第63話②
どうにか肩を回せるところまで回復したツルちゃんは、再三セーブするようサインを出されながらも完投し、初戦の一服寺を破った
実況席にいた私は、ツルちゃんが力んだ投球をするたび声を上げてしまった
ラジオで放送されていたこの模様は、大変臨場感があって良いと放送部のディレクターからお褒めの言葉を頂いた
もちろんそんなつもりはないのだが
「ツルちゃん、無理しちゃ駄目だよ」
「こういう時に無理しなかったらいつするの?」
「つむじ様の言う通りだぞ。ツルが無理して潰れたら、うちはそこで終わりなんだから」
「そうはさせない。絶対に勝つ」
「ゾンダ様に?」
私の言葉に、みんな口を閉ざしてしまった
ツルちゃんが試合の勝敗よりゾンダ様一人に執心しているのは、みんな重々承知だ
でも肩を壊したらそこで終わりだ
バッターはゾンダ様だけではない
「…ごめん、みんな。でも私は、どうしてもゾンダ様に勝ちたいんだ」
「ゾンダ様は走れない、って聞いたんだけど」
「盗塁やランニングホームランは難しい、ってだけさ。でも走るのがきついのは事実なんだ。だから出来れば内野ゴロかなんか誘ってくれると、うまくすればアウトが取れるかも知れない」
「…そんな都合のいい投球できっこないだろ」
「すごく手前で落ちるフォークかなんかなら、振り抜くタイミングがズレて…」
「駄目だ!」
ツルちゃんは頑なだった
もちろんみんなだって、出来ることならゾンダ様と悔いの残らない勝負をさせてあげたいはずだ
「オレがチームに加われたらいいんですがね」
ブランはそこら辺に転がっている石を投げた
石はヒュッという風切音を立てながら真っすぐ飛び、標識の細いポールに命中した
悪くなさそうだ
「残念ながら郁金香の生徒ですんでね」
「そうだよね」
「郁金香にはオレぐらいの選手はゴロゴロいますよ。でもこれじゃエースは張れない」
そしてとどめにゾンダ様までいるのだから、相当な強敵だ
「本人がゾンダ様とのタイマンを望んでいるんだからどうにも出来ませんが、チームとして勝つ戦術ならあるんじゃないですか?」
「打てればいいってこと?」
「そういうことです。相手よりたくさん点を取れればいい」
どんな手を使ってもだ
それに関してはチームのみんなも決して無策ではなかった
「まあ、対策はしてる」
さっきから野球部のみんなは、プールの監視台みたいな高台の上に据え付た、ピッチングマシーンが投げ下ろす球を相手にバッティング練習をしている
あんな高さから投げられたら、バントでも球が跳ねてしまう
「あれは狙ったところに転がすバントの練習だけど、もちろんチャンスがあれば長打も狙うよ」
「フライボール革命とか?」
「?なにそれ」
「アッパースイングの方が得点に繋がりやすいって理論」
メジャーリーグでレーダーなどによる打球の解析が進んだことで見出された、フライの方がヒットやホームランになりやすいという打撃戦術である
でもその代わり三振も増えるらしい
実にアメリカ的なアレ
「あー…まあ、長打はね」
「外野までそのまま届けばね」
「?」
私も聞きかじっただけの話だが、みんなはみんなで何か事情があって歯切れが悪いみたいだ
「郁金香の隙は内野に若干の問題があることだ。だからゾンダ様とは逆に、短く打ってあとは走る、というのが一つの手」
