【コミカライズ】悪役令嬢だったらしいので、彼に別れを告げることにしました
お読み下さりありがとうございます。
※2024.04.03
日間異世界転生/恋愛短編2位
ありがとうございました。
「ハーディン、この婚約を解消していただきたいのですが」
私は、婚約者のハーディンに先手を打って婚約解消の申し出をすることにした。
それは、この先彼に婚約破棄を告げられた後で断罪されるという未来を知ってしまったから。
――なぜ?どうして私は
前世でゲームをしなかった?
私はイザベラ。バングール公爵家の長女だ。婚約者のハーディンはアルギリオン公爵家の長男。次期公爵当主となる彼とは同じ年であり12歳のときに二人の婚約が決まった。
ハーディンの容姿は幼い頃から美しい。艶のあるシルバー色の長髪。切れ長の目は、長いまつ毛から覗く澄んだ碧眼が冷ややかな輝きを放つ。彫刻のような美しさに誰もが彼の婚約者を夢見ていただろう。
そしてそれは私も同じ。ずっと彼を好きだった。初めて出会ったその日からずっと彼を好きだったのに――。
今日、私は彼に別れを告げたのだ。
◇◇◇
私が転生者だと分かったのは、今いる世界でヒロインだというマリアンジュが校舎裏の林の中で独り言ちていたのがキッカケだ。
彼女は手話でもしているかのように手を動かしながら……?腕を上げたり下ろしたり?ジェスチャーをしながらブツブツと……。声までは聞こえなかったが一生懸命何かを言っているようだった。
生徒会に所属している私は生徒会役員らと月に一度の校舎裏のゴミ拾いをしていたときで、彼女の奇妙な動きに皆で首を傾げた。
役員の一人が不思議な物を見るかのような表情で口を開く。
「イザベラ様。見て下さい。あの方は先日転校して来たという男爵令嬢のマリアンジュ様ですわ。···腕を動かしながら何をしているのでしょうか?」
――確かに。彼女は何をしているのだろう
それが初めてマリアンジュを見たとき。
彼女がこの学院へ転校して来たのは今から2ヶ月前の2学年も終わりに差し掛かった頃のこと。話をしたことはなかったが、ピンクゴールドの艶のある髪はとても人目を引くのだと、彼女のことは私も話には聞いていた。
背は低く、クリンとしたエメラルド色の瞳がとてもチャーミングな可愛らしい彼女の容姿に私は見惚れる。
それというのも、私の容姿は深い闇のような腰まである漆黒の髪に薄い菫色の瞳で、なんといっても背が高い。髪の色からか落ち着いた印象を持たれるのだが、実は活発な方なのだ。
――クルクルと表情を変える彼女は
とても可愛らしくて……羨ましい
次の日の放課後。
昨日ゴミ拾い中に落としてしまった手袋を探しながら校舎裏の林へまで来ると、またマリアンジュの姿がそこにあった。
今日は、友人と二人で来ているらしく林の中で何やら話をしているようだ。それを横目に通り過ぎようとすると、
「――乙女ゲームの『ラブリープリンセス』の世界だったのよ。そして私が主人公のヒロイン!」その声に私は足を止める。
――ここが、乙女ゲームの世界?
彼女がヒロイン?
頭の中で認識された言葉。
この国にはない言葉なのに、私はその言葉を知っている。
大きな木の陰に隠れると、私は『姿くらまし』自身に魔法をかけて姿を見えなくした。そして、彼女達の話に聞き耳をたてる。
そして、それが引き金となって私は前世を思い出した。
――そういえば、バイトからの帰り道。
トラックが信号無視して……
その後の記憶が……ない?
――まさかの転生?私が?
彼女も転生者?
