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リリカポリス  作者: 玄鉄絢
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第63話⑥

キャプテンのサインを一度で承服したツルちゃんは、ボールを胸に抱えて一呼吸

一瞬で沸き立つような気迫とともに最初の一球を放った

ストライク

ゾンダ様は見送った

だがゾンダ様も驚いたのがここからでもわかる

今の球速は173km/h

投球の世界最速記録は170km/hだと聞いている

ここが常識を越えた世界だとしても、今までに誰も見たことがないスピードだ

スタンドも静まり返った

キャプテンがボールを返し、第二球

ゾンダ様は果たしてこの球を打てるか

ストライク

ゾンダ様は動かなかった

球速は178km/h

速い

速すぎる

だがいくら速くとも、ゾンダ様にただの直球が通用するとは思えない

ツルちゃんにボールを返す

あと一球

そんなコールがあってもいいはずの局面だ

だがスタンドは水を打ったように静まり返っている

このとき吹き流しに注目していた人間が何人いただろう

マウンドに向かってごくわずかな追い風が吹いていた

第三球

ツルちゃんが振りかぶった瞬間、外野から一陣の風が吹き付けてきた

ボールがツルちゃんの指を離れる

さっきと同じフォーム、同じ握り方だ

風がツルちゃんを、ボールを追い抜いた

マグヌス効果、というのがある

流体の中を回転しながら進む物体には、流れに対して直行する力が働く

翼も何もない円筒がこれで飛ぶのだ

ボールも然り

バックスピンをかけたボールには、上に引っ張られる力、揚力が働く

だがこれが追い風に襲われるとどうなるか

空気に対して相対的に遅くなることで、揚力が弱まる

つまり、手前で落ちる

180km/hの直球をミートするつもりのゾンダ様が動揺したのがわかった

しかしもう手遅れだ

既にスイングを始めていたバットの手前で、ボールはわずかに落ちた

ほんの7.5cm

ゾンダ様のバットを逃れたボールは、キャプテンのミットに吸い込まれた


「ストラィィィィィク!!

 ピッチャーアウスツル、遂に、遂に難攻不落の10割バッターを打ち砕きました!我々は今、歴史的瞬間を目撃しています!

 スタジアムは割れんばかりの歓声!

 高天原ナイン、マウンドに集まって胴上げです!アウスツル高々と投げ上げられます!

 おっと…ゾンダ様マウンドに歩み寄ります。

 アウスツルと向き合って何か話しています。この会話をお届けできないのが心苦しい!

 今固い握手を交わしました。ゾンダ様、アウスツルの右腕を振り上げます。

 より一層の歓声!

 つむじ様!

 つむじ様…?

