第63話④
しかしゾンダ様の大砲を除いて試合は大きく動くこともなく、投手戦の様相を呈し始めていた
相手打線が繋がらないからいいようなものの、こちらも全く得点できていない
0対1のまま五回表を迎えた
「さあそろそろ得点が欲しい高天原。バッターは4番、オーリス。学校対抗戦以外の記録も含みますが、通算打率0.343を誇る猛打者です」
「…それって、3割4分しか打てないってことだよね?」
「”しか”ってなんですか!3割は大記録ですよ!?」
「えっ、あ、そうなの?10割なんて人がいるから感覚が麻痺しちゃって…」
「打率0.343は、三回に一回以上はヒットが出るってことです!このオーリスだけで打線を組んだら、1試合で確実に5点は入るってことなんです!超一流ですよ!?大体つむじ様、一服寺戦で3割打者に感心してたじゃないですか!」
「いやあ、あれはその、そんなもんなんだーって…詳しくないからさ」
「困りますよ!大事なことなんですから!」
「ごめんごめん。以後気をつける」
10割バッターや身の丈3mのピッチャーがいる野球で、現実にありそうな記録にも驚いてみせろというのはなんとも理不尽な話だ
まあ言っても仕方ない
これは超人野球だ
「びっくりするなぁ、もう…
さあ、気を取り直して参ります。
高天原、ダグアウトから指示を送っております。
オーリス、ブロックサインを承服してバットを構える。巨壁ヘイフォンを打ち破る秘策があるのでしょうか。
つむじ様、何か作戦聞いてませんか?」
「3割バッターの凄さがわからない私に、野球の作戦がわかると思いますか?」
「これは手厳しい仕返しです。自慢になりませんよ」
彼女が非常に優れた打者であることは私も承知している
練習ではそれこそ10割に匹敵するほどヒットの山を築いていた
もちろんピッチングマシーンや球筋をよく知っているツルちゃん相手にだが
「ヘイフォン、振りかぶって…
おおっとこれは危ない!ファウルボール!」
ボールは内角高めの更に内、肩をかすめるように飛び込んできた
「今の狙ってなかった!?」
「ヒヤッとしましたね。歩かせるぐらいならいっそデッドボールでということでしょうか。審判ピッチャーに注意します。あまりわざとらしいプレーには罰則が課されます」
「退場だよ退場!」
「代わりに5mのピッチャーが出てくるかも知れませんよ?」
「えっ、マジで?」
「オーリス、ヘルメットを直して構えます。
1ボールナッシング、ヘイフォン振りかぶって第二球
…おっと、今度は外角に逸れました。
2ボール」
「コントロールが怪しくなってきてる、とかいうことはある?」
「5回で集中力が切れる投手ではありません。オーリスはヘイフォンにとっても強敵です、心理的な揺さぶりをかける作戦と思われます」
「デッドボールかと思わせて?脅しじゃん」
「つむじ様、こういう直接的なコンタクトのないスポーツの心理戦は、エグいですよ」
「私はフルコンタクト派です」
「やはり拳で語るつむじ様、怒らせたくない相手です。
ヘイフォンサインを見て、オーリス第三球を…
打ったッ!
これは低い当たり!
打球はヘイフォンの股の間を抜けていきます!」
「ハー!ほら見ろ!」
これこそピッチャーライナーの軌道だが、本当ならピッチャーのお腹があるはずの足の間を真っすぐ抜けていった
ピッチャーが対処できず、外野も手が届かない
理想的な当たりだった
セカンドが捕れてもよさそうな気がするが、どうもあの巨人の壁の後ろでいつも手を抜いているらしい
咄嗟のことに反応できないでいた
「オーリス余裕の一塁。これはいい当たりでした」
「あーあーwほーらほら。人間やっぱり悪いこと出来ませんねえw」
「オーリスのバッティングセンスを褒めてあげてください。さあ次は5番アウスツル。オーリスに続けるか」
ツルちゃんはクリンナップを任されるほどの安定した打撃力も兼備した、投打に優れる正真正銘のエースだ
だが肉離れを発症してからは肩を温存するよう命じられていた
特に今回は欲張るなとキャプテンから厳命されている
「ヘイフォン振りかぶって第一球…
シュートです!
