた椿のコサージュ
赤い椿の花言葉は「控えめな素晴らしさ」だ
立派で派手な花の割に謙虚な主張が好きだ
「つむじにはこっちの方が似合うと思うけど」
ここへ来て初めてルネが口を開いた
ルネが示したのは上品な薄いグレーのシルクのドレスだ
銀の糸で刺繍が施され、光の加減で虹色に見える瞬間がある
こういうのがルネのセンスだ
金よりは絶対銀を選ぶ
しかし
「赤がかっこいい」
考えてもみるといい
日の丸がピンクだったら?
東京タワーがグレーだったら?
ここ一番というときにはやはり赤だ
「絶対こっちの方がいいって」
今日のルネはやけに強情だ
しかしこちらにも通したい意地というものがある
「赤いのにする」
ルネはまだ納得していない顔で「えー」と文句を垂れている
着るのは私なのに
「でしたらお連れ様もご一緒にどうですか?」
催事課の主任は件のドレスをルネに促した
なにそれそういうのいいの?
というかそれは何の解決にもなってなくないかい?
「えっ…あたしが着るの?うーん…」
改めてまじまじと私に着せようとしていたドレスを眺める
「じゃああたしが赤いの着るから、つむじがこれ着なよ」
「全然話が違うでしょそれじゃ」
「どうせ着てるときは自分の姿見えないんだから、あたしが着ててあげるよ」
どういう理屈だ
確かにルネの方が肌は白い
赤がよく映える
でもそういう問題ではない
私がその赤に身を包みたいのだ
「お似合いだと思いますよ」
と主任は私の選択そっちのけで、ルネの前に赤いドレスのトルソーを立たせて姿見に映して見せた
主任の様子は迷う客にじれてきているショップ店員のそれだ
後がつかえているのだろう
こんなことにいつまでも拘泥しているのも迷惑というものか
「…わかったよ、じゃあそのライトグレーので」
「畏まりました。早速お直し致します」
私が折れるや、返事を最後まで聞いたのかというくらいの間で、いそいそとトルソーからドレスを脱がして畳んでしまう
今日の集まりはそのままお開きとなった
みんなで洋館を出たときにはもう夕焼け空だった
「嵐はどのドレスにしたの」
「これ」
と今着ている一服寺の制服を指さした
「ドレス着なくていいの!?」
「無理にはね」
「言ってくれればいいのに!」
「でも他のアネモイはみんなドレス着ると思うよ。ゾンダ…はいつもの格好だろうけど」
担がれた
いや担がれたとまでは言わない
言わないが釈然としない
ただこれも仕事なのだと思っていかないと、まだ私が知らない決め事に出くわしたときいちいち憤慨しなきゃならない
…そう、今はちょっと腹を立てたい
大人になれ私
歳なんか取らないけど成長はしなければ
「つむじのドレス姿楽しみにしてるよ」
そう言って嵐は一服寺の方に去っていった
ああ、やっぱり今は腹を立てたい
ルネが上機嫌なのも腹立つ
「ルネもあれ着てみんなの相手するんだよ」
「誰もあたしになんか興味ないよ。女王が一同に会する場所でさ」
そう聞くといっそうナーバスになる
しかし客はどうせこの辺の住人だし、大体は学校で顔を合わせるような連中しか館の中には入れないはずだ
学校ではみんな気安く接している
それが殊更持て囃されるなんてことあるだろうか
「つむじはずっとチヤホヤされてるから気がついてないだけで、普通の人は知らない人に気安く声かけられたりしないよ」
「そういうもんかな」
「そうだよ」
知らない人を家に上げて住まわせてる人が言うのだから、きっと私は普通の人ではないのだろう
そういえば温室の女の子もそんなことを言っていた
補習の帰りにまたあの温室に寄ろうと思っていたけど、すっかりいい時間になってしまった
「♪~」
不意にどこからか聞き慣れたメロディの口笛が聞こえてきた
一瞬の沸き立つような緊張ののち焦りを掻き立てられ、それが何の曲か思い出すよりも早く私の体が勝手にあるものを探し始めていた
今のような夕暮れによく似合う、昭和の哀愁漂うこの歌謡曲は…
そうだ、間違いない
川崎市民はこの曲を聞くと、取るものもとりあえず家中のゴミをかき集めて飛び出してきてしまう
ゴミ収集車が奏でているあの曲だ
「黄昏時にフラフラするのは感心しませんぜ」
そわそわして振り返ると、ぼろきれを纏ったかかしのような人影が壁に寄りかかって立っている
「逢魔が時って言うでしょう?」
ゴミ収集車が奏でているあの曲
https://www.youtube.com/watch?v=AVq9bYuIca0