 えーつむじ様、トイレに向かいました。つむじ様の膀胱なんとか持ちこたえた様子。

 残念です」


「ツルちゃん!ツルちゃん!」

「つむじ!やったよ!私やったよ!」

ベンチに戻ってきたツルちゃんと抱き合って喜ぶ

「ツル!お前伝説になったよ!」

チームの一人が言ったその言葉が私に突き刺さった

ツルちゃんは本当に変わってしまうのか

人生のステップアップだ、喜ぶべきことのはずだ

だが本当に喜んでいいのか

歴史的快挙に湧くチームをよそに、私の中の不安はどんどん大きくなっていた

「みんな、これお店から!」

とアイちゃんがビールケースを抱えてきた

「よっしゃあ!」

みんな手に手にビール瓶を取ると、スパイクのかかととかバットのおしりとか、そこら辺のもので栓をあけた

なんでみんなそんなドイツ人みたいなこと出来るんだ

フラウタ様だけじゃないのか

瓶の口を塞いでじゃんじゃん振り、みんな一斉にツルちゃんにビールを浴びせかける

「ほらほら!つむじ様も!」

「えっ!?ちょっ…」

ビールが目に染みる

この世界に来て初めて触れるビールがビールかけとは

まあ、飲むよりは楽しい体験かもしれない


試合も終わり、肱川さんにお疲れ様を言って家路につく頃にはもう夕方だった

「この寒いのにビールを浴びるとは。新しい健康法ですか?」

皮肉を言いながらもブランはコートをかけてくれた

「ああいう瞬間は断りようがないよ…っくし!」

「お大事に」

くしゃみが出た

出るんだ

出ることに気づいてしまった

もう私は不死身ではないのかも知れない

今もう一度フレオと決闘しろと言われたら怖気づいてしまう

「おっ、つむじー!」

電車を降りると、ルネもちょうど帰り足だった

スポールブールの会場は学校の体育館だったと聞いている

「見て見て!準優勝!」

小さな銀色のトロフィーを掲げてみせた

「やるじゃん。優勝は誰?」

「フィッシング同好会」

誰しも向き不向きって奴がある

もちろん得意だからってそれをやらなければいけないということはない

でも得意なら突き詰めてみてもいいと思う

思っていたけど

「…ルネ、スポールブールやる?」

「ふぅん…まぁ、誘われたんだけど」

「けど?」

「つむじの面倒見なきゃいけないから、って断った」

「そりゃあどうも」

私のせいで何かを諦められるのは嬉しくなんかない

でもルネが私の面倒を見ると言ってくれるのは素直に嬉しい

「今日はあったかい湯に浸かった方がいいですぜ」

「いいね。銭湯行こうか」

「えー。あたしお風呂は…」

相変わらずの風呂嫌い

「…ま、今日は入っとくか」

「明日槍が降りそう」

この日は3人、熱い風呂に浸かって温まった

でもさっぱりはしない

心の中のわだかまりが残ったままだ


球技大会のあと数日は、あちこちの打ち上げに顔を出したり、プエルチェ様に怖い笑顔で詰め寄られたりしながらスポーツの秋の余韻を消化していた

時折吹く重く冷たい風に、冬の訪れを感じる

だがそんな曇天を振り払う、冬晴れのある日

「つむちゃん!つむちゃん!」

枕元のアイちゃんの声で目を覚ます

「…アイちゃん?」

ブランが部屋に通したようだ

アイちゃんの後ろで欠伸をしている

今何時なんだ?

今日は日曜なんじゃ?

アイちゃんは深刻そうな顔で私を見ている

「ツルちゃんが行っちゃう!」


駅に集まった人だかりをかきわけ、プラットフォームに駆け下りる

人だかりの中心には野球部の面々が集まっていた

「つむじ!来てくれたの!」

「ツルちゃん!?」

ツルちゃんは私服のコートにスーツケースという出で立ちだ

旅行にでも行くような格好

「ツルちゃんどっか行っちゃうの…?」

「私決めたんだ、プロになるよ!」

「ええっ!?」

「もうちょっと残ってくれって、言ったんだけどさ」

「鉄は熱いうちに打てって言うでしょ。ゾンダ様に勝ってから、もうウズウズしちゃってさ!」

ツルちゃんはとにかく嬉しそうだ

ゾンダ様に土をつけた初めてのピッチャーだ

この世界の球界ではこれ以上ない栄誉だ

嬉しくないわけがない

ないんだけど

「プロって、どこ行くの…」

「プロリーグのテスト受けられることになったんだ!」

ツルちゃんが見せてくれた切符は新宿行きだ

私は目を疑った

新宿って書いてある

隣のスタジアムにホームがあるプロチームとかじゃない

「行って…行ってどうするの?帰ってこないの!?」

「まあ…バイトでもなんでもして、プロになれるまで頑張ってみるよ!」

発車のベルが鳴る

「じゃあね、みんな!」

「じゃあね!」

「じゃあ!」

「元気でね!」

見送るみんなも仲間の栄転を喜んでいる

不安な顔をしているのは私とアイちゃんだけだ

ドアが閉まる

座席に移動したツルちゃんが窓を開けて手を振る

「じゃあねみんな!いってきまーす!」

手を振るみんなを置いて、新宿行きの電車が走り出す

ツルちゃんが行ってしまう

もう二度と帰ってこないところに行ってしまう

「ツルちゃん!!」

私はホームの端まで電車を、ツルちゃんを追いかけた

手を振るツルちゃんは最後までずっと笑顔だった

走り去る電車を見送る私の隣にはルネが並んでいた

「卒業の日は、絶対に晴れるんだ」

プァン、と警笛が鳴る

新宿行きの電車は、どんどん遠くなって、見えなくなった

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