あっと!デッドボール!」
「ツルちゃん!」
「さっきの今でこれは良くないですね。
審判再びヘイフォンを指導。
アウスツル、チームドクターのチェックを受けて…大事なさそうです。
塁へ出ます、高天原ノーアウト一・二塁」
今のボールはバッターボックスの直前で右に(キャッチャーからは左に)角度を変え、ツルちゃんの右腕を直撃した
相手ピッチャーはごめんと謝るジェスチャーをしてはいるが、右打ちバッターの右腕に、偶然でそう簡単にボールが当たるわけがない
ツルちゃんの右肩めがけて放った変化球だ
こんなことまでしていいのか
「…つむじ様?」
肱川さんは珍しくオフマイクで話しかけてきた
「えっ、はい」
「思っても、言わない方がいいですよ。ジャッジが絶対です」
「そりゃそうだけど…」
肱川さんはすぐに気を取り直してマイクを入れる
「さあ高天原の攻撃、6番ポリヴィ。アウスツルの借りを返せるか。
ヘイフォン第一球を…
投げたッ!
ストライク!
しかし二塁オーリス走り出していた!
キャッチャー三塁へ送球間に合うか…届かない!
セーフ!
オーリス見事な盗塁でランナー一・三塁!」
「やった!やった!」
「面白くなってまいりました。ポリヴィ落ち着いて構えます。
ヘイフォン第二球…
三塁をちらっと見ます、足を狭く構えてクイックモーションでしょうか。
オーリス膝を伸ばす。
…おっと今度は一塁アウスツル走り出しました!
ヘイフォン後ろ後ろ!牽制間に合いません!
セーフ!
ランナー二塁三塁!
高天原、ここへ来て走る作戦に出ました」
「いいよいいよ!無理しないで!」
「無理はしないでとのつむじ様のお言葉。しかしここで無理を通せば道理も引っ込みます。高天原得点のチャンス。6番ポリヴィ、改めてバットを構えます」
こういう状況になったときの練習を全員が積んできた
何が何でもミートする
絶対ホームに帰ってくる
今がその時だ
「こうなってくると背中が心配なヘイフォン。三塁を確認します。勝負に出るか…
投げたッ!
ポリヴィバントで転がします!
ヘイフォンボールに手を伸ばすが三塁オーリス走り出している!
オーリス一瞬の迷いを突いてバックホーム!
高天原、スクイズで1点をもぎ取りました!」
「やったー!」
高天原のベンチは大騒ぎだ
ここからもみんなの笑顔がよく見える
「さあ五回表、ようやくゲームが動き出しました!高天原1点を返してノーアウト一・三塁。追加点のチャンスです!」
五回表、更に2人のランナーを返して3点と逆転すると、郁金香も負けじと大きい当たりで取り返す
両軍当たりが出るようになってきたが、守備も大きな見せ場を盛り上げ、3対3のまま7回表を終えた
あの怪物相手に我が軍は善戦している
ダビデのように都合よくあっさり巨人を倒せるわけではない
あれは作り話だ
それにこれはスポーツだ
相手がいかに怪物でも同じ道具、同じルールで戦う
明確な不利はあるが、勝てない相手ではない
「さあ七回裏、郁金香の攻撃。打順は3番カラブラン。今日はヒットがありません」
「はい先生!」
私は小さく手を上げた
「はいつむじ様」
「ゾンダ様が4番てことは、そこで満塁ならできるだけ確実に全員ホームに帰せるから4番なんだよね?」
「大枠ではそういうことですね」
「じゃあ、1から3番は、もっと確実に塁に出れる人じゃないといけないわけだよね?」
「まあ、そうですね」
「…彼女は本当に3番でいいの?」
「3番は走打に秀で、長打力があり、安打をアウトに取られにくい万能選手が求められます。彼女も打率は0.292と非常に優秀ですので、打席数から言ってここらで一発当ててくる可能性はあると思います」
「じゃあ、ツルちゃんも特に警戒してる?」
「もちろんです。彼女を抑えなければ、2点以上持って行かれる可能性が非常に高いわけですから」
「そういうことか」
「ご納得いただけたようでなによりです。さあカラブラン、ここで意地を見せられるか」
「万能選手をここまで抑え込んでるんですから、大丈夫です」
「アウスツル構えます、第一球。
…ん投げた!
打ちました!カラブラン大きい当たり!」
「ええっ!だめだめ!」
「打球は右中間へ!
センター拾って二塁へ!
