第63話⑤
8回は1点を返したが、守備にほころびが見え始め、郁金香に2点を許してしまった
4対6
ツルちゃん達に焦りの色が見えるが、こちらにはまだアイちゃんがいる
「いよいよ最終回、高天原の攻撃です。つむじ様、8回終わって今日の試合、どうご覧になりますか」
「みんなよく戦っています。逆転のチャンスは十分あります。ですがツルちゃんの勝負はその後です」
「そうですね。次の郁金香の攻撃では、再びゾンダ様の打順が巡ってきます。最後の最後までわかりません。
さあ郁金香守備につきました。バッターは7番ラフィカ、まずは1点を返せるか。
ヘイフォン第一球を静かに…
投げるッ!
ストライク!
郁金香の巨神、最終回も容赦しません!」
「憎たらしいですね」
「つむじ様、言葉が荒っぽくなってますよ。
引き続いて第二球、振りかぶって…
ンまたストライク!
ヘイフォンこれだけ速球を連投しても陰りが見えません、底なしのスタミナ」
「…来てます、次で打ちますよ」
「つむじ様とうとう予知能力が開花しました」
ベンチには聞こえないが、敵の応援団はラジオを聞いているはずだ
口三味線でもなんでもいい、応援の勢いをスポイルすればきっと敵にも伝わる
「さあ第三球。
…投げた!
なんと!大きい!ラフィカロケット打ち上げのような大きな大きな外野フライ!
まだ飛んでいます!その間に一塁!
やりました、つむじ様のお告げが当たりました」
一塁のラフィカが実況席に向かって手を振っている
ガッツポーズ
一応手を振り返す
実況が聞こえてるわけじゃないよな
「私の与えた満塁の壺が効果を発揮しました。次も来ますよ」
「今大会は大正義つむつむ教の提供でお送りしております。入信はお電話で」
「今ならこのホームラン軒を無料でプレゼント」
「ほんとに来ますよ」
「購買で買ってよ」
ポテチばかりでなくインスタントラーメンも出回り始め、肌寒くなってきたこの時期の夜食に、運動部の屋外練習のお供にと、飛ぶように売れている
私は昔から、ホームラン軒の味噌味をこよなく愛していた
「ノーアウトランナー一塁。バッターは8番ウファダ、ラフィカに続いてヒットが欲しいところ」
「まず満塁です。手堅く行ってほしい」
だってこのあと、あの乱暴な作戦を実行するのだから
誰も二塁からのホームスチールなんて想像もしていないだろうが、この作戦の問題点はアイちゃんを代走に出した時点で戦略が読まれてしまうことだ
アイちゃん以外のランナーが塁を離れても、守備陣は目もくれないだろう
「ウファダ今日はヒットがありません。どの打席も凡退しております」
「彼女練習では速い球でもよく打つんですよねえ。プレッシャーはあるかと思います。一旦落ち着いてくれたらいいんですが」
「たらればは禁物ですが、ここらでひとつ結果を残したいところ。
おっと、ウファダバットを短く持ちます」
「当てる気ですね」
実は彼女が凡退を繰り返しているのはチームの戦略の影響だ
キャプテンから、とにかく引っ張れる球を待てと命じられていた
しかし体格が、敵の高さのある投球と相性が悪かった
もう形振りかまっている局面ではない
彼女は非常に怪力なので、当たりさえすればよく飛ぶ
内野が距離を詰めてきた
転がすと思っている
「さあヘイフォン第一球、振りかぶって…
ど真ん中!
打ったッ!
前進守備が仇になりました!打球は三遊間を越えレフトへ!
やっと見せ場が来ましたウファダ、ランナー一・二塁」
「いい当たりでしたね!」
「つむじ様のお告げが的中して入信のお電話が殺到しております」
「只今オペレーター増員中です!」
「番号お間違えのないようお願いします、ノーアウト一・二塁。高天原満塁のチャンス、壺のご利益は本物なのか」
「満願成就したら割って、新しいのを買ってください」
「9番ジェル、バッターボックスに入ります。
ヘイフォン構えて…
ん行った!
