第20話①
「ルネも行こうよ」
嵐の誘いで、早速ルーのダンスホールに行ってみることになった
「あたしはいいよ、踊れないし」
「踊らなくても、バーもあるよ。ほら、ドリンクのタダ券」
嵐は懐からクーポンの束を出した
そんなに溜め込むほど通っているのか
「騒々しいとこ好きじゃないから」
「行きたがらない人にいつまでも無理強いするのはご迷惑というものですわ。ささ、行きましょ行きましょ」
とフレオはファーの付いたロングコートを羽織って、すっかり戦闘準備完了だ
コートの下には丈の長いラメのドレスが見えている
そういう私も毛先をカールさせて、膝上20㎝のAラインワンピースで気合を入れている
こんなの着るのは10年ぶりだろうか
嵐が一服寺の制服のままなので尚の事気が引ける
「ちゃんと晩ご飯食べてね」
うんともああともない生返事を確認し、部屋を後にした
ルーのダンスホールは隣町、栄えている一服寺とは反対方向だ
ここに来てからこっち方面は初めて行く
私の元いた世界では遊園地の名前を冠した駅だったが、駅前にはそんなもの影も形もない
その遊園地は駅からたっぷり30分歩かされた、丘一つ向こうの別の鉄道会社の駅前にあるのだった
そこは遊園地であるとともに有名球団の二軍本拠地として長らく使われてきたが、それも移転が決まっていた
正直ここは雰囲気が悪い駅前で好きではなかった
リリカポリスのこの丘の向こうに何があるのかは、まだ見たことがない
車窓を眺める間もなく、電車はあっという間に隣の駅に着いた
駅?
これは本当に駅なのか?
まず駅名看板がネオンだ
そもそも駅名なのだろうか
ウェルカムゲートのネオンはXANADUの文字が順番に灯っては消え、全部が点くと3回点滅してまたXから順番に光る
電車を降りてみると、まるでダムの底にいるみたいだった
歓楽街が谷筋をまたぎ線路を吸い込むように建ち並んでいて、電車は建物の奥の暗闇に消えていく
上に上に積み重ねられた違法建築は窓々から薄明かりが漏れ、きらびやかなネオンがそびえ立つ影を暮れなずむ東の空に浮かび上がらせている
怪しく光る城のようなシルエットはまさに不夜城を思わせた
そこら中にいる立て看板を持ったバニーガールが、電車を降りた客に寄り付いて薄暗い空間に誘う
改札もくそもない
ここで降りたらこのキャバレーに入るしかない
そう、キャバレーじゃないか!
そりゃあルネが来たがらないわけだ
「ダンスホールだって?」
「ダンスホールがあるのは本当」
嵐も人が悪い
「フレオは知ってたんだね」
「悔しいですけれど、ショービズの空気がわたくしを惹き寄せるんですのね」
フレオはもう既にそわそわしている
「とりあえずルーのところに顔出そう」
四両編成には全く必要ないと思える長い長いホームは巨大な半円形の広場の間口になっていて、人は客が半分、客引きが半分
広場の中心の派手な噴水には、水瓶の代わりにシャンパンを傾ける女神像が立っている
広場を壁のように取り囲むいくつもの建物それぞれにネオンサインが灯り、常連客なのか、扉の前で店の子に手厚い歓迎を受けて腕を組んで中に入っていくのがたくさんいる
嵐が私達を伴って向かったのはひときわ大きい観音開きの扉、その名も『ルーのダンスホール』だ
扉には大きな時計が浮き彫りにしてあって、針は6時を差している
男装の背が高い子が2人、扉の両脇に立っている
「チケットを拝見」
嵐がチケットを見せると、もぎりは私とフレオを見やり、「どうぞ」と扉を開けて私達を促した