突然のことに一人悶々とするが、彼女達は話を更に先へと続けている。
私は一旦気を取り直し、更に耳を立てて続きを聞く。
そのゲームは最後にヒロインが聖女となり、三人の王子の中から伴侶を決めてこの国を救うというシンデレラストーリー系のゲームらしい。
婚約者に婚約破棄された悪役令嬢が魔王を召喚し国を滅ぼそうとするのだが、悪魔を召喚する前に選ばれた王子と聖女の愛の力で国を救うという内容だった。
――アホくさ。やっぱりゲームなんて
やるもんじゃないわ。時間の無駄遣いね
「悪役令嬢は、第一王子ルートでは最後に一般牢に入れられ毒殺され、第二王子ルートでは溺死刑。そして、第三王子ルートは火刑。全てのルートで苦しみながら死ぬことになるの」
――うわ。めちゃこわ。恐怖だわ
そして、マリアンジュが聖女となるヒロインだと飛び跳ねながら喜ぶ。その様子に友人らしい子が呆れ顔で口を開く。
「ヒロインが貴方なら、悪役令嬢っていうのは誰なの?」
「ん?イザベラ・バングール様よ――」
――え?……悪役令嬢が、わ、私?
「私はヒロインだから、まだ魔法が使えないんだけど。まずは、ハーディン様を射止めるの」
「え?ハーディン様?···王子様じゃないの?」
「最初は。ハーディン様なの!」
そう言った後で、私の婚約者のハーディンがヒロインと付き合い始めると悪役令嬢がヒロインをいじめだすのだと言う。
ハーディンとヒロインが悪役令嬢の陰謀計画を知り、攻略対象である王子三人の中から一人を選び内容を告げることで未然に防ぐ。
どのルートでも、悪役令嬢は婚約破棄をされると人が変わったようにヒロインをいじめ出し、最後に殺される運命なのだと淡々と話す彼女。
そしてヒロインは、悪役令嬢に立ち向かいながら王子との間に真実の愛が芽生え光魔法が開花するらしい。
残されたハーディンは、宰相となってヒロインと王子を支えて行くのだという。
ゲームの展開では私が最高学年になってから最初の王宮舞踏会の日に婚約破棄をされる。
婚約破棄をハーディンが言い渡した後にテラスで一人で居るところにヒロインが現れ、その日の内に二人は恋仲になる。
そして、学院卒業間近に三人の王子の誰かとくっつく設定だと言って、彼女の口は弧を描いた。
――どうして私は
前世でゲームをしなかった?
彼女の話す内容に全く頭が付いていかない。しかし、最初の王宮舞踏会は夏季長期休暇が終わってすぐに催される。その日までに残り3ヶ月しかない。
突然の膨大な情報に私の頭の中はショート寸前で、気が付けばいつの間にか彼女らはその場からいなくなっていた。
その日から私は一人悶々と考え抜いた。
正直いって、ハーディンと私は上手くいっていない。学院内でたまに彼を見かけ声をかけるが会話もほとんどなく、友人の令嬢達のように休日なども婚約者と過ごすなど一度もしたことがないのだ。解決策を見出だせないまま時間だけが過ぎていく。
あっと言う間に時間は過ぎ、明日から夏季長期休暇となってしまった。
長期休暇を前に私は自身に『姿くらまし』をかけると、ハーディンの居る教室のドアから彼をそっと覗き見てため息を吐く。
――これって、ストーカーだわ
このままでは、私は大好きな彼から婚約破棄を言い渡される。罪人になり死刑になるのも嫌。考えれば考えるほど、どうしたらいいのか分からない。
それと、長期休暇中にハーディンのお姉様のデイジー様が嫁いだナルニル侯爵家の領地へ遊びに出かける予定がある。
「ハーディンも夏季休暇はこちらへ遊びに来る予定だから、日にちを合わせて初デートへと二人でお出掛けをしてみたらどうかしら?」
そう言ってデイジー様に冷やかされ、その気になって「是非」と返事をしたのだが、今では無茶苦茶後悔している。
――これ以上、嫌われたくない
『これ以上、好きにならなきゃいいのよ』
絞り出した答えはこれだった。
そのためには、彼の姿を見ないようにするしかない。最低限の会話もしてはならない。彼の名前も思い出さないように……私が選択したのはこの恋を終わらせること。