おっとこれはファール。
ジェル当てに来ました」
「焦ってなければいいんですが」
「そうですね。逸る気持ちはわかりますが、気持ちだけ塁に出てもランナーは帰りません。
ヘイフォン第二球…
ああっと、またファール」
「落ち着いて、落ち着いて!」
「さあユニフォームの袖を直して再び構えます、ジェル。
ヘイフォン第三球、投げました!
打球はまっすぐ、ヘイフォン捕りました!
おっとラフィカ走り出している!
三塁へ送球!
ラフィカスライディングで…これは…
アウト!わずかに届きません!
郁金香落ち着いたダブルプレー!そうそう盗塁は許しません!
高天原2アウト一塁、一気に追い込まれました」
この局面でまずいことになった
ベンチへ戻るラフィカは肩を落として地面だけを見ている
みんな気持ちが逸っているんだ
「野球は2アウトからですよ!」
「その通りです。ボール投げても試合は投げるな。これは気休めではありません。打順は一回りしてバッターはヴォラーテ。ここは冷静に行きたい」
ここから3点返すには、あと2人塁に出さなければいけない
幸いバッターのヴォラーテは足が速い
本当ならここらでアイちゃんを使うはずだったが、彼女にはこのまま進塁してもらった方がいいし、何より2点のビハインドはアイちゃん一人では取り返せない
とにかく何が何でもここで塁に出てもらわないと、試合は終わってしまう
「ヘイフォン一塁をちらっと見ます。第一球を…
投げた!
ファウルボール。ヘイフォンも焦りが見え始めたか。
気を取り直して第二球です。振りかぶって…
今度はど真ん中!
打ちました!
これは長打コース!右中間!ライトセンター飛びつきます!
…なんと!郁金香鉄壁の守備がまさかの交通事故!
ボールは虚しく転がっていきます!
ライト慌てて拾いますがウファダ二塁を踏んでいます!走る!
ああっとこれは!ライトの送球サードを大きく逸れてしまいました!
その間にウファダホームを目指します!
サード拾ってホームへ!
…これは…」
ヘッドスライディングで巻き上がった砂塵が風で流されていく
球審は腕を大きく両側に広げた
「セーフ!
ウファダの左手薬指がホームベースに触れています!運命の赤い糸が1点をもぎ取りました!」
「やったあああああ!」
「やりました、高天原!1点を返してランナー三塁!逆転が見えてきました!野球は2アウトから、郁金香動揺を隠せません!」
まだ五合目だ
あと一人塁に出し、更に2人ホームに返さなければいけない
しかしそれで済むわけではない
ゾンダ様が打てば延長戦だ
ツルちゃんが持たないかもしれない
「さあ堅実な当たりでこの流れを繋いでいきたい2番エシル。構えます」
「お願い~!当たって~当たってぇ~!」
「つむじ様の祈祷が届くか。
振りかぶって第一球…
ああっと!デッドボール!
投球はエシルの腿を打ちました!」
「その当たりじゃないんだけどなぁ…」
「つむじ様の呪いの儀式が奏功したか、ヘイフォン投球に乱れが出てきました。
とにかくバッター一塁へ。
おっと…高天原ベンチ、タイムでしょうか。
ああっとこれは!代走を申告!
一塁エシルに代わって走者は…
なんと!今色街でナンバーワンの花魁、アイゼ嬢です!
お聞きくださいスタジアムの大歓声!かつて陸上で鳴らした脚が、高天原を勝利へ導くか!」
「アイちゃーん!頑張ってー!」
「さあつむじ様も一際の熱い声援。先日は朝帰りだったと伺っております」
「ちょっ…なんでそんなん知ってんの!?」
「アイゼ嬢、つむじ様の寵愛に応えて力走を見せるのか。筋を伸ばしてその時に備えます」
「違うって!代走してもらうためにお願いしに行ってたんだよ!お店閉店した後で!」
「まあまあ。さあバッターはキャプテンのラファレ。ここが天王山です。2アウト一・三塁」
「信じてよ!」
「アイゼ嬢、余裕のリードを見せます。もう半分ぐらい出てませんか?」
「…なんで私に聞くの?」
「今のお気持ちは」
「…アイちゃんなら大丈夫だよ!」
「つむじ様の頼もしいお言葉も聞かれました」
「スタンド!ヒューヒュー言うな!」
「ヘイフォン構えて…
一塁へ牽制!
