第63話①
スポーツの秋、なんて言葉があるらしい
一説には、東京オリンピックの開会式が行われた10月10日を体育の日と定めたことにあやかったらしいが、今となってはまだ夏みたいな気候だし、当時だって台風シーズンではあったはずだ
昔は運動会といえばこのくらいの時期だったという
農繁期が終わって手が空いているというのはあったかもしれないが、それじゃ田植えシーズンに運動会をやってる今はなんなんだという話になる
とかく当事者の都合は無視されがちな文化的イベントだが、実際やるとなってみればこの季節は悪くない
特にこの世界はちゃんと秋らしい秋が来る
木枯らしの便りも届きそうな凛とした空気が、肌に緊張感を与えてくる
「見てくださいつむじさん!」
嬉々としてトーナメント表を見せに来たのはスポールブール研究会の会長だ
「つむじさんが提案してくださった体験授業のお陰で、こんなに選手が増えましたの!」
トーナメントは4回戦まで組まれている
しかもこの16人に絞るまでに予選があったというのだ
「すごいじゃない。これだけいれば部活に昇格出来るんじゃない?」
「いやいや。部員てわけじゃないんだよこれ」
と言うのは未だにプロデューサー巻きをやめないフィッシング同好会会長だ
トーナメント表には彼女の名前がある
「大舞台で勝敗を分ける体験をしたら、きっと入部してくれますわ!」
「予選はみんなボーリング大会ぐらいの感覚だったからなぁ」
「いいんだよ、最初はそんなんで。徐々に人が増えていけば」
「いいよなぁ…カッツェンはだれも理解してくれないんだ…」
実はカッツェンも一度体験授業で取り上げてそれなりに盛り上がったのだが、ゲームが終わっても誰もルールを飲み込めていなかった
「あれっ」
トーナメント表をよく見るとルネの名前もある
「ルネこれに出るの?」
「まぁね」
ふふん、と鼻を鳴らす
まあ確かに程々に筋がよかった
今のところ身内でトロフィーを争う気配だが、まだ見ぬ強敵がいるだろうか
球技大会は女王全員参加
なんてことを言われて、断る理由を用意できなかった私は特別席を与えられた
「天高く馬肥ゆる秋、今年もこの季節がやってまいりました!」
今でこそ晴れ渡る秋空を表現するような言葉になっているが、元々は匈奴が馬で攻めてくるから気をつけろという唐代の警句である
要するにやんちゃしたくなる季節ということだ
「今日この日のために鍛え上げてきたリリカポリスの猛者たちが激突します!街中の会場で様々な競技が執り行われますが、やはり皆様一番の注目はここ!ザナドゥスタジアムです!」
ザナドゥと言っているが駅からたっぷり30分は歩かされ、歓楽街の蠱惑的な空気とは完全に切り離されたリリカポリスの外れである
だがそこに街の人口の半分ほどが詰めかけ、スタンドは朝から満員だ
こんなに人がいたのを目の当たりにして、ちょっと気圧されている
「そして今大会最初のカードはこちら!一服寺対高天原の野球による対決です!両校とも直近の勝率では五分と言ったところ。さあ、どうご覧になりますか、つむじ様」
「そうですね、選手層の厚い一服寺に対して、高天原の少数精鋭がどう立ち回るのか。活躍に期待したいですね」
「さあ両校の選手が並びましてキャプテンが一歩前へ。握手を交わします。双方礼をして一服寺守備位置へと散っていきます、まもなくプレイボール。えー、今大会も実況は私肱川が、解説はつむじ様でお送り致します」
「よろしくお願いします」
まあプロレスの解説よりはマシだが、これだって別に得意分野な訳ではない
ただまあ、実際に玉ころを投げたり蹴ったりするよりはまだみっともないところを見せずに済む
とにかく球技は苦手だ
ウゥーっというサイレンが鳴らされ、球技大会最初の一戦が始まった
話は数日前に遡る
球技大会を控えて我が校の野球部も練習に熱が入っている
ルネは用事があると行って出かけていたが、どうもこの時にスポールブールの予選に参加していたらしい
チームが誇るピッチャーはかつての同寮生、ツルちゃんだ
だが野球部の懸案はそこだ
ツルちゃんしかいないのだ
「誰か他に投げれる人はいないの?」
「投げるって言っても、ただキャッチャーまで届けばいいってもんじゃないからね…」
「ちゃんと変化球投げ分けられるのはツルだけなんだ」
そう話している間も、ツルちゃんはブルペンで投球練習を繰り返していた
ゾンダ様が10割バッターなら、ツルちゃんだって150km/hを放る剛腕だった
もう超人野球みたいな世界だが、それでも郁金香は手に負えない強さだという
「今からこんなに根詰めて大丈夫なの?」
「肩を冷やしたくないって、聞かないんだよ」
「熱くなりすぎだよ」
ツルちゃんの投球は鋭さを増している
ゾンダ様に小手先の変化球は通用しないから、球威に磨きをかけているのだという
「ゾンダ様が打てなかった球はないわけだけど、打った球が全部ホームランになったわけじゃない。打球の飛距離が短ければ守備で2塁打1塁打に抑え込むことも出来る。それには投球速度が遅い方がむしろいいんだけど…」
「ツルちゃんは三振に打ち取りたいわけか」
「速球なんて敵に塩を送るだけだって、言ってるんだけどね」
「試合に勝っても勝負に負ける、と」
「試合に勝つのも難しいけどね」
「うあッ!」
その時、投球の力み声とも思えないうめきが聞こえた
「ツル!」
ツルちゃんは苦悶の表情で肩を押さえてうずくまっている
話していたチームメンバーと一緒に私も駆け寄った
「ツル…無茶しやがって…」
「誰か!アイスパック持ってきて!」