――初恋は実らないっていうし
彼女の言う通りならば、私は婚約破棄を言われるだろう。……ってことは――。
――今なら婚約解消で済む話ね
ハーディンとは、婚約するまでは普通に話す友人だったのに……婚約してからの彼は、私の事を避けるようになった。そんな彼に私は嫌われたくなくて、一生懸命話しかけた。
学院ですれ違うときも目も合わせず、ときどき目が合うととても冷ややかな瞳で睨んでいるように私を見る。
嫌だったのだろうけど、私のせいではない。嫌なら親に言ってくれればよかったのに。だって、この婚約は政略的に結ばれた訳ではなく親同士の仲が良かったから決まっただけのものなのだ。それでも私は嬉しかった。婚約前から柔らかに微笑む彼のことが好きだったから。
嫌われているのかも?とは思ってはいたが、まさか婚約破棄をされるなんて夢にも思わなかった。
次の日、夏季長期休暇一日目。
私は朝一でアルギリオン公爵家へと向かった。突然の訪問だったが執事は終始笑顔で出迎えてくれ、すんなりと応接間へと通してくれた。
その場で茶葉をブレンドし適温の湯で蒸らし終わった紅茶が目の前に置かれる。
フルーティーな紅茶の香りがハーディンが来るのを待つ私の張り詰めた緊張を和らげてくれる。
――先手必勝!
言われる前に手を打たなきゃ
そして、この恋を終わらせる
ノック音の後に開かれた扉からハーディンが入室する。彼は突然の私の訪問に、部屋着姿で現れた。しかし、彼は扉を閉めるとそこから動かず腕を組んで冷ややかな表情を浮かべる。
「朝早くから何の用が?」
低い声でそう言うと、彼は目を細め私を睨んだ。
――あぁ、この人が最後に笑みを見せて
くれたのはいつだったかしら?
それすらも思い出せないほどの
関係だったんだ
淋しさが込み上げてきたが、私は波打つ胸の鼓動と共に口を開いた。
「突然朝から訪問してしまい申し訳ございません。至急お話したいことがありお邪魔させていただきました」
眉を下げ申し訳なさそうな表情でそう告げると、彼は面倒臭そうにする。
「長くなるなら着替えて来る。少し待っていてくれ」
「いえ、すぐに終わります」
その言葉に彼の眉がピクリと動く。その後でため息を吐くと、いつものように私を見もせずに口を開く。
「···話とは?」
彼はそのまま聞くつもりらしい。
メイドが彼の分のお茶を淹れ終わり、彼がソファーへ座らない為にお茶を出し渋っている。
――私って、相当嫌われていたのね
そう思うと私は自身に呆れた。
心の中で苦笑いをする。
「お話と言うのは···私達の関係についてなのですが。婚約を結んでから三年が過ぎましたわ」
「···まだお互い学生なのに、婚姻を早めたいのか?」
渋い顔をしながら言った彼の言葉に、私は首を左右に振る。
涙が出そうだ。でも泣いてはいけない。
私は勇気を振り絞って次の言葉を口にした。
「いいえ、そうではありません。逆ですわ。婚約解消のお話をしたかったのです」
「···は?···今···何と?」
「婚約解消ですわ。私達は婚約者として一緒に行動を共にしたこともありませんし。···学院生活が残り半年あります。残り半年あれば、お互いに新しいパートナーを見つけることも不可能ではないかと――」
「ハーディンも好きな方と一緒になられた方が幸せになれますし、ね。···もちろん、私もですが」
貼り付けたような淑女らしからぬ笑顔しか見せられなかった。
言葉と真逆の思いが溢れてくるが、それを抑えつけるのがやっとだ。
「···イザベラは、好きな奴がいると。だから、俺との婚約を解消したいということか?」
「違いますわ。遠回しな言い方をしてしまいました。そのままの私の気持ちをお伝えしますと、嫌いな私といつまで婚約を続けるおつもりですか?私は···嫌われ続け、睨まれ続け···歩み寄りも出来ない婚約者との婚約解消を望みますわ」
