第18話
アネモイは学校の垣根を超えて選ばれる
だから公平を期するためにそれぞれの学校を持ち回りで会合を行う
ちょうどG7の議長国が毎年変わるのに似ている
私が就任して初めての全体会合は郁金香で行われることになった
郁金香は制服だけでなく建築の雰囲気が違う
高天原はちょっと古臭いだけの格子窓の木造校舎だが、ここは教会建築のような荘厳な雰囲気が漂っている石造りだ
会議はステンドグラスが彩る高い窓の食堂で執り行うようだ
長大な紫檀のテーブルに椅子が並べられ、端のワゴンには色とりどりのスイーツが待ち構えている
先だっての私の就任決議は次官級の会合だったが、今度の全体会合には女王本人が参加する
私はとてもとても緊張していた
今まで会ったことのない女王と初めて顔を合わせるだけではない
遂にあのフラウタ様と再会できるのだ
何と言ってお礼をしようか、何か包んで行った方がいいのか、私はテンパりにテンパっていた
「一応言っておくと、フラウタ様が筆頭であることの他に、女王の間にも格の違いがありますの」
まずアネモイには上位の4人と下位の4人の別があり、下位のアネモイはより卑近な仕事を任される、いわば政務官だ
見方によっては庶民的な女王達ともいえる
その上位と下位の中でも序列があり、フレオはこの下位の末席だった
「それでよくあんな居丈高になれたね」
「末席のわたくしが下々と密に交わるようでは、女王全体の品格を損なってしまうでしょう」
わかるようなわからないような理屈だ
大体フレオのそういうところが私に取って代わられる隙を生んだんじゃないか
「そもそもみんながお近づきになりたいのはやんごとない方々…」
「しっ、いらっしゃるよ」
入り口を見張っていたルネがしんがりの登場を告げた
最後に会議室の扉をくぐったのはもちろんフラウタ様…ではなく、その後ろに付いてきたヴェーダ様だ
「皆さん、お待たせいたしました」
短く挨拶をするとフラウタ様が上座についた
もちろん待たせるのは儀礼的なもので、他の者が遅れても気に病まないよう筆頭女王が最後に場内に入ることになっているだけだ
「では始めましょう。お茶をお願い」
その一言で会場の空気がガラリと変わり、みんなのおしゃべりでざわざわしはじめた
「全体会合って言っても、特に議題がなければただのお茶会ですの」
といつの間にかフレオが私とルネの分のカップを取ってきていた
「やあフレオ。給仕をする君の姿も相変わらずエレガントだよ」
あゆ様も相変わらずだ
フレオはすん、とした顔で取り合わない
私はあわてて立ち上がりお辞儀をした
「せっ、先日は大変失礼いたしました!フレオに代わりましてリプスを継承いたしました!不束者ですが何卒ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い致します!」
アネモイには一席ごとに名前がついている
リプスというのはその一つで、これまでフレオのものだった位だ
「ああ…残念だよつむじくん。君を側室に迎えようと思っていたのに」
「あゆ!やめなさい!」
もちろんビゼ様もご一緒だ
「あの…この際だから率直に伺います。私のキスで…」
と言いかけたところであゆ様の人差し指が私の口を封じた
「君のあの力のことは人に話さない方がいい。特にここでは」
今までになく神妙な顔で耳打ちされた
「君の力を狙っている人がいる。気をつけて」
あゆ様は顔を近づけた時と同じようにスッと離れると、流れるような動作でフレオが取ってきたマカロンを一つ取ってかじった
「ご自分達の山からお召し上がりなさいませ!」
「女王でなくなってしまったんだから、君を側室に迎えても差し支えないよなぁ?フレオ」
「差し支えます。わたくしは文字通りつむじさんの”側室”で寝起きしてますので」
確かに執務室の隣の部屋に住んではいるが
「フフフ。惜しいねぇ」
「もういいから、ケーキ取ってきて」
呆れ気味のビゼ様に小突かれて、ケータリングのワゴンに連れられていってしまった
こんな人だがこれでも上位のアネモイだ
それよりも、私の力を狙っているって?