「バントとかで?」
「そうそう」
「まあ…今までの傾向から、押し出しで3点ぐらいは取れると見てる」
「塁に出さえすれば、極端な話スクイズで点は取れる」
あくまでそういう楽観的な見立てだから、個人の資質で出来るか出来ないかは二の次だ
3回に1点
でも相手は3回あれば間違いなくゾンダ様の打順が回ってくる
その時満塁なら4点返されてしまう
「だからこっちも、守備で着実にランナーを減らしてくしかない」
「気持ちで押されてるよ。どうやって打つかって話でしょ」
「…いや、打たなくてもいい」
キャプテンが何か思いついたように呟いた
「打たなきゃ点取れないじゃない」
「盗塁だ。向こうは対角線上の送球が苦手だから、とにかく一人塁に出さえすれば、二塁までは進める」
「二塁じゃ点は取れないでしょ」
「一塁方向へのゴロでファーストとピッチャーを取りに行かせて、その隙に二塁から一気にホームスチールする」
流石の無茶に他のチームメンバーも口々に難色を示した
「ゴロ拾ってる間に三塁踏めても、ボールがキャッチャーに届くより速くバックホームは無理だよ」
「どんなに頑張っても塁間を走るのに3秒はかかる。拾ってから送球してタッチまでなんてせいぜい1.5秒だ」
「ピッチャーの投球に1秒、ゴロを拾ってからホームまで1.5秒。ゴロに飛びつくまでなんとか3秒稼げれば、二塁からホームに帰って来れる奴がいる」
みんな顔を見合わせて、何言ってんだこの人は、という表情をしている
「…それうちの生徒?」
「アイだ」
アイちゃんは100m10秒台
塁間の距離は約27.5mなので、単純に、ものすごく大雑把に計算すれば、二塁からホームまで5.5秒ということになる
でも真っすぐじゃないし、スタートの加速時間がある
確かにアイちゃんの足なら常人をはるかに超えるスピードを期待できるが、そもそも狙って二塁からホームスチールという発想が常軌を逸している
しかもゴロを取るのに3秒という、完全な希望的観測を含んでだ
以前私もアイちゃんに盗塁させたら?なんて話したことがある
その時は牽制がわからなくて使い物にならなかったというが、記憶を取り戻した今のアイちゃんならどうだろうか
本来こういうのは女王の仕事ではないが、乗りかかった船だ
私は夜更かしして、店じまい前の銘酒屋に出向いていた
この世界には風営法などない
強いて言えば我々が法だ(ヒューッ、かっこいい)
なので、ヴェーダ様の管轄が終わる午前1時半までが色街の営業時間となっている
ザナドゥの方は24時間お構いなしだ
あっちの風俗がどんなのだかは知らない
店は掃除を始めていて、完全に終い時だ
バーテンに事情を話して通してもらった
女王だし、このぐらいの顔パスは許してもらってもバチは当たるまい
アイちゃんはさっきまでお客を取っていたとのことだった
特に本人に話は通してもらっていない
アイちゃんの特別室、この店の奥座敷の戸をノックする
「はぁい」
いいとも駄目とも言われていないが、まあ私達の仲だ
客がいないなら別にいいだろう
「アイちゃん、こんばんは」
「ひぇっ!?つむちゃん!?」
アイちゃんは素っ裸に肩から打ち掛けを羽織り、何かつまみながら水を飲んでいた
後れ毛が襟に貼り付いていて、今慌てて隠した胸元は玉の汗をかいている
こんなに胸が大きかったかな?