「イザベラ、お前は俺のことが好きだろう?気を引くためにこんなことを言うなんて···後悔するぞ」
「いいえ。後悔いたしませんわ。このまま婚約を続けていることを私は後悔するでしょう。それに···私がハーディンを慕っていると?確かに婚約が決まったころはそんなときもありましたわ。でも、今ではその頃の自分の気持ちが信じられません。好きな人に相手にもされず、それでも何かを期待して···今の私は、次に出会う方とは政略結婚を望んでおります。好きだの嫌いだの、煩わしいことを考えなくて済みますもの。···では、婚約を解消する方向でお願いいたしますわ。私も早いうちに両親に伝えますので、宜しくお願いいたします」
私がソファーから腰を上げ扉の前まで来ると、彼は扉の前から体を横にずらして私を睨み見る。
「イザベラ···」
「違いますわ。これからはバングールと···アルギリオン公爵令息様」
最後に名を呼ばれたが、私は振り返らずにそう告げて応接間を後にした。
その日の午後。
夕食の時間に今日の出来事を両親に話をしようと決めていた私は、四阿にて一人悶々とこの後のゲームの強制力について考えていた。
テーブルの上に頭をもたげてひれ伏していると目の前に菓子が載った皿がコトリと置かれる。侍女が菓子を持って四阿へ戻って来たようだ。体を持ち上げる気力もなく、瞼を閉じると今朝のハーディンの様子を思い出す。
「イザベラ」
私の名を呼ぶ彼の声まで幻聴で聞こえてくるほど、名残惜しいらしい。
「イザベラ、寝ているのか?」
二度目の幻聴に瞼を瞬時に開く。
そして、私が頭を上げると目の前にいる人物に驚愕した。
「ハーディン?」
なぜ?彼がここにいる?
そう思いながらも、突然の彼の姿に心臓音が高鳴る。
「今朝は最後まで話せずに君が帰ってしまったために、今度は俺がこちらに来たのだが――」
「···最後までお話ししたと思われますが?」
「いや、途中だった」
「そうでしたか?では、続きの話とは何でしょうか?」
そう私が言った後で、彼は手に持っていた書面を私に差し出した。
「これを――」
それを受け取ると、彼は中を確認するようにと促す。高級な綴紐に巻かれた書面を開くと、そこには――。
「は、は、はいぃぃぃぃ?な、な、なんですか?これは、ど、ど、どういうこと···なのですか?」
私は二度見……いや、三度見してから彼に尋ねる。
「婚約の取り消しはしない」
「と、と、取り消しどころの話では···ありませんわ!」
私が手にして震えているものは、すでに受理された婚姻届の写しだ。
「この婚姻届は婚約した日、両親が私達にお互いを婚約者としてきちんと認識させるために記入したものではありませんか。どうしてこれをハーディンが持っていたのです?」
「婚約したときにもらったからだ」
いつも通りの冷ややかな瞳で私を見ながら彼はそう言う。
「私がアルギリオン公爵家へと向かい、ハーディンと話をしたのはいつでしたか?」
「今日の朝だ」
――ですよね?
「この届けは、いつ受理されたものですか?」
「今日の昼過ぎだ。受理された足でそのままこちらに来たのだが?」
「私が今朝お伝えしたことは違いますでしょう?真逆のことでした。···ふぅ。私の伝え方がよくありませんでした。きちんと伝えられていなかったのですね。申し訳ございませんでした」
私は書面を綴り紐でくくると、席を立ち上がり彼へと話を続ける。
「では、行きましょう。まだ間に合いますわ」
「どこへ行くと言うのだ?」
「婚姻届を取り消しにですわ。受理されてから24時間以内ならば取り消す事ができ――」
「取り消すはずがないだろう!」
家へと向かい歩き出したところで急に怒鳴られ、私が振り返るより早く後ろから腕を引っ張られる。彼は、そのまま後ろへ倒れそうになる私を抱えると私の唇に自身の唇を重ねてきた。
初めてのキスに、驚きで目を見開く。
固まっている私から彼の顔が離れると、彼は頰を赤らめながら目を細める。
「イザベラ。――お前は俺の妻だ」
――ちょっと待って?
