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リリカポリス  作者: 玄鉄絢
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第29話②

すっかり気にするのを忘れていたが、ここには男性はいない

だから当然恋愛も女の子同士でするしかない

でも実のところ、本当に付き合っているのはクラスに一人いるかいないか程度だと思う

恋の先にあるものの話は、ここに来てから耳にしていない

まああんまり大っぴらにしないだけなのかもしれないが、女と女の関係だ

そう誰も彼も意気投合して一緒になれるわけでもない

何度も唇を奪われたり奪ったりしておきながらなんだが、そういう現場を目の当たりにすると柄にもなくドキドキしてしまう

しかもそれがルーとは


恋なんて遠い昔の話だ

会社にいい男はいなかったし、一日中好きな人のことを考えているエネルギーは仕事に疲れた私にはなかった

高校までは、いいなあと思った人はみんないつの間にか、あのグレーテル役を奪っていった宮比(みやび)さんと付き合っていたものだ

私の友人も目をつけていた男子を宮比さんに取られたとよく愚痴っていたが、宮比さんはとにかくモテて、それでいて品行方正なものだから、イケメンを独占していても誰も文句を言えなかった

実際のところどんな手練手管を使っていたか知れないが、ともかく私がちゃんと異性とお付き合いできたのは宮比さんと違う大学に入ってからだったくらいだ

そんなだから私は多分恋愛音痴なのだろう

だけど恋をしなくてもこの世界は楽しいし、その方が気が楽だ

人の色恋沙汰に首を突っ込むのも苦手だし

だから今見たことも私一人の胸にしまっておくつもりだった


「ルーはハルコ先生に会うためにわざわざ補習を受けに来ているんだ」

まるで私が二人の昼下りの情事を覗き見したことを知ってるみたいに、らんは切り出した

自分でも意外なくらいルーとハルコ先生の密会にショックを受けていて、そのことを考えながら歩いていたら駅まですっかり時間を取ってしまった

電車に飛び乗ったのは発車ベルが鳴っている最中だった

「ハルコ先生が女王だった頃はもっとベタベタしてたんだけど、ルーのことが心配になって先生自ら退位したんだ」

獅子は子を千尋の谷に突き落とすというが、うさぎのルーはそこから這い上がってきた

そして自らの力で女王の座を手にしたことを見届けると、先生は先生になったのだそうだ

「ルーは先代のお妃じゃなかったの?」

「ルーに公務が出来なかったってことはないと思うけど、どうしてか妃にはならずにずっと先生のそばにいた」

妃というのが文字通りの意味でないことはわかっているが、ビゼ様やプエルチェ様を見るに、明らかに配偶者としての扱いだ

それにこれは女王の特権と言ってもいい

特別な相手を嫁と呼んで可愛がることは誰でも出来るかもしれないが、自分のパートナーを妃と言って公に関係を認めさせられるのは女王だけだ

だがルーはどうやら公私の別を大事にしている様子だ

フレオならそれをショーマンシップと呼ぶかも知れない

「独立して頑張ってほしいっていう、親心なんじゃないかな。先生としては」

親子にしてはちょっと親密すぎる気はするが

あの場を見ていない嵐にはそんなふうに思えるのかもしれない


臨時列車は一服寺を過ぎると、二股の谷筋を左へ進んだ

列車はスピードを上げて走る

もうじき花畑だ

花畑のはずだ

ところが窓の外を流れる風景には一向に花畑が広がらない

「そんなに食い入るように窓の外見て。子供みたい」

そりゃあ食い入るでしょうよ

あるはずのものがないんだから

街から見えていた家並みがなくなると、低い丘に囲まれて広がる田園地帯に出た

細かった小川が何度も合流して少しずつ立派な川に成長していく

川沿いの田畑にはまだ青々とした稲穂が風にさざなみを立てている

田舎の原風景そのものだ

リリカポリスの食料はここから来ているのだろうか?