「じゃあ次は私ね」
間を置かず現れたのは、羽織袴のアネモイだ
「よ、よろしくお願いします」
「かしこまらないで、あなたと同じ格だから。嵐よ」
握手を交わした彼女は、ひっつめ髪を三つ編みにして、尻尾の方を上に折り返してリボンで留めている
マガレイトとかいう大昔に流行った髪型だ
袴から覗くかかとの付いたブーツと相まって、古風な女学生そのものだ
そして袴の腰には鍔のない長ドスを下げている
「これは私のトーテム。女王はみんな自分の象徴になるものを持ってる」
私の視線に気がついたのか、尋ねる前に教えてくれた
フレオの杖もそういうことだったのか
「だから持ち歩けと言いましたのに」
「あれは嫌だよ…」
「まあ何も先代と同じものを持たなくてもいいんだよ。減るものでもいいし、匂いでもいい」
あゆ様のトーテムは例の名刺だという
聞けば自分で漉いた紙なのだそうだ
しかしみんないい匂いをさせているのに香水とは
「ウィはこれだぞ!」
と横からスタンドマイクを突きつけてきたのは、大分にぎやかな格好の…なんだろう、パッと見て思い浮かんだのは時計ウサギだ
何故かというと頭の上にピーターラビットみたいな耳が生えているからだ
毛の色は髪の毛と同じ明るいグレーだ
人間の耳がある部分を覆っている柔らかそうな髪をどけてどうなっているのか確かめたい衝動を必死でこらえた
「こちらはルー。”放課後の女王”って呼ばれてる」
嵐が手短に紹介してくれた
私のあとの3時間、まさに放課後を司っている
背は私やルネよりも顕著に低く、ピンと立った耳の先も私の肩ぐらいまでしかない
制服は高天原のようだが、真っ赤なビロードの外套を金の鎖で止め、頭にはきらびやかなティアラ
そして靴は舞浜のネズミが履いてそうなクラウンシューズで、甲の部分に七色に輝くホロカラーのリボンがついている
耳とおこぼみたいな厚底を差し引くと、身長は小学校低学年くらいしかなさそうだ
「学校が終わったら盛り場に繰り出すんだ!ウィはみんなと騒ぐのが大好きだ!」
「…ウィって、フランス語のウィ?」
「ウィはみんなの代表だ!だからウィはウィなんだぞ!」
英語のweか
「ルーは現在唯一の選挙で選ばれた女王なんですの」
便宜上の呼び名とは言え、女王を投票で選ぶってのも妙な話だ
前任者が後継指名をしなかったためということらしいが、その前任者は卒業してしまったのだろうか
「先代は先生やってるぞ!ウィのホールの常連だ!」
「ホール?」
「ダンスホール。今度一緒に行く?」
「ウィは歓迎するぞ!」
「そんなのあるんだ。全然知らなかった」
と恨めしさを込めてルネを見ると、山盛りのフルーツパンチに集中していた
「そういう場所は、もっと世慣れしてからと思って」
苦しい言い訳だ
この一ヶ月一緒に暮らしただけでも、ルネの方がよっぽど世慣れしていないのを目の当たりにしている
ルネは盛り場が苦手なのだ
ああ見えて窓際の文学少女で、専ら静けさを嗜んでいる
加湿器代わりのケトルがちりちり言う中で、ルネと過ごす無言の時間は私も好きだ
「ところで」
嵐がこっそり耳打ちしてきた
「ルー一応上位のアネモイだから」
この街の治世が心配になってきた
そうなると筆頭のフラウタ様と、おそらくヴェーダ様が残りの上位のアネモイだろう
下位は私、嵐、あとまだお話していないがチューリップの飛ばし屋ことゾンダ様
もう一人いるはずなのだが、どうも席を見る限りではここには来ていないようだ
「あと一人は丁夜の女王、カルマ様」
パンチの底に転がっているさくらんぼに止めを刺しながらルネが言った
「丑三つ時の女王様なんだけど、誰も姿を見たことがない」
「恥ずかしながらわたくしもお姿は存じ上げませんわ」
私の就任決議では部下と思しき生徒が一人来ていたのを覚えている
しかし今日は部下も妃も姿がない
「でもつむじだって今日まで私やルーの顔知らなかったわけでしょ。何か不便した?」
「まあ…そうだね」
「つむじの顔はみんな知ってるけどね」
「さあ、こちらからもご挨拶しないと失礼ですわよ」
フレオに促されて今度はゾンダ様に拝謁…まあ同格だからそこまで謙らなくてもいいか
ゾンダ様は他の誰とも違う制服、というか最早私服だった
飾緒の付いたジャケットに細身のスラックス、腰にはサーベルを下げていて、完全に儀仗兵の出で立ちだ
隣には母性を感じさせるおっとりした感じの女性が寄り添うように座っている
「初めましてつむじさん。お話できるのを楽しみにしてましたよ。いつも大勢に囲まれていてなかなか話かけられなくてね」