セーフです、カラブランツーベースヒット。
怖い当たりを見せてきます」
郁金香応援団はチャンステーマで士気を上げている
「いやー勘弁してください」
「郁金香橋頭堡を築きました。ここで4番はゾンダ様、狙った獲物は逃さない。試合は3対3、ノーアウトランナー二塁。高天原ここが正念場です」
7回裏、郁金香の攻撃はあと2回
場合によってはこれがゾンダ様を討ち取る最後のチャンスかもしれない
だが局面を考えれば、一塁まで歩かせるのがベストだ
でもツルちゃんにそんな気はない
「ゾンダ様バットを構えます。
アウスツル、サインに首を振る。今度も速球勝負でしょうか。
第一球振りかぶって…
これは!」
ツルちゃんの投球はさっきまでよりずっと遅い、変化球かと思うようなスローボールだった
あれほどゾンダ様との戦いに拘泥していたツルちゃんが、この局面で自分の勝負を捨てるとは思えない
だがいつもと違うのはツルちゃんだけではなかった
一瞬で球威の衰えを見抜いたゾンダ様は、さっと身をかがめてバットを横に持った
「なんとゾンダ様!バントでスローボールに合わせてきました!
アウスツル慌てて飛びつきます!
しかしその間にゾンダ様一塁!」
ボールは三塁側へ転がって、拾いに行くツルちゃんを尻目にゾンダ様は地面を蹴った
そんなバカな
確かに盗塁を果たした他の選手に比べたら遅い
だが膝をやっている人間とは思えない走りで一塁を駆け抜けた
「ゾンダ様走れないんじゃなかったの!?」
「私もゾンダ様のバントは初めて見ました。往時の俊足には及びませんが、まだまだ衰えはありません!郁金香一・三塁!」
話が違うじゃないか
いや、それよりツルちゃんだ
「ごめん!ちょっとトイレ!」
「えっ!?つむじ様!?」
さっきのデッドボールが効いてるとしか思えない
高天原のベンチに向かうまでの間も、スタンドからの歓声が止まない
「ツルちゃんは!?」
ベンチに辿り着いたときには、さっきの3番打者がホームに帰ってきたところだった
アイちゃん含む数人の補欠要員とチームドクターが試合を見守っている
「つむちゃん…解説はいいの?」
「それどころじゃないよ!あれ絶対さっきのデッドボールのせいでしょ!?」
「つむじ様、落ち着いて。この回はあえてセーブさせてるんです」
チームドクターは冷静に答えた
「ええ!?」
カウントは2アウトになっていた
1点とゾンダ様の進塁は許したが、ちゃんと敵を抑え込んでいる
「今の状態だとツルは全力では投げきれません。でももう少し肩を温存すれば、最終回にはいくらか速球を投げられるはずです。ツル本人もそれでセーブに納得しました」
「それまでは打たせて取る、ってこと…?」
「まあ、この試合の後はしばらく休んでもらいますけどね」
このペースだと、最終回にまたゾンダ様の打順が巡ってくる
その時は本当に、ツルちゃんは肩を完全に壊してでも直球勝負を挑むはずだ
「つむちゃん」
アイちゃんは真顔で続ける
「ツルちゃんはゾンダ様と勝負がしたいんだよ。それまで絶対くじけるはずがない」
「でも…でもさあ!」
「やらせてあげようよ」
「ご心配なく。ツルはデッドボールごときでくたばりはしませんよ。次の回までは肩を休ませます。その間に打線で負担を減らしますから」
ドクターにも、アイちゃんにすらも私の危惧は伝わっていない
ツルちゃんは投げる
何があっても
それでゾンダ様に負けたら次の機会を待つのだろうか
その時投げられる肩は残っているのだろうか
ツルちゃんの気迫は、頑なさは、負けの二文字を背負うつもりがまったくない
あの10割バッターに、今日勝とうとしている
『ストライクスリー!』
ベンチには歓声と一緒に球審のコールが聞こえる
ゾンダ様を三塁に残したままこの回は凌ぎ切った
攻守交代で守備陣が戻ってくる
「あれ?つむじ様、解説は?」
「駄目だよスパイは」
「だって…ツルちゃんが…」
「ツルは大丈夫だよ。最終回まで必ず持たせる」
キャプテンは笑顔で私の肩を叩く
そりゃみんなは大丈夫だろう
しかしツルちゃんは…
「つむじ…」
ベンチに戻ったツルちゃんは冷静そうに見える
「ツル!肩を休ませなさい!」
ドクターはアイスパックをツルちゃんに叩きつける
「わかってる」
「…ツルちゃん!」
なんと言えばいいんだ
わざわざここに来たのはツルちゃんを思いとどまらせるためなのか
私自身よくわからない
でもツルちゃんがどうしたいのかはよくわかっている
「勝ってね!」
「ああ!」
ツルちゃんの右拳にフィストバンプして、私はベンチを去る
「よぉし!返していくぞ!」
「おおぅ!」
本当にこれでよかったのだろうか
私はこの時の判断に今でも正解を出せずにいる