お前は……俺の……妻?……私が妻?
思考回路がショート寸前だわ
さらに彼は驚愕の出来事に固まっている私を抱えると、スタスタと邸の前に停車してあるアルギリオン公爵家の馬車に乗り込んだ。そしてすぐに馬車は動き始める。
「どこに行くのですか?」
「ナルニル侯爵家の領地へ向かう」
「はぁ?···い、今からですか?」
その後は、彼からの返事は返って来なかった。
馬車が停車すると中で待つように言われ、彼は馬車を一度降りるとすぐに戻ってきた。
そしてまた馬車が動き出す。
彼は私の腰に腕を回すと体をピタリとくっつける。
「ハーディン。そろそろ教えて下さいますか?どうして婚約解消の話から婚姻に至ったのでしょうか?」
「·····」
「嫌いな私と無理に婚姻して、そうまでしなくてはならない何かしらの理由がおありなのですか?···そ、それに···気持ちを押し殺して唇を重ねてくるなんて···何かしら理由がおありになるのでしょう?私には初めてのことでしたのに···あんまりです」
いくら尋ねてみてもこちらを見ずに無言でいる。彼の気持ちが分からない。いつもの冷ややかな瞳とは違って、今の彼の瞳は馬車の外を見つめながらも瞳が左右に揺れているような……何があったのか、何を考えているのか、何をどうしたいのか……。
もしかしたら、これも乙女ゲームのルートのひとつ?よくよく考えて見れば、前世でマリアンジュが全てのルートを攻略したのかどうかも分からない。
この彼の言動は、ハーディンのルートなのかもしれない。このまま私は彼に殺されるのかも。
「着いた。今日はここに泊まる。降りるぞ」
物思いにふけっていると馬車が停まり、ハーディンが腰を上げた。彼が先に馬車から降りた後、私に手を差し出した。どうやらエスコートしてくれるようだ。
「ここは、どなたのお邸なのでしょうか?」
「王都にあるナルニル侯爵家だ。別邸に私達が宿泊する用意をしてもらっている」
そう言われ辺りを見回すと、いつの間にか空は茜色に染まっていた。
ナルニル前侯爵当主へ挨拶を済ませ別邸へと移動する。侍女を伴っていなかったので、前侯爵当主は侯爵家の侍女を付けてくれた。
御者が先に別邸へと荷物を届けていたらしく、ケースの中を見ると着替えがたくさん入っていた。いつの間に、着替えを用意したのだろうか?
入浴と夕食を済ませた後で、あてがわれた部屋のソファーで横になっていると、扉のノック音が鳴る。
無言で入室してきたのはハーディンだ。侍女だと思っていた私は、そのまま横になっていたため素早く座り直す。
彼は何も言わずにお茶を淹れると私の前にカップを置く。その隣にも……。2つのカップが並べて置かれると、彼はドサリと私の隣に腰を下ろす。
そして、お茶を一口飲むと彼はため息を吐いた。
「はぁー。···なぜ俺が、イザベラを嫌いだと?誰がそんなことを言った?」
ずっと無言で、私の言葉に返答しなかった彼がようやく会話をする気になったらしい。
「···誰かに言われた訳ではありません。しかし、態度を見ていれば自ずと分かります」
カップを手に持ち、彼の視線はそれに向けられている。それに向かって話しかけているかのようで、そんな様子に私は呆れ顔で答える。
「態度?どのような態度からそう思ったんだ?」
「今もそうですわ。貴方様は誰かと話すときに、相手の顔を見ることもならさないのでしょうか?···違いますよね。私の時だけ、目をそらし視線を合わせず最低限の言葉だけ」
「確かに···イザベラを見ないようにしていた。しかし、嫌ってなどいない」
「嫌われている訳ではなかったのですね。でも···もういいのです。だから、そろそろ別の人生を選ぼうかと思いました。その方がお互いに幸せになれると――」