わざわざ立ち上がって挨拶してくれたゾンダ様はベリショメガネだが、あゆ様がプレイボーイのような立ち居振る舞いなのに比べると、身なりに反してものすごくフェミニンな雰囲気を漂わせている
「初めまして、お噂はかねがね…大変な強打者だとか」
「ふふ。買いかぶりですよ」
後から聞いた話だが、DHとはいえ十割バッターだという
「自警組織の代表をやっています。何かのときには思い出してください」
こんな街にもならず者がいるんだろうか
まあ、いるわな
夜の街もあるし、マフィアみたいなのもいるのだろう
「そして、こちらは私の妃のプエルチェ。実務では彼女に会うことの方が多いでしょう」
「よろしく、つむじさん。一緒にお仕事するのを楽しみにしているわ」
「こちらこそ、至らないことも多々あると思いますが…」
「女王の仕事を難しく考え過ぎよ。あなたがやりたいことをすればいいの」
当然、求められる実務の他に、という注釈が付く
「私はつむじさんが女王になってくれてよかったと思っていますよ。あのままいたら悪辣な連中に取り込まれていたかもしれない」
悪辣って
想像しているよりよほど悪いやつがいるのか
「プラッドと言ってね。今のあなたなら恐れる必要のない連中です」
ルネに助け舟を乞う視線
「ギャング団だよ。おそろいのファッションして、くらーい部屋で屯するのが好きな奴ら」
それじゃ私達みたいじゃないか
「…あなたの行いが目につく、と仰っていますのよ」
「相変わらずですねフレオ。つむじさん、気を悪くしないで。人に囲まれているときは悪いものも近付きやすい。安全だと思っている隙に付入られるんです」
「じ…自重します」
フレオが私のことをよく調べ上げていたのも、私が悪目立ちしていたからだ
私のウハウハサクセスストーリーももっと慎重に運ばなければなるまい
「期待しているわ」
プエルチェ様がそう言うと、ゾンダ様と腕を絡めてあゆ様に挨拶しに行った
仲睦まじい夫婦をおしどり夫婦と言ったりするが、おしどりは一夫多妻制で同じ番が二度繁殖することはないという
派手な儀仗服のゾンダ様と地味な黒いスモックのプエルチェ様を見ていると、そんな邪なことを考えてしまう
さあ、いよいよだ
上座のフラウタ様はルーに絡まれて笑顔を振りまいている
ルーはさっきから休まず駆けずり回っていて、取り付いた先で何かをつまんでもぐもぐやっている
本当にネズミのようだ
ルーがヴェーダ様に絡みに行った隙を見計らって小走りで駆け寄った
「あっ…あのう!お礼申し上げる日が来るのをずっと待っていました!」
緊張のあまり大分でかい声が出て、みんなが一瞬静かになってしまった
フラウタ様はにっこり笑って聞いている
「わたしこそ、立ち去ってしまったことを後悔していたの。息災で何よりです」
「おっ、おかげさまで!」
この人は完全に場の空気を支配している
立場がそうさせるのだろうか
いや、こういうのが持って生まれた才能なのだ
正直羨ましい
フラウタ様からはあのときと同じ爽やかで甘い香りが漂ってくる
何のと言われるとピンと来ないが、強いて言うなら千疋屋の店先のような香りだ
桃だろうか?
「あの…何かお礼がしたいと、ずっと思っているんですけど…」
「あなたがこうしてここにいることが何よりのお礼よ。これからアネモイとして励んでください」
「は、はいっ!」
もったいないお言葉
フラウタ様はにこっと口角を上げてお顔をほころばせると、おもむろに立ち上がった
「わたしは少し外します。みなさんは続けていて。ヴェーダ」
「はい」
ルーに絡まれていたヴェーダ様を伴って食堂を出ていってしまった
私が何か粗相でもしたろうか
「お忙しいだけさ」
私の不安げな表情を察したのか、あゆ様は串刺しのオリーブをぶらぶらさせて近づいてきた
カクテルでも飲んでいるのか
「ああ見えて心臓に毛が生えてるんだ。君の口付けでもなければ動揺もしないよ」
「言うなって言ったのあゆ様ですよ」
「今のはそのままの意味さ」
ニコニコしながら串からオリーブ3つを抜き取って頬張った
明らかにアルコールの匂いがするオリーブを飲み下すと、肩を組んで私にしか聞こえない声で言った
「君は生き地獄ってわかるかい?私はそこから来た。君は自分の力に戸惑っているかもしれないけど、ある意味で私は君に救われたんだ。君の力が誰かの救いになるということだけは、忘れないでいて欲しいんだ」
何か急に重い荷物を抱えさせられたような気分だ
しかしだ
「…あゆ様、貞操って言葉知りませんよね」
「それで誰かを救えるなら、私はそんなものいらないよ」