中は体育館ぐらいの広さで、一番奥の段々のステージを囲むように丸テーブルとソファが配されている
ディナーショーとかやるような雰囲気の空間だ
天井にはゴージャスなシャンデリアが煌く
きらびやかな照明とざわめきの中にグラスがぶつかり合う音、人熱れ
夜が始まる高揚感
「わたくし一度このステージを見てみたかったんですの!」
フレオは会場の空気に興奮している
ステージを見下ろせる二階席までほとんど埋まっていて、それぞれのテーブルは既に盛り上がっている様子だ
ウェイトレスが案内してくれたリザーブ席はステージ真正面のかぶりつきだ
ウェルカムドリンクとちょっとしたオードブルが配膳されている
「こういうのも女王の特権?」
「まさか。ルーの口利き」
それこそ女王の特権だと思うが
楽器を持ったバンドが入ってきて、段々のステージの周りに陣取り始めた
客席も騒々しい中、それぞれにチューニングをしている
「ウォッカマティーニを。ステアでなくシェイクで」
フレオは早速酒を頼んでいる
「ちょっとジェームズ・ボンド。大丈夫なんでしょうね」
「あんなのジュースみたいなもんですわ」
「何?ジェームズなんとかって」
話の通じる人間が近くにいると、ついこの世界にない話をしてしまう
「女を取っ替え引っ替えしてる人のこと」
「そんなのここには掃いて捨てるほどいるよ」
こここそが歓楽街
駅前の銘酒屋などは場末もいいところだ
ルーのダンスホールの他にも同じようなキャバレーがいくつかあって、それ以外にも大小様々なバーやサロンがひしめいている
まさにマルコ・ポーロ言うところのザナドゥそのもの
街全体が酒と歌と女で煮えたぎっているのだ
程なくしてフロアの照明が落ちると間髪入れずにドラムロールが始まり、続いて何条ものスポットライトが客席から這い出して段々ステージの真ん中に集まった
ドラムロールの終わりにバシーン!とシンバルが打ち鳴らされると、ステージ奥の緞帳が一瞬で割れた
現れたのは真っ白い光に照らされて、マイク片手に指で天を指しているルーだ
「みんな!放課後楽しんでるか!」
客席はウォーっと吠える
私達も吠える
「宿題?」ブー!
「部活?」アー…
「明日できることを今やるな!放課後は今しかないんだぞ!ウィの放課後はしなくちゃいけないことなんかない!無礼講《Anything Goes》だ!」
と言うのを合図に、ブラスとドラムがズンズンズンズンと渋いリズムを取り始めた
ルーは時計ウサギからは想像もできないような力強さと伸びやかさで、ジャズのスタンダード・ナンバーを歌い出した
世の中が変わってしまう度に古き良き時代に戻してきたのに、今はもうなんでもありだ!
確かそんな歌だ
深刻そうな伴奏が陽気なトランペットとともにいっぺんに明るい曲調に変わり、インディジョーンズの冒頭で聞いたあの曲になる
ルーの歌声はより一層艷やかになり、ステージを一段一段降りてくると、マイクを通していない地声も聞こえてくる
歌詞の合間にステージの奥から大勢のセーラーカラーのバニーガールが現れると、ルーの周りに整列してタイミングを待つ
カッ、とルーの靴が床をを打つと、みんな一斉にタップダンスを始めた
ルーはフレディ・マーキュリーみたいなスタンドマイクをグルングルン振り回しながら、あの靴で見事なタップを踏んでいる
フレオはもう拍手をしていた
一糸乱れぬ靴音が伴奏と重なり、バニーガール達のコーラスとともに曲の盛り上がりは最高潮を迎える
ルーが両手を挙げ、エニシング・ゴーズ!
