交わり融ける
【「キキキキ、キケンなオトコ。ここからサらねば」】
何ものでもない影が喚きたてる。千寿流たちがコントを繰り広げている中、歪み一定の形をつくることができない影は霧散し、周囲に溶けこの場から逃亡しようとしていた。
【「ギ!?二げれない!?カゲがチガう!?カゲがカゲじゃない!?カゲがカゲにマじる?」】
「ああ、もういいよ。君、面白くないんだ。こんな暗闇で、だれもいない場所で。何も面白くない」
影は一定の空間を逃げ惑うように移動し続け、やがて球体となり膨張と収縮を繰り返し始める。
「夜潜 千手夜行 影無」
地面から無数の手が伸びる。それは黒く、一定の形をとらず蠢き続ける。それは血管の様に無数に枝分かれし、際限なく増殖し続ける。やがて、球体を覆い隠すよう伸び、包み込むように夜が影を覆いつくす。
「影は光が無いと生まれない。光を遮るものがなければ影は存在できない。けれど光が無いのであれば、それは即ち全てが夜ともいえるだろう。まあ、どう思うかは人それぞれ、僕は学者じゃないから正直どうでもいい」
膨張と収縮が緩やかになる。それに伴い滲み、粒子となる。それは例えるなら人の一生のような、徐々に港に向かう船のような。この影の存在の在り方、その終わりを示唆しているかのようだった。
「君は自らこの死地に足を踏み入れたんだよ。周りの夜は君を待ってる。君が融け合い交じり合うことを。ほら、君と風景を分け隔てるその境界線も少しづつ消えていく」
【「トけて、キえゆく。それが、オわり?」】
「ああ、さよならだ」
そこには千を超える夜が“在”った。つぎはぎの腕は空間を形作り、滲み出る。それは風景と馴染むように次第に色褪せていく。
やがて、影と夜は大海に落とした一粒の水滴のように交じり合い融け合う。
意志を持ち、幼い少年少女を攫い、川崎という繁華街を流行り病に陥れ続けた影の魔獣はこうして夜の景色へと、初めから何も無かったように静かに消えゆくのだった。
「いやー、千寿流ちゃん、君のおかげで川崎の健全な少年たちは皆救われたわけだけど、ねえ、どう思う?」
「シャルルが ちずるを さがしているあいだに ちずるが ぜんぶ たおしちゃったんだよね ちずるすごい」
「千寿流ちゃん!本当にありがとうございました!その、それ以外の言葉が見つからないですっ。葵ともそこまで変わらないのに勇気があって、とても強いんですね。本当に、本当にありがとうございました!」
後日、命の家。影の魔獣を退治したこと、そして、夜深が呪いと称した奇病トレモロについての件。これから先、どうなるかはいまだに不明ではあるものの、核たる原因を取り除いたことで少しづつ良くなっていくだろうということを話し合った。
「え、えっと、えひひひ、あたしのおかげ?そ、そうなのかな。あたし、何にもしてない気がするんだけど。だってほら、あたしもシャルちゃん探してたし、それだけだよ。本当に何もしてない間に終わっちゃってたの」
「またまたそんなこと言って、謙虚なんですね、千寿流ちゃん。」
三者三様。いろいろな形で称賛を浴びる千寿流。
褒められること自体は嬉しくないわけじゃないけれど、本当に何もしていない。いや、何かしようとしたけれど何もできなかった千寿流は、そのことを一生懸命に伝えるのだが、命には謙遜していると思われ、うまく伝わっていないようだった。
「あのさ、もしかしてシャルちゃんが倒してくれちゃったりしていない?ほら、あの時見せてくれたようなすっごい力でバーンって!」
両手を上げてシャルの力の表現しながら聴いてみるものの。
「ううん シャルルは なんにも してないよ。ちずるを たすけようと したんだけど できなかった。こんどは シャルル がんばるから!」
シャルは手を合わせ申し訳なさそうな顔をする。そのあと許してね、と言わんばかりにポケットからお菓子の詰め合わせ袋を取り出して千寿流に渡す。チョコレート、飴、クッキー、マシュマロと甘いものばかりだ。結構な量だが、いったいどれだけ入っているんだろうか。
「じゃあ、夜深ちゃん!夜深ちゃんでしょ!あたしじゃないと思うんだよね、ほんと!」
「いやいやいや、何言ってるの。君が魔獣、やっつけちゃったんでしょ?もちろん、僕でもあの程度の魔獣なら片手で退治できちゃうけど千寿流ちゃんは気づかないうちにだもんねぇ、流石としか言いようがないよ」
夜深はお茶らけた仕草で千寿流の頭をポンポンと叩く。少しくすぐったい。
本当に記憶にない。影の魔獣に首を絞められて、意識を失いかけて、シャルちゃんの声が聴こえて、よくわからないまま解放されて地面にぶつかって。あとは真っ暗の中シャルちゃんを探し回ってただけ。それだけだ。自分が覚えていない間にやっつけてしまうなんてことがあり得るのだろうか。
まあ、考えても思い出せないのだからこれ以上考えるのは無駄だろう。だから、気持ちを切り替えることにする。
「う、うん、あたし、本当に記憶ないけど、それが本当ならうれしいよ!きっとあの傘でばしーんってやっちゃったんだよね?」
千寿流は立て掛けてある傘まで駆けていきギュッと握ると振りかぶり空を叩いた。
「かっこいい ちずる!」
「そうそう、君がそんな感じでばしーんってやっつけたんだよ。真っ暗だったからよくわからないけどね」
「えひひ、あたしでも勝てるってことは意外と弱かったってことなのかな。でもこれなら影の魔獣がもう一度現れても安心だよね!」
出来ればもう現れてほしくないけどねと付け足し、照れ臭そうに笑う千寿流。実際やっつけた記憶がないのだから実感は全くわかないけれど、ほんのちょっぴり自分に自信が持てたのだった。