いやいや、そういう話ではない

真実のカレーを目指したときはこんな場所はなかった

まるで遊園地のアトラクションにでも乗ってしまったようだ

外からはバラックにしか見えないが、トロッコに乗っている客だけは夢のような世界でスリル満点の冒険ができる

この世界のわがままさは十分わかっているつもりだったが、まだまだ私の理解を超えたものが出てくる


丘陵地を抜けると平野が開けた

背には今走り抜けてきた低い台地が遠ざかっていき、電車の進む先は緩やかに下って縁が途切れている

途切れた縁の先は帯のように田んぼが連なっていて、真ん中を蛇行する川が貫いていた

河川敷が田んぼになっているのだ

鉄橋でちょっと立派げな川を渡る

信号場らしいところを通ると二股が現れ、線路を左へと進んだ

正面から差していた日差しが右側の窓に移ってくる

そういえば線路沿いを歩いたときは信号場も分岐もなかった

それからしばらく進むと線路は盛土を登っていく

右手側に整地されて遠くまで開けているのが見える

直行する線路をまたぐと、時々雑木林が行き過ぎていく他は何もない

私はこの線路のアップダウンに既視感を覚えていた

木々の隙間から覗く遠くの山景や、また少し左寄りになった日差しでようやく気がついた

今のは厚木基地だ

まだ作っている最中なんだ

この世界は間違いなく現実を下敷きに作られている

それも遠い昔の現実だ

厚木基地を越えたとなると、ここはもう藤沢だ

じきに湘南の風が漂ってくる

次第に集落が増えてきて、すぐ街になった

腰折れ屋根の駅に電車が止まると、客扱いなしでスイッチバックしてそのまま後ろ向きに走り出した

窓から身を乗り出すと、かすかに潮の香りがする

「危ないよ」

そういう嵐も掴んで止めたりはしない

この世界では誰も怪我なんかしない

電車が大きく左にカーブすると、右手の車窓から見える家並みの奥が途切れて見える

その背後に海があるからだ

電車が終点にそろそろと進入し、止まった

1両に2つしかない片開きのドアが開くと、ホームは電車から溢れ出た女子ですぐいっぱいになった

満員というほどではないがそれなりに席が埋まるような電車の中で、椅子に膝を立てて窓に食らいついていたのだ、この女王は


海に近づくに連れて洋館じみた建築がちらほらと目立ってくる中、驚くべきことに駅は現代と変わらない悪趣味な龍宮城のままだった

もちろん全くそのままというわけではない

それどころか大小様々な龍宮城がひしめいており、異国情緒すらも超越したテーマパークだ

海に青春しに来た女子を出迎えるのにこれはどうだ

まあみんな駅舎なんか気にしていないが

街並みも和洋折衷、藁葺屋根の漁師の家もあれば、昨日今日建ったような小綺麗な木造家屋や商店、時代がかった洋風建築もある

ここのガラの悪さはこういう部分がそれぞれに主張し続けて出来上がったように思える

海に近づくと、木で組まれた桟橋が遠くの島まで続いていて、そこを歩く人の流れが見える

そこかしこに土産物屋や海の家が建ち並び、猥雑な雰囲気はいかにも観光地だ


「パラソル借りていこうか」

嵐は手近な海の家で大ぶりのパラソルをレンタルして肩に担いだ

「私はこの下で読書でもしてようか?」

「本なんか読まないくせに」

よくご存知で

公務でよく顔を合わせるから、嵐はすっかり私のことを知り尽くしている

嵐は今までにいたどの友達とも違うタイプだ

放し飼いにしてくれるというか、見るところは見ていて距離は詰め過ぎない

私からすると余計な気を使わなくていいし、嵐も私に気を使われるのは好まないだろう

と同時に嵐も私に気を使うことはしない

「着替えてくる」と言って私にパラソルを渡すと、女子達でごった返す更衣室に消えてしまった


場所取りをしようと浜を見渡してみた

昔の風俗を伝える古い写真集で見たことがある

水着といったらぱっと見はキャミソールにウェストの高いショートパンツで、水に浸かれる洋服の域を出るものではなかった