「ごめんね、急に来ちゃって。今日はちょっとお願いがあるんだけど…」
「えっ、うん、あのっ…ちょっと、シャワーだけ浴びてきていい?ついさっきまでお客さんとしてたとこだから…」
「ああ、うん。もちろん。なんかほんと、ごめんね」
「ううん!超特急で行ってくるから!」
作り付けの押し入れからお風呂セットを引っ張り出すと、客が脱がすまで着ていた服を小脇に挟んで慌てて部屋を出ていった
押し入れの中には私物らしいものが色々見えた
この部屋に住んでるようだ
部屋を見回していると再び戸が開き
「つむちゃんもお客さん取る?」
「取らないよ!もう営業終了でしょ!」
「そうだね。ヴェーダ様に怒られちゃう」
とペロッと舌を出して、今度こそシャワーを浴びに行った
なんか構えてない時は記憶が戻る前のアイちゃんみたいな雰囲気だな
さっきまで客と寝ていたという布団
寝乱れてシーツがぐしゃぐしゃだ
濡れたあとの染みがある
仕事が終わったら剥がして洗うのかなとは思ったが、手持ち無沙汰なのでピンと張り直した
なんかチョコレートみたいな匂いがする
嗅いだことのある匂い
それもほぼ毎日嗅いでいるチョコレートの匂いによく似ている
…いや、まさかな
付き合ってる人がいるって言ったばっかりで、こんなとこで女買ってるなんて
フレオに限って流石にそれはないだろう
伸ばしたシーツを撫でていると、アイちゃんが戻ってきた
濡れ髪にバスタオル一丁だ
「お待たせ。…あっ、シーツ直してくれたんだ」
「うん、取り替えるのかなとは思ったけど」
「汚れないんだけど、一応お客さんごとに替えてるんだ。どんなお客さんが来てるのか、残り香で見破れる人達がいるからなんだって」
「気持ち的にも替えてあった方がいいよね」
危ない危ない
見破れる人になるところだった
「これ、まかないだから。よかったら飲んで」
と炭酸水が入ったグラスを勧めてくれた
薄く切ったライムが浮かんでいる
「ありがとう」
一口いただくと、水じゃなかった
ホワイトラムのソーダ割りだこれ
炭酸が効いててよくわからないが、結構度数高いと思う
「いつもこういうの飲んでるの?」
「ううん。今日はこれが余ってた」
そう言うとアイちゃんは押し入れを開け、何やら箱をがさがさ探り始めた
「おつまみポテチでいい?」
「いいのに。お構いなく」
「私が食べたいの」
裏側からビリビリとパーティー開けして、私との間に広げた
一枚摘んでみると、この味はわさビーフだ
袋をめくってみると、紛れもなくわさビーフだ
「不思議だよね。昔はポテチ自体見かけなかったのに」
「…最近見慣れたものが色々現れ出してる。私のせいみたい」
「つむちゃんのせいじゃないよ、きっと」
アイちゃんは世代としては比較的私に近いと思うが、それでも何歳か年上のはずだ
そんなに大昔のものは記憶にないだろう
「それで。お願いって?」
「ん…そうだった。実はアイちゃんに野球をやってもらいたいんだ」
「野球…」
なんとなく嫌そうな顔だ
まああまりいい思い出はないだろう
「アイちゃんの足の速さがどうしても必要なの!最終回の代走だけでもいいから!」
アイちゃんは口をへの字に曲げて悩んでいる
「でも…点取れなかったら怒られるやつでしょう?」
「誰も怒らないよ!みんなじゃ手に負えないから頼んでるんだし」
名人は長考に入った
「打席には立たなくていいの?」
「いい!誰かが塁に出たら代わりに走ってもらうだけ!」
「守備もしなくていいの?」
「まあ…先攻だったらグラブ着けて立っててもらうかもしれないけど、特に仕事はしなくていいから!」
次の一手は長い
「じゃあ…つむちゃん一緒に寝てくれる?」
「うん…えぇっ!?」
「私一日中この部屋で寝て暮らしてる。違う女の子が代わる代わる来て、私を抱いてくけど、みんな帰っちゃう。本当に寝る時はいつも一人」
アイちゃんはまた寂しそうな笑顔に戻ってしまった
「誰かの体温で眠りたい」
そういう”寝る”か
なら、まあ、うん
初めてじゃないし
「わかった。いいよ」
「ありがと。シーツ替えてもらうね」
とアイちゃんは廊下に顔を出して店の掃除係にシーツを所望し、糊が効いたパリパリの真っ白なシーツを布団にかけた