…これは速い!アイゼ嬢いつ走り出したのでしょうか、セーフです。
これは期待できそうです」
「心臓に悪いです」
ここでキャプテンが塁に出て、4番のオーリスが少し時間を稼いでくれればアイちゃんをホームに返せる
デッドボールで出塁できたのは、当たったエシルには悪いが本当にラッキーだった
この背水の陣では、どんな犠牲を払ってでも点が欲しい
「さあヘイフォン振りかぶって…
アイゼ嬢走り出した!
ラファレ打った!一塁側へ転がします!
速い速い!アイゼ嬢、余裕で二塁を突破!」
「えっ!?」
ここで二塁で止まって次の打者で仕掛ける手筈だったが、アイちゃんの勘違いだ
なんと二塁を蹴ってそのまま三塁へ走り始めた
「この間に三塁ヴォラーテ、快足でバックホーム!同点に追いつきました!
ファースト一瞬の逡巡がありましたがショートへ送球!
ヘイフォンの陰でサードが見えなかったか!
しかしアイゼ嬢悠々通過!速い!
ここで…
なんと!?」
アイちゃんは三塁を踏んでも止まらなかった
低い姿勢で三塁を曲がると、弾丸のようなスピードでホームめがけて突進し始めた
「アイゼ嬢止まらない!
ホームへ向かって一直線!
ショート、ホームへ豪速球!すごい肩です!」
相手のショートはとんでもない距離をとんでもないスピードで投げ返してきた
ボールがアイちゃんの背中に迫る
アイちゃんのスパイクが蹴り上げた砂が、捕球に立ち上がるキャッチャーが、何もかもスローモーションに見えた
もうアイちゃんとボールのホームまでの距離はほとんど同じだ
その瞬間、アイちゃんの帽子が宙に浮いた
いや、アイちゃんが姿勢を低くしてホームへ飛び込んだ
ボールはもうキャッチャーのミットに包まれようとしている
アイちゃんの伸ばした手がホームベースに届く
アイちゃんは砂煙を上げながら、ズザーっと顔面からホームに滑り込んだ
触れたのか
どっちが先に
球審は
「セーーーーーーーフ!
やりましたアイゼ嬢!見事なダブルスチール!高天原逆転です!」
「やった!やったねアイちゃん!!」
アイちゃんはホームベースの上で女の子座りして砂を吐いている
顔もユニフォームも砂まみれだ
「郁金香の野選が献上したようなものですが、花魁が顔を犠牲にしてまで奪ったこの2点、徒や疎かにはできません。高天原勝利につなげます!」
「何よりアイちゃんのお陰でキャプテン三塁ですよ!まだいけます!」
「そうですね。そしてこの局面でバッターは4番オーリス。2アウトランナーは三塁、今度は郁金香追い詰められました」
問題はこの後だ
オーリスの次はツルちゃんの打順だ
適当に振って凡退したっていいが、もし危険球をお見舞いされたら、相手の怪物が退場してももう意味がない
ツルちゃんが投げられなくなったらそこでおしまいだ
「さあオーリス、三塁ラファレを帰せるか。バットを構えます。
ヘイフォン振りかぶって…
投げた!
打ったッ!これまた大きい!
流石の4番!ラファレバックホーム!
