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リリカポリス  作者: 玄鉄絢
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第24話④

ここの住宅のほとんどは斜面に建っている

体を横にして家の間の狭い坂道を上っていくと、見たことのない通りに出た

車両が入り込めるような広さはない、家々を繋ぐ小路だ

左右を見回すと、また別な家の隙間に入り込んでいく狼の尻尾が見えた

「待ってよ!」

思わずかけた声が届いているのかいないのか、私には一瞥もくれずにどんどん家の隙間に分け入ってしまう

ダイエットの必要を問いかける家の隙間を抜けると、今度は少し様子の違う場所に出た

庭、というか、森のように緑に取り囲まれた花壇

見上げると、二階家の高さくらいあるドーム型の天井はガラスが張ってある

ここは温室だ

でも今の季節の温室にしてはひんやりとしている

この雨とは言え梅雨時だ

いや、明らかに涼しい

高原の陽気だ

「ふぅん」

もう慣れっこだ、こういうのは

中央に大きな背の高い木─多分キンモクセイだと思う─が天井に届くほど茂り、その周囲には大小様々な木や花が地植えされている

ただどれもつぼみだ

この気温だ、まだ咲きはしないだろう

温室は奥へ続く建物がある

差し込む日差しは満遍なく葉を照らしているが、奥は薄暗い

「わんわん?いるの?」

声は短い反響で空間に吸い込まれた

返事はない


奥の建物へ足を進めてみる

そんなに大きい空間ではないようだ

さっきのドーム温室と合わせても二階建ての一軒家ぐらいだろう

こちらではつぼみばかりの鉢植えがスタンドに並べられている

青いポインセチアだ

これ欲しかったんだよなぁ

鉢を持ち上げて枝ぶりを観察してみる

「そんなの造花みたいなものだよ」

声に驚いて振り返ると女の子がこっちを見ていた

女の子だ

いや、ここには女の子しかいないんだからそれは別に珍しくもなんともない

だがそこにいたのは子供だ

女の”子”だ

ついぞ見かけることのなかった公園の遊具の主だ

背格好はルーと大差ない気もするが、それでもルーにはいくらかあった女性らしいふくよかさがない

正真正銘小さい女の子だ

黒い真っ直ぐなおかっぱは、エプロンドレスのフリルが付いた肩紐に触れるか触れないかのところで揺れている

「インクで青く染めるの」

見た目はこの世界で一番幼いが、話す声は落ち着いている

「…でもこの色がいい」

普通のポインセチアは赤い葉をつける

青いのは白いポインセチアに青い染料を吸わせて色を付けたものだ

それぐらい知ってる

「じゃああげる。持って行っていいよ」

ひとまずこの子はこの温室の主ではあるようだ

獣のあとを追い回した挙げ句勝手に立ち入った温室で、とうとうご対面した幼女にかけなければいけない言葉は何だ?

「…ありがとう」

もちろんお礼だ

前から欲しかった青いポインセチアが手に入ったのだから

ルネの部屋に飾ろう

「ここは…あなたのお家なの?」

「そりゃ、もっとちゃんとしたお家に住めたらいいけど」

鉢植えが並ぶスタンドの向こうを覗くと、無造作にベッドが置かれている

ベッドサイドのテーブルにはルネの部屋にあったようなランタン

ベッドの足元に白くて大きいクッションが置いてある

いくら汚れないからって地べたに直で?