野球部の練習場は騒然となった
どうやら信じられない出来事が起こっている
「ツルちゃん怪我したの!?」
「…こんなの怪我のうちに入らない」
「何言ってんだ、肉離れが再発したんだろ」
「再発!?」
「気合い入れすぎて、肩をいわすことが最近増えてるんだ」
違う違う、そういうことじゃない
この世界では誰も血を流さないし、怪我もしないんじゃなかったのか
ツルちゃんはマネージャーにアイスパックを充てがわれながら保健室に向かった
「前に海を目指したときのこと覚えてまして?」
所変わって執務室
私が今までこの世界の普遍のテーゼだと思っていたものが崩れ去り、この事実は何なのかと、とにかく事情を知ってる人間を問い詰めなければ気が済まなかった
「あの時は夜通し歩いてクタクタになったでしょう?あれと同じことですわ」
「でも肉離れって、明確な怪我だよ!?それも何度もって…」
「程度の問題なんだよ。転んだり尻餅をついたりした時は痛いだろう?でもじきに収まる。なら寝違えて首が痛い時は?一日痛いよな」
フレオだけでは埒が明かないと思って、あゆ様も連れてきておいた
「極端なダメージを負った時は、しばらく痛みが続く…?」
「そもそもあの時は、わたくしが二日酔いで苦しんでいたでしょう?」
「骨が折れたりっていうのは聞いたことないけど、ひどい打撲の時は痣もできるし、頭をぶつければたんこぶもできる」
「心配しなくても、しばらく経てば何事もなかったように元に戻りますわ」
「でもツルちゃん、肩を痛めることが最近増えてるって言ってたから、何か後遺症みたいなものがあるんじゃないかな…」
「変化しようとしている前触れなのかもしれないな」
「変化って…?」
「こんな世界でも人間は変わる。ライフステージのステップを上がるとか、新しい領域に踏み出すとか。そういう時に、人は変容を遂げるのかもしれない」
「ツルちゃんが…変容…」
「例えばですけれど、ルーの先代は女王を退いて先生になったでしょう?」
「ツルちゃんもコーチか何かになろうとしてる…?」
「それかゾンダを打ち取れるエースか」
巨人の星じゃあるまいし、肩を壊してエースになるなんて
もう球技大会までほとんど日がないというのに
でもそんなことより、この世界でも下手をすると取り返しのつかない怪我をする可能性があるということに私は大きく動揺していた
保険医からしばらく安静にしろと言われたツルちゃんは、それでも走り込みを続けていた
流石に投球できるような容態ではないようだ
みんなは心配しながらもそれを見守っていたが、私は気が気ではない
ツルちゃんは一体どうなってしまうのか
すがれるものには何にでもすがろうと、私は看護師に助けを求めた
「…私はあなた達の敵なのよ?」
「でも女王は倒れてる人にためらわず手を差し伸べるんですよね!?」
「肉離れなんてツバでも付けとけばそのうち治るわ」
医療従事者からは絶対聞けないセリフ
私の頼みだからというのもあるが、ヴェーダ様は歯牙にもかけてくれない
もちろん郁金香にしたら、ライバル校の一枚看板を直してやる義理などない
「それに私は内科の看護師だったのよ。整形外科は専門外」
「…こういうことってこの世界でよくあるんですか?」
「保健室は保険医が生徒を味見するための部屋じゃないのよ?血が流れないだけで、気分が悪くなったり、肘や膝をぶつけたりなんて生徒が毎日訪れてるわ」
保険医が生徒を味見してるってところは聞き捨てならないが、私はてっきりズル休みする部屋だと思いこんでいた
ちゃんと医療を施す機能があったとは
そういえばフレオが”カレー粉”を見つけてきたのも薬屋だったっけ
今までただ存在しているだけだと思っていたものにちゃんとした理由があったことで、私のこの世界に対するある種の信頼は大きく揺らいでいる
「…専門外の一般論だけど、RICEって言って、安静《Rest》・冷却《Ice》・圧迫《Compression》・拳上《Elevation》を守らせて一週間。程度によるけど、回復には二週間から一ヶ月ぐらいかかるわ。断裂があれば年単位」
「じゃあ球技大会は…」
「もってのほか…と言いたいところだけど、まあこの世界なら二~三日でとりあえず収まりはするでしょうね」
「そうですか…」
ひとまずはホッとしたが、ツルちゃんが肩を傷めたのはこれが初めてではない
「ゾンダが何故女王をやってるか知ってる?」
「…自警団から推戴されたんじゃないんですか?」
「走れなくなったの」
「えっ」
「もしここが誰も怪我しない世界だとしたら、10割バッターが野球をやめるなんて考えられる?彼女は打って良し走って良しの強打者だった。それがプエルチェを庇って膝を傷めて、一線を退いた。今でも打席には立つけど、走らなくていいように長打をお見舞いしてくるわけ」
ということは、みんなが言っていた当たりを小さくする作戦は非常に効果的ということだ
ヴェーダ様は、肩にアイスパックを縛り付けて走るツルちゃんを遠目に眺める
「悪いけど、今年もうちがもらったわ」
とヴェーダ様は不敵に笑った
今年”も”か、くそ
「ツルちゃん、無理をしたら二度と投げられなくなるってこともあるんですか?」
「可能性はあるわね。でもマウンドを降りても野球に関わり続けることはできる。痛みを押してまで投げようとする情熱があるなら、必ず何か道を見つけるはずよ」
道か
でも郁金香に勝つことより、ゾンダ様を打ち取ることに熱意を注ぐツルちゃんだ
ただ野球のそばにいれば済むような、軽い気持ちではないだろう




