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リリカポリス  作者: 玄鉄絢
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第11.5話④

翌日

学食を借りてのコロッケそば対天そばの戦いはとっくに始まっていた

コロッケ陣営にうず高く積み上げられているのは黄金色の小さな俵

「あいつら…!カニクリームコロッケ!?」

汚い、なんて汚い連中なんだ

性根までグズグズのコロッケジャンキーどもめ

「干し椎茸ほどではないけどカニにもグアニル酸が含まれているんだ…!」

「いやぁ、でも、じゃがいもじゃないコロッケっておそばに合うの?」

案外おいしいと思う

しかしそういう問題ではない

庶民の味覚コロッケを庶民のファーストフードそばに浸して食うは庶民の嗜み

しかしカニクリームコロッケ!

同じ揚げ物だが格が違う

何しろカニが入っている

チョコレートで言えばピエールマルコリーニ

パン屋だったらメゾンカイザー

電車で言えば東急田園都市線なのだ

…いや、田都線はそこまでじゃなかった

しかしこのカニクリームコロッケそばという勘違いしたブルジョワにはお似合いだ

「椎茸の煮付けで勝てる?」

ルネは弱火で煮付けを温め直している

「向こうが汚い手を使うならこっちも考えがある」

私だって相手の出方を全く予想していなかったわけではない

まさか初手からこれを出すことになるとは思わなかったが

「ああっ!」

私が用意したものにコロッケジャンキー共は驚きを隠せないようだ

「デザート付けるなんて反則だぞ!」

「そうとも販促だよ」

私は昨日わらび餅も作っておいたのだ

と言ってもわらび粉なんか使っていない

片栗粉と砂糖だけのなんちゃってわらび餅だが、本物のわらび餅と違って透き通って清涼感がある

これにきな粉と黒蜜をかけてガラスの器に盛り、食後にちょっと甘いものが欲しくなる乙女心をねっとりキャッチ

「この天ぷらそばセットが食べたい人!」

瞬く間に私のカウンターの前に群れができた

学食に集まったオーディエンスは最早私のものだ

先に腹に入れさせてしまえばこっちの勝ちだ

リリカポリスの食いしん坊どもといえど一食にそば2杯は食うまい

「なんの!こっちだって!カニ味噌で出汁取った味噌汁を付ける!」

「ぶっwそばで味噌汁飲む人いないでしょw」

「ほ~らほら、カニ出汁の香りだよ~」

ふん、無駄な努力を

見るがいい私の小鳥たちの群れを

策に溺れたコロッケジャンキーは私のわらび餅にひとたまりもない

「ニヤついてないで給仕してよ!」

ルネはせっせと天そばをよそっては客に振る舞っていた

そうだった

私の救済を待つみんなに応えなければ

私も釣り餌のわらび餅を器に盛る

カニも善戦してはいた

しかしジャンクであることを自ら捨てたカニクリームコロッケそばなど恐るるに足りなかった


そうしてすっかりランチタイムが過ぎても、まだ学食には人がごった返していた

そりゃそうだ

なにしろタダでそばを振る舞っているのだから

だがそばというものには限りがある

「つむじ!もう椎茸ほとんど残ってないよ!」

「カニクリームコロッケだって底を尽きかけてる」

わらび餅は既に2度目を仕込んでいるが、まだ冷たくはなっていない

椎茸も追加で煮付けているが、こっちもそうすぐには味がしみてこない

こういう勝負は普通先に売り切れた方の勝ちだが、こういう状況だと話は違う

タダ飯を食い損ねたとなれば、悪様に言われるのは先に品切れになった方だ

最早味がどう、見た目がどうという勝負ではなくなった

だが品切れを待つことなく決着のときは突然訪れた

「あっ!あんたあの時のそば屋!」

現れたのは私の店でコロッケそばを頼んだ不届き者

朝の仕事を終えたのか今起き出したのか、ともかく夜学通いの足並みは違うのだ

私の方もこんなところで鉢合わせるとは、彼女のことをすっかり忘れていた

だがもう遅い

「あんたが食べたかったコロッケそばは、もうここにはないよ…」

ルール無用のデスマッチにフライヤーを占領され、今この学食にある揚げ物は天ぷらとカニクリームコロッケだけだ

「じゃあ天そばとカニクリームコロッケ」

「「は!?」」

私もコロッケジャンキーもこの無法に声を上げてしまった

こいつは本当にただ腹を満たそうとしているだけだ

だが今はそういう場ではない

見りゃわかるだろ

「タダでいいの?じゃ」

無法者は問答無用で天そばを持ち去り、そこへカニクリームコロッケを3個乗っけて席に持っていってしまった