「俺は、イザベラと別れるつもりはないし、他の男に譲る気もない」
「···この先のことを考えて下さいますか?夫婦になったところで上手くいくと思えません。それに、先の未来でハーディンがお慕いする方が現れたとすると、私はどうなるのでしょうか?見せかけだけの公爵夫人には成りたくないのです。···ハーディンのことを好きだったからこそ、私はその方に嫉妬するでしょう。そうなる前に貴方とお別れしたいのです」
「イザベラは、やはり俺のことを好きだったのではないか」
「はい。お慕いしておりました。なので、もうこれ以上辛い思いをしたくありません。理解していただけてよかったです」
「···そうか」
「はい。では、私は邸へと帰らせていただきますので、明日の朝に婚姻届を取り消してきますわね」
ソファーから立ち上がると、俯いている彼の手が私の手首を掴んだ。
「イザベラは俺の妻だ」
苦しそうに言った後で、彼は顔を上げ私に視線を合わせた。真っ赤な顔は発熱しているかのようだし、切れ長の目には涙が今にも溢れそうだ。いつも私に向けられていた冷ややかな彼の表情はそこになかった。
「見たくても見れなかった」
手首を引かれ、もう一度ソファーへと座らされると彼は真っ赤な顔を隠すように反対側へ顔をそむける。
見れなかったとは、拒否反応?もしかしたらゲームの強制力なのかしら?
そう思い、どう影響されていたのかも気になり私は彼に尋ねる。
「それは、どういうことですか?」
「し、仕方がなかった。イザベラを見ると――」
「見ると?···見ると、何でしょう?」
「つまり···見ると、赤面するからだ」
――やはり、ゲームの強制力なのかも?
もしかしたら、彼も辛かったのかも知れない。
「もう、無理に見なくてもいいですよ」
眉を下げ申し訳なさそうにそう答えると、彼は更に辛そうな表情を私に向ける。
「どうして、そうなんだ。なぜ分からない」
「イザベラを見ると赤面するのは、婚約者だと思うと嬉しくてだ。イザベラと別れるつもりもない。イザベラを他の男に譲る気もない。イザベラは俺の妻だ」
「イザベラ、ずっと悪かった。赤面するからといって···君を傷つけていたことを許してほしい。無理に見なくてもいいなんて、言わないでくれ。これからも、ずっとイザベラを見ていたいんだ。今まで君を傷つけていた分も含め、一生大切にし幸せにすると誓う。好きだ。ずっと好きだった。···だから、俺から離れようとするな」
突然の彼の告白に思考がついていけないでいると、彼は唇を重ねてきた。
何度も唇を重ねながら彼は私の名前を甘い声で呼ぶ。そのたびに自分が愛されているのだと、ようやく実感する。
そして、彼は私の唇を塞いだまま寝具まで運ぶと、
「イザベラ。一生大事にする。愛している」
私にこれからの愛を囁いた。
それから3日後。
私とハーディンは、途中買い物等をしながらナルニル領へと訪れた。
王都で一泊させていただいたナルニル侯爵家でのケースに入っていた着替えは、途中でハーディンが買ってきたもので、それでは足りなかった。
道中では、表情は冷ややかだが今までと違い少しずつ私と視線を合わせてくれるようになり、会話もするようになった。
馬車に揺られ外を見ると、そろそろ収穫時なのだろうか?一面黄金色の小麦畑に感動する。そんな私を見て柔らかに微笑む顔も見れるようになり、婚約前の彼の表情が思い出されて凄く嬉しい。
侯爵家へと着いたのは、日暮れ前。
馬車は門を通過し邸前で停まる。馬車から降りると彼のお姉様が扉前まで出迎えに来てくれていた。
「イザベラ様!大丈夫でしたか?ハーディンがイザベラ様を無理矢理連れ出したと···。ハーディン!貴方はなんてことを――」