ところがこの浜には近代的な水着を着た女子ばかりだ

ホルターネックのビキニの子もいる

私に挨拶していく二人組などは、トップのラインをフリルが覆うタンキニと、オフショルのビキニだ

髪まで水に濡れた姿は最早現代のJKと見分けがつかない

そもそも今私が身に着けているこの制服だって、時代を考えたら丈が短すぎる

やっぱりファッションというものはどうかしてアップデートされていくのだ

女子たるものは、時が流れないからと言っていつまでもレトロな格好には耐えていられない


波打ち際で戯れる女子達に手を振り返しながら、人だかりの多い一等地から少し離れたところに陣を構えた

私がこの辺を選ぶことは嵐にも見当がついているだろう

パラソルの陰に腰を下ろして裸足になり、まだ熱い砂を撫でる

日焼けって炎症だから怪我みたいなもんだと思うけど、肌を焼くことも出来ないのだろうか

「ひゃっ」

頬に冷たいガラスの感触

陽を遮って立つ嵐はデコルテが大きく開いた紺のフレアワンピースに着替えていた

ウエストにはアイボリーのラインが入ったリボンがあしらわれている

地味ではないが、他の扇情的な水着の女子に比べると保守的でクラシカルだ

嵐が両手に持っている瓶の中の液体からは小さい泡が立ち上っている

「炭酸ばっかり飲んでると歯が溶けるよ」

「なにそれ」と嵐も隣に腰を下ろした

そうだった

ここでは虫歯もないんだ

どうしても磨けと言ってルネに歯磨きを習慣づけさせるために大分苦労したのだ

瓶の中身は甘みのないソーダ水だ

どうもここの女の子達は無遠慮に甘党なので、こういう飲み物は歓迎だ

「泳いでくる?」

芋を洗う、というほどではないが、プールの監視員がいたら飛び込むなと言うくらいには混み合っている

「思ったより混んでたね」

嵐は腕をつっかえ棒にして足を広げている

「はしたない」

「つむじだって。パンツ見えてるよ」

私は膝を抱えて体育座りをしている

この制服の丈では丸見えだ

「水着と一緒だよ」

なんならこのまま泳いだって染みも汚れもつかないのだ

「だめ。女王でしょ」

と言って私の足をバスタオルで覆った

「あんなに透けるの嫌がってたくせに」

普通の世界なら女子の下着が見えて喜ぶのは人類の半分だ

でもここでは私以外の全員が喜んでいる可能性すらある

それは承知だが、さしものリリカポリス女子も秘めたる劣情を公共の往来で発散したりはしない

一部の人を除いて

だから性善説を信じてというか、見えても別に何も起きないと思って最近はルーズだ

流石にパンチラ写真を壁に貼ると没収されるのでそういうのが広まる心配もない

と思う

ただ写真の闇市場の噂も聞くし、一度写真部のネガを抜き打ち検査する必要はあるかもしれない


傾き始めた陽が私の足元を照らし始める

やんわりとした海風が波のように寄せては返す

嵐の後れ毛が揺れている

いつもは古風なはいからさんだが、今日は解いた三つ編みをリボンで軽くまとめているだけだ

毛束のうねりが波の模様みたいになっている

三つ編みのクセというよりは元からくせっ毛なのだろう

和装よりこういう格好の方が似合っている

普段の嵐は白檀の匂いしかしないが、今日はバニラの匂いがする

羽織袴の制服はみんな白檀の匂いがしていて、一服寺の生徒が集まるあたりは線香臭いのだ

嵐の匂いに包まれてソーダ水を飲んでいると、甘い味がしてくる

夏休みだというのに、海まで来て水にも浸らずパラソルの下でソーダ水飲みながら黄昏れているなんて

JKともあろうものがこんなんでいいのか

「これが青春」

誰ともなく嵐が言う

ひとりだったら侘しい青春だが、今はそうではない

「こんなものか」

私が求めていた青春というのは

「そうだよ」

嵐は私を見て笑っている

そうだ、たったこれだけのことだ

このときの私は、ルネに何も言わずにここまで来てしまったことも忘れていた

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