その場にいた全員が凍りついた

「…いいんだ、そういうの」

そうだ、今ここに集まっている人間は、一人を除いて天そばかカニクリームコロッケそばを選択するものだと信じて疑わなかったのだ

二者択一で成り立っていた秩序は一瞬で崩壊し、ハイエナと化した群衆が無料のそばに押し寄せる

それからは阿鼻叫喚の地獄絵図だった

さっきまで行儀よく列に並んでいた生徒達は残り少なくなったそばを奪い合い、私達は矢継ぎ早に丼を提供した

まだ冷えていないわらび餅も、揚げ色が薄いカニクリームコロッケも、瞬く間に狩り尽くされていく

これが最後の麺です

学食のキッチン担当者が発したその言葉がハルマゲドンの引き金を引いた

最早そばでもなんでもよかった

この空間、この瞬間に何かを腹に入れられないものは負け犬だった

人は食が絡むとなんと醜いのか

食べなくたって死なないはずなのに

私達はなす術もなく餓鬼の奔流に飲み込まれ、決壊したダムの水に押し流されていく浮木のように、ただ海に流れ着くのを待つことしか出来なかった


あれからどれほどの時が流れたのか

「ごっそさん」

私の店でコロッケそばを注文した不埒者が最後の丼を返却する頃には、学食は略奪者に襲撃されたスーパーみたいに、口に運べるものは何一つ残っていなかった

「うまかったよ」

うまかった

そうか

コロッケジャンキーどもも苦笑いをしている

勝ち負けなどどうでもいい

特にこの世界においては、食べ物は味わうことに意義があるのだ

その点で死力を尽くした私達はどちらも勝者だった

私達は無言で握手を交わし、オリンピズムの何たるかを確かめ合うと、丼の山を流しに放り込んで学食をあとにした

「後片付けしていきなさいよ!」

丼の山を洗ってから学食をあとにした


翌日の壁SNSには学食の凄惨な一幕の話題で持ち切りだった

誰もそばの味など論じていなかった

動物園とか、イナゴの大群とか、そばを堆肥にするフードプロセッサーとか、散々な言われようだ

でもそういう話を斜めに読んでみると、大体はその場にいなかった人間のやっかみであることがわかる

本当はみんなあのらんちき騒ぎに加わりたかったのだ

人生にはこんなどうしようもない青春の一ページがあったっていい

あの場にいた人間は満たされたはずだから

「つむじ、お店どうするの」

「うーん…なんか気が済んじゃったな」

「…満足しちゃったの?」

ルネは一瞬浮かない顔をした

「ここに来るまでの私の人生はなんにもなかった。あのくらい毎日あったっていいよ」

「そっか」

そばに救いを求めていたのは外でもない私自身だったのだ

それによって一つ満たされたが、私の空虚な人生にやり残しは無数にある

「…でもそば屋はもういいかな」

もしかするとあの居抜き物件も、そんな思いの一つを叶えた子が残したバトンだったのかもしれない


手続きをして物件を明け渡し、数日経ったある日

ふと私のバトンを受け取ったのは誰なのか確認したくなって、あのマッサージボールがある冴えない路地に足を運んでみた

香ってくる出汁の匂い

これはこんぶ出汁

暗がりに灯りが差している

誰かが店を継いだようだ

どれ、私の後継者の顔を拝んでいくとしよう

長めの暖簾をめくる

「やって…」

「いらっしゃ…」

私達は顔を見合わせた

暖簾というのは厄介なもので、客も店主もお互いの顔が見えないのにこれから一戦構えなければならない覚悟を強いられる

「「あーっ!!」」

なんと店主はあのコロッケそばの無法者だった

「なんで私の店で!」

「もうあんたのじゃないだろ!不動産広告出てたから借りたんだよ!」

はっとなってメニューを見る

・コロッケそば

・温玉コロッケそば

・わかめコロッケそば

・冷やしコロッケそば

「コロッケ屋じゃん!」

「暖簾見ろ!」

店の外に飛び出して見ると、暖簾には”コロッケ亭”と書いてある

「コロッケ屋じゃん!!」

「そうだよ!コロッケ食わないんなら帰れ帰れ!」

「何この”冷やしコロッケ”って!冷やしにコロッケ乗せんの!?」

「これから暖かくなってくるのに、いつまでもアツアツのかけばっかり食べてらんないだろ!」

「だからってコロッケ乗せることある!?」

「天そばだって冷やしがあるだろ!」

「天ぷらはいいんだよ!」

「何を!?」


こうして己のそばをぶつけ合うことでしか満たされない青春もある

そばは救済なのだ

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