と思っていたらクッションがもぞもぞ動き出した

クッションは四本脚で立ち上がってその場をぐるぐると回ると、またぺたんと座り込んでまん丸になった

さっきの狼だ

丸くなった狼が大きく息をつくとシーツの裾が揺れた

こういう仕草は犬のそれと全く一緒だ

たとえ狼でもこうしているとかわいい

私はもふもふの獣に弱いんだ

この子が飼っているのか


それにしても、植物と寝るところしかない空間はルネの部屋に通じるものがある

そしてある懸念が頭をよぎった

「ちゃんとご飯食べてる?」

今尋ねなければいけないことはもっと他にあるはずだが、こんな小さい子がひもじくしている様は想像したくない

「ビスケット」

とエプロンのポケットからパラフィン紙に包まれたビスケットを取り出した

購買で売ってるいつものビスケットだ

サイドテーブルに3箱積まれている

「…牛乳も飲んでるよ」

小学校の頃の同級生が、ネグレクトされてお菓子ばっかり食べてたのを思い出す

だめだ、こんな小さい子がそんな暮らしをしてちゃ

「いや、同情とかいらないから。ほんとに」

怪訝そうな顔で私を見ている

「だって!あんなのばっかり食べてベッドしかない温室で寝て…!」

私はあっという間に半べそをかいていた

人様の辛い身の上話にも弱いんだ

確かに当人の事情を斟酌して心を痛めているというわけではない

昔の同級生の、同い年とは思えない貧相な体やいつもあまり洗濯されていない服を着ていたのを思い出すと、気持ちがいっぱいいっぱいになってしまう

「明日!明日ちゃんとしたご飯持ってきてあげるから!」

「私がお腹いっぱいになるとこ見れば気が済むの?明日一食持ってきただけで?」

「毎日持ってきてあげるから!」

「そういうことじゃないってば…」

女の子はハァ、とため息をつくとかぶりを振った

私の自己満足と言われたら確かにその通りだが、それで欠食児童が一人腹を満たせるならそこまで悪い偽善でもあるまい

「食べたいと思ったらなんでも食べに行けるし、お腹も空かせてないから」

「これ、これのお礼だから」

青いポインセチアを掲げて見せる

女の子はうんざりした顔をしている

「どうせここまで来る道覚えてないよ」

「いいや。賭けてもいい」

私には自信があった

ポインセチアの鉢を抱えてさっき入ってきてしまったところに戻る

「…そうだ、名前聞いてもいい?」

「だめ」

知らない人に名前を教えちゃいけません

「私はつむじ」

だから名乗ろう

「知ってる。有名人だから」

知ってる人だけどだめだった

まあいい

「じゃあね。また明日」


温室の外はまだ雨が降っていた

帰る道すがら、ちぎったパンを撒いたり星のシールを貼ったりはしなかった

出てきた路地を写真に撮るだけだ

これで逆から辿ればまた温室に戻れる


ようやく人がすれ違えそうな広めの通りに出ると、血相変えたルネと忙しないサヴィリが駆け寄ってきた

「野犬に襲われてどうかしたかと思ったじゃない!」

「…どうかすることがあるの?」

「あるかもしれないでしょ!」

今更そんな怖いこと言われても

こっちは何しても死にはしないと思ってやってるのに

ルネは青いポインセチアを喜ぶかと思ったのに、それどころではなかった

何をしに来たかわかってるのかと、まあそれはその通りなお叱りを賜ったが、しかし温室に女の子がいてその子が狼を飼ってると説明して納得してもらえるとは思えない

「居所はわかったから、明日話をつけてくる」

と言ってその場はなだめすかした

ラビはどうしたかというと、延々隣町までビスケットを追跡したが、カズリがザナドゥから漂ってくる食べ物の匂いで注意力を失ってしまったので引き返したそうだ

どこで落ち合うか決めなかったが、律儀に学校で待っていてくれた

こういうとき携帯電話がないのは本当に不便だ

時々その話をルネにするのだが、ないなりにみんなやりくりしているんだと言って必要性を理解してもらえない

要するにみんな、待ったり待たされたりということをそこまでストレスに感じていないのだが、こればっかりはなかなか順応できないでいる


部屋に戻って青いポインセチアの置き場所を確保する

ルネは「ポインセチアは日当たりが悪いとすぐ葉が落ちちゃうから」と言って、戸外の一日中陽が当たりやすい場所に並べた

「でも涼しい季節になったら家の中に入れて、今度は陽に当てる時間を減らさないと綺麗な花がつかないんだよ」

日頃草花をいじっているだけのことはあって流石に詳しい

「でもなんでこんなものが野良犬の棲家にあったわけ?」

こんなあからさまに人の手が入ったもの、落ちてたとかでごまかせない

「落ちてた」

「誰かの持ち物だったらどうすんの」

それ以上は追求されなかった

言ってみるものだ


そうして降り続く雨音を子守唄に今日も眠った

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