「デイジー様。私は大丈夫ですわ。ほら、この通りです」
「そう。よかったわ。このまま、応接間へご案内しますわ。ハーディン、覚悟なさい。お父様がお待ちですわ」
なんと、アルギリオン公爵様が応接間で私達が到着するのを待っていたらしい。
そして、ハーディンが応接間の扉を開くと公爵様がソファーから立ち上がる。彼は公爵様の前に立ち頭を下げた。
「ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした。事後報告になりますが、イザベラと婚姻を結びました」
「イザベラを連れ出す前に、バングール公爵には何と言われたんだ?」
「彼女が首を縦に振ればと···」
「そうか。イザベラ、この長期休暇中に我が家に引っ越しを終えるように。結婚式は学院卒業後になるな。バングール公爵家には私から話しておく」
私の知らないところで、父やアルギリオン公爵様とハーディンが話をまとめていたことに驚いた。
しかし、この後どのようにハーディンが変わってしまうのかと考えると怖い。怖いが――。
私は、彼が私を思う気持ちの方が嬉しくて、彼の手を取ってしまった。
今は、今後のことは考えないでいようと、彼と思いが通じ合ったことを素直に喜ぶことにした。
急な引っ越しなどで長期休暇が慌ただしく過ぎ去る。
アルギリオン公爵邸では私を迎え入れるために素敵な部屋を用意してくれたが、ハーディンがそれを許さず毎日一緒の部屋で生活している。今では、彼も顔を赤らめることもなくなりつつある。
そして、また通常通りの学院生活を過ごし始めた。
長期休暇明けの学院では、私とハーディンの噂話でもちきりだ。登下校時に一緒の馬車を乗り降りする私達には、学院生からの温かな目が向けられている。
それと、ゲームで婚約破棄をされるとマリアンジュが言っていた王宮舞踏会は何事もなく終わった。婚姻したことで婚約破棄を言い渡される心配は無くなっていたが、やはり怖くて···舞踏会会場内で私が一人になるときは、『姿くらまし』で過ごすことに――。
秋の訪れと共に生徒会役員の代替わりをし冬季休暇も終わるころ、私は体調を崩すようになった。毎朝ダルさが取れず食事もしたくないほどで、最初のうちは公爵家に慣れてきたことで今までの疲れが出てきたのかな?という感じで過ごしていたが――。
医師に診断してもらうと、私のお腹の中には新たな命が宿っているという。
その夜、私の後に寝具の中へと入ってきたハーディンに医師から言われた内容を告げる。
「男じゃないよな?」
彼は、息子にまで嫉妬したくはないと冗談を言う。柔らかに微笑むと私のお腹に唇を落とし、子供ができたことをとても喜んでいる。
今は、何事もなくとても幸せな日々を送っている。だからこそ、この後の展開が怖い。
私は残りわずかな学院生活で、彼が急変しないことを祈った。
そして私は、決意する。
マリアンジュを校舎裏の林に呼び出したのだ。
「マリアンジュ様。以前、こちらの林の中で話していた内容についてお聞きしたくてお呼びしました」
彼女は、頬を赤らめて微笑む。
「はい。嬉しいです。イザベラ様とお話しできる日が来るなんて――。一生の思い出になります」
――ん?何だか反応が可笑しい
悪役令嬢がヒロインを呼び出したのよ?
涙ぐんで震える場面よね?
「う、嬉しい?そう。···私がお聞きしたかったのは『乙女ゲームの世界に転生した』とマリアンジュ様が言っていたことでなのですが」
「あっ、はい。劇の稽古をしていたときのことでしょうか?今流行りの転生者様が執筆して下さった台本の内容ですね」
――劇?台本?
転生者様が執筆?