私はアイちゃんのパジャマを借り、酒とつまみを出窓の張り出しにどけて、二人で布団を被った
アイちゃんはやっぱり裸だ
私の腰に手を回して、背中に顔を伏せる
こんな暮らしをしてても、アイちゃんは前と同じお日様の匂いがする
「パジャマいつ着てるの?」
「御飯食べるとき。私すぐ着物汚しちゃうから」
そういうところも変わっていない
悲しみを思い出したけど、アイちゃんはアイちゃんのままだ
きっと生前もこんな感じだったのだろう
でも記憶が戻る前は食べこぼしなんか気にしなかった
汚れても拭けば落ちると信じているからだ
「…そういえば、アイちゃんまだ走れるよね?」
「と思うよ」
「ずっとこの部屋で女の子に抱かれてるだけなんだよね?なまってない?トレーニングとかしてる?」
「トレーニングはしてないけど、いつでも全力疾走できそうな感じはあるよ」
ツルちゃんの肉離れやゾンダ様の怪我の話を思い出す
常にパーフェクトな状態を保てるわけではないのは、私自身も身を持って知ることがあった
「…どうかした?」
「実は…ツルちゃんが肩に無理をさせて故障しそうなんだ。ここではそういう変化は起きないものだと思ってたんだけど、どうやら違ったみたいだから」
「ああ…あれ本当に怪我だったんだ…。私中二病的なやつだと思ってたよ」
「それはひどいな」
「だってさ、いつも盛り上げどころで、ウッ、肩が…!って。でもその後結局投げ続けるんだよ」
「本当にそういう無理してたんだよ」
「でもさ、ツルちゃんがそういう悲劇のヒロイン演じたいんだとしたら?」
「流石に芝居じゃないと思うよ…」
「そうじゃなくてさ、本物の悲劇のヒロインになりたい!って思うばかりに、普通の人はしないような怪我をしたり、それを克服したりすることって、あり得るんじゃない?」
「…この世界にそうさせられてる?」
「鰯の頭も信心からって言うでしょ。私達にはもう無理だけど」
トランプが袖口に隠してあることを知ってしまったら、もう驚きはない
ところがこの世界にはタネも仕掛けもない
人間が空を飛べないのは、飛べないと思っているからだ
雨が空から降ってきて地面に落ちるのは重力のせいではない
私達がそう信じているからだ
だからもし、自分の腕を代償に10割バッターを打ち砕くという夢物語を心の底から信じていたら
「つむちゃん、こっち向いて」
「ん…」
寝返りを打って、アイちゃんと向かい合いになる
アイちゃんは私の胸元に顔を埋めて言った
「大丈夫。ツルちゃんは投げられなくなったりはしないよ、きっと」
私が本当に気にしていたのは、ツルちゃんの肩ではなかった
投げ切って、ゾンダ様を打ち負かしたその後は?
「ぎゅーってして」
「え…こう…?」
私の胸に顔を埋めるアイちゃんの頭を抱きしめた
アイちゃんは私の胸で深呼吸する
「つむちゃん、香りが変わったね。前はシトラスだったけど、今はいちごみたいな香りがする」
「えっ」
香りは一種のアイデンティティみたいなものだと思っていたから、変化するとは想像もしてなかった
自分の香りは自分では全くわからない
でもいちごって
「おっ?心臓の鼓動が急に早くなったよ?」
「あっあアイちゃんが裸だからだよ!」
「うそつき」
とアイちゃんは私の唇にチュッとして、また胸元に潜り込んだ
「アイちゃん!」
「今度お願いがある時は、つむちゃんも裸で寝てもらうね」
初めて唇を奪われた相手だからか、こっちも警戒心が薄くなりすぎている
それにしたって人の唇を何だと思ってるんだまったく
あれ、待てよ
そういえばアイちゃんが記憶を取り戻す前から、コインランドリーがあった
多分段々マンションもそうだ
未来の遺物は何もみんなが記憶を取り戻したから現れたわけではない
その前から何かの事情でそこにあったのだ
なんでもかんでも自分のせいだと思って悲観していたが、そういうわけじゃなかった
それで安心していいかどうかわからないが、私が気にしてもしょうがないんだと思えたら、いくらか気が楽になった
アイちゃんはもうすっかり寝息を立てている
私も寝よう
結局、アイちゃんへのお願いはこれが最初で最後になった