客席は歓声に包まれた
ここは本来の意味のキャバレーだ
女性が横についてお酒を注いでくれるお店ではない
「そういうお店もあるよ」
嵐も”そういうお店”に行ったりするのだろうか
「夜はこれからだぞ!」
ルーが合図してバニーガール達がステージの奥に消えると、バンドがムーディーな曲を演奏し始めた
客達が一人また一人とフロアに集まり出し、各々ペアを作って踊り始める
「どうだつむじ!楽しんでるか!」
ルーが私達のテーブルに駆け寄ってきた
「うん、歌すごかった!」
「女王就任を祝して、今日はウィからの奢りだ!じゃんじゃん飲め!」
フレオは早速2杯目を頼む
「じゃあ今度はマティーニを、ベルモットは入れずに。瓶を横目で見ながらステアして頂戴」
それじゃただのジンだ
「つむじも好きなもの頼んでくれ!じゃあな!」
私達のテーブルを離れると、またネズミのようにあちこちのテーブルに取り付いては笑顔を振りまいている
「忙しないでしょ。ああやって全部の席を回るの」
「見上げたオーナーだね。歌もうまいし」
「だからみんなルーを女王に推したんだ」
「わたくしも一票差し上げましたわ」
選挙なんだからもちろん落ちた人もいるのだろう
「対抗馬だった子はここの並びで店やってるよ」
やはり同じテリトリーから後継を選ぶものなのか
きっとフレオは一匹狼だったから軽々しく女王の座を賭祿に出来たのだ
女王は秩序
そこにあるものをあるべき姿に成らしめているものの名代なのだ
そういう意味で私の受け持つ昼下がりには背負うべきものは何もない
強いて言えばおやつの時間とか
おやつの女王
悪くないかもしれない
女王が新しいおやつを提案して、みんなでそれを食べる
ちょうどカッサータで一儲けしようと思っていたところだ
やりたいことをしろとプエルチェ様も仰っていたことだし
などと考え事をしていたら、隣りに座っていたフレオの姿がない
さっき頼んだチャーチルマティーニは既に飲み干したあとだ
着てきたロングコートは席に置いてある
「あそこ」
嵐が指差す先はさっきまでルーがいたステージのど真ん中、キラキラのドレス姿のフレオがどこから持ってきたのかマイクを握って立っていた
目はうつろで顔は真っ赤かだ
「ちょっとぉぉぉ。スッとろい曲はそのへんにしていただけなくてぇ?」
マイク!マイク入ってる!とジェスチャーを送ってみたがこっちが見えていないようだ
バンドの演奏を止めてしまった
ショートドリンク2杯で出来上がっちゃうなんて、やっぱり16歳だ
ずかずかとピアノのところに歩み寄り
「スイングしなけりゃ意味がないですわ」
フレオの注文にピアニストがドラムに目配せすると、やれやれともどうぞとも取れる仕草を返し、受けたピアノがアップテンポなナンバーを弾き始めた
これは昔吹奏楽部とカラーガードが練習してた曲だ
客のステップもテンポに合わせてスピーディーなチャールストンに切り替わっていく
フレオはステージを横切りながら渋い声で歌いだした
なるほど、アイドルにしておくのは惜しい歌唱力だ
突然のソウルフルなボーカルの登場に客席も万雷の拍手を送っている
再びピンスポットがステージの主のもとに集まり、フレオのスキャットとともにりんごのミュートトランペットが加わった
かつての女王のオンステージに客席もフロアも大変盛り上がっている
客はみんな手に手にカメラを掲げているが、照明があるとはいえ屋内だ
綺麗にブレずに撮るのは至難の業
折角の晴れ舞台だ、とっておきの高感度フィルムで収めておいてやろう
嵐にも本当の彼女の姿は意外だったようだ
「フレオにこんな才能があったなんて」
「そうだね」
恋に敗れてこんな世界に落ちてきてしまったことは、フレオにとって果たして不幸だったのか
少なくとも彼女は発揮できる才能を持っていて、今みんなの注目を集めている
昼下がりの日差しよりもよっぽど眩しい光を浴びている
私にはフレオが輝いて見えた
それがここでの人生を狂わせてしまったことの埋め合わせになるとは思っていない
でも彼女は失恋の辛い記憶とともに、燻っていたショーマンシップも取り戻した
今の彼女は道半ばで命を捨てた未練を晴らしているように見えるのだ
そういう向きにはこの世界はうってつけだ
あゆ様が言うように、私は彼女の救いになったと思いたい
もしアイちゃんが殺人衝動を持っている繊細な子だったとしても、ここでは誰も殺せない
無害な女の子でいられる
しかし蘇った記憶に苛まれるアイちゃんは救われたと言えるのだろうか
私は客の喝采を浴びながら二曲目を歌い始めたフレオをぼーっと眺めていた
「飲み直そうか」
嵐がおもむろにそう言うと、ウェイトレスにフレオの席を開けておくように託けて椅子を立った
「置いてっちゃうの?」
「盛り上がってるところだし、つむじとお喋りもしたいし」
まあ確かにここは少し騒々しすぎる
しかしだ
「私まだグラスに口も付けてないけど」
「雰囲気は十分嗜んだでしょ。行こ」
嵐は口の端を上げて私の手を引いた
カメラから出てきたスパンコールの銀河みたいなフレオをテーブルに置いて、私も嵐の後に続いた