しかし…
おっと、センター捕りました、3アウト。
オーリス負傷でしょうか?脚に元気がありません」
違う
ツルちゃんに打たせないためにわざと犠牲になったんだ
「ラファレ、オーリスに敬礼を送ります。サムズアップで答えるオーリス。9回表、高天原が4点を返して8対6。しかしここでまた主砲ゾンダ様の反撃です。まだまだわかりません」
いよいよ9回裏
ツルちゃんとゾンダ様の対決だ
なんでこう最後の最後に見せ場が来るようになってるんだ
気になって仕方がない
「ちょっとトイr…」
肱川さんにガシッと掴まれた
「さっきもトイレ行かれましたよね?つむじ様」
「いやあ、私トイレ近いんだよね…お水も結構飲んじゃったしさ…」
「我慢してください」
「漏れたらどうするの」
「スタンドの皆様に実況中継します」
「いじめだよ!よくないよ!」
「さあ9回裏郁金香の攻撃です。果たして決定的瞬間が訪れるのか」
「本当に漏らすぞ」
「それも決定的瞬間です。目が離せません」
みんなのところには行けそうもない
ツルちゃん、無茶だけはしないで
「えー代走のアイゼ嬢、エシルの代わりにセカンドに入ります。
高天原守備につきました。
郁金香、2番ラシャバ。今日はヒットが一本出ています。足元を均してバットを構えます。
アウスツル第一球を…
投げた!
ストライク!
落ちる球で振らせますアウスツル」
「今のフォークってやつ?」
「スプリットですね。フォークはボールがもっと回らないんです」
「え…?ここから回転見えるの…?」
「見えません。フォークに見える球は大体スプリットなので、スプリットって言っとけば統計的に苦情が少なくて済みます」
「統計」
「さあアウスツル第二球。投げたッ
…これはっ!
チェンジアップ!タイミングを合わさせません!
器用な配球でバッターを翻弄します!」
「先生、お花を摘んできてもいいですか」
「だめです」
「もおおおおお!」
「つむじ様の膀胱が勝つか、郁金香の打線が勝つか。こちらも見ものです、ボールカウントは2ストライク」
ツルちゃんは肩を温存している
あと4球でゾンダ様だ
「アウスツル第三球を…
投げたッ!
ラシャバ捉えました!ボールはど真ん中!
センター…
おっと!?」
ツルちゃんの頭上を越えて伸びていく打球に、セカンドのアイちゃんが垂直跳びで真っすぐ食らいついた
「セカンドアイゼ嬢、なんという跳躍力!
センターライナーを捕りました、1アウト!お見事です!」
ボールを捕ったアイちゃんは、何故かそのままてくてく歩いてツルちゃんに近づき、ボールを手渡した
「?何でしょう、何かメッセージを伝えたのでしょうか」
「…ああ、アイちゃん、ボール投げ苦手だって言ってました」
「…なるほど。アイゼ嬢大事を取りました。郁金香1アウトでバッターは3番カラブラン。これで最悪でも延長には持ち込めるでしょうか」
「ここは決めて欲しいです」
「そうですね。カラブラン、今日はツーベースヒットで高天原を脅かしています。この打席もゾンダ様に繋げられるでしょうか、アウスツルは踏ん張りどころ。
肩で息をして第一球を…
投げた!
打ちました!クリーンヒット!一二塁間を…
ファーストオーリス横っ飛び!
捕ったか!?…捕った!捕りました!
オーリス打球をダイビングキャッチ、よくぞ飛びつきました!ものすごい反応です!
高天原必死の好セーブで2アウト!」
遂にこの時が来てしまった
スタジアムの空気が変わる
この見せ場を望んだのはゾンダ様なのか、ツルちゃんなのか
9回裏2アウト
ここでゾンダ様が打っても終わらない
郁金香は終われない
だがツルちゃんの戦いに次の打席はない
これが最後
「4番ゾンダ様、打席に入ります。
おっとここでキャプテンラファレ、タイムを取りました。
マウンドに駆け寄ります。
守備陣を呼んで…アウスツルを囲みました。ボールを順に手渡していきます。
サードからレフト、ショート、セカンド、センター…ファーストオーリス、チーム全員の思いをアウスツルに託しました。
守備陣元のポジションに散っていきます。
ラファレ、アウスツルとフィストバンプを交わしてキャッチャーボックスに。
タイムを解きました。
さあこれが最終打席となるか!」