そう言って彼女はニコニコしながら、その台本について語りだす。
孤児院にいる転生者様が収入を得るために前世での知識を活かして絵本や本を作っているという。
その話を聞き、演劇部に所属しているマリアンジュが国民祭で披露する劇の台本を転生者様にお願いしたということだ。
学院内での話を取り入れたかった彼女は、転生者様に学院内で憧れているイザベラとハーディンを登場させて欲しいとお願いしたのだとか。
そうして、前世で流行りの小説風にこの国と学院を舞台にした台本が出来上がったらしい。
「···えっと、悪役令嬢というのが私だと話していらっしゃいましたが――」
「転生者様が言うには、前世では美人薄命という言葉があるらしく、私には意味が分からなかったのですが···簡単に説明をしていただくと、美しいまま死を迎えるみたいな話をされていました。多分、美しい人は歳をとらないのでしょう。そのため美しいイザベラ様が劇の中では早死になってしまったのです。···名前をイーラと変えましたが気分を害されましたよね。申し訳ありませんでした」
彼女は涙を溜めて深々と頭を下げた。
そのままの姿勢で更に謝罪が続く。
「学院に入学してからハーディン様が、ずっとイザベラ様を愛おしそうに見つめていたので、微笑ましいお二人を登場させた台本を作ってもらいました。出来上がった内容が全くお二人とはかけ離れていたので、誰もが分からないと思って勝手なことをして申し訳ございませんでした」
――なんと、私の早とちり?
「マリアンジュ様。顔を上げて下さい。私は、怒ってはいませんわ。ただ、お聞きしたかっただけですから。マリアンジュ様達のその劇を私も観てみたかったですわ」
ハンカチを差し出すと、彼女はそれを使わずに家宝にすると言い笑顔を見せてくれた。
「最後にもう一つお聞きしますが、ハーディンが私を見つめていたとは?何かの間違いではないのでしょうか?」
「見間違いではありません。いつも愛おしそうにイザベラ様を見ていました。···イザベラ様がハーディン様に気が付くと、彼は直ぐに顔をそらして赤面していましたよ。学院生の間で知らない人はいないと思います。彫刻のように美しいハーディン様が、シルバー色の長髪からイザベラ様を覗く眼だけには熱がこもって輝きを放つし、有名でしたから」
彼女が去った後で私は『姿くらまし』をした。
力が抜け落ち地べたの上に寝転がる。
何とも言えない思いが押し寄せる。今までの私の苦労はいらなかったのでは?恥ずかしいというか、呆けてしまう。
瞼を閉じていると、緩やかな風が私の頬を伝い自然の林の香りに心が癒やされる。仄かに彼の香りもするような···私は久しぶりの安堵感に胸を撫で下ろす。
「イザベラ。腰が冷える。子供が寒いと言っている」
目を開くと私の上から冷ややかな碧眼が私を覗き込んでいる。
――ん?『姿くらまし』中なのに?
魔法が消えてしまったの?
「邸に帰るぞ」
彼は私を起こすと抱き上げる。
「俺の格好が可笑しく見えるから魔法を解け」
――え?
「ハ、ハーディン?どういうことですか?」
私の問に彼は眉を下げる。
「イザベラの魔法は俺には利かない。あぁ、違うな。俺の光が勝手に闇を見つけ、イザベラの魔法をかき消してしまう」
――ということは?
「イザベラが隠れて俺を見ていたのも知っている。仕方ないだろう?俺はいつもイザベラを見ていたんだ。魔法で姿を消した後まで――」
久しぶりに見るハーディンの真っ赤になった顔に私は幸せを噛み締める。彼の首に腕を回すと彼は私の額に唇を落とす。
「イザベラの勘違いのせいで、俺は別れを告げられたみたいだが···おかげで早く結婚することができたな」
なんと、彼は先ほどのマリアンジュとの会話まで聞いていたらしい。···もしかすると、私からではなくハーディンの方からストーカーされていた?
そう思うも、ずっとストーカーされていたいと思う私も大概だな。
「ハーディン、愛してる。ずっと私だけを見ていてね」
そう私が告げるとハーディンは「睡眠時間だけは無理だ」と言って微笑んだ。
〜fin~
誤字脱字がありましたら
申